王国歴55年:エリン・オウルツリー
季節は廻り、月日は過ぎ去り、グレンが死んでから5年が経った。
その間に、エリンが息子と娘を出産し、レヴィにも子供が1人できた。
国は代替わりを経て多少荒れていたが、レヴィは立派にブラックストーンの舵取りを行って、それなりに安定した領地経営を行っていた。
エルフの森の調査は、国王が代わったあたりから『成果の出ない調査に費用をかけ続けるのは愚かしい。先王の時代の悪しき慣習は捨て去るべきだ』と王が主張し始めたため、上手く立ち消えてくれた。
おかげでエルフとブラックストーンとの交流も、細々とながら、それなりに安定して楽しく、続いている。
……そして、エルヴィスは。
「エルヴィス!あそぼ!」
「えるびすー!あそぼ、あそぼ!」
「えうびしゅ!あしょぼー!」
「おーおーおー、チビ共、今日も元気だなあ……あっ、こらこらこら、ローズ、引っ張るな引っ張るな!俺の耳は飾りじゃねえんだってば……あっこらこらこら、アイク!危ないから肩に上るんじゃない!ヴィクター!くすぐったいから膝をこしょこしょするんじゃない!」
……エルヴィスは今日も、子供達の遊具にされていた。
エリンの子、アイクとローズ。そしてレヴィの子であるヴィクター。彼らは非常に好奇心旺盛で、そして、怖いもの知らずである。ここ1週間ほどは、エリンが子供達を連れて帰省していることもあり、子供達は3人揃ってやってくる。そう。子供達は庭に居るエルヴィスを、すっかり『楽しいもの』として認識しているのである!
「えるびすって、お花の匂いがするね」
「そうかあ?……まあ、そうかもなあ。うーん、自分じゃ分からねえけど……あっ、こらこらこら、ヴィクター。どこ行くんだ。こっちに居なさい」
そしてエルヴィスは、子供達の遊び相手というか遊具というか、そうした立場になってしまったがために、最近は専ら、彼らのことで忙しい。
……元々、ブラックストーン城に住んでいるエルヴィスは、現領主であるレヴィの子、ヴィクターの世話を買って出ることも多かった。というのも、何もせずに居たら只々ふさぎ込んでしまうからである。
エルヴィスは未だ、グレンの死を受け止めきれていない。
グレンは、あまりにも短く、あっという間の命だった。楽しかったことも嬉しかったことも確かに在ったが、それらはあまりにも速く過ぎ去っていってしまった。あまりに早すぎて、涙すら、上手く出なかった。
……そうしてエルヴィスは、半ばぼんやりと、ブラックストーンに居る。ここに居ると決めたし、グレンから貰った永住許可証もある。ここに居て、グレンの一族を助けてやらねば、と思った。……だが同時に、どうも、気力が湧かなかった。
グレンの死を受け止めきれないまま、どこかにまだグレンが居るような気がして、日々、ぼんやりしていた。仕事はこなし、領地の植物を奮い立たせはしたが、それらも、最高の出来にはならなかった。エルヴィスに『さあ元気に芽吹け』と呼びかけられる植物達も困惑していた。『元気にって言いますけど、そういうあなたは元気が無いですね』と。
……エルフが人間の友と付き合うということがどういうことか、ようやく、分かった。
エルフが人間と共に在ろうとした時、そこに待ち構えているのは数多の死だ。
誰が悪いわけでもなく、よって改善することもできず……ただ、仕方ないものとして、数多の人間の死を受け入れなければならない。
それはあまりに残酷なことである。人間は斯様に魅力的で、生き生きとして、見ていて非常に楽しく……だというのに、すぐに死んでいってしまうのだ。
エルフが人間と付き合うならば、一時の喜びのために、永遠の喪失を味わい続けることになる。仲良くなればなるほど、相手の死が辛い。だが、どうすることもできない。
だから、エルヴィスは意図的に、レヴィやエリンとの接触を減らした。できるだけ庭で過ごすようにした。一緒に居ると、いずれ来る別れがあまりにも辛いと身を以て学んだので。
……だが。
そんなエルヴィスの心など知ったことか、とばかりに、子供達はやってくるのだ!
最初は、エリンの子、アイクが遊びに来た時、相手をしてやるだけだった。
好奇心旺盛な人間の子供は、見ていて何とも可愛らしい。真新しい命がよちよちと歩いているのを見て、エルヴィスは思わず、それを抱き上げてしまったのである。……そしてその結果、懐かれた。
そう。何故だか、エルヴィスは子供にやたらと懐かれたのである。どうも、大木のようで落ち着くだとか、長い耳が気になるだとか、色々に理由はあるらしいのだが……とにかく、懐かれた。アイクはすっかりエルヴィスに懐き、エルヴィスのことを『自分と遊んでくれるエルフのお兄さん』だと認識してしまったのである。
丁度、何かにつけて駄々をこね、泣いてはエリン夫妻を困らせていたアイクだったが、エルヴィスが抱き上げてやると何故か落ち着いた。アイク自身もその理由はよく分からないようだったが、ひとまず、エルヴィスに抱き上げられたり、エルヴィスが胡坐をかいて座る脚の中に潜り込んだり、背中をよじ登ったりしている分には非常にご機嫌であった。
……そしてその頃、レヴィにも子供ができる。ヴィクター誕生にブラックストーンの領民は大いに喜び、アイクも『弟分ができた!』ときゃいきゃいはしゃぎ……そして半年後には、エルヴィスの背中には赤子のヴィクターが背負われることになっていた。
何故か、ヴィクターもエルヴィスにくっついていると大人しいのである。となると、レヴィの妻、ヴィクターの母であるフェリスもエルヴィスの横に来るようになり、そして『妻と子供がエルヴィスにとられそうだ!』と冗談めかして笑うレヴィも、そこへやってきた。
……一時期、ブラックストーン城では、中庭に居るエルヴィスの元にヴィクターがやってきて、ヴィクターの元にフェリスとレヴィがやってきて、中庭で公務がこなされるようになっていた。これも、ヴィクターがある程度大きくなったところで元に戻ったが。
そうしている内に、ヴィクターはいとこのアイクと仲良くなり、アイクの妹であるローズとも仲良くなり……気づけば、3人の子供達がエルヴィスによく懐いてしまっていたのである。
『こんなはずじゃなかった』とエルヴィスはどこかぼんやり思うのだが、子供達を相手にしていると、ぼんやりしている訳にもいかない。何か事故でもあったらことである。エルヴィスは仕方なく、自然と、子供達の様子を見るようになり……そうして、今に至る。
いつの間にか、人間と目いっぱい関わるようになってしまったエルヴィスは、今日も戸惑いながら子供達の遊び相手になっているのだ。
「今日も子供達がごめんなさいね、エルヴィス」
「いや、いいんだ。気が紛れて丁度いい。まあ、ちょっと危なっかしいけどな」
昼過ぎ、子供達を回収しに来たメイド達とエリンに苦笑いを浮かべつつ、エルヴィスはひらひらと手を振ってみせた。
「ふふ、ありがとうね、エルヴィス。子供達ったら、あなたのことが余程大好きみたいで、あなたの話を寝る前に毎日聞かせてくれるのよ」
「ま、まじかあ……」
自分の様子が子供達を通してエリンやレヴィに筒抜けかと思うと、どうにも気恥ずかしい。特に、エリンにもレヴィにも、心配をかけているエルヴィスなので。
「……ねえ、エルヴィス」
エリンはエルヴィスの顔を覗き込むようにして微笑むと、少しばかり気遣うように、それでいてそれを気取られないように明るく、問うてきた。
「まだ、パパのこと、悲しい?」
「ああ。悲しい」
苦笑しながら、エルヴィスはそう、答える。
……グレンの死は、どうも、エルヴィスにとって大きすぎる衝撃であったらしい。受け止めきれず、受け入れられず、漫然と悲しくて、出口が見えない暗闇に迷い込んだような心地だ。
「覚悟は、したつもりだったんだ。ここに永住する、って決めた時に。……でも、実際に親友に死なれちまうと、どうにも、なあ」
エルヴィスは自分の手に視線を落とす。
特に、変わりの無い手だ。50年近く、変化の無い手だ。グレンのように皺が刻まれたり筋張ったりするでもなく、ただ、ずっと変わらない形をしている、エルフの手だ。
「今も、エルフと人間の時間の違いが、よく分かってねえんだ」
「……そう」
エルヴィスが人間の儚さを……グレンの死を受け止められるようになるのは、一体いつのことなのだろう。100年後か、200年後か。或いは、一生、受け入れられないのかもしれない。だからこそ、エルフ達は人間との深い付き合いを避ける。
「今、面倒見てる子供達だって、俺より先に死んでいく訳だ。そう考えちまうと、なんか、なあ」
そう言って、言ってしまってから、『言わなきゃよかったか』と後悔する。子供達の死など、その母親に言うべきことではなかった。
……だが。
「……そうね。だったら、未来のことなんて、考えないで頂戴な」
エリンは気丈にそう言って、エルヴィスに微笑みかけた。
「今。今よ、エルヴィス。今、私は生きているし、子供達だって生きていて……あなたを遊具にして楽しくやってるわ」
エリンの笑みは、随分と力強かった。その表情は、グレンがかつてこうだったな、と思い起こさせる。
「それを、忘れないで。今、目の前にあるものを、どうか楽しんで。きっとパパだってそう言ったと思うわ」
「……そうだなあ」
今、かあ。……そう、エルヴィスは呟いて、はあ、と息を吐きつつ天を仰いだ。
今。今を生きる、ということは、エルフには中々難しい。刹那的に生きられるほど、エルフは短い命ではない。
だが……人間の中で生きるのだから、きっとこれは、必要なことなのだろう。
「そうだな。とりあえず、チビ共の遊び相手として頑張ることにするよ」
「あら、助かるわ。でも、悪くない選択よ、エルヴィス。あの子達を見ていたら、1日なんてあっという間だもの」
エリンはくすくすと笑ってそう言うと、それから、ふと、グレンによく似た笑みを浮かべて言った。
「ね、エルヴィス。人間って、悪くないでしょ?」
「ああ、そうだな。最高だ」
また遠くから『エルヴィスー!あそぼー!』と声が聞こえてくるのに笑みを零しながら、エルヴィスは立ち上がって歩き出した。
……悲しくても、空しくても、子供達はやってくる。好奇心に満ちた目で、『楽しいこと』をたっぷりと抱えて。
そしてエルヴィスは、それが嫌ではないのだ。
嫌ではないのだと、ようやく、思い出せた。
「……っと」
途端、エルヴィスは驚く。
何故なら……足元に、こつん、と小さな結晶が落ちていたからだ。
「エルヴィス?どうしたの?」
「いや……なんでもない」
エルヴィスは背中越し、心配そうなエリンの声にひらひらと手を振って見せつつ、そっと屈んで、足元に落ちたそれを拾い上げる。
それは、透明な宝石だった。かつて一度だけ、エルフの里で見たことがあるものと、よく似ている。
「……あー」
それが何かを理解した途端、また、ぼろり、と涙が零れて、宝石となって、こつ、と落ちる。
……ようやく。ようやく、エルヴィスの中にあったものが、流れ出した。そんな気がした。
だが、そこまでにした。
三粒目が零れ落ちる前に、エルヴィスはそれを手の平で握り潰すように受け止める。落ち切る前に受け止められた涙は、宝石になることなく、エルヴィスの手の平でじわりと温い水滴となった。
四粒目以降は、袖で拭ってしまう。落ちた二粒目も拾い上げて、一粒目共々、ポケットの中に放り込む。
……泣いている暇は無い。何せ、今、庭の向こうから子供達が、『エルヴィスー!』と駆けてくるところなのだから。
「今行く!」
エルヴィスは笑顔でそう返すと、子供達を迎えるべく、歩き出した。