王国歴66年~94年:レヴィ・ブラックストーン
アイク25歳、ヴィクター24歳の夏。それは完成した。
「完全に魔力だけで燃える炎!実に素晴らしい!」
「いやあ、ここまで長かったね!」
エルヴィスは、喜ぶ2人の横で、ほう、と感嘆のため息を吐き出しながら、じっと人間の叡智の結晶を見つめていた。
それは、炎である。魔力を多く含む魔石から魔力を抽出し、魔力を流して魔法の形を作り、そして、そこに炎を生じさせている。
ごく小さく、可愛らしいまでの装置であったが、これは人間にとって大いなる第一歩なのだ。
……また、エルフにとっても、大きな一歩であった。
何せ、自分達以外の生き物が、エルフにはよく分からない仕組みで『魔法』を使うようになったのだから。
そう。『よく分からない』のである。
「人間ってすごいよなあ」
エルヴィスは静かに瞳を煌めかせて、炎の揺らめきをじっと見つめていた。
「魔力も無いのに、魔法を使うなんて。俺にもよく分からない仕組みで」
エルヴィスはこの5年、2人の後ろをカルガモの子のようについて歩き、魔導機関の開発の話が出る度にそれに首を突っ込んできた。2人が試しで魔導機関を組み上げる度に必ず傍に居て、うっかり魔法の暴発などが起こらないよう、2人の防壁を魔法で築き上げたり、はたまた動かない魔導機関に魔力を流してみて、どこが問題なのか調べたり、そうした手伝いをしてきたのだ。
だが、それでもエルヴィスは、この魔導機関とやらのことがよく分からなかったのである!
「わ、分からないってことはないだろ」
「そうだよ、エルヴィス。君がこの魔導機関のテストを何回もやってるの、僕らは見ているんだけれどな」
「いや、理屈は分かるんだよ。使い方は分かるし、仕組みも分かる。魔力を流しやすい線を引いて、それに魔石から魔力を供給して、魔法の形にする、ってのは分かる。……けど、実際に見てみたら俺が思ってたのの数倍、意味が分からなかった!」
……そう。仕組みは、分かる。どこに魔力が流れるようになっているのかも、分かる。魔導機関の基礎ともいうべき箇所については、他の追随を許さぬまでに詳しくなった。
だが、それらを発展させ、複数のエレメントを機械の力で調整していく過程は、よく分からない。言ってしまえば、理論の部分を感覚で理解してしまっているため、どうにもエルヴィスは、魔導機関を組み立てるのが苦手なのである。
エルフは感覚で魔法を使う。人間が呼吸をするのと同じように、当たり前に、魔法を使う。それ故に、魔法とは何か、と言われても、上手く説明できない。
だからエルフには、他者にも再現できるような仕組み……『魔導機関』を作ることができないのだ。
「同じこと、魔法で再現するならいくらでもできるし、エレメントを俺が勝手に足していいなら修理とかもできそうなんだけどな。でもそれって、魔導機関じゃなくて、もう、魔法だろ?」
「そうだね……」
魔導機関の凄い所は、誰にでも使えるところだ。
エルフにしか使えなかった魔法が人間にも使える。人間の、誰にでも、変わりなく、使える。それがすごい所なのである。
「人間って、物をバラして調べて、もう一回組み立てるの、滅茶苦茶得意だよなあ……」
「あ、エルフからしてみるとそういう感覚なのか」
エルヴィスは何度も魔法を実演して見せたり、その魔法の様子を何かよく分からない装置で記録されたり、魔法の分析の場にも立ち会ってきたのだが、今や、それら魔法の仕組みについて、エルヴィスよりもアイクとヴィクターの方がよく知っているような状態であった。意味が分からない。何故人間はこんなに勤勉なのか。
「まあ、エルフは魔法を使えるんだから、魔法の仕組みを知ってる必要なんてなかった、ってことだろ?いいじゃないか」
「そうなんだろうけどな。うーん、それにしてもちょっと悔しいなあ」
これはエルフとしての感覚や魔力を感じ取る能力があるからこそなのだろうが、どうにも、人間と同じように魔導機関を扱えないのが、少々、悔しい。
だが同時に、『やっぱり、人間ってエルフを置いてくもんだもんなあ』と納得してもいるのだ。度々置いてけぼりになっている身としては、しみじみと実感が深い。
「……ま、よかったよ。無事にできて」
エルヴィスは卓の上、玻璃の瓶の中できらきらと揺らめく炎を見つめて、笑う。
グレンがこれを見たら、きっと大喜びだったろうなあ、と思いつつ……そんなグレンに対して、『どうだ!羨ましいだろ!』と自慢してやりたいような気持ちになりつつ。
それからも魔導機関の開発は進められていった。
炎が灯った数か月後には、熱を持たない光だけを灯す魔導機関が出来上がっていたのである。
そして、光を灯す魔導機関である『魔導ランプ』は、アイク・オウルツリーとヴィクター・ブラックストーンによる『魔導機関』の先駆けとして、徐々に国内へ流通していくことになった。
人々は、これに大層驚いた。『エルフの魔法を人間の手で!』と謳われたそれは、熱も持たず、煤も出ず、着火や消火の手間も無い、素晴らしい光源だったからである。
火災の心配が無い灯りとして、『魔導ランプ』は大いに持て囃された。
例えば、鉱山では度々、悪い空気に火が燃え移って事故が起こっていたが、それも魔導ランプを用いることによって解消できるようになった。魔導機関は早速、人の命を守ることに役立った。
……また、魔導ランプはその美しさにも注目され、貴族の間で大流行することになった。
まず、魔導ランプは煤が出ない光であるため、王宮の光源としても一部採用されるようになった。これによって王宮の壁や天井が煤けることはなくなったのだが……『折角なら』ということで、美しく繊細な細工のシェードを持つランプが、王宮の壁を飾るようになったのである。
今までは耐熱性や強度を気にして、事故が起こらないようなランプを作るしか無かった職人達も、熱を持たない魔導ランプであるならば、とことん細工にこだわった、今までであれば実現しえなかった意匠のランプを生み出すことができるのである。
さて、こうしてあまりに美しいランプが王宮の壁を飾るようになると、早速、これを貴族達が真似し始めた。
より凝った意匠のランプを求める者は、職人達を囲い込んで、独自の素晴らしい文化を発展させていった。
より多くのランプを求める者は、大量の魔導ランプを水晶や玻璃と共に天井からぶら下げて、降り注ぐ煌めきを楽しむようになって、より一層の絢爛な装飾を生み出し始めた。
王国歴70年頃には、水を誘引するための魔導機関が誕生した。この頃、アイクとヴィクター、そしてローズはそれぞれに伴侶を見つけて結婚していたが、彼らの結婚式を彩ったのは多くの魔導ランプの光と、魔導噴水から溢れる華やかな水飛沫であった。これは当時の王国内で最先端の装飾、として、大いに持て囃され、真似する貴族が続出した。
また、治水作業が大いに捗るようになり、この頃から各地で、水害対策と農地の拡大が急速に進むようになった。
……だが、一部の地域では、魔導機関を取り入れることを良しとしなかった。『古き善きもの』に固執した領地では、魔導機関の導入は見送られたのだ。
丁度、国では大きな転換もあった。国王が高齢になったこともあり、半ば強引に、それでいて一応は穏便に、自らの子によって玉座から降ろされたのである。
王はかつて、自分の父王が高齢になって尚国を治めていることを苦々しく思っていたというのに、いざ自分が高齢になった時、玉座にしがみ付いていたのだから皮肉なものである。
だが、王が代替わりすると、新たに王となった王子は、魔導機関を積極的に受け入れ、国中で普及を推進し始めた。新しいものを取り入れようとする姿勢に共感する領地はみるみる発展していき、『あのように父王を引きずり下ろす不義理な王子の言うことなど聞くべきではない』とそっぽを向いていた領地はみるみる出遅れ、取り返しのつかないまでに発展し損なっていった。
ここで出遅れた領地はその後も長らく収益が低迷していたことからも、魔導機関の導入が如何に人間にとって大きな出来事だったかが分かる。
王国歴80年ごろになると、水の魔導機関によって上水、下水道が完備された領地が生まれ始めた。
そう。庶民の間でも綺麗な水が容易に入手できるようになったことで、民衆の衛生環境が急激に改善していったのだ。
淀んだ水をわざわざ生活に使う必要も無くなり、それによって病人は急激に減り……領内に水の魔導機関を導入していった領では、劇的に死者の数が減ったのである。
また、火の魔導機関を用いることで、比較的容易に高温を生み出せるようになると、製鉄業でその技術が用いられるようになってきた。製鉄は正に、人間の叡智の結晶である。原料の増産が可能になったことで、魔導機関の普及はいよいよ加速していった。
王国歴90年ごろになると、魔導機関にも革命が起こる。
それは、魔導機関によって金属の加工が圧倒的に簡単になったことで、従来加工できなかった金属を、容易に加工できるようになったためである。
筆頭は白金だろう。白金は元々、硬く、熔けにくく、大量加工は非常に面倒であった。だが、それも魔導機関によって加工しやすくなっていき、様々な魔導機関を生み出す材料となったのである。
……この頃になると、もう、魔導機関の研究は、アイクとヴィクターの手を離れていた。
多くの者達が魔導機関について学び、それを発展させ、日々新しいものを生み出すようになっていった。
目まぐるしく変わっていく日々の中、彼らは楽しく、幸せに暮らしていた。
……そんな王国歴94年のこと。
レヴィ・ブラックストーンがこの世を去った。
レヴィは68歳だったので、グレンやその父よりは長生きだったと言えるだろう。どちらにせよ、エルヴィスにとってはあまりに短い時間だったが。
彼は息子と甥っ子が日々新しいものを取り入れていくのを楽しく見守り、時には自分もそれを楽しみながら、領内と国が劇的に変わっていく時代を乗り切りつつ息子の治世を支えた、名領主であった。
……そんな彼の死を、エルヴィスはしょんぼりと見送った。
「色んな事があったなあ」
そして振り返ってみれば、色々なことがあった。レヴィが生きた時代は、本当に、激動の時代だった。
エルヴィスにとってもそうだ。エルヴィスには到底ついていけない速度で物事が変わっていく。ブラックストーン領とエルフ達との交流は未だに続いているが、彼らは1年おきにやってきては『えっ、また変わった!?』と大いに慄き、来訪の度に子供のような勢いではしゃぎ回っていた。
アイクやヴィクターやローズの子供達も今や立派な紳士淑女となっていたが、エルフ達を相手に、自慢気にその都度最新の魔導機関を見せてやり、使い方を教えてやって、そして『わからん!』と嘆くエルフ達と一緒に笑い合っていた。
「人間って、本当に不思議だなあ」
エルヴィスはぼんやりとしたことを呟きながら、懐に入れたままだった黒い石板をそっと取り出す。
ブラックストーン城への永住権。……これを貰った時には、すぐに死んでいく人間達と共に生きていく覚悟を決めただけだったが、今のエルヴィスは、すぐに変わっていく物事への対応をも覚悟しなければならない。
この覚悟は重いものだったが、同時に、楽しいものでもあった。
人間の楽しい部分を、大いに思い出せた数十年間だった。
「これだから、俺、人間の国に憧れたんだよなあ」
初めてエルフの里を出てきた時のことを思い出す。あの時のエルヴィスはまだ18だった。『ずっと変わらずにいるらしいエルフの里にずっと居る』ということにどこか恐怖めいたものを覚えて人間の国へ出てきた。
そして当時思っていた以上に、色々なことがあって、楽しいことも新鮮なことも、そして悲しいことも、沢山沢山、味わってきた。
……あれから随分と時間が経ったような気もするが、まだ、たったの104年だ。
エルヴィスの人生の10分の1ほどがようやく終わった、ということになるだろうか。ということは、このまま人間の国に居続けると、エルヴィスはこの10倍、楽しいことや新鮮なこと、そして悲しいことに出会うのだろう。
……それを考えて、少しばかり、エルヴィスは表情を曇らせた。
何故、エルフがエルフの里に引きこもっているのか、理解できてしまったので。
だがエルヴィスは、エルフの里に引きこもるつもりはない。
「まあ……こういうエルフが1人くらい居ても、いいよな」
エルヴィスは懐に黒い石板をしまい込んで、笛を構えた。レヴィの鎮魂を祈って吹く笛の音は、どこか懐かしく物悲しく、ブラックストーンの夕暮れた空へ溶けていった。