王国歴50年:グレン・ブラックストーン
その日、ブラックストーン領は大いに華やいでいた。
というのも、次期領主であるレヴィ・ブラックストーンの結婚式が盛大に執り行われていたからである。
レヴィは24歳になった。彼はグレンによく似た青年に育ち、父から領主業についてしっかりと教え込まれ、そして現在は次期領主として領主補佐の任に就いている。既にレヴィへほぼ全て任せてしまっている業務もあり、そろそろグレンは引退か、などと嘯いているところであった。
そんな中で行われるこのめでたい式典を、領民は大いに喜び、祝い……そしてそれ以上に喜んで祝って忙しいのが、エルヴィスである。
「ついさっきまで小さかった子供が、いつの間にか出会った頃のお前よりも大きくなってるんだもんなあ。人間って育つのが早いよなあ!」
「そうか。まあ、我が息子ながら、随分と大きくなったものだと思うが。はっはっは」
正装したレヴィを見て、エルヴィスとグレンはにこにこと笑う。エルヴィスは興奮しすぎて昨夜眠れなかったほどであるが、流石にグレンは落ち着いていた。
「父上!エルヴィス!どうです?似合います?」
そこへやってきたレヴィは、かつてのグレンを想起させる笑顔を2人に向けてくる。
好奇心と希望と自信に満ち溢れた笑顔を見ていると、エルヴィスはなんだか、胸が詰まるような心地になる。
「ああ!似合う!すごく!似合う!」
「エルヴィスはもう少し落ち着け」
グレンに窘められつつも、エルヴィスは大いに喜び、はしゃいでいる。エルフにとって、人間の晴れ舞台は一大行事である。特に、友人の結婚式ともなれば、本当に一大事なのだ。
「やっぱりレヴィはエルフの森の布がよく似合うな!やっぱりお前、エルフの森に来ないか?」
「おいおい、エルヴィス。僕はここの領主になるんだぞ。勧誘なら姉さんにやってくれ」
「それ、『勧誘ならレヴィにやって頂戴』ってエリンにこの間言われたばっかりなのに!」
エルヴィスが悔しがる中、レヴィはけらけらと明るく笑っているばかりである。そんな彼の首元を飾るタイは、エルフ達が織り上げた極上の逸品だ。草花の模様を複雑に緻密に織り込んだそれは、人間の国でも最高級品として扱われている。これらの布も、今やブラックストーンの専売だ。
「エルヴィスー!パパー!それに本日の主役君も!久しぶり!」
そこへ、ぱたぱたと軽やかな足音を響かせて、エリンがやってくる。どうやら、ようやく到着したらしい。
というのも、エリンはつい4年前、オウルツリー領へ嫁いだのである。今はオウルツリー領主夫人として活躍している彼女だが、今日は弟の結婚式ということもあり、なんとか時間を空けて駆け付けたのである。
……『急遽片付けなければならない案件が生じたので、到着は式の直前になる』と連絡を受けたグレンとエルヴィスが、心配がってやきもきさせられていたのは、エリンには内緒である。
「エリン。息災か」
「ええ、パパ。元気に領主夫人をやっているわ。ママと同じくらいには上手くやれてるんじゃないかと思うのだけれど」
エリンはカリーナ譲りの穏やかさとグレンの好奇心とを受け継いで、すっかり逞しく成長していた。オウルツリーの領主とも気が合うようなので、エルヴィスとしては安心している。……その一方でどうにも、寂しさもあるのだが。
「いつでもブラックストーンに帰ってきなさい。こんな時ばかりでなく、いつでも、暇ができたら顔を見せてくれ」
「あらあら、寂しんぼのパパですこと」
「ああ、そうだ。パパは寂しがりなんだからな」
開き直ったグレンにエリンはくすくす笑っているが、エルヴィスも同じような気持ちなので何とも言えない。エリンはすっかり大きくなって、しっかり巣立っていってしまった。それがエルフには、どうにも寂しい。
「寂しいなあ。ついこの間までこーんなに小さかったし、『エルヴィスのお嫁さんになる!』って言ってたのになあ……」
「なんだと」
「あっ、やべっ、これグレンには内緒だった」
うっかり失言しつつ、エルヴィスはグレンの追及を逃れるべくそっとレヴィの後ろへ移動して、レヴィとエリンに笑われる。
そうしていればグレンもつられて笑っていたし、エルヴィスもつられて笑うようになる。
……つくづく穏やかな、めでたい善き日であった。
レヴィの結婚式には、多くの者が駆けつけた。
領主の結婚式ともなれば、王都からも来賓が来る。国王の代理でやってきた者をもてなし、役人と腹の探り合いをして……レヴィもグレンも、大いに忙しい。
特に、国王がつい数年前に崩御して以来、王が新しくなり、それに伴って国内の勢力図も変わったものだから、何かと気が抜けないのである。父王が晩年、疑心暗鬼に憑りつかれていた様子を見ていた今の王は、民を信じ、領主らを信じて政治を行う、と公言してはいるが……。
……だが、それはともかくとして、忙しくしている父と息子の姿がよく似ていて、エルヴィスはどこか、ほっとしたような気持ちになる。
変わり続けていくものがあって、変わらずに残っていてくれるものもあって、それがエルヴィスには救いのように思われた。
「……グレンももう、60だもんなあ」
グレンはもう、グレンの父の年齢を超えた。そして、『そろそろ』であろう、ということも、分かっている。
結婚式は盛大に、そして恙なく執り行われた。美しい花嫁が幸せそうに微笑み、それにレヴィが微笑み返して居るのを見て、エルヴィスは何やら嬉しくなる。
最近、年長のエルフ達が『人間の番ができる瞬間って、いいよなあ』としみじみ語っていた理由がなんとなく分かってきたような気がする。
エルヴィスはそんな新郎新婦を遠巻きに眺めて、城下の領民達に混じっていた。
城下では民衆がこのめでたき日にかこつけて祭を開いており、踊り、歌って大いに楽しんでいた。こんな有様なので、エルフが混じっていても然程気にされない。エルヴィス以外にも何名かのエルフがこの祭に混じって参加しており、『ブラックストーン領万歳!』と楽しく声を上げていた。
エルヴィスもそれに混ざって楽しくやりつつ、肉の串焼きや魚のパイといった祝いの料理を味わい、歌と踊りに手拍子を打ち、そして誘われればそれに応えて踊りの輪の中に入り込んだ。
祭は、にぎやかに楽しく、夜通し続いた。
「エルヴィス」
真夜中。エルヴィスが、笛を吹いて披露していたところ。一曲終わったところで後ろから声を掛けられて、ぎょっとする。
「えっ、お前、なんでこんなとこに居るんだよ」
エルヴィスは大いに慌てた。何せ、グレンが自ら、ここへやってきていたからである。
領主直々の登場となれば、それに気づいた領民達も慌てて居住まいを正す。それをグレンは『無礼講、無礼講』と笑って留めて、それからエルヴィスににやり、と笑いかけた。
「お前と話がしたくて探しに来た」
グレンは、ちら、と外套の内側を見せてくる。……そこには、上等な酒の瓶が一本、隠されていた。
そのまま市井で飲み明かしてもいい、とグレンは言っていたのだが、流石に領主に何かあったら一大事である。エルヴィスはグレンと連れ立って城へ戻り、そこでいつかのように、また、いつものように、酒を開け、グラスを軽やかにぶつけ合う。
「全く、友達甲斐の無い奴め。1人で城下へ降りて楽しんでいるとは」
「いや、エリンの時みたいにお前が落ち込んでないから、別にほっといてもいいかな、って思ったんだよ」
エルヴィスは揶揄うようにそう言って笑う。……エリンの結婚式の時には、グレンはそれはそれは大変な有様であった。愛する娘が嫁いでいくとなって、周囲が『領主様大丈夫だろうか』と心配するほどに憔悴してしまっていたのである。
それを見たエルヴィスは、『俺が居てやらなきゃ』とばかり焦って、グレンと夜通し飲み明かして、ずっとグレンが管を巻くのに付き合ってやっていたのである。
……だが、レヴィの結婚にあたっては、家族が巣立っていくわけでもない。人生の一区切りを迎える、というだけなので……要は、グレンが然程憔悴している訳でもないので、エルヴィスも然程、心配していなかった。
「俺は寂しがりなんだぞ。エリンも言っていたがな。……まあ、そうでなくとも、こうした節目でくらい、お前とゆっくり話す時間が欲しかったんだ」
グレンは笑ってそう言うと、くぴ、とグラスの中身を品よく飲む。エルヴィスもそれに倣って酒を口にすると、それは絹のように滑らかな口当たりの、見事な葡萄酒であった。酒に然程強くないエルヴィスを慮ってか、はたまた、老いてきたグレン自身のことを考えてか、酒精はそう多くない代物が選ばれている。
「……結局、私は父上より長生きだったな」
グラスに口を付けて、ため息と共にそう、グレンは吐き出した。
「まあ、当然と言えば当然だが」
「勿論。まだまだ生きてもらわなきゃ困るぜ」
「そうだな。ははは、お前も大概の寂しんぼだな?エルヴィス」
「ああそうだよ。俺だって寂しんぼだ」
2人は笑い合って、またグラスに口を付ける。
酒があるのは、良い。言葉に詰まった時、お互いにお互いではなく、グラスと向き合えばいい。言葉を吐き出す代わりに酒を飲みこんでしまえば、それで間が持つ。……昔であったら、こんな風に酒で間を持たせるようなことをせずともよかったのだが。
「……エルヴィス。いつだったか、聞いたことの結論は出たか?」
やがて、そうグレンから問われた時、エルヴィスは『なんだったっけ?』とでもすっとぼけてやろうかと、ちら、と思った。
……だが、それも不誠実だな、と思い直す。エルヴィスは元々、もう少し軽い性分だったはずなのだが、いつの間にやら、この誠実な人間につられて、随分と真面目になってしまった。
「ああ。結論、出したぜ」
一気に酒を呷ってグラスを空ける。なんとなく、昔のような飲み方をしてみたかった。そんなエルヴィスを見ていたグレンは少し笑うと、やはり、エルヴィスと同じように一気にグラスを空ける。
エルヴィスはそんなグレンを見て『おいおい、無茶するなよ』と言いたくもなったが、文句は言わないことにする。他ならぬグレン自身が自らの老いをないもののように扱いたいというのなら、今はそれに付き合いたいと思った。
どうやら、昔に戻りたいと思うのは、エルフも人間も同じらしい。
「……グレンが死んだ後、俺がどうするのか、だったな」
こんな話、したくねえなあ、とエルヴィスは内心でぶつぶつ言いながら、それでもきちんと言葉にすることにする。
「居る。俺、ここに残るよ。お前が死んでも、ずっと」
永遠に来てほしくないがそう遠くなくやってくる時にどうするか、エルヴィスはそう、決めているのだ。
「……そうか」
グレンは、ほっとしたような、じんわりと嬉しそうな、そんな顔をした。
「それは、よかった。俺も安心していられるというものだ」
グレンの嬉しそうな顔が、やはりなんとなく、老いを感じさせた。折角なら、『お前など居なくともブラックストーンは安泰だが?』程度のことを言ってほしかったような気もする。
「俺1人居たところで、解決できるもの、そう多くないと思うけどな」
「ははは、そうでもない。自分を過小評価するものじゃないぞ、エルヴィス」
いつの間にか、随分と頼られてしまったものだ。そして、頼りっぱなしでグレンは消えていこうとするのだから、余計に性質が悪い。
「レヴィもお前のことを気に入っている。エリンもそうだ。そして、他のエルフ達とブラックストーンを繋いでいるのは、お前だ」
「……うん」
エルヴィスも、分かってはいる。自分は随分と、人間の国に深入りしてしまったな、と。
よりによって、初めて出会った人間がその土地の次期領主だったのだから、仕方なかったかもしれないが……それでも、もしかしたら、違う未来もあったのかもしれない、とエルヴィスは思うのだ。
「エルヴィス。そんなお前には、これをやろう」
グレンはエルヴィスの複雑な心境をきっと知った上で、それを気にしないように振舞う。
エルヴィスに手渡されたのは、黒い石を艶やかに磨いて作られた、小さな石板のようなものだ。
「なんだこりゃ」
「ブラックストーン城の永住権だ」
……だが、突然降ってきた言葉に、エルヴィスは驚きつつ、石板を眺める。
そこには、人間の国の言葉で確かに、『2代目ブラックストーン領主であるグレン・ブラックストーンは、エルヴィス・フローレイが永久にブラックストーン城に滞在することを許可する』と刻まれており、更に、グレンの紋章が金象嵌で入っていた。
「聞いたことねえぞ、こんなもん」
エルヴィスは石板を眺めながら、何やら、途方もない気分になる。
『永久』は、人間とエルフとで大分異なる時間だ。エルフの『永久』は、人間1人にはおよそ理解しきれない時間なのだから。
「はっはっは、当然だ!こんなもの、他に一つとして例がありはしないのだから!」
だが、グレンは軽やかに笑う。
「お前の、お前の為だけの永住権だ。未来永劫、この城が残り続ける限り、お前はここに住んでいていい」
……にやり、と笑うグレンの顔を見て、エルヴィスは悟る。
人間であるグレンにはエルフの『永遠』を理解できないのだろうが、それでも、分かろうとしてくれてはいるのだ、と。
「この城の権利書にもそのように書き記しておこう。『城、ただしエルフ付き』と」
「はははは……そんな物件、他に無いかもなあ」
エルヴィスは笑って、手の中の石板を眺めた。
……これが救いとなるのか枷となるのかは、まだ、分からなかったが。
だが、悪い気分ではなかった。
……そしてその年の暮れ、グレンは死んだ。まだ、60歳だった。