王国歴61年:アイク・オウルツリー
「俺、今年で19になるんだけど!」
アイクがそう言うのを聞いて、エルヴィスは思わず『あー、もうそんなになるのかあ』と笑みを浮かべる。人間の成長は相変わらず早い。
「僕も18になるんだけれどな、エルヴィス」
「そうだ!いつまでエルヴィスは俺達を子供扱いするんだよ!」
「そりゃ、永遠にだぞ。お前達が爺さんになろうと知ったこっちゃねえ。俺にとってお前達は、かわいいかわいい、親友の孫だからな!」
エルフ舐めんな!とばかり、エルヴィスが胸を張ってそう言えば、アイクとヴィクターはげんなりしながら肩を落とした。
「そういう訳で、エルフと一緒に狩りに出るのは諦めるんだな。悪いが、100歳未満が入れるもんじゃないぞ、あれは俺も入れないからな」
「うわあ、やっぱりエルフってエルフだ」
「100歳未満は入れない狩猟隊って、一体どんなのだろうね……」
ため息を吐くアイクとヴィクターの頭をわしわしと撫でてやって、エルヴィスは少々、感慨深く思う。
エリンの息子、アイク・オウルツリーは、いつの間にやら二十歳近くになるらしい。
そしてレヴィの子ヴィクター・ブラックストーンは今年で18。尚、アイクの妹、ローズは今年で17だ。彼らは何時の間にやらすっかり立派に大きくなって、紳士淑女として活動している。
尤も、エルヴィスにとって彼らは皆、かわいい子供達だ。彼らはエルヴィスに楽しいことを運んできてくれる。人間のいい所を沢山持った子供達に、エルヴィスは日々、楽しませてもらっているのだ。
幸いなことに、オウルツリー領とブラックストーン領は、互いに仲良くやっている。おかげで、オウルツリーに住んでいるアイクやローズが時々遊びに来てくれて、エルヴィスは嬉しい。兄弟の居ないヴィクターも、アイクを兄のように思い、ローズを妹のように思って仲良くしている。
仲良く3人で雑談がてら、近況報告を行う。
ヴィクターもアイクも、それぞれにそれぞれの領地経営を学んでいるところだ。『父も祖父も早死にだったからな』とはレヴィ・ブラックストーンの言葉で、彼もまた、自らが50か60そこそこで死ぬことを危惧して早め早めの引継ぎを行っているらしかった。
領地経営の話は、エルヴィスには分からない部分もある。それなりの期間を人間と共に過ごしてきたが、それでもどうにも、分からないものが多い。
何と言っても、人間達の『常識』とやらは、10年やそこらで変わっていってしまうのだ。覚えたと思ったら変わっていた、という有様なので、エルヴィスは最早、それらを覚えることを諦めた。
尤も、そんなエルヴィスに人間の世界の常識や流行を教えるのが、アイクやヴィクターにとってみると楽しいらしいのだが。
「……そういえば、アレ、どうなった?」
近況報告の中で、ふと、アイクがヴィクターに尋ねる。
するとヴィクターは、途端に目を輝かせ、声を潜める。
「うん。試してみたら、上手くいってしまったよ。流石、お爺様だ。まあ、実用的ではないけれど……」
「おおー!見たい!見せてくれ、ヴィクター!」
ひそひそ、と囁きながら目を輝かせるヴィクター。そして、思わず、といった様子で興奮気味に声を上げるアイク。……2人の様子に、エルヴィスは首を傾げる。
「なんだなんだ、俺に隠し事か?」
「うん!隠し事!」
「ああ!エルヴィスには内緒だ!」
「ええっ……内緒なことを堂々と言うの、人間の間で流行ってたりするのか……?」
エルヴィスは大いに困惑したが、2人の青年は『30歳以上は立ち入り禁止!』と言い残して、だっ、と駆けだしていってしまった。エルヴィスはしょんぼりした。
「ああ、やっぱり美味しい!ハーブティーが香りだけじゃなくて味も美味しいなんて、ちょっと狡い気がするわ」
「そうか?まあ、お褒めに与り光栄、ってことで」
それからエルヴィスは、ローズとのんびり茶を楽しむことになった。
ローズは『エルヴィスが淹れるハーブティーの味を完璧に習得するの!』と息巻いて、ブラックストーンへ来る度にエルヴィスに茶を淹れさせ、その材料や手順を熱心にメモしている。今回もしっかりとメモを終え、今は茶菓子と共にのんびり茶を飲んでいた。
「なあ、ローズ。アイクとヴィクターが何かやってるの、知ってるか?」
エルヴィスは茶菓子のクッキーをつまみながら、ローズにそう、聞いてみた。さっきの『30歳以上は立ち入り禁止!』が気になって仕方ないのである。
「やたらと楽しそうなんだけど、教えてくれねえんだよー」
「ああ、お兄様達の『内緒』のこと?」
「うん。気になる」
すると案の定、ローズは『アレのことかしら』とばかり、小首を傾げた。これは期待が持てそうだ、とエルヴィスがローズを見つめていると、ローズはくすくす笑って、教えてくれた。
「多分、お爺様の手帳の解読だと思うわ」
「……へ?グレンの?」
「ええ。グレン・ブラックストーンの手帳に、面白いものがあった、って言ってたわよ」
エルヴィスは、『へー』と頷き……それから、慌てた。
「えっ!?グレンの!?グレンの手帳があるのか!?」
「えっ!?やだ、エルヴィス、知らなかったの!?」
ローズは『てっきり知ってるものだと思ったわ!』と驚いていたが、エルヴィスも大層驚いている。これほどまでに驚いたのは、ふにゃふにゃの幼児だった頃のアイクが唐突にエルヴィスの耳の中へミルクを注ぎ始めた時以来である。つまり、18年ぶりほどの驚きであった。
「知らなかった……そんなものあったなんて……」
「レヴィ叔父様が黙っていたなんて、私も驚きだわ……」
エルヴィスは半ば茫然としていたが、やがて、『こうしちゃいられない!』と立ち上がる。
「ちょっとレヴィにも聞いてくる!」
去り際、もう1つ茶菓子のクッキーを口に放り込み、茶を流し込んでカップを空にしてから、エルヴィスはレヴィの執務室へと駆けていった。そんなエルヴィスを見てローズは『男の子って本当に元気ねえ』と呆れたようなため息を吐いていたが。
「レヴィー!おま、お前!グレンの手帳なんてものあったなら、見せてくれたっていいだろ!」
「あ、忘れてた」
執務室のドアを開け放って一番に文句を叫べば、レヴィはあっさりと、そんなことを言う。
「なんで教えてくれなかったんだよー!」
「あああ、ちょ、ちょっと、エルヴィス。落ち着いて、落ち着いて。ガクガクやらないでくれるかな、ねえ、ちょっと」
レヴィの肩を掴んでがくがくがく、と一頻り揺さぶった後、『言い訳があるなら聞くぞ』とばかり、すっかりむくれて弁明を待つ。すると。
「いや、だってね、エルヴィス。君は父上の死後、随分と落ち込んでいたものだったから……そこに父の遺品を見せるのも、躊躇われて」
「ああー……そうだった」
……どうにも気まずげなレヴィの顔を見て、エルヴィスはしゅん、とした。
そうであった。グレンが死んで5年ほど、エルヴィスはすっかり元気を失っていたのだった。それも何とか持ち直し、元気になって今に至るが、あの当時は本当に、『グレン』と名を聞く度にしょんぼりしていたものである。
「そっか……そういやそうだった……そうだよなあ、あの時の俺に、グレンの手帳なんて、見せられねえよなあ」
「分かってくれたなら嬉しいよ。まあ、3年くらい様子を見ていて、その後はすっかり忘れていたのだけれど」
エルヴィスは『まあしょうがないな』と納得する。人間にとって5年はあまりに長い時間である。その間に物事を忘れてしまったからといって、文句は言えない。
「それで、手帳がどうしたのかな」
「あー、それなあ、今、アイクとヴィクターがそれで何かやってるみたいだぞ」
「おやおや、我が息子達ながら、元気だね」
ひとまず、レヴィに『30歳以上は立ち入り禁止!』の話をしてやると、レヴィはけらけらと笑った。……彼は若さと共にそれらをそっと過去へ置いてきたようだったが、それでも未だ、好奇心を完全に失ってはいないのだ。
「……多分、アイクとヴィクターは、アレを作ってるんじゃないかな」
そしてレヴィは、そう言ってにんまりと、訳知り顔で笑ってみせる。
「アレ、ってのはなんだよ」
エルヴィスが尋ねると、レヴィは少しばかり勿体ぶって間を取り……そして、笑って言った。
「『魔導機関』と父上は名付けていたようだ」
「アイクー!ヴィクター!俺も混ぜろ!」
そしてエルヴィスは、2人の青年の元へと元気に突撃していった。
「うわっ来たぞ!」
「30歳以上は立ち入り禁止って言ったじゃないか、エルヴィス!」
「うるせー!見た目だけなら30歳未満で通るだろ!多分!」
「まあそうだけど!君、どう見ても20代だし!」
2人の青年は『どうするかなあ』というような顔を互いに見合わせている。だが、エルヴィスもここで引き下がるつもりはない。
「魔導機関、っていうんだろ?なあ、俺も見たい」
エルヴィスが『魔導機関』の名を出すと、アイクもヴィクターも、『ああ、もうそこまで知ってるのか』というような顔をした。これはもう一押しだ、と踏んだエルヴィスは、2人に頼み込む。
「グレンがやりたかったこと、俺にも見せてくれ。それで……もしよかったら、手伝わせてくれよ。グレンの手帳にあること、大体は俺が話したりやって見せたりした魔法の記録だぜ?」
アイクとヴィクターは顔を見合わせて……そして、互いに、『しょうがないか』というような笑みを浮かべた。
「……本当は、完成したらエルヴィスに見せるつもりだったんだけどね」
「ま、でも、エルヴィスは一緒に作る方が楽しい奴だろ。しょうがねえなあ」
そして2人は、エルヴィスに手を差し伸べる。かつて、グレンがそうしてくれたように。
「一緒にやろうぜ、エルヴィス!人間の国の歴史を変える偉業を、俺達で成し遂げるんだ!」
「……ああ!」
2人の青年に、かつてのグレンの面影が見える。
それを嬉しく思いながら、エルヴィスは2人の手を取った。