王国歴18年:グレン・ブラックストーン
ブラックストーン領は、近隣諸侯からも一目置かれる存在となっていた。何せ、『戦後の大増税』を切り抜けた、数少ない領地の内の1つであったからだ。
倒れた領主に代わって未だ年若い次期領主が領地の舵取りを担ったと聞いて驚く者も領外には多かったが、ブラックストーン領の領民達は皆、『ああ、あの人達ならやってのけるだろう』と皆納得した。
グレン・ブラックストーンが風変わりな友人と共に領地を治めている、という話は、領内では有名なのだ。
その日、エルヴィスはブラックストーン城でそわそわと待っていた。そわそわ、そわそわ、と落ち着きのない様子に、城内の使用人達は『あらあら』と微笑まし気であったが、それすら気にならない勢いでエルヴィスはそわそわしていた。
……そうしてそわそわと待つこと半日。ひひん、と馬の嘶きを遠くに聞いて、エルヴィスはぱっと飛び出していく。
ブラックストーン城の見張り塔へさっと登って上から見れば、こちらに馬車が向かってきているのが見えた。
馬車の紋章は、ブラックストーン家のものである。
「グレン!おかえり!」
エルヴィスが塔の上から声を張り上げれば、馬車が止まり、中からグレンが顔を出す。その表情は明るく、達成感に満ちていた。
「エルヴィス!成功だ!交渉は上手くいったぞ!」
待ちきれなかったエルヴィスは門のあたりで馬車を待ち受け、降りてきたグレンをすぐさま捕まえた。早く詳細を聞きたい、と、いままでのそわそわを返上する勢いでグレンに詰め寄る。
「まあ、そう急くな。父上にも報告したい」
「あ、そうだよな。うーん……じゃあ、俺も同席する」
「構わないぞ。よし、共に行こう」
2人は早速、グレンの父の寝室へと向かった。倒れて以来、グレンの父はよく持ちこたえていた。病床に就いてはいたが、体の調子が良い時には起きて、グレンの執政を補佐し、助言を齎して、少々早く急であった代替わりを進めている。
……これについて、グレンもグレンの父も、『エルヴィスのポーションが無ければ、間違いなく望めなかったことだ』と零していた。
もしかしたら、満足に代替わりの引継ぎもできないまま、急な別れとなっていたかもしれない。だが、その運命を変えたのはエルヴィスであった。
間違いなく、エルヴィスの功績であったが……エルヴィスはこの3年間、折に触れて、人間とエルフに流れる時間の違いを意識させられている。
「……ということで、交渉は成功しました。食糧を王都へ流通させることを条件に、税率を大幅に引き下げさせてやりました!」
「おお……それはよかった!」
ベッドの上の領主に報告すれば、領主は笑って頷く。『よくやったな』と言葉を掛けられて、グレンが嬉しそうな顔をした。
……今回、グレンが国王へ持ち掛けた交渉は、『悪天候に見舞われ、食糧不足に陥ることが予想される王都に食糧を融通してやる』という、非常に単純なものだった。だが、単純故に、強い。
王都ではここ3年、狙い澄ましたかのように訪れる悪天候や近隣からの流通の制限、そして謎の不作などに見舞われて、食糧不足に陥っていた。3年目になる今年はいよいよ蓄えも尽きて、ブラックストーンやその他の領地の助けを必要とするまでになってしまったのだ。
「これも、王都を襲った悪天候と、エルヴィスがもたらした実りのおかげです。……ありがとう、エルヴィス」
「いや、ここまで上手くやりくりできてたのは間違いなくお前の手腕だろ。それに、頑張ったのは俺じゃない。植物達だからな」
……悪天候は、エルヴィスが狙って起こしたものではない。純粋に、そうした風のめぐりがやってきただけだ。……エルヴィスが里の老エルフに『何年後ぐらいに悪天候来るかなあ』と相談し、『そうねえ、多分、3年後くらいじゃないかしら。遅くとも5年以内には風が乱れるわねえ』と返答を貰っていたことは確かだが。
その一方、『謎の不作』はエルヴィスの手腕によるものである。エルヴィスはグレンと共に王都旅行へ出かけ、そこの植物達に『ここで頑張ってもあんまり意味がないぞ。折角ならブラックストーンに来て頑張れ』と吹聴して回ったのである。植物達は素直に成長を止めた。
エルヴィスはそんな植物達を救うべく、きちんと来年分の種籾を買い占めたので、1年頑張ることをすっぽかした植物達は翌年、ブラックストーンですくすくと成長して『エルフの言うとおりだった!』と喜んだ。王都は苦しんだが。
……そして、グレンは王都の不作が人間達には見通せない状況下で、近隣諸侯と国王へ働きかけた。それは、今の増税を受け入れる代わりに、これ以上の増税は止めること、そしてブラックストーンを含めた近隣の領地から王都への食糧の流通を制限すること。その2点である。
元々、王都は直営の穀倉地帯を持っている。そこでの収穫が見込める以上、近隣からの食糧供給が途絶えても問題ない。近隣諸侯が一斉にそれを言い出したことに国王は少しばかり不安を覚えたかもしれないが、結局は『これだけの増税と引き換えに食糧流通が途絶える程度なら、むしろ願ったり叶ったりだ』と判断することになった。
……どうも、国王は元々、ブラックストーン他いくつかの領地に対して、減税の嘆願をさせるべく増税を決定していたらしい。嘆願によって、国王への帰属をより強固な繋がりとし、全ての土地、全ての人を統治下に置く、という目的があったらしいのだ。
だが、それが叶わずとも、増税された分だけ収入が増えるのならそれはそれでよい、と判断してしまった。……国王は、目先の利益に目がくらんだのである。
そして、王都を不作が襲った。エルフには見通せていた不作だが、国王をはじめとした人間達にはまるで予想できなかった不作である。
王都は2年で音を上げそうになったが、国王がそれを抑え込んだ。来年はきっと豊作になる、と信じたのである。
……そして迎えた3年目、またもや不作、との報告を受けて、いよいよ、国王は折れることになった。それまでに張り巡らされたグレンの策略に絡めとられて、国王はすっかり身動きが取れなくなっていたのである。
国王の慢心とグレンの策略、そしてエルヴィスのエルフとしての力が噛み合って、無事、ブラックストーン領をはじめとするいくつかの領で『減税するので食糧の流通を再開させるように』という決定を受けることができたのであった。
「3年、か。長かったが、戦い続けた甲斐があったな」
報告を終えたグレンは、自室でエルヴィスと共にワインの瓶を開けながら感慨深そうに言った。
「ま、お疲れ。これからまた大変だろうけど、えーと、お前とか、他の領主とかが力を増した分、国王が何かしても抑え込めるようになった、んだろ?」
「ああ。状況は間違いなく、良くなっていくだろうな」
窓の外には星が輝き、2人の勝利をささやかながら祝福しているように見えた。こんな夜は、2人でひっそりと祝杯を挙げるに相応しい。
「……あそこで折れていたら、下手をすればブラックストーンはそのまま接収されていただろう。父上の体調のことも鑑みれば、王がそれを狙っていたとしてもおかしくはなかった。そしてブラックストーン家を断絶させてしまえば、より王国は安定しただろうからな」
グレンはそう言って笑う。だが、その笑顔の裏には、もしかしたら起きていたかもしれない悲劇が横たわっているのだ。
父が死に、国王がブラックストーン領に圧力を掛けてきていたら。そこに、エルヴィスが居なかったら……グレンは1人で、ブラックストーンを守りきれただろうか。
「なあ、グレン。国王はブラックストーンに何か恨みでもあるのか?」
「そうだな……元々、ブラックストーン家は帝国側の人間だったからな。警戒されるのも理解はできる」
「あー、本当にそれだけなのか」
「だと思うぞ。個人的な恨みを買った覚えは無い」
帝国が王国になって、そろそろ20年が経つ。その間、王はずっと、自らの地盤をひっくり返されないよう、周到に出る杭を叩き、芽生えた芽を摘み取っていた。
自らが反乱を起こして帝国を打ち破っただけに、自分がうち破られることを危惧しているのだろうが、それによって圧力を掛けられる側であるブラックストーンからしてみると、たまったものではない。特にエルヴィスなどは、『そうしなきゃ保てない国なんて、保たなくていいんじゃねえか』などと思ってしまう。
「……人間ってのは、難儀な生き物だなあ」
エルヴィスはそう呟いて、ほぼ空になったグラスに残った葡萄酒を舐めるように飲む。エルヴィスは酒に強くはないが、飲むのは嫌いではないのである。
「まあな。数が多いということは、その分だけ理想も思想も存在するということだ。それらが1つにまとまることなど、恐らく永久にあり得ない」
グレンは葡萄酒を一気に呷って、はあ、と息を吐く。吐き出した息はため息にも似ていたが、その目にはぎらりと、力強い光が宿っている。
「……だからこそ、少しでも世界を自分の理想に近づけようと、人は足掻くのだ。俺はそれを、無駄だとは思わん」
「おおー……」
「まあ、お前の言う通り、難儀だとは思うがな」
ぱちぱち、と小さく拍手をするエルヴィス相手に、グレンは少々照れたように笑って、瓶からグラスへもう一杯葡萄酒を注ぐ。エルヴィスが『俺も俺も』とグラスを寄せれば、そちらにもなみなみと紅い葡萄酒が湛えられた。
1杯酒が入って幾分陽気になった2人は、『かんぱーい!』と元気に笑みを浮かべて、また葡萄酒を呷る。
「まあ、兎角、我らの勝利だ!今夜は大いに祝おうじゃないか!」
「おう!悪くねえな!」
2人は今までの苦労も、これからの不安も忘れて、今宵だけは大いに楽しむことにした。明日からはまた、グレンは近隣諸侯や王相手に忙しくなり、エルヴィスは植物相手に忙しくなるだろう。グレンの父の容態も、これからの舵取りも、今後の王の対応も、考えなければならないことも受け入れなくてはならないものも、多くあるだろう。
だが、今だけは。
「人間にかんぱーい!」
「ああ!そして、人間とエルフの友情と勝利にも、乾杯!」
……生きる時が違えども、今この瞬間を同じくする2人であるのだから、何もかも忘れて楽しく過ごしても良いだろう。
それから。
秋の収穫期を迎えてみれば、分かり切っていたことではあるが今年もブラックストーン領は豊作で、食糧を王都へ融通しても何ら問題の無い豊かさを手にしていた。
王も食糧を融通されて王都を生き延びさせているという自覚がある以上、減税の約束を反故にするようなこともなく、ブラックストーンは非常に平和であった。
秋の収穫祭はいよいよ盛況であったので、グレンもエルヴィスも、これを大いに楽しんだ。
だが……冬を迎え、新年を間近に控えた、祝祭の日。
祭に賑わう町を城内からそっと見守って、グレンもエルヴィスも、沈んだ面持ちでいた。
……いよいよ、グレンの父の容態が悪化していた。