王国歴108年:ポーレッタ・ブラックストーン
エルヴィスが国王の誘いをあっさりと蹴り飛ばしてから、7年。状況はあまり、よくない。
……というのも、国王は結局、『古き善き』者達を突っぱね続けることができず、途中で折れてしまったのである。『確かに貴公らの言うとおりだ』などと同調し、ブラックストーン他、いくつかの領地への更なる増税を命じてきたのである。
それによってブラックストーンをはじめとする先進的な領地は、国王への強い不信を容赦なく露わにし、いよいよ、国内の亀裂はより深くなっていった。
……が、そんな中でも、喜ばしいことは起こった。
それは、王国歴103年のこと。
「ラフェール様!奥様が、奥様が……!」
使用人が駆けてきたのを見て、ラフェールとエルヴィスはそれぞれに席を立ち、駆け出す。
そしてラフェールの妻の元へと向かうと……その途中で、ほやあ、ほやあ、と柔らかな鳴き声が聞こえてくるではないか。
「くそ、もう生まれたか!」
「早くないか?大丈夫か?これ」
心配になりながら2人が部屋へ向かえば、ラフェールの妻は憔悴してはいたが無事であり、そして、生まれたての赤子が産湯にてくるくると洗われているところであった。
「おお……男の子か!?女の子か!?」
「女の子ですよ、ラフェール様」
「なんだと!?ということは、賭けは俺の勝ちだな、エルヴィス!」
「ああ、そうみたいだ!くそー、おめでとう!おめでとう!」
2人は笑い合い、生まれたての人間を見つめる。……小さい。とても小さい。
「わあ……何度見てもやっぱりちっちゃいなあ、人間の赤ん坊……」
「……エルフの赤ん坊は大きいのか?」
「いや、そんなに変わらねえけどさ……こう、気分が……?」
エルヴィスは人間の赤子を見る度に、不思議な気分になる。こんなに小さな生き物が、立派に大きくなっていき、そして、エルヴィスより先に死んでいくのだ。毎回のことながら、不思議で、そして少し寂しい。
……だが、いずれ来る悲しみなど、今は追いやってしまっておくべきだろう。エルヴィスはラフェールと笑い合い、ラフェールの妻とも笑い合い、そして生まれたての孫を見ようとやってきたヴィクターとも笑い合って、小さな人間の誕生を祝福した。
……そして、王国歴108年の今。
エルヴィスは毎回のことながら、子供の遊具にされていた。
「お前、お前……人のこと、木か何かだと思ってねえか……?」
「き?き?エルヴィス、木なの?ふふ……きー!えへへ」
エルヴィスの言葉にもはしゃいで、女の子はエルヴィスによじ登って遊んでいる。よってエルヴィスは動けない。今のエルヴィスは完全に遊具であった。
……あの時生まれた子も、今や、5歳になった。彼女はポーレッタと名付けられて、今日も元気に遊んでいる。人間の成長は、やはり早い。つい最近まで歩くこともできなかった子供が、こうしてエルヴィスによじ登って遊ぶまでになったのだから。
「ポーレッタ、気を付けて遊ぶんだぞ。……っとと、こらこら、仰け反るな。重心がぶれて落っこちやすくなるんだから」
エルヴィスは気の利いた遊具として、ポーレッタの遊びを時々支えてやりつつ、ポーレッタを見守っている。
……彼女は少々お転婆な子で、こうしてエルヴィスによじ登るようになったのも、『木登りはやめてくれ』と父親であるラフェールに叱られたからである。そんなポーレッタは『木登りが駄目ならエルヴィスに登る!』と、今日も元気にエルヴィス登りを楽しんでいるのだ。
ラフェールも、『まあ、木に登られるくらいなら、何かあってもすぐ対応してくれるエルヴィスに登ってくれたほうがいい』と諦めて、これを黙認している。エルヴィスは抵抗を諦めた。
「ねえ、エルヴィス!今度、弓をおしえてね!」
「もうちょっと大きくなってから、な」
更に、ポーレッタはエルヴィスの弓に興味を持ち始めている。エルヴィスを見ていて、『やってみたい!』と思ったそうだ。
好奇心旺盛なブラックストーンの子だ。もう少し大きくなったら弓を教えてみるのも楽しいかもしれない。人間が大きくなるのはあっという間だ。その時が来るのを、エルヴィスは楽しみにしている。
さて。
そんなある日、ラフェールの執務室では、怒声が響いていた。
「あの野郎!ポーレッタはまだ5歳だぞ!?それを、何を今から、婚約だなんだと……可愛いポーレッタを何だと思っているのだ!」
ラフェールは、怒り狂っていた。それもそのはず、まだ5歳のポーレッタを是非婚約者に、と、他領から手紙が届いたのである。
「そうだ!その通りだ!そんな手紙、燃やしちまえ!」
「ああそうだ!その手紙はどこから来た?その領地を燃やしてやってもよいくらいだ!」
エルヴィスと、老いたヴィクターも同調してやいのやいのと手紙の主の悪口を言う。あいつは要領が悪い、頭も悪い、器量も悪い、大体全部悪い。……そして何より、根性が腐っていやがる、と。
「大方、うちに取り入って援助が欲しいのだろうがな!そんなものは願い下げだ!全く!」
……相手が5歳のポーレッタに婚約を申し込んできた理由は、間違いなく資金援助を取り付けるためだろう。何せ、相手の領は、魔導機関の導入に失敗した領地なのだから。
「税のみならず我々から盗もうとするとはな。全く……あそこも落ちたものだ」
「しかもポーレッタを!可愛いポーレッタを盗もうとするのだから許せん!許さん!絶対に許さん!」
「そうだそうだ!許すな!絶対に許すな!」
父親に祖父、そしてエルフが大いに怒り狂っているのも無理はない。何せ、ポーレッタはかわいい。かわいいのである。
そして相手方の領地……オールディス領の悪辣なやり方に、皆、大いに怒り狂っているのだ。この怒りはオールディス領へぶつけるしかない。
「ところで、俺にもその手紙見せてくれよ」
エルヴィスは少々の興味を持って、その手紙を横から覗き込んだ。どんなことが書いてあるのか、じっくり見てやろうと思ったのである。
……だが。
「……字がかわいいなあ、おい」
なんとなく……思っていたものと、字面が、違った。なんとなく。そう、なんとなく、なのだが……幼子が一生懸命に書いた手紙のように、見えてくる。
「なんだと!?可愛いものか、こんなものが!」
「いや、うーん……?」
エルヴィスは首を傾げつつ、しばらく手紙を眺めていることになったのだった。
そして……ポーレッタの誕生日。各地から祝いの言葉や贈り物が届き、そして祝いの言葉を述べに多くの人が集まる中に、それはやってきた。
「こんにちは!ポーレッタちゃん、おたんじょう日、おめでとうございます!」
花束を持ってやってきたのは、ポーレッタと同じ年頃の少年であった。エルヴィスは『どこかで見たことあるような』と思いつつ、その少年の緊張気味の顔をじっと見つめていた。
「ありがとう!きれいなお花だわ!」
ポーレッタは無邪気に花束を受け取って、にこにこ笑う。自分の誕生日なのだから、ポーレッタがご機嫌なのも当然だろう。
「どうした、ポーレッタ。……ああ、また頂き物をしたのか。ええと、君が……?」
そして、そこにラフェールもやってくる。ラフェールは緊張気味の少年に笑みを向けて、そして、ふと首を傾げた。
「……君は、オールディスのご子息、だったか」
「はい!僕、カリスト・オールディスと申します!」
訝し気に見守るラフェールとエルヴィス、そして只々きょとんとしているポーレッタの前で、カリストと名乗った少年は礼儀正しくぴょこんとお辞儀をして……そして。
「このたび、ポーレッタちゃんとの婚約をご許可いただきたく、はせ参じました!」
そう、言ったのである。
「ああー……あの手紙は、お前が?」
「はい!先日、お手紙を出しました!」
なるほどなあ、とエルヴィスは納得した。あの、妙に可愛らしい文字の手紙は、どうやら、この少年が自ら書いたものであったらしい。
『ほらな?』とばかり、エルヴィスがラフェールを見れば、ラフェールは大いに困惑しつつ、きょとん、としたポーレッタを下がらせて自らがカリスト少年の前にそっと身を屈める。
「厳しいことを言うようだが、君のオールディス領は我がブラックストーンとは運営の方針が大きく異なる。結婚相手を探しているなら、他の領地のご令嬢を探しなさい」
優しく語りかけつつも厳しく正しいことを言うラフェールに、しかし、カリスト少年は怯まなかった。
「でも、他の女の子は木登りしないんです!」
「……ん?」
そう。カリスト少年は、まるで怯まなかったどころか、堂々と、元気に、そう言ったのである。
「この間、王宮へお招きされた時に、ポーレッタちゃんが木登りしてるのを見たんです」
カリスト少年の話を聞いて、エルヴィスは『ああ、そういえばこの間、ラフェールが王城に行く時、一緒にポーレッタと奥方と俺も連れていって、一緒に王宮観光してたなあ』と思い出す。ついでに、『その時、王宮の庭で遊んでたポーレッタなら、木登りしていただろうなあ』とも。
「それで、あそぼ、って言ったら、いいよ、って言ってくれたから、一緒に木登りしました。楽しかったです!」
「お、おう……そ、そっかあ……」
元気なカリスト少年の言葉にエルヴィスは何とも言えない気持ちになる。『木登りが得意な男の子を好きになる』というのはエルフの少女に時々見られることだが、人間にも同じようなことがあるとは驚きであった。
「僕、お淑やかに座ってにこにこしてる、お人形さんみたいな女の子と居ても楽しくないから、ポーレッタちゃんをお嫁さんにしたいです」
エルヴィスの隣では、ラフェールが只々、頭の痛そうな顔をしている。そしてその後ろでは、ポーレッタが目を輝かせていた。
「ラフェール様!僕、ポーレッタちゃんに相応しい男になります!誰よりも木登りがうまい男になります!」
「いや、木登りじゃないところを頑張ってくれ……」
言うべきことはそれではないのだろうが、ラフェールはひとまず、カリスト少年の木登りを止めた。本人も『いや、言いたいことはこれじゃないんだが!』と分かってはいるようなので、エルヴィスは何も言わないこととする。
「もちろん、全部がんばります!木登りだけじゃなくて、お勉強も、馬術も、全部がんばって、国のだれにも負けないようにします!」
「そうか。それは素晴らしいことだ。だが、カリスト君。君は……」
「あと、父上の尻をひっぱたいて、領地改革させます!」
「えっ」
……更に、言葉を尽くしてなんとか諭そうとしていたラフェールは、少年から飛び出た言葉に度肝を抜かれた。エルヴィスも度肝を抜かれた。ポーレッタは只々、目を輝かせている!
「それで、それで、僕が領主になったら、今までのものを全部ひっくり返す勢いで、魔導機関を使えるようにするんです!」
「そ、それは……それは、君のお父上は、何と?君のお父上は魔導機関の導入には反対する立場をとっていたはずだが」
ラフェールの方が気圧されたようになりながらもそう問えば、カリスト少年は元気に首を横に振る。
「そんなの関係ありません!だってポーレッタちゃんをお嫁さんにするなら、不自由な暮らしなんてさせられません!世界一の暮らしをしてもらいたいから!父上にはがまんしてもらいます!」
「おおおお……すげえ、人間、すげえ……」
堂々と、迷うことなくそう発言するカリスト少年に、エルヴィスはいっそ、拍手を送りたい気持ちであった。ラフェールは只々頭の痛そうな顔をしていたが。
……そうして。
「なるほど。君の熱意はよく分かった」
ラフェールは頭痛を堪えるような顔で、しかし、それでもあくまで紳士的に、穏やかに笑って、カリスト少年を諭すように言う。
「……とは言っても、ポーレッタはまだ小さい。そう急いで婚約相手を決める必要もない、と私は考えていてな。悪いが、今回はお引き取り願おう」
「はい!日を改め、また来ます!そして、ポーレッタちゃんとラフェール様にお認めいただけるように、僕、がんばります!」
が、『お引き取り願われた』カリスト少年はあくまでも元気に溌溂として、更に、やる気と希望に満ち溢れた目を輝かせている。
「では、失礼します!」
「あ、ああ……」
礼儀正しく去っていく少年を見送って、ラフェールは只々、ぽかんとしていた。そしてエルヴィスは、笑いをこらえるのに必死であった。
その日の夜中。パーティが終わって、ポーレッタも寝付いた後。
「……あいつにならポーレッタを任せてもいいんじゃねえかなあ」
「駄目だ!絶対に!駄目!」
「ええー、結婚を条件にオールディス領を吸収しちまうとか、色々やり方はあるだろ」
「あいつがオールディスでなかったとしても駄目だ!ポーレッタはまだお嫁になんて行かない!」
「あー、これが人間のいう『親馬鹿』かぁー」
ラフェールとエルヴィスは、2人きり、酒を飲んでいた。ラフェールは嘆き、悲しみ、困惑し、そして怒り狂っていた。エルヴィスは只々、遠慮なく笑い転げていた。
……まあ、つまり、エルヴィスにとっては、なんだかんだ楽しい夜であった。