王国歴180年:リリエ・シダーポルン
エルヴィスが森に帰ってきた。そう聞いたリリエは、それとなく、エルヴィスの家を覗いてみる。すると、聞いた通りそこには荷解きをしているエルヴィスの姿があった。
「ちょっとぶりね、エルヴィス」
「あっ、リリエ。ただいま。……えーと、40年ぶりくらいか?」
「41年ね、確か」
「そうだっけ?細かいなあ、リリエは……」
エルフは、然程細かく月日を数えないし、覚えてもいないものだ。しかし、リリエはエルフの中では珍しくも、それなりにちゃんとしている方である。
……とはいえ、エルヴィスもリリエも、『本当は51年ぶり』ということに気付いていないのだが、それを教えてくれる者はだれも居ないのであった。
「ああ、そうだ。これ、お前に土産。人間の国の果物のシロップ煮だってさ」
「わー!ありがとう、エルヴィス!」
エルヴィスは荷物の中から、大きなガラス瓶を取り出して、リリエにくれた。瓶の中には、杏によく似た、それでいて杏よりずっと大粒の果物が、透き通ったシロップの中に、ぷかり、と浮いている。光に透かしてみれば、煮込まれた果肉がうっすらと透き通って、なんとも美しい。
「これ、何の実?」
「桃だってさ。人間の国の桃は、こういうふうに煮て食うもんらしい」
「えっ、そうなの!?わあ、土地が違えば、桃も違うのねえ……」
エルフの森にある桃は、瑞々しく柔らかく、煮たらすぐ崩れてしまうようなものだ。未熟な内に採って煮れば、このシロップ漬けに近いものになるかもしれないが。……この瓶の中身を食べてみて美味しかったらやってみよう、と、リリエは密かに決意した。
それからリリエは、エルヴィスの荷解きを手伝ってやりながら、人間の国の話を聞く。
……というのも、最近、エルフはブラックストーンとのやり取りを止めていたからだ。エルヴィスから、『ちょっとゴタゴタしてるから、一旦、中止!』と知らせがあったのだ。森のエルフ達は荷物だけのやりとりを細々と続けていたが、それも時折途切れ……そんなこんなで、のんびり森で待っていたのだが。
「へー……それで今、人間の国、大変なんだ」
リリエは、エルヴィスの話を聞いて、感嘆のため息を吐き出す。
リリエにとって人間の国の仕組みは、よく分からないものである。ついでに、目まぐるしい速度で何もかもが変わっていくものだとも思っているので、今回の『ゴタゴタ』も、そういうものとして受け止めた。
「まあそうだな。で、20年だか30年だかして、やーっと、全部の領地が国王に返還されたんだよ。これで人間の国も一安心、ってところだな」
それからエルヴィスは、リリエに人間の国の話を聞かせる。
領主制を消し去った国では、それでも尚、貴族が残って国の中枢に居座っていること。
だが、貴族は今代限りのものとなり、いずれ消えていくであろうということ。
今までより民衆の権力が強くなった分、王も勝手なことはそうそうできないだろう、ということ。
そして……変容する世界、国の仕組み。それらの中でまた経てきた、別れ。
「……ユースタスの葬式も終わったんだ。その何年か前には、カリストとポーレッタの葬式もあって」
「ああ……そうだったの」
エルヴィスの沈んだ顔を見て、リリエは、『人間と付き合ってると、こうなるのよね』と思う。
ついこの間まで赤ちゃんだった生き物が、あっという間に大人になって、老いて、エルフを置いていってしまう。
それは何とも残酷なことである。愛しても愛しても、その時間はあまりにも短い。……だから、リリエは人間と付き合う気はあまり無い。数年に一度、人間の国への旅団に紛れて人間の国を見物しては『また変わった!人間の国ってすぐ変わる!』と驚くくらいで、丁度いいのだ。
「ま、それで俺もようやく、帰ってこれたってわけだ。……ほら、付き合ってた人間達に一区切りついたところで、俺も里帰りしようかな、と思ってさ」
エルヴィスは、森を出ていった頃から大分大人になった。当時18でしか無かったエルヴィスも、無事に100を超え、もうじき200になる立派な若者だ。
それだけの年月を人間の国で過ごしてきたことで、エルヴィスの表情にはどこか達観したような気配と微かな寂しさが同居するようになった。リリエには、それが少しだけ、寂しいような気がする。
「……落ち着いたなら、私も人間の国、ちょっと見物してこようかな」
ふと、思い立ってリリエはそう言った。
ブラックストーンも、今はブラックストーン領ではないらしい。リリエも訪れたことのあるあの城はまだあるらしいが、『領主』というものが無くなったのだそうで、それに伴って色々なものが無くなっていったのだそうだ。
そうして、今や人間達は、エルフの森の何十倍も広い土地を、1人の国王と大勢の国民達とで治めているのだという。
大勢で集団を治める、というのはエルフのやり方に近いが、人間達のそれがずっとずっと大規模なことくらいはリリエにも分かる。分かるが、想像はつかない。人間の国とは、何とも不思議なものである。
……不思議なものを、見てみたい。
この気持ちはきっと、森の外から、エルヴィスによってもたらされたものだ。
「それで……えーと、ちょっと、相談なんだけどな……えーと」
「うん、どうしたの?エルヴィス」
リリエが不思議に思いながら聞いてみると、エルヴィスは悩みつつ、自分が上に座っている草編みのカーペットの端を、むにむにと弄る。何か言葉に詰まっているのか、『どこから説明したらいいだろう』と考えているのか。
リリエもなんとなく一緒になって、ふにふにとカーペットの端を弄る。硬く編まれた草の端が解けて、ふわ、と柔らかくほつれ広がっていくのは、少々楽しい。カーペットの端をむにむにやってしまうことの是非については、考えないものとする。どうせエルヴィスの家のカーペットは古い。そろそろ作り変えていい頃だ。
「えーとな」
そうして、リリエがカーペットの端を一片分全て、綺麗にそろったフリンジに変えてしまったところで、ようやくエルヴィスは話し始めた。
「俺、ブラックストーン城を貰うことになったんだけど」
「……お城って、ぽんぽんもらえるものなの?人間ってすごいのねえ」
リリエは目を瞬かせる。人間って、すごい。そして、よく分からない。
ブラックストーン城のことは、リリエも知っている。リリエの知る中で最も大きい建物が、ブラックストーン城だ。人間は随分と大きな建物をこしらえるものだ、と驚いた記憶は未だ新鮮に残っている。
「いや、普通はこんなにぽんぽんもらえない。あいつらがおかしいんだ。多分。多分だけどな?」
「人間って不思議だけれど、不思議な人間達の中にはさらに不思議な人間が居るのね?」
「あーまあ、そんなとこ」
エルヴィスと一緒に、リリエは何とも言えない顔で頷いた。人間って、すごい。
「まあ、それで、領地を返還した後も、ブラックストーン城の権利はブラックストーンに残してくれて……それを、俺に引き継ぐ、って。で、俺も丁度、ブラックストーン城の永住権はもらってる訳で……折角だから、もうちょっとあそこに住んでみるかな、って思ってるんだ」
エルヴィスの言葉を聞いて、リリエは特に何とも思わなかった。エルフは森に居るべきだ、と言うエルフも居ないわけではないが、それよりは、『好きなところで好きなように生きればいいじゃない。一か所に居たって飽きるでしょ』と考えるエルフの方が多い。リリエもその性質である。
「いいんじゃない?元々、『里帰り』って言ってたから、人間の国に帰るんだろうって思ってたし」
「……そっか。よかった」
ほっとした顔のエルヴィスを見て、リリエはなんだかおかしくなる。この森で一番、積極的で好奇心旺盛なエルヴィスなのに、こんなことを恐れるなんて。
「何?反対されると思ったの?」
「まあ……うん。ほら、お前、怒るとおっかないから。あと、お前のケーキが食えなくなるのは困るし」
「そういうこと言ってると本当にケーキ焼いてあげないからね」
ぷく、と膨れてみせれば、エルヴィスはけらけら笑いながら『焼いて!』と頼んでくる。……まあ、折角里帰りしてきた友人なのだ。元々、ケーキを焼いてやるつもりで居たリリエだが、もう少しばかり勿体ぶってやってもいいかしら、なんて思いながら、くすくす笑う。
「それで、エルヴィス。あなたさ、まだ、人間の国でやりたいことがあるんでしょ?」
「うん」
エルフの暮らしは長い。長いからこそ、変化が無い日々を好む者もいる。変化しすぎる生活を100年も200年も、1000年も続けてはいられないからだ。
だが、同時に、何か1つの目標を持って突き進むのであれば、それは実にエルフ向きの暮らしと言えるだろう。……エルヴィスは今、そんな暮らしをしようとしているように見える。
「俺、ブラックストーン城に住みながら、森を出てきたエルフが人間と上手くやっていけるように支援するための……エルフの拠点を作ろうと思うんだ」
それからエルヴィスは、様々なことを語って聞かせてくれた。リリエは半分以上分からないそれらを、それでも楽しく聞いていた。
遠い世界の話だが、それを手に掴もうとしているエルヴィスは、リリエの目には眩しく見えた。
「な?そうやっておけば、お前らも、もうちょっと気軽に人間の国に遊びに来られるだろ?」
「……そうねえ。うん。そう。そうなのよ、エルヴィス」
リリエはすっかり楽しくなって、身を乗り出すようにして頷く。
「ブラックストーン城が無人になっちゃったら、私達はどこを頼りに人間の国へ行けばいいか分からなくなっちゃうな、って思ってたの。あなたが住み着くなら、私達も人間の国に行きやすいわ!」
リリエの答えに、エルヴィスは嬉しそうな顔をして頷く。
「ああ!是非、来てくれよ。人間って面白いから!」
それからエルヴィスは、ふと思い立ったらしく、表情を輝かせて聞いてきた。
「なあリリエ。折角だし、本当に、お前、人間の国に来ないか?早速、来年にでも。ちょっと10年くらいでもいいから」
「そうねえ……うーん、年帰り旅行ぐらいじゃないと、あんまり気軽にはいけないなあ」
留学なら10年くらいは普通のところだが、気軽な旅行、となったら、1年か、半年くらいでもまあ悪くはないだろう。リリエがやるとしたら、まずそんなところである。
「私はここでケーキを焼いてるのが性に合ってるわ。多分ね」
「そっかー……」
エルヴィスは、へにょ、と耳を垂れさせてしょんぼりした顔をする。
耳がこのように動くのだから、今のエルヴィスはすっかり気が緩んでいるということだろう。やっぱり、エルヴィスにとっての故郷はここなのだ。
「……でも、年帰り旅行ぐらいでよければ、行くわ。絶対に」
しょんぼりしてしまったエルヴィスを励ますため……そしてそれ以上に、リリエの本心から、リリエは笑って言う。
「だって人間って、面白そうだから!」
……だが、リリエが人間の国を旅行することになるのは、また少し先の話になってしまったのである。




