王国歴40年:グレン・ブラックストーン
あれから4年。エリンは16歳の美しい少女となって、日々、学んでいる。また、弟のレヴィは次期領主としての勉強に忙しい。
……そして彼ら子供達の父であるグレンとその友エルヴィスは、王都の調査員への回りくどい嫌がらせに忙しい。
「調査員の買収は上手くいったな。おかげで今年もまた、エルフの森の調査は不発に終わった」
グレンは報告の手紙を机の脇に置くと、満足気にそう言って茶のカップを傾けた。この茶はエルヴィスに教わったエリンが淹れたものだ。エルヴィスもグレンの向かい側で同じ茶を味わいながら、『リリエが淹れたやつに味が似てきたなあ』とにっこり笑った。
「毎年毎年、調査員から『エルフの森に踏み入ろうとすると途端に霧が出て迷わされる』だの『矢による狙撃を受け撤退』だのばっかり報告受けてる国王はどういう気分なんだろうなあ」
「苛立ってはいる。だが、今年はエルフ達に雷を落としてもらう算段を付けてあるからな。流石に『未知なるものへの畏怖』が勝るだろう。あの手の人間が最も嫌がるものは、未知で、かつ自分より強大な者だからな!ふはははは!」
上機嫌のグレンは酒でも飲んでいるのか、という機嫌のよさなのだが、まあ、今回ばかりは仕方ないかもしれない。
グレンは非常に苦心して、あれこれ『嫌がらせ』に勤しんできたのだから。
……この4年間、グレンはエルフの森を守るべく、あの手この手を使って戦ってきた。
初めに行ったのは、調査員の買収。議会から任命された王立調査団員を買収し、エルフの森に踏み入らないように細工した。
勿論、それだけでは一時的な対策にしかならない。今の調査員を買収しても、別の調査員を派遣される可能性がある。であるからして、グレンは次に、ポーションの専売権を得た。
……専売権とは、その土地でしか産出しないものや製造できないものなどについて、領主が取りまとめて国内に流通させる権利のことをいう。主に不正な転売の防止や流通量の調整を目的としたものだ。実際のところは私腹を肥やしたい悪徳領主が利益の中抜きを行うため、自分を通さねば流通を行えないようにと『専売権』を行使することが多いのだが。
そしてその『専売権』を、グレンはポーションに適用した。ポーションを『専売』と国が認めるとは思えなかったため、最初は『ブラックストーンから売り出す独自の薬』についての専売許可を得た。そして2年ほどして、国内でポーションを利用する者がそれなりに増えたところで、『ところであの薬はエルフが作ったものであるので、エルフ製の薬はブラックストーンの専売とする』と権利の詳細を申請し直したのである。
……これについては流石に散々議論が行われたが、グレンが『森から出てきたエルフと交渉し、既に十年以上前から独自に販路を築いている。今回、この権利が認められなかった場合、ブラックストーンはエルフとの取引を解消する可能性がある』と持ち出せば、渋々、グレンの主張が通された。要は、国王も議会も、ブラックストーンが利益を得ること以上に、国内からポーションが消えることを恐れたのであった。
何故なら、ポーションを求める金持ちが、国中で『ポーションの流通を途絶えさせるな』と国へ圧力を掛けたからである。
ポーションの効能は、実際のところより更に誇張されて出回っていた。曰く、『これを飲めばエルフのようにいつまでも若々しく美しく居られる』だとか。
これについてグレンは正式に否定したのだが、人間の欲望は果てしない。『否定はされていたが、もしかするともしかするかもしれないだろう!』と、金持ちがこぞってポーションを買い求めることに変わりはなかったのである。
……これについてエルヴィスは『エルフって若々しいか?そもそも、美しいか……?』と首を傾げては、グレンに『無自覚も大概にしろ』と小突かれて『そっかあ、俺達、若々しくて美しかったのかあ……』と神妙な顔で呟き、それをカリーナにくすくすと笑われていた。
どうも、エルフと人間では、美醜の感覚も少々異なるようである。また一つ、勉強になったエルヴィスであった。
さて、専売権を取得したことにより、国内でポーションを流通させるにあたって必ず、ブラックストーン領の許可を得る必要が生じるようになった。
国王および議会がエルフの森を調査しようとした目的の1つは、間違いなくポーションであっただろう。だが、ポーションを売るにあたって一々ブラックストーン領の許可を取らなければならないのである。
これは間違いなく、国王や他の者達にとって屈辱的であろう。進んでその道を通りたいと思う者は一気に減った。これもまた、人間の性質である。
そして、『いっそエルフを攫ってきてポーションを作らせることにより、ブラックストーンの専売権そのものを破棄させるのはどうだ』と考えた者も居たのだが……こちらについては、グレンが上手くやり、ポーションを欲する金持ち達から『そんなことをしてポーションが出回らなくなったらどうする!』と圧力を掛けさせた。
グレンはこの数十年ですっかり立ち回りが上手くなっていた。
建国から間もない時代からは考えられぬほど、ブラックストーン領は安定した。
いつしか、ブラックストーンは『王国の要の一つ』とまで言われるようになっていったのである。
「王は不安なのだろうな」
茶を飲みながら、グレンはふと、寂し気に微笑んだ。
「帝国を自ら撃ち滅ぼしたあの方は、自らが誰かに滅ぼされることを恐れている。だから、ブラックストーンの成長ぶりがあの方には恐ろしいのだろう」
グレンの言葉に、エルヴィスは首を傾げる。人間の歴史は、エルフにとっては最近の出来事だ。建国から40年経った今でも、エルヴィスは『つい最近の出来事』として当時の様子を思い出している。
「自分がやったことが自分に跳ね返ってくるのが怖いってのは、どういう感覚なんだろうなあ……当たり前じゃねえのか?怖がるもんか?」
「まあ、人間の場合、寿命が短いからな。お前達エルフのように、何かをやったツケを生きている内に支払うとは限らないのだ」
エルヴィスの時間の感覚に、グレンは苦笑しつつもそう言って、そして何やら、また寂し気な顔をする。
「……人間の歴史は、愚かしいことの連続かもしれないな」
グレンの顔を見ていて、ふと、エルヴィスも寂しくなった。
グレンはすっかり落ち着いていて、どこか枯れた木のような、そんな雰囲気すら纏うようになっていた。
……要は、老いたのだ。
「……愚か、かもしれねえけど、俺は好きだぜ」
エルヴィスはその寂寥を胸の奥へしまいつつ、笑ってみせる。
「人間って、エルフより一生懸命生きてるんだな、ってのが、ここで暮らしてて分かったよ。人間は一生懸命だから、凄い早さで歴史が動いて、繰り返していくんだ。そうだろ?」
国を滅ぼした者が、滅ぼされることを恐れるのも。繰り返すことを恐れながら、それでもそう遠くなくきっと歴史が繰り返すであろうと分かっていることも。それら全てが、人間の生き様であって、エルフには無いものだ。
「そうか……ふふふ、そうか、人間は、一生懸命か」
「ああ。お前も一生懸命だよなあ。お前と一緒に居ると、俺まで一生懸命になっちまうけどさ」
「それならば是非、このままブラックストーンに居るといい。そして一生懸命生きろ」
「うーん、ずっとこの調子だと疲れちまう気もするんだけどなあ」
2人は笑い合って、それからふと、静寂が挟まる。
会話の隙間、唐突な静寂は、何かの終わりを想起させるには十分なものだ。
「……なあ、エルヴィス」
「うん」
「そろそろ国王は死ぬだろう」
「うん……えっ、お前、そういうこと言ってると不敬罪とかで殺されるんじゃなかったか!?」
エルヴィスは唐突なグレンの発言に、慌て慄く。
……エルヴィスがまだ人間の世界のことを碌に何も知らなかったころ。うっかり城の外で『今の王様ってバカなのか……?』などと言っては慌てて口を塞がれていたものだ。それらの経験によって、エルヴィスは『不敬罪』なるものの存在を学習したのだが。
「まあ、俺とお前しか聞いていない場だ。そうとやかく言うな」
「なんか納得いかねえけどまあいいや。うん。そうだな。王はもうすぐ死ぬ。うん……」
エルヴィスは気を取り直して、国王の年齢を考える。
……然程詳しくはないエルヴィスだが、今の国王がもうじき70になることは知っている。『人間にしては長生きだよなあ』と、エルヴィスは何やら釈然としない気分になった。早めに死んだ方がいい者ほど生き残るような気がする。否、そうでもないのだろうか。人間の文化や風習は、未だ、エルフには難しい。
「そうなればまた次の時代がやってくる。はじめの内は、大いに荒れるだろうな。何せ今の王子は、王になりたくとも譲位されずにやきもきさせられているところだから」
グレンは苦笑しつつそう言う。エルヴィスにもその『王子』についての知識は多少、あった。
王がいつまでも玉座にしがみ付いているあまり、王子は既に40を超えている。そろそろいい加減に譲位を、と国内でも声が上がっているらしいことは、エルヴィスの耳にもグレン伝いに届いていた。
ああ、まあ、人間って世代交代が早いもんなあ、とエルヴィスはしみじみ思うのだ。
「そしてその時、私が居るとは限らない」
……だが、そう言われてしまうと、エルヴィスの思考は止まってしまう。
「……もうじき、父上の年齢を超える」
「まだ早いだろ。前領主様だって、若すぎた」
焦りのような気持ちを抱えて、エルヴィスは咄嗟に反論した。
事実では、ある。グレンの父は、死ぬには少々、若すぎた。もう少しばかり、長く生きてもよかっただろうとエルヴィスは思っている。今の王が70近くまで生きているように、グレンの父も、それくらい生きていてくれてよかったはずだ、と。
「そうかもしれんな。だが、俺自身、老いを感じてはいる」
……だが、グレン自身がそう言うものだから、エルヴィスはそれ以上の反論を失ってしまう。
「俺は今の王のように、領主の座にしがみ付く気は無い。レヴィが育ったら、さっさと隠居しようと思っている」
窓の外を眺めるグレンの横顔は、やはりどうにも、老いて見える。
おかしいよなあ、とエルヴィスはどこか遠く思った。まだ、出会って30年と少しだ。だというのに、人間はどうして、こんなにも早く、消えていこうとするのだろうか。
「……エルヴィス」
何も言えずにいるエルヴィスに、グレンは真正面から、問うてきた。
「その時、お前はまだ、ここに居てくれるか?」
「俺が居なくなった後、どうか、ブラックストーンを支えてほしい。不安定になる国の中で、エルフの森を守り、ブラックストーンを守るために、きっとお前の助けが必要になる」
咄嗟に、エルヴィスは何も答えられなかった。
そして、答えられない自分に、戸惑う。
「……考えとくよ」
結局、冗談めかしてそう言って、上手く作れていないであろう笑みを浮かべてみせることしかできない。
「まあ、そうは言っても、俺はまだまだ生きるつもりではあるがな。あと10年くらいは」
「折角だからあと100年くらい生きといてくれよ」
「流石にそれは無理だぞ、エルヴィス」
冗談の応酬のように本音を吐き出して、エルヴィスはひっそりと1つ、ため息を吐いた。
……そろそろ、気持ちの整理を付けなければならない。