煙に巻く*1
そうして、夏。
冬が長いブラックストーン刑務所も、夏は暑い。囚人達は暑さに体力を奪われ、日々をだらだらと過ごしている。
……だが、その中で元気な者も居る。
「グレン、どうだ?上手くいったか?」
「ああ。冬の時同様、いいかんじだ」
そう。エルヴィスは夏も、魔法を使っていた。
冬、看守達に耐冷魔法を使ったのと同じように、夏は耐熱魔法をかけることになったのだ。
となれば、グレンは食堂の壁に張り付いて待機し、魔法の範囲に潜り込むことでエルフの魔法の恩恵を受けることができる、という訳である。おかげでグレンもエルヴィスも、そして看守達も、夏バテ知らずで活動していた。
そして、2人同様、夏バテ知らずなのが……植物だ。
小さな花壇には、花が沢山の蕾をつけていた。初夏に蒔いたジニアの種が芽吹いて、もうじき咲きそうなまでに成長している。
色とりどりの花が開いたら、食堂に飾ってみてもいい。ここの囚人達が花を愛でる心を持っているかは分からないが、もしかすると、案外、他にも植物好きが居るかもしれない。
「よしよし、皆元気だな。……水をたっぷりやれるのがありがたいよ」
「ま、それは看守様様、って奴だ」
小さな花壇にやる水は、食堂の裏、調理場の外にある蛇口から持ってきている。
一応、看守に許可は取った。看守はまるで興味が無いらしく、適当に返事をして許可をくれたのだ。そこで、グレンが洗濯室にあった古いホースを見つけてきて、エルヴィスが器用にホースの穴を塞いで補修して、それを水撒きに利用している。
また、小さな如雨露もある。如雨露といっても料理当番の時に手に入れた空き缶の底に穴を開けただけの粗末なものだが、細かな種を蒔いた後に優しく水やりするには丁度いい。
他に、小さなシャベルも作った。こちらは空き缶を斜めに切り落としたもので、案外、こんなものでも使い勝手は悪くない。少なくとも、素手で穴を掘ったり埋めたりするよりはずっといい。
「後は、鍬が欲しいな」
「そうだなあ。この辺り、もうちょっと花壇を広げたいもんな。で、素手で耕すには、この辺りの土は流石に硬すぎるから……」
中庭横の荒れ地は、2人が花壇を作るにあたって、看守の許可を得やすい位置だった。何せ、誰からも放っておかれる場所だったので。
だがそれ故に、ここは荒れ地だ。かつて人に踏み固められ、そして今はヒースが生い茂るばかりの、荒れ地である。硬く乾いた土は耕しにくく、更に栄養に乏しく、到底、植物を育てるにあたって、よい環境とは言えなかった。
「鍬があれば、耕して肥料を混ぜ込めるかな」
……だが、土の栄養については、改善の見込みがある。
2人は簡易的なスコップを初夏に作ってすぐ、庭の一角に穴を掘って、そこに沢山の生ごみを埋めた。要は、コンポストを作ったのである。
完全に腐った生ごみは嫌な匂いもせず、よい土へと生まれ変わる。それを花壇に混ぜ込んでやれば、多少、植物にとって良い環境になるだろう。そう期待して、2人は料理当番になる度に生ごみを手に入れては庭に埋めている。
……尤も、やりすぎると看守に怪しまれ、無用な疑いを掛けられることになるので、遠慮しながらの作業ではあったが。何せ、ここの看守達は第一に、脱獄を警戒している。穴を掘る行為は当然、警戒の対象になる、という訳だ。
そういう訳で、スコップや鍬など、今後も支給されることは無いだろう。2人が作ったシャベルの代替品にせよ、見つかれば没収される可能性が高い。2人は作った道具の類を慎重に隠して、上手くやっている。
「土を耕す魔法は無いのか?」
「あるっちゃあるんだが、ま、大規模なんで、バレる」
「ああ、成程ね……」
エルヴィスが魔封じの手錠をつけていても魔法を使えるということは、看守達には秘密にしておかなければならない。となると、あまり大規模な魔法を使って見つかるようなことがあってはいけないのだ。
「ま、あとはミミズを連れてくるくらいかな。奴らは土を耕してくれるから」
「それくらいならなんとかなるか。よし」
概ね次の活動方針も決まったところで、2人はそろそろ庭仕事を終え、作業へ戻ることにする。
「今日の作業、ちょっと楽しいな」
「そうか?まあ、美しいものに触れられるってのは悪くないな」
今日の仕事は、刺繍を施されたハンカチを箱詰めしていく作業だった。その刺繍が概ね、植物をモチーフにしたものであったので、グレンは大いに目を楽しませている。
「ミミズの刺繍は無いかねえ」
「うーん、無いと思うな」
2人は話しながら、休憩時間の終わりの鐘を聞きつつ、作業室へと戻っていくのだった。
ブラックストーン刑務所のいいところを1つ挙げるとすれば、夏を涼しく過ごせることだろう。
屋外や作業室、食堂といった場所は夏の暑さに侵食されているが、寝泊まりするための独房は石造りであるためか、窓が無いためか、それなりに涼しい。
夜に寝苦しくないのは良いことだ。グレンは薄手の毛布を1枚被りながら、今日も眠りに就く。
……だが、途中でふと、看守達の話し声が気になって目が覚める。ここ数か月ですっかり安眠できるようになったグレンからしてみれば、珍しいことだ。
ベッドの上、少々ぼんやりしたまま音を聞いていれば、丁度見回り中らしい看守達の話が聞こえてくる。
「……だから俺は言ってやったんだ。弁護士以外の面会は禁止だ、ってね」
「ああ、それがいい。面会だなんだってやられる度に大抵は物が持ち込まれる。それで脱獄した奴も過去には居たし、面会には俺達が立ち会わなきゃならないし……」
今日もやる気のない看守達だな、と思いながら、そっとグレンは寝返りを打つ。その間にも看守達の話は進んでいく。
「囚人の動向には常に目を配っておく必要があるからな……ああ、最近、あのエルフが妙に話しかけてくるが、何かあったのか」
だが、エルヴィスの話が聞こえてきて、グレンの意識はさっと覚醒した。
そのまま耳を澄ましていると、次第に耳が慣れて、看守達の囁きが聞こえてくる。
「ようやく慣れたってことか?とは言っても、確か、もう投獄から30年以上だろ?」
「エルフにとっての30年は人間にとっての3か月くらいなのかもしれないぞ」
「そもそも、なんであいつは投獄されたんだ?エルフってだけでも珍しいのに……」
看守達の話は、そんな具合に進んだ後、どんどん離れていって聞こえなくなった。やがて、ギイ、バタン、と、重い鉄扉が閉まる音が聞こえて、それきり静かになった。
……グレンは寝返りを打ちながら、思う。
エルフが終身刑になるほどの罪とは、一体何だろう、と。
「今日はオレンジの種が手に入ったからな、これを植えようと思う」
翌日、エルヴィスはうきうきと庭仕事をしていた。
どうやら、看守用の朝食を手に入れた時、そこに新鮮なオレンジが付いていたらしい。取り出してきたと思しき種を手の平に乗せて、エルヴィスは『このあたりかな』と言いながら、庭の一角にオレンジの種を植え始めた。
「実るのは何時になるだろうか」
「ま、数十年後には確実に。それまで楽しみに待つとするさ」
オレンジの木が育ってオレンジが実るまでの時間は、人間にとってはあまりに長いが、エルフにとっては然程長くないらしい。そもそも、終身刑のエルフには、時間だけは飽きる程たっぷりとあるのだ。
「……なあ、エルヴィス」
昨夜のことがどうにも気になって、グレンはエルヴィスにそっと問う。
「君、どうして終身刑になったんだ?」
「ん?話したこと、なかったか?」
「ああ、無い、と思う」
グレンが緊張しながら待つ間にも、エルヴィスはあっけらかんとした様子で『そう言われてみればそうだ、まだ話してなかった』などと言っている。どうやら、気に障った様子は無さそうだ。グレンは内心で少々安心した。
「まあ……至極簡単に言っちまうと、国家転覆罪、だなあ」
だが、続いた言葉に、グレンはぎょっとする。
「……一体何をやったらそんなことになるんだ?」
「いや、本当に大したことはしてない。俺自身、『これで終身刑かあ』って思ったくらいだからな。えーと……まあ、国王を暗殺しようとした」
「予想以上に大事だった……」
思わず言葉を漏らせば、エルヴィスは楽し気に笑った。
「まあ、言っちゃ悪いが、この国は碌でもない。お前みたいなやつが冤罪吹っかけられてムショ入りするくらいには、碌でもない国だ」
笑って、そして、エルヴィスはふと、目を細める。
「だから、変えようとしたんだ。結局、俺にはできなかったが」
遠い昔、それこそ、今を生きる人間達の誰の記憶にも無いほどの昔を思い出すような、そんな目だった。まるで、何千年も生きた巨木のような、そんな重みがあった。
「……ま、そういうこった。俺は正真正銘、本物の犯罪者。終身刑のエルフ、ってわけだ。……いや、まあ、転覆を謀るまでもなく、どう考えても俺より先にこの国が滅びそうだが……」
それから、何とも言えない顔をしながらエルヴィスはそう続ける。エルヴィスが話し終えるまでには、先程の厳かな重々しい雰囲気は消し飛んでいた。
「ああ、うん……私もそう思うよ」
「その時、俺ってどうなるんだろうなあ。えーと、終身刑を全うする前にムショから出されるのか?」
「そうかもしれない。なら、この国が早めに滅ぶといいね」
「それ、聞く奴が聞いたらお前の罪状が増えるぞ?」
グレンはエルヴィスを手伝ってオレンジの種を地面に埋めながら笑う。だが、この国については、半分ちょっとは本心である。
「そうだな……国家転覆、か」
いつか、そうなる日がきっと来る。今までの歴史から考えてみても、いつかは、必ずそうなるのだと思える。
帝国だって200年以上前に滅びた。今の王国も、きっと、数百年で滅ぶのだろう。
……そしてその時も、エルフはきっと、生きている。
「そうなると俺は人間の国が2回滅ぶところを見るのかあ。やれやれ」
「それ、どういう気分なんだろうね。私には最早、想像できないが……」
グレンには、エルヴィスの気分がまるで想像できない。そもそも、帝国が滅びる前から生きている生き物の人生など、まるきり想像できなかった。まあ、グレンとしては、生きた歴史書と話す気分は、味わえているわけだが。
「ま、退屈することもあるが、今は退屈していない。そんなかんじだな」
エルヴィスはそう言って笑う。オレンジの種に『ほら、頑張って芽を出さないと冬が来ちまうからな』と声を掛けて、立ち上がる。
グレンもそれに続いて立ち上がると、再び作業室へと戻ることにした。
その日、作業が終わって、シャワーを浴びて、夕食を摂るべく食堂へと向かうと……そこで、奉仕作業の募集が始まっていた。
「ドブ浚いか……」
「ドブ浚いだな……こういうの、夏じゃなくて春先くらいにやれば、まだマシなんじゃないかって毎回思うんだがなあ。どうしてわざわざ夏になってからやるんだ?」
次の奉仕作業はドブ浚い、らしい。まあ、2人とも、やりたいとは思えない仕事だ。だが……。
「まあ、ミミズは欲しい」
「そうだね。ミミズは欲しい。それに私達は模範囚だからね」
外に出なければ、ミミズを得られない。ミミズが居れば、庭が耕される。
ということで、2人は奉仕作業の募集箱に、自分達の名前と囚人番号を書いた紙をそっと入れるのだった。
……そして2人は夕食を摂り始めたのだが、その後、驚くべきことが起こる。
「な、なんだ?何が起きてる?こんなのこの31年で初めて見るぞ?」
「さあ……皆、夏の暑さにやられたのかな」
そこには、驚くべきことに……ドブ浚いに応募する、囚人達の列ができていたのである。
グレンとエルヴィスは顔を見合わせて、首を傾げた。