王国歴100年:100年祭事件
早いもので、王国は今年で建国100年の節目を迎える。
それだけでも国中がお祭り騒ぎなのだが、更に、今年で65歳になる国王の退位と、その子である王子の戴冠式までもが執り行われることになっている。
それらを合わせた祭が一月に渡って開催されるというのだから、国中が非常に賑やかであった。
「おー、凄く華やかだなあ」
さて、エルヴィスだが、ここ1年ほど、エルフの森に帰っていた。
新しく生まれてきたアイクやヴィクターの孫と遊ぶという大事な仕事を放り出していくのは少々躊躇われたが……エルヴィスは、ここで一旦、感覚を切り替えたかったのだ。
そうしてエルヴィスが人間の国に来て92年。国も100年を迎えるこの時に、改めて人間の国に戻ってこよう、と考えたのである。
そんなエルヴィスは、今、ブラックストーンへ帰るより先に、ふらりと王都へやってきていた。
というのも、現ブラックストーン領主であるラフェール・ブラックストーンも、現オウルツリー領主であるルーク・オウルツリーも、この100年祭に招かれているからだ。
エルヴィスはヴィクターとアイクそれぞれの子であるラフェールとルークとこの100年祭で合流し、そしてラフェールと一緒にブラックストーンへ帰る予定なのだ。
……たった1年ぶりだが、再会が待ち遠しい。エルヴィスは自然と浮立つ自分をおかしく思いつつ、祭の広場を歩く。
王都は賑やかに華やいで、正に祭の真っただ中である。
あちこちには花が飾られ、魔導機関の明かりがふわふわと灯り、そして食べ物や酒の屋台が元気に呼び込みをしていて、子供達は広場を駆けまわって、若者達は初々しくダンスを踊って……。
「……うわ、人酔いしそうだ」
そんな様子であるので、人間の国自体が1年ぶりのエルヴィスは、少々、疲れた。
エルフの森はとにかく静かで、穏やかなのだ。人間の国のような華やかさとは縁遠い。勿論、エルフ達も祭を開くことはあるが、もっと儀式的な意味合いが強く、そして、穏やかに長期間続くので……やはり、感覚が異なる。
「そこのお兄さん!よかったら1つ買っていかないかい?」
「あー、うん、じゃあ、1つくれ」
休憩できる場所を探してうろついていたエルヴィスは、屋台の者に声を掛けられて、勧められた肉の串焼きを1つ買うことにする。
それを持ってまたうろついていると、今度はまた別の屋台で酒を勧められて、酒も一杯買うことにした。
「はー、よっこいしょ」
そうして噴水広場の階段に座って、エルヴィスは酒と串焼きを味わいがてら、休憩する。人間の国で食べる肉は、やはりエルフの森のものとは違う。酒もそうだ。人間の国独特のそれらの華やかな味を楽しんで、エルヴィスは夕暮れてきた空を眺めた。
「……やっぱり人間の国、だなあ」
たった1年離れてから人間の国の食べ物を口にしただけでこうなのだ。もし、ブラックストーンの子供達と会ったら、どれだけ懐かしく嬉しく思うことだろうか。
うっかり泣き出さないようにしなきゃなあ、などと思いながら、エルヴィスはのんびりと、串焼きの肉を噛みしめるのだった。
それからエルヴィスは、屋台巡りを楽しんだ。
飴掛けの果物を齧り、揚げ菓子を頬張り、また酒を飲み……そして、的当ての屋台で弓を引き絞っている。
エルヴィスは半分酔っていたが、それでもエルフだ。18までに培い、そしてこの1年でまた鍛えなおした弓の腕は確かなもので……すぱん、と好い音がしたと同時、矢が的の中心を射抜いている。
これで3発目だ。エルヴィスは満足しつつ、弓を下ろした。
「いやあ、すごいね、お兄さん」
「まあ、弓には自信があるんだ」
的当ての賞品であるらしい魔導機関の小さなランプを受け取って鞄にぶら下げてみる。グレンが灯し、レヴィが受け継いでアイクとヴィクターが完成させたそれは、今も尚、多くの人間達の手を経て、どんどん形を変えている。
ぷらん、と鞄にぶら下がった小さな魔導ランプをつついて、エルヴィスは笑う。酒のせいもあるだろうが、中々に、満たされたいい気分だ。
……その時だった。
「……なんだ?」
ふと、魔力が動く気配を感じ取って、エルヴィスはそっと周囲を警戒する。
「ん?お兄さん、どうしたんだい?」
「いや、今、何か……」
魔力が動いた、と言いかけて、エルヴィスは口をつぐむ。エルヴィスがエルフだということは、内緒にしておいた方がいい。この50年ほどで人間の国を訪れるエルフは大分増えたようだが、それでも未だ、エルフを見たら捕まえようとする人間が居ることには変わりがないのだから。
だからエルヴィスは、『なんでもない』と誤魔化すつもりだった。それで、魔力の動きを探りに行けばいいか、と。
だが。
どん、と重い音が響く。更に、人々の悲鳴が続く。
「う、うわっ、なんだ!?」
……そして。
「火が……!」
王城の方で火の手が上がったのを見て、エルヴィスは咄嗟に屋台の弓を掴み、走り出した。
……王城には、招かれた領主達が集まっている。
ラフェールも、ルークも、あそこに居るのだ。
人々が逃げ惑う流れに逆らって、エルヴィスは王都の広場を駆けていく。
火の手が上がっているのは、王城の前、広場の中だ。……だが、広場から見上げられる位置に、王城のテラスがある。王達がそこに立って演説をしたり挨拶をしたり、はたまた広場の祭の様子を眺めたりすることはエルヴィスも知っている。
エルヴィスはひとまず、そのテラスを目指して走った。広場の彫像や飾り柱を足がかりに、宙を飛ぶように進んでいく。エルフが森の中で木々を足がかりにしていくのと同じようなやり方だが、やはり、大理石の彫像や柱は木々のそれとは感覚が違う。エルヴィスは焦りながらも慎重に、そして人間には成しえない素早さで進んでいった。
そうしてテラスの手すりを飛び越えて、エルヴィスはテラスの奥……ダンスホールであるらしい室内の様子を窺う。
……ダンスホールの中には、ざわめきと恐怖が充満していた。
そしてその中央に居る男は、左手に大ぶりなナイフを持ち、そして、右手には何か、魔導機関のようなものを持っている。
魔導機関から感じ取れるエレメントは、炎。炎をより強め、より広めるための風。そして、そこに混ぜ込むことで殺傷力を大幅に上げるための、岩石の気配。
「させるか!」
エルヴィスは目にもとまらぬ速さで弓を構え、矢を射る。
構えたのは屋台にあった的当て用の玩具の弓だが、エルフが使えばそれなりの武器になる。エルヴィスは十分に自信を持って矢を放ち……更に、その矢に水の魔法を乗せてやる。
矢は水の尾を引いて飛んでいった。窓を突き破り、そして、ナイフを持った男の手の中、魔導機関へと届く。
「なんだと!?」
男にとってこれは、あまりに予想外な出来事だっただろう。いきなり窓の外から矢が飛んできて、更に、水の魔法を纏ってくるなど。
そう。予想外だった。だから男は、あえなく魔導機関を水でやられ、火のエレメントを水に押し流されて、おそらく爆発炎上するはずだったのであろう魔導機関を失うことになったのである。
さて。こうしてひとまず、最も恐れるべき武器を潰してやることができた。なら、あとは簡単だ。森で狩りをしている時のように動けばいい。
エルヴィスは次の矢を番えて、射る。狙ったのは、男の靴の爪先だ。
獲物の脚を狙うのは、狩りの常套手段だ。エルヴィスは得物の頭部を一撃で射抜くこともできるが、得物を傷つけたくない場合には足の先、蹄などを狙うことが多い。
靴の爪先を床に縫い留められた男は、いよいよ身動きが取れなくなる。咄嗟に靴を脱ぎ棄てて逃げるようなこともできないまま、瞬時に起こった出来事をなんとか認識しようとすることに精一杯なようだ。
……そして、困惑する得物を捕獲するのも、エルヴィスはこの1年で散々やってきた。
「よし!確保!」
窓から躍り込んだエルヴィスは、そのまま壁や天井を蹴って目標へ接近し、天井から飛び降りつつ得物をがばりと取り押さえた。
上から降ってきたエルフに対応できなかった男は無事、ナイフを落として呻きつつ床に倒れることになる。その頸椎に矢をあてがってやりながら、エルヴィスは慎重に男の様子を見て、いよいよ彼が反撃能力を失ったとみると、安堵の息を吐きつつ、ようやく周囲を見回す。
「皆、無事か?」
……周囲の者達、つまり各地から集められた領主達や、主要な貴族達は、エルフの早業にぽかんとしていた。
だが、部屋の一角……ラフェールとルークから、拍手が湧き起こる。
すると他の者達もつられて拍手し始め……やがて、ダンスホールはエルヴィスを称える声でいっぱいになったのである。
そうして、エルヴィスは『勇敢なエルフの戦士』として、大いに称賛された。エルヴィスは少々照れながらも、ラフェールとルークがそれぞれ興奮気味に『すごいじゃないかエルヴィス!今のがエルフの狩猟技術か!』『100歳未満お断りの奴!初めて見た!』とやってくるのを見て、誇らしく思うと同時に大いに安堵した。
それから、先ほどの男のナイフや、一撃目の爆発物によって怪我をした者にはポーションを分けてやった。エルフの森で実験がてら煮込んできたものだったが、効き目は素晴らしく、これも称賛の対象となった。
こうしてエルヴィスは一夜にして、『王族、貴族達を救った英雄』になってしまった。
が、大っぴらに称賛されることは避けてもらえるよう王に嘆願したため、エルヴィスの功績を知る者は王と領主と貴族達……そして、エルヴィスが翌日弓を返しに行った屋台のおじさんだけであった。
翌日、エルヴィスは屋台のおじさんに弓を返して謝りつつ、ラフェールとルークと一緒に的当てを楽しみ、大いに祭を満喫して、ブラックストーンに帰ることになった。
国王暗殺未遂が起きた100年祭であったが、奇しくもその場に居合わせたエルフによってそれは阻止された。
全ては秘密裏ながら、平和に収まったのだ。
……これが、その後の問題の発端であった『100年祭事件』である。