王国歴36年:グレン・ブラックストーン
ブラックストーン領は、平穏であった。
領主グレン・ブラックストーンの手腕は確かなもので、国王とも良好な関係を築き、かつて帝国に与していた者、という印象を払拭してみせていた。
そしてブラックストーンは、エルフの加護によって毎年の豊作を達成していた。おかげで納税に困ることも無く、領民が飢えることも無く、平穏に、かつ豊かに日々を送っていたのである。
……ブラックストーンは辺境でありつつも、国内の主要な土地の1つとして数えられるようになっていた。
だが、そんな状況においても、ブラックストーンとエルフの里の交流は、あくまでも秘密裏に、こっそりと、他の領地には内緒、という形で行われていた。
「エリン!レヴィ!!こんにちは!」
「会いに来たよ!」
「わあ、たった1年しか経ってないのに、もうこんなに大きくなっちゃったの!?」
その年も、エルフの一団はぞろぞろとやってきて、そして大いに喜んだ。何故かと言えば、簡単なことである。……人間の子供、というものは、エルフ達にとって非常に珍しく、可愛らしく、見ていて楽しい生き物なのだ。
「こんにちは!お久しぶりね!」
「えっ、久しぶりなの?……1年って、人間にとっては久しぶりなんだっけ」
「あのね!僕は、1か月でも久しぶりだと思うけど!」
エルフ達は、2人の子供を前に、にこにこと上機嫌だ。今年も、人間の子供達は見ていて楽しいらしい。
……エリンは12歳の少女となっていた。2歳年下の弟であるレヴィと共に、エルフに大人気である。
「人の子達!お土産よ。またケーキを焼いてきたわ。この間、美味しいって言ってくれたから、嬉しくてまた焼いてきたの」
「わあーい!僕、リリエさんのケーキ、ママのケーキの次に好き!」
「子供達よ!君達のために、森で織物を作ってきたよ!これで服を仕立ててもらってほしい!」
「ありがとう、おじさま!」
「おい!皆、聞いたか!?おじさまって言われた!おじさまって!」
「馬鹿野郎、お前はもうおじいちゃんだ!500歳越えたら人間にとってはおじいちゃんなんだぞ!俺は詳しいんだ!」
……子供達とエルフ達は、それはそれは楽しそうにはしゃいでいる。
子供達にとって、このエルフ達は小さな頃からの付き合いのある、風変わりな友人達、といったところであるらしい。遊び相手でもあり、学ぶ相手でもあるのだ。
「今年も随分と楽しそうだな」
「だな。全く、あいつら600歳近くなってあんなにはしゃいじまって、まあ……」
そんな子供達とエルフ達を、グレンとエルヴィスはのんびり見守っていた。
「エルヴィス。エルフにとって、おじいちゃんとは何歳くらいのことを指す?」
「えーと、700か800ぐらいか?」
「なるほどな……人間からしてみると、60にもなれば大体おじいちゃんだが。はっはっは」
笑うグレンは今年で46歳だ。子供達がすくすくと成長していくのと同じ早さで、グレンは次第に老いていく。昔のように馬を乗り回して一日中領内を巡っているようなことは、もうできない。
友が老いていくのを見ると、エルヴィスはどうしようもない不安に駆られる。『まだ大丈夫なはずだ』と思いつつも、『だがそう遠くはない』とも理解している。グレンの父は、55で死んだ。グレンは幾つまで、生きていてくれるだろうか。
「グレン!ポーションの取引について、話を聞きたい!いいだろうか?」
「ああ、喜んで」
エルフの1人に呼ばれて、グレンはそちらへ行く。エルヴィスはまた子供達とエルフ達との交流に目を向けた。エルフ達は子供達の話を興味深そうに聞いては楽しそうにしているし、子供達はエルフに話を聞いてもらえるのが嬉しいらしく、頬を紅潮させてあれこれ沢山喋っていた。良い眺めである。
「ねえ、エルヴィス。ちょっといい?」
だが、そこへエルフが1人、やってくる。エルヴィスより少し年上の……今年で70程になるエルフである。
「最近、森に人間がよく来るのよ。弓で脅かして帰しているけれど……少し、心配で」
「えっ?」
少々意外な内容に、エルヴィスは戸惑う。
ここ数か月間、エルフの森には帰っていなかったが、いつの間にかそんなことになっていたとは。
「人間達の側で、何かあったのかしら?」
「さあ……少なくとも、ブラックストーン内じゃ、そういう話は聞かねえけどなあ」
困惑しつつ、エルヴィスは、ちら、とグレンの方を見る。だが、グレンは今、ポーションについての取り決め中だ。恐らく、新しい種類のポーションを人間の世界に流通させたい、という話なのだろうから、今は邪魔したくない。
「人間が森に来る、って、どういう目的でだ?」
「そうね、森の植物を勝手に持って行っちゃうのよ。だから多分、密猟目的?」
「成程なあ」
エルフの森には、希少な植物も多い。薬草の類も、美しく珍しい花も、沢山ある。それでいて、それらは人間の世界には存在しないものだから、売れば高値で売れるのだろう、と思われる。だからこそ、エルフの里との交流は、ブラックストーンにとって利になるのだが……。
「森に侵入してくる奴らって、ここの人間達とは大違い。こっちの話を聞かないし、嫌がる植物を無理矢理に抜いて行こうとするし、エルフを見つけたら攫おうとしてくるし……」
「えっ!?エルフも狙われてるのか!?」
これには少々強いショックを受けて、エルヴィスは声を上げる。まさか、植物だけでなく、エルフ自体までもが狙われるとは!
「ね。びっくりでしょ?」
「ああ……いや、でも、初めて会った時から、グレンは俺の耳、隠しておくように言ってたから……そっか、本当にこうなるんだな……」
エルヴィスは人間の世界での生活に慣れてきたが、ブラックストーンの外のことはほとんど分からない。だが、ブラックストーンの人々が特別に善良なのだ、ということは、もう何となく分かっていた。領地の外には、恐ろしく野蛮な人間だっているのだ、と。
「エルヴィス。何の話だ?」
エルヴィスが悩んでいると、つかつか、とグレンがやってきた。堂々とした所作は昔と変わりなく、しかし、やはり領主として板についていることを実感させるものである。
「ああ……なんか、エルフの森に人間が侵入しようとしてくるの、増えてるらしくて」
ポーションの話を邪魔しちまったかな、とエルヴィスは内心で申し訳なく思いつつも、特に隠すことも無くグレンにそのまま相談する。なんだかんだ、2人はこの20年以上の時を、こうやって過ごしてきたのだから。
「ほう?人間が、侵入……?」
「そうなの!人間が来るものだから……小さな子供が森の入り口で遊んでいるだけなら追い返しやしないんだけれど……多分、それなりに大きくなった人間だと思うのよね、森の奥まで入ろうとしてくる奴らは。それで、そいつらが植物をいじめたり、連れていったりしようとするもんだから……」
相談してきたエルフ本人もグレンにそう訴えかける。グレンは『ほう……』と頷きつつ、少々何かを考え始めた。
……そして。
「そういうことなら、協力しよう。人間のことは人間に任せてほしい。我らは友人なのだから!」
力強い笑みを浮かべて、グレンはエルフと握手した。善良な人間がこのように自信に満ちているところは、何とも眩しく頼もしいものである。エルヴィスも相談してきたエルフも、グレンの様子を見てどこか安心できるのだ。
「……それに、実は心当たりもある」
が、エルヴィスとしては、続いたグレンの言葉に、少々の嫌な予感を覚えないでもない。
「心当たり、っていうと?」
「ああ……恐らくは、王都の調査員だろうな」
更に続いた言葉にいよいよ『こりゃ面倒なことになるぞ』と予感および理解しつつ、エルヴィスはげんなりとした顔をグレンと見合わせるのだった。
「エルフが住まうと噂される未開拓の森を調査せよ、という話が、つい最近、議会から発表されたんだ」
エルフ達がそれぞれに中庭やその他城の中で年甲斐も無くはしゃぐ中、グレンとエルヴィスは情報共有がてら話していた。
「経緯が今一つ、分からなくてな。調査はしていたんだが……そうか、既に人間の手が入っていたか」
グレンは深刻そうな顔でまた悩み始めた。その様子を見ていて、エルヴィスは少々、不安になった。
「なあ、今からでも間に合うか?もう色々決まっちまった後なんだろ?俺に何かできることはあるか?」
「まあ落ち着け、エルヴィス。俺に任せろと言っただろう?」
だが、グレンは落ち着いたものだった。エルヴィスをどうどう、とばかりに落ち着けると、にやり、と笑ってみせる。
「人間を相手にするときは、人間を頼るべきだぞ。お前には頼れる親友が居るのだからな!」
……不思議なことに、こうしてグレンの顔を見ていると、エルヴィスの不安は溶けて消えていくように思えた。実際、何も変わっていないというのに。ただ、グレンがここに居て、頼っていいのだと思い出しただけで、こんなにも心持ちが違う。
「おう。頼りにしてるよ、親友。……で、そんな頼れる親友はどういう策を考えてるんだ?」
幾分落ち着いて、エルヴィスはそう問う。
……人間の世界に多少馴染んだエルヴィスから考えてみても、どうも、打てる手は然程多くないように思えたのだ。
エルフの森の警備を強化するか、はたまた、エルフの森に一番近い領地であるオウルツリーに協力を仰ぐか。或いは、国王への直訴か……。そんなことを思いつくが、どうにも、実現が難しいように思える。そしてエルフの森を狙う国王の意図が分からない以上、どうにも、不安は残るのだが……。
「まあ、嫌がらせをしてやろうと思って」
あっけらかん、と、グレンはそう言った。
「人間が嫌がることは、人間が一番よく知っているからな!ふはははは!」
……高らかに笑うグレンは、少々大人げない。
つまり、楽しいことがこれから起こる、ということだ。エルヴィスもまた、ほんの数十年前を思い出しながらにやりと笑った。