王国歴101年:ラフェール・ブラックストーン
『100年祭事件』で国王暗殺未遂が起きたのだ。これは大変なことである。表向きは何も無かったかのように処理された100年祭事件であったが、王族貴族達はこれを重く見た。
犯人である男は、没落貴族であった。遠縁に領主を持つ家の者で……その『遠縁の領主』は前王派であり、魔導機関の導入をしなかった者であった。
そう。この国は今、大きく動いている。
魔導機関を導入した地域と導入しなかった地域とでは、民の死亡率も、耕作可能面積も、そして収穫高も、何もかもに差が生じてしまった。魔導機関を導入しなかった領主達は、前王に媚を売る代わりに領地の発展を失ったのである。
そして、悪循環は回り巡る。『古き善き』やり方にこだわって低迷している各領地には、魔導機関の普及によって職を失った者達が流れ込んでいた。例えば、ひたすら篝火を保つだけの仕事の者であったり、淀んだ水を近くの川から汲んでくる仕事の者であったり。
残酷なようだが、『乗り遅れた』者達ばかりが集まることになった領地では、まるで発展が見込めなかった。その領地の中だけではなんとかやっていけても、他領との差はどんどん開いていった。そして、その差を諦めることも、彼らにはできなかったらしい。
……その結果が、『100年祭事件』である。
犯人曰く、『今の王を退位前に殺してやることこそが、この歪んだ世界を正す一助となるのだ』とのことであった。これに対し、王は『余を殺したところで何にもならんよ。国とは王1人によって出来上がるものではない。多くの民によってできているものだ』と嘆いたが、犯人にその言葉は届かなかったことだろう。
……こうして、王国100年目にして見え始めた国の亀裂に王侯貴族達は戸惑いつつ、表向きは何も無かったかのように振る舞い……そして、国王の退位と、王子の戴冠式が行われた。
即位した新たな王の表情には、憂いが見えた。
激動する国の舵取りは、難しいものだ。特に、そこに生じている亀裂が見えているならば、尚更。
新王は、先の見えない不安と崩壊の予感に怯えていた。
……そうして王国歴101年になる頃には、新王が動き出していた。
のだが……それによってまた、国の亀裂は広がりつつあるのだ。
「ついにうちにも増税の命令が来た」
ラフェールがうんざりした顔で書類を机の上に抛る。エルヴィスもそれを読んでみると、そこにはブラックストーン領から国に納めるべき税を増やすように、との旨が書かれていた。
「えっ、増税しない約束、結んでたはずだぞ」
「何っ!?……いや、待て。それは何時の話だ?」
「ん?グレンの時の話」
「つまりひい爺様の時代か……。まあ、それだけ昔のことだと、流石に反故にされるだろうな……」
ラフェールの乾いた笑いに、エルヴィスは首を傾げる。
「ええー……まだあれから100年経ってないんだぞ?」
「我らは人間だからなあ」
ラフェールはエルヴィスの『そんなあ』という顔を見て笑いつつ、改めてもう一度、増税の通達を眺める。
「増税の命が下ったのはどうせ、ブラックストーンやオウルツリー……初期に魔導機関を導入して発展を遂げた領地のみであろうな」
そしてラフェールは、皮肉気に笑う。
「全く。何もせず腐っていく奴らの為に、祖先の努力を奪われるとはな。我らの発展は何もしなかった者達の為にあったとでも言うつもりか」
……そう。
今回の増税は、『古き善き』者達が騒いだために起こったものである。
魔導機関を導入せず、他の発展の道筋を模索するでもなく、ただ『古き善き』やり方に縋って衰退していった領地からは、100年祭事件以来、声が上がるようになった。
曰く、『富の偏りを是正すべきだ』と。
魔導機関を導入『できた』領地に富が集中し、導入『できなかった』領地は廃れていく一方とあっては、あまりに理不尽だ、というのである。
だから、ブラックストーンやオウルツリーから税をより多く取り、その税で廃れていく領地を支援すべきだ、と。
……そして新王は、これらの声を全て切り捨てる度胸を、持ち合わせていなかった。
なんだかんだ、『古き善き』連中は古い。歴史と『権威』とやらのある彼らを敵に回すと、面倒ごとしか待っていない。であるからして、新王は彼らを切り捨てることなく、融和の道を選び……その皺寄せが、ブラックストーンにもやってきている、ということなのだ。
「何もせずとも、ただ文句を言っていればそれで豊かな暮らしを保証されるべきだ、と宣う連中の気が知れない」
ラフェールはため息を吐いて、椅子の背もたれにぐってりと体重を預けた。
「ましてや、憎むべき『エルフがもたらした技術』によって栄えている連中から奪おう、など言うのだからな。恥も誇りも奴らには無いのか」
「えっ、ちょっと待ってくれラフェール。何だって?『エルフがもたらした技術』?しかもそれが憎むべき?えっ?」
そして愚痴るラフェールの言葉に引っかかりを覚えたエルヴィスは、慌てて問い返す。するとラフェールは『知らなかったのか』と少々気まずげな顔をしながら、説明してくれた。
「諸悪の根源はエルフだ、と抜かす愚か者共が居るらしいな。エルフが持ち込んだ技術によって人間は『滅びを迎える』のだそうだ」
「ええええ……」
エルヴィスは思わず、絶句する。亀裂の影響は、こんなところにまで広がっている!
「ああ、勿論、馬鹿らしい意見だとも!そうだな?エルヴィス!」
「うん……魔導機関は、確かに俺が魔法を見せたのが始まりだったけれど、でもあれは、グレンとかレヴィとか、アイクとかヴィクターとかが頑張ったからできたものなのに……エルフじゃなくて、あいつらの功績なのに……」
「お、おお……そこに引っ掛かりを覚えているのか、お前は……」
エルヴィスは、悲しい。
エルフが敵視されていることは置いておくとしても、魔導機関を憎む者がいるのが、悲しい。
グレンの、そしてヴィクターやアイクの好奇心と希望にあふれたあの瞳を、皆に見せてやりたいくらいだ。魔導機関は、未来を切り開くために開発しようとした技術だったのだ。
そして何より、彼らはとても頑張った。エルフにしか使えない魔法を人間達にも使える形にするまでに、とてつもない苦労があった。でも彼らはそれをやり遂げて……なのに、なのに、彼らの功績ではなく、『エルフがもたらした技術』として、魔導機関が憎まれている。二重三重に、悲しい。
「人間はすぐ死んじまうから、その分、色々なものを遺すのに……グレンが遺したものが芽吹いたって、俺、嬉しかったのに……」
「ああ……エルヴィス。我が友よ。どうか、元気を出してくれ。俺もすぐ死ぬ人間だが、お前がしょんぼりしているのを見るとますます寿命が縮みそうだ」
ラフェールがおろおろとエルヴィスを慰め始めたので、エルヴィスは少しばかり、元気を出す。ラフェールの寿命が縮んではたまらないので。
「まあ、案ずるな、エルヴィス。我々はただではやられないとも」
そして何より、ラフェールの瞳には、強く眩しく、希望と熱意が燃えている。
「我らはより、発展してやるのだ。奴らを追随させぬほどに!」
……人間は、分解して調べて組み立てるのが得意な生き物だ、とエルヴィスは思ったことがあるが。
同時にまた、壊されたものを調べて、より良いものに組み替えていくのも得意な生き物であるらしい。
「おう!楽しみだな!」
「ああ!楽しまなくては、せっかく生まれてきた意味が無いからな!はっはっは!」
ラフェールとエルヴィスは執務室で笑い合い、そして、早速、領地改革のための案をあれこれ出していく。
……これは、エルフの里には無い種類の、刺激的で楽しい時間だった。
「だが、それはそれとして国王には釘を刺す」
「釘か?矢の方が刺しやすくないか?釘を飛ばす武器、考えるのか?」
「そういう意味じゃないぞ、エルヴィス!全く、お前は人間に馴染んでいるからよく忘れるが、時々びっくりするほどエルフだな!」
そして人間にとっても、エルフとの交流は少々刺激的で楽しいらしい。
……そうして、ブラックストーン他、いくつかの領地から、国王に『釘を刺す』こととなった。
エルヴィスもその場に、『国王をも救ったエルフの戦士』として参加した。エルヴィス自身は『俺は別に戦士でも狩人でもなく、フラフラしてるだけのエルフなんだけど……』と思っていたが、それはそれである。ラフェールやルークと共に居られる身分が得られるなら、『エルフの戦士』として振る舞うこともするのだ。
この国を引っ張っていくことになるのは、どのみち、発展した領地だ。下に合わせて足を引っ張られていては、他国に後れを取ることになるぞ、と。
ならば、発展した領地をより発展させていくことで、国全体を引っ張り上げるよう動くべきではないか、とも。
国王はラフェール達の言葉に頷いてくれた。国王自身も、『古き善き』連中に対して思うところがあったのだろう。
国に走った亀裂には、気を付けなければならない。だが、それを気にしてばかりいても、得られるものを失うだけだ。
人間の国は、その体制ごと、大きな転換を迫られているのである。
それからしばらく、国王は各領主達と話し合っていた。
今後、どのように国を動かしていくべきか。税率はどのようにすればよいか。発展を怠ってきた領地については、どのように対応していけばよいか。
ラフェールをはじめとした各地の領主達は、それに応え、様々な意見を出した。どうか、この国をよくしていきたい、という気持ちで。
そうして一通り、話し合いが終わった後。
「……時に、エルフの戦士よ」
「はい」
王に呼ばれて、エルヴィスは少々驚く。
エルヴィスはこの会議で、特に何か発言したわけでもない。エルヴィスには人間の国のことを決める権利が無いと思っているので、特に口は出さなかったのだ。王もエルヴィスと同じように思っているだろうに、何故か、エルヴィスを呼んだ。少々の警戒を以てして、エルヴィスは王の言葉の続きを待った。
「昨今の国内では、エルフを危険視する者もいる」
「……そうですか」
エルヴィスは、まあ、そいつらは大体ブラックストーンの敵だったよな、と思い出す。要は、『古き善き』連中の言葉だろう、と。
彼らに言わせれば、この国に発展をもたらしたのはエルフである、ということらしかった。さらに、そのエルフが人間を操って国ごと乗っ取ろうとしている、などと嘯く者まで居るらしい、ということは、エルヴィスの耳にも届いている。
「まあ、そういうことでしたらどうぞご自由に。エルフの大半は、人間と仲良くやっていきたいと考えていますが、人間側がそう望まないのであれば、我々も森に引きこもって生活します。今まで通りに」
エルヴィスは『間違っても、ブラックストーンを敵視する連中の言うことなんざ聞くんじゃないぞ』という脅しのつもりでそう、口にする。エルフの無礼ともとれる発言に、王の側近達が慌てたが、王はそれを軽く手を上げて抑え、改めて、気まずげにエルヴィスへ向き合った。
「何、余はそのようには思っておらぬ。エルフとは末永く、友好的な関係でありたいものだ。そこで……そこで、だ」
歯切れの悪い国王の様子にエルヴィスは首を傾げつつ、言葉を待って……。
「そなたは勇敢なるエルフの戦士であり、人間の国での生活も長いという。ならば……この城で、渉外官として、働くつもりはないか?」
……そして。
「いや、お断りします」
断った。
当然であった。