王国歴15年:グレン・ブラックストーン
その日は雨が降っていた。エルヴィスは窓辺でふんふんと鼻歌を歌いながら、魔法の道具の手入れをしていた。
各種エレメントを多く含む材料は、いくらあっても困らない。火のエレメントを多く含むイラクサやシナモン、水のエレメントを多く含む貝殻や魚の鱗、風のエレメントを多く含む綿毛や鳥の羽、地のエレメントを多く含む木の根っこや小石。そういったものを整頓して、エルヴィスの部屋の棚へ収納している。
そして丁度、昨日は諸々を収穫してきたところだった。たっぷりと生い茂ったローズマリーを剪定しがてら、その枝をたっぷり頂いてきたのだ。これらは束ねて吊るして干しておく。乾いたら棚に収納して、使う時まで眠らせておくのだ。
「よし。じゃあ煮込むかあ」
さて、整頓を終えたエルヴィスは、棚に収めなかったもの……ヒースやローズマリーを乳鉢で磨り潰したり、鍋の中にリンゴの花や杏の実、水晶の欠片などを放り込んで煮たりし始める。最近エルフの森に里帰りしたので、その時に持ち帰ってきた硝子百合や夜光樹の枝も使うことができた。
各種エレメントの調整が上手くいったら光のエレメントを抜いて、そして最後に水を足して調整する。
ぴたり、と丁度いいところで止めて最後に数度かき混ぜてやれば、エルフのポーションの完成だ。
「エルヴィス。いいか」
「おう。開いてる」
そこへ、グレンがやってきた。きい、とドアが開いて、少し忙しない様子で部屋に入ってきた。
「丁度できたところだ。これ、今日の分」
「ああ、ありがとう」
グレンはエルヴィスからポーションのカップを受け取ると、それを持ってまた部屋を出ていった。エルヴィスはそれを見送って、片づけを始める。鍋を洗って乾かして、瓶詰のポーションを棚に収納して……そうしていると、またグレンが戻ってきた。
「領主様、調子どうだ?」
「ああ、大分いいらしい。お前のおかげだ」
グレンは先程よりも幾分、落ち着いた顔をしていた。それを見てエルヴィスは『よかった』と笑みを漏らす。
「……すまないな。父上のために、ポーションを作らせて」
「いいんだ。領主様には世話になってる。これくらいはさせてくれよ」
……そう。最近、グレンの父であるブラックストーン現領主は、臥せっている。
グレンの父が倒れたのは、2週間ほど前だった。
公務の途中、急に倒れた時には、城中が大慌てであった。だが、その時もエルヴィスが咄嗟に作ったポーションがあったため、グレンの父はなんとか一命を取り止めたのである。
……それに伴って、エルヴィスがエルフであることが城の中で露見したが、実に今更であったので誰も何も言わなかった。それはそうである。既に7年居候している男が、その7年でほとんど容姿も変わらず、『人間ってすごい!面白い!』と日々目を輝かせていれば、嫌でも『こいつさては人間ではないな?』と気づくものである。
さておき、エルヴィスのポーションはその有用性を認められ、その後も継続してグレンの父に与えられるようになった。
癒しのポーションは、体の治癒能力を高め、痛みを和らげる効果を持つ。これがグレンの父にはありがたかったようで、なんと、エルヴィスはポーションの礼に、と、領主から直々に短剣を賜っている。
エルヴィスは自分が役に立てた喜びを味わいつつ……だが、それ以上に、不安と困惑を抱えて、今に至る。
「お幾つだったっけか、領主様は」
「今年で51になられたはずだな」
「51、かあ」
エルヴィスとグレンは今年で25歳になる。まだまだどちらも、死からは遠い年齢だ。
……そしてグレンの父もまた、まだ、死から遠い年齢であるように思うのだが。
「まあ、早くはあるが……父上も、もうお年を召しておられるからな」
グレンが諦めたようにそっと嘆息するのを見て、エルヴィスの焦りはより強くなる。
「おい、グレン。まだ50年だろ?人間って100年くらいは生きるんじゃねえのか?」
「長ければ、な。100まで生きる者など、ほんの一握り……いや、一つまみしか居ない」
グレンは苦笑しながらそう言って、それから、ふと、エルヴィスを見て悲しそうに笑った。
「エルフは……1000年生きるのだったか」
「ああ、うん……そうだな。大体は、1000近くまでは、生きる。1000を超える奴も、いる」
「そうか」
グレンが何を思ったのかは、分からない。グレンは『そうか』と言ったきり前を向いて、そのまま黙ってしまったから。
……だが、エルヴィスはなんとなく、何が続く予定だったのか、理解していた。自分自身で強く強く、思っていたことだったから。
「……エルフは人間と一緒には居られない、って言ってる奴が、里に大勢いてさ」
ずっと、知識にはあった。知ってもいた。だが、『こういうことか』と実感できたのは、ここ2週間が初めてだ。
「こういうことなのかもな」
「……そうだな」
人間とエルフは、寿命が違う。
それをようやく、エルヴィスは理解し始めていた。
ブラックストーン領主が臥せっているともなれば、その公務は代わりに次期領主であるグレンが遂行しなければならない。グレンは大層忙しくなってしまった。
今までも、次期領主として公務に携わることはあったが……『今まで、俺は大分自由にやらせていただいていたからな』とグレンが苦笑して言う通り、今までとは大きく状況が変わった。
外に出て領民の様子を見たり畑を見たりするのが好きだったグレンだったが、城から一歩も出られない日が続いた。
エルヴィスの話を聞いたり、人間にも使える魔法の開発を進めたりすることもできず、朝から晩まで公務に明け暮れてはそのまま泥のように眠ってしまう日も多かった。
……エルヴィスも、手伝えることはできる限り手伝った。一応、7年は一緒に居たのだ。多少は仕事のことも分かる。
だが、7年前には人間の常識すら危うかったエルヴィスには難しいことも多い。結局のところ、手伝えることは限られる。
「どうにかしてえなあ」
グレンが去っていった後で、エルヴィスはため息を吐く。
……グレンの父が死んでしまったらどうしよう、と、大いに心配しながら。
「この7年で食糧問題が大幅に改善したのが幸いだったな」
翌日、昼食を摂りながら書類を捲るグレンは、そう零した。グレンの執務室で昼食を摂ることにしたエルヴィスはその言葉を聞いて、俺が居た意味はあったな、と少しばかり思う。
「おかげでブラックストーンは治安がいい。労力を治安維持に然程割かなくともよいのは、ありがたい限りだな」
「お前と領主様の功績だな」
エルヴィスが来たばかりの頃は、野盗も多く、お世辞にも治安が良いとは言えなかった。ただ、治安が悪いというよりは人が少なかったこともあり、そこまで酷くはなかったが……それでも、当時と比べれば今の状況は、見違えるような変貌ぶりである。
食糧問題はエルヴィスの魔法によって大きく改善され、それによって人々が奪い合わずとも生きられるようになり、治安は良くなり、治安が良くなったことによって領民が増え、より多くの土地が耕された。
エルヴィスがここに居るからか、すっかり荒れて乾ききった土地は、いつの間にやら草を芽生えさせるようになっていた。今や、ブラックストーンの大地は乾いた土と石の色ではなく、柔らかな草の色に染まっているのだ。
……だが、領地が良くなっても、それだけでやっていける程、人間の国は単純ではないのである。
「まあ……贅沢を言うなら、もう少しばかり、国からの覚えが良ければ尚良かったが」
グレンはため息を吐きながら、また書類を捲る。
……グレンが見ているのは、国王からの通達である。この度、ブラックストーン領に掛けられる税がまた増えたらしい。どうも、『栄えているならそれに見合うだけの税を納めよ』とのことであるらしいのだが、それにしても、少々行き過ぎて割に合わない税額であった。
「……結局は嘆願書を提出する羽目になりそうだ。やれやれ、王都へ行かねば。狙いに乗ってやるのは癪だがな」
この税率の通達は、間違いなく、グレンを王都へ呼び寄せるためのものであろうと思われた。そしてグレンから減税の嘆願書が提出されたなら、それを了承する代わりに『貸し』とするのだ。そうして国王は、より徹底した統治を進めていくつもりなのだろう。
「俺が代わりに行こうか?」
「やめてくれ。それでうっかりお前自身を税金代わりに持って行かれてはたまらない」
グレンが苦笑するのを見て、エルヴィスは頷きつつも項垂れる。
エルヴィスも、人間の世界で生きていて、大分分かってきた。エルフというものは大分希少な生き物だと思われていて……少々後ろ暗い所へ行けば、エルフの髪だの爪だのが法外な価格で売り捌かれているのを見ることができる。大抵は紛い物であったが、その中にもいくらか、本物のエルフの髪や爪があるように思われた。
そして何より……人間達の間には、『エルフの涙』の噂が流れている。
どこから知ったのか、エルフの涙は宝石になって流れる、などと流布している者が居るらしい。さて、こうなってしまうと、エルヴィスは下手に動けない。心悪しきものに捕まってしまえば、エルヴィスはまず碌な目に遭わないだろう。
「まあ、心配するな。この『借り』は必ず返してやるからな」
グレンはそう言うと、笑って手紙を書き始める。国王宛てに、訪問の予定を知らせる手紙を書くらしい。
「そして……必ずや、ブラックストーンをこの国の中心にしてやる。我らを追いやりたい国王の思惑になど、乗ってやるものか」
牙を剥く狼のように、険しくも好戦的な笑みを浮かべて、グレンは手紙を書き綴る。笑みの獰猛さに対して、手紙の文面も文字も、柔らかで紳士的であった。
……そんなグレンを見ながら、エルヴィスは思う。
自分には何ができるだろう、と。
これから長く生き、しかし今まで長く生きたわけでもない自分に、一体、何ができるのだろう、と。
「なあ、エルヴィス」
悩むエルヴィスに、グレンはふと、言った。
「多分、お前には、俺の代わりに政治をするのは、無理というものだぞ」
丁度考えていたことをぴたりと言い当てられて、エルヴィスはぎょっとする。まさか、人間が読心の魔法を使うとは!
「だがな、エルヴィス。お前に俺の代わりができないように、お前には、俺ができないことを成し遂げる力がある」
驚いたエルヴィスに笑いながら、グレンは続けた。
「だから、お前はお前のやり方で俺を助けてくれ」
目が覚めるような思いで、エルヴィスはグレンの言葉を聞いた。
グレンは人間であり、エルヴィスはエルフであるが……だからこそ、同じようなことをする必要は無いのだ。お互いに、お互いの強みを以てして、助け合えばいい。
きっと、それが人間とエルフの、あるべき関係なのだろう。
「……なあ、グレン」
光が差すような気持ちで、エルヴィスはグレンの顔を見上げる。
出会った頃には丁度同じくらいだった身長だが、いつの間にか、グレンの方が少し高くなっていた。
「俺、思ったんだけどさ。そもそも、減税の嘆願なんてしなくていいならそれで済むんじゃないか?」
グレンはエルヴィスの言葉にきょとん、として、ふむ、と首を傾げる。
「まあ……そうなったらそうなったで、翌年に更なる増税を課されるだろうが」
「でも、増税には限度があるだろ?……流石にあるよな?」
「そうだな。ブラックストーンにばかり重税を課していれば、近隣諸侯からの反発があるだろう。皆が『明日は我が身』と怯える国は、どうせ立ち行かなくなるからな」
グレンの言葉に、エルヴィスは笑みを浮かべる。ようやく、答えを見つけたような気持ちだった。
「なら、重税を課されてもいいくらい、豊作にしようぜ。或いは……もっと別の方法で、金を稼いでもいい」
エルヴィスと同じようにわくわくとしてきたらしいグレンを見上げて、エルヴィスは勇ましく明るく、言い切った。
「だから、何をしたらいいか教えてくれ!俺はお前に力を貸したい!」