王国歴13年:グレン・ブラックストーン
「エルヴィス!また失敗した!」
「そっかあ。お疲れ」
その日もまた、グレンは魔法の開発をしていたらしい。毎回毎回失敗しては、それをエルヴィスに報告しに来るのだから律儀なものである。
「こう……お前から見て、どうだ、エルヴィス」
「そう言われてもなあ……。魔法じゃない魔法のことはよく分からねえって。悪いな」
今、グレンが開発しようとしているのは『魔法』である。人間であっても魔法を使うことができる道具、とやらを考案しているらしい。
とはいえ、それはすっかり難航している。エルヴィスであれば特に何も考えずに使える魔法だが、それを人間がやるとなると、最早何から取り掛かればよいのか分からないのだから。
「くそ、魔法が使えたらこの領のより良い発展が望めるだろうに!」
「どちらかっていうと、あんたが魔法使ってみたいんだろ?」
「まあそうだが?」
グレンは好奇心旺盛な人間である。エルヴィスが感心してしまう程に。
彼もまた領主の子として忙しいだろうに、暇を作ってはちまちまと、魔法の研究を進めているのだ。そしてその一方で、エルヴィスからエルフの話を聞くこともまた、楽しんでいたが。
「考えてみろ、エルヴィス。俺は魔法の存在なんて知らなかった。お伽話の中だけの存在だと思っていたんだ。それが実在すると分かってしまったんだぞ?やってみたくもなるだろう!」
「そういうもんかあ」
エルヴィスは『へー』とのんびりグレンの話を聞く。グレンの情熱は、エルフには少々眩しい。グレンの好奇心はエルヴィスにも理解できるが、ここまで1つのことに傾倒できる情熱は、エルフには無い人間特有のものに思える。
「……まあ、俺が魔法を使えずとも、お前が魔法を使ってくれるからな、然程困るわけでもないが」
「そうだなあ。うーん、もし人間が魔法を使えるようになっちまったら、俺がここに居られなくなっちまうから、やっぱり開発はもうちょっと失敗しててくれよ」
エルヴィスがこの城に来て、もう5年近くなる。予定の半分、といったところだが、エルヴィスは早速、この土地を去るのが惜しくなってきている。時々、エルフの里にも帰っているが、やはりこちらの方が刺激的で、楽しい。どうも、エルヴィスは人間と気が合う性質であるようだ。
「馬鹿言うな、エルヴィス。もう俺とお前の仲だろう?今更追い出すなんてしないさ。お前の気の向く限り、ずっと城に居てくれていいぞ。……だがそれはそれとして魔法は使いたい」
「そうかあー」
けらけらと笑って、エルヴィスはのんびりと空を見上げた。
「……ま、とりあえず明日は雨雲呼んでみるから。それで上手くいけば、水不足もなんとかなるだろ」
空は今日も快晴である。
……このところずっと、快晴が続いていた。
ブラックストーン領は、この5年で随分と変わった。
エルフの手助けによって食糧問題が解決すると、奪い合う必要が無くなり、治安が良くなった。
治安が良くなったことで、少しずつ領内の様子も変わってくる。人が増え、商業が少しずつ発展し、より人間の町の形が出来上がっていく。
……こうして、5年前にはただの荒れ地であった場所が畑になり、家になって、小さな町の体裁が出来上がったのである。
これをグレンは大層喜んだ。現領主であるグレンの父も『まさかこうまで早く発展するとは』と喜んで、エルヴィスの無期限の滞在を許可してくれたのである。エルヴィスは『俺の無期限滞在って、下手するとあと1000年ぐらい滞在する可能性がありますけれど、本当にそれでいいんですか?』と冗談めかして聞いてみたが、半分ほどは本心である。
何せ、楽しい。
エルヴィスが力を貸すことで畑は豊かになり、人間が喜ぶ。
喜んだ人間達は新たなもの……家や道具や、諸々を生み出していくのだが、それがまた、楽しい。
荒れ地も徐々に草原へと変わっていき、大分エルヴィスにとって過ごしやすい環境になってきた。
10年と言わず、100年くらいは滞在してもいいんじゃないか、と思う程には、エルヴィスはここを気に入ってしまったのである。
だからこそ……最近のブラックストーンの日照り続きは、エルヴィスとしてもどうにかしたい問題なのである。
そう。今日、エルヴィスは大きな魔法を使う。
雨雲を呼び、雨を降らせる。日照り続きのブラックストーン領を救うために、多少の消耗は覚悟の上だった。
「よし、行くか。エルヴィス。フードは外すなよ」
「ああ、分かってる」
2人は早速馬に乗って、畑の方まで向かうことになる。今やすっかり領内のお馴染みとなった2人組だったが、エルヴィスがエルフであることは、領民には秘密であった。
何せ、エルフだ。下手に見つかったら売り飛ばされかねない、とのことなので、エルヴィスは外出する時は大抵、フードで耳を隠している。だが、逆に言えば、耳さえ隠してしまえばエルヴィスは人間の中にすっかり溶け込んでしまえるというわけなのである。
エルヴィスはグレンの『友人』として、他の人間と交流することもあった。人間もエルフも関係なく、話すことも笑い合うこともできるのだ。案外、人間とエルフは変わらないものなのかもしれない、と最近のエルヴィスは考えている。
だが、それもこのブラックストーン領の中だけの話なのかもしれない。ブラックストーンの領民は皆良い人間達だが、領の外では未だ、戦の影響が尾を引いている地域もあると聞く。そして、そうした場所では未だに野盗が出るらしく……そうした連中にエルヴィスのことが知られれば、『希少なエルフを生け捕りにしたい』などと思われかねない。
「フードってさあ、こう、耳に熱がこもるよなあ……」
「耳に、という感覚は分からないが……」
そういう訳で、エルヴィスは大人しくフードを被っている。こうしていれば俺も人間と大して変わりはないぞ、と、少々嬉しく思いつつ。でも、耳に熱がこもるのはちょっと嫌だよなあ、とも思いつつ。
「あー!暑い!くそ、これだから夏は!」
そうして畑に到着してすぐ、エルヴィスはフードを外す。周囲に人気は無い。この辺りの畑はグレンの研究を兼ねた畑、ということになっているので、領民も近づかないのである。
「おいおい、エルヴィス。まさか夏が嫌いか?」
「いや、嫌いじゃ、ないけどな。でも、エルフの里じゃあ、木が生い茂ってるからな。こんなに太陽の光で焦げるみたいに熱くなることは無いんだ。……人間は、こういう日差しの下に居ても平気なのか?」
「まあ、暑いな。うむ、確かに。……俺としても、こんなに暑い夏は初めてだ。少々嫌になりもするか」
2人は夏の暑さに苦笑しつつ、早速、畑の様子を見る。
だが、詳しく見るまでもない。畑の植物はしんなりと萎れ、元気がない。暑さと乾きによって、植物も苦しんでいるのである。
「よしよし……すぐに涼しく潤してやるからな」
いつもであれば、エルヴィスが魔法で汲み上げた井戸水を使って畑を潤すところである。だが、そろそろ井戸水でさえも枯渇しそうな日照り続きだ。そろそろ、根本から対処しなければならない。
「じゃ、グレン。始めるから、周りの警戒、よろしくな」
「ああ、分かった」
エルヴィスはグレンに声を掛けると、早速準備を始めた。
今回の魔法は、雨雲を呼ぶ魔法だ。使うエレメントは、水と風。
水のエレメントを多く含む真珠の首飾りを、風のエレメントを多く含む柳の枝にそっと巻き付けていく。真珠の首飾りはグレンのものだ。祖母のものだったらしいのだが、『領民を救うために少し貸すくらいいいだろう』とのことで、あっさりと貸与されている。
真珠と柳の杖を拵えたエルヴィスは、早速、よっこいしょ、とその場に座り込む。
畑の土はからりと乾いて、フカフカと柔らかく脆く、そして陽光に焙られて、熱い。じわり、と尻から伝わってくる熱と、頭上から降り注ぐ太陽の熱とに、エルヴィスは少々辟易させられる。
だが、魔法に集中していけば、それもやがて気にならなくなっていく。
杖の先を使って、土の上に文様を描いていく。文様の途中途中には、貝殻を置き、水晶の欠片を置き、そして鳥の羽とたんぽぽの綿毛、雲母などを置いていく。
意識を集中させながら、そこへ水を注いでいく。井戸水に少しの塩と花の蜜を混ぜたものだ。
注がれた水は、土に彫り込まれた文様に沿って広がり、そして文様を破壊して尚も広がっていく。……それと同時に、魔力がじわり、と形を成して広がっていく。
エルヴィスはエルフなので、魔力の気配を手繰るのは得意だ。息をするように魔力を感じ、そこにある魔力を少々つつくような気持ちで操る。魔法の形を成した水のエレメントが、風のエレメントと混じり合って空へと昇っていくのを、エルヴィスは器用に制御し続ける。
……そして。
「おお……信じがたいが、なんと……!」
グレンが目を輝かせて、空を見上げる。エルヴィスも一通り魔法を終えて、結果を確認すべく空を見上げた。
……空には、ふわり、ふわり、と雲が流れて集まってきている。
それから一刻もしない内に、雨が降り始めた。
ざっ、と音を立てて降ってくる雨に、エルヴィスもグレンも笑い合う。
「やったな、エルヴィス!まさか、まさかこんなことまでできるとは!」
「うん。俺も今日初めてやったんだけどな。上手くいってよかった」
一頻り笑いあった後、エルヴィスは改めて、空を見上げる。
雨は火照った大地を冷やすように降り注ぐ。エルヴィスの肌もすぐに冷やされて、さっきまで暑かったというのに、少々寒くなってきたほどである。
だが、その寒さすらも心地いい。空から降り注ぐこれを自分が呼んだのだ。エルヴィスは達成感でいっぱいになって、只々、雨を見つめ続けた。
……だが、やはり少々、無理をしていたらしい。
「っとと」
「おい、エルヴィス!」
ふら、と体が傾いて、エルヴィスは泥水の中に尻もちをついていた。
「大丈夫か、エルヴィス!」
エルヴィスがきょとんとしていると、グレンが自分の服が汚れるのも構わず、エルヴィスに駆け寄ってきて泥水の中に膝をつく。グレンはこういう奴なのだ。咄嗟に他人の為、自分が損をすることを厭わない。このなんとも気のいい人間を安心させてやるべく、エルヴィスは笑みを浮かべてやった。
「ああ。ちょっとよろけただけだ。大丈夫。一時的に魔力不足になってるだけだから」
心配そうなグレンを押し留めて、エルヴィスは畑の作物を見る。急な雨に作物は皆驚いていたが、水を浴びて、みるみる元気を取り戻していく様子が見えた。
病み上がりのところごめんな、と内心で謝りながら、エルヴィスはそれら作物から、少しずつ、力を分けてもらう。
作物の葉が、ぽや、と淡く光って、その光がエルヴィスの指先から染みこんでくる。そうしていれば、エルヴィスはじきに元気になった。
「……何度見ても不思議なものだ。こうして植物の生命力を分け与えられて、生きているのだったか」
グレンはこの光景をじっと見つめて、そう、呟いた。以前、エルフの習性については話したことがあったので、覚えていたのだろう。エルフは植物から魔力を分けてもらいながら生きる種族だ。だから大抵は皆、森に住んでいて、森から出ない。森に居れば、特に何もせずとも植物のおこぼれに与ることができるからだ。
だが、森を出たエルフは、今エルヴィスがこうしているように、植物から力を分けてもらって生きる必要がある。だからこそ、エルヴィスが元々荒れ地であったブラックストーンに住み着くことになったのは、中々妙なことなのであるが……。
「……なら、この領地には植物が絶えないようにしなくてはな」
グレンが深刻な顔でそう言うのを聞いて、エルヴィスは笑う。
そう。グレンはこういう奴なのだ。だから、エルヴィスは荒れ地だったブラックストーンに住み着いた。住み着いて、ここをより良くしようと決めたのだ。
「折角だ。城に何か、木でも植えるか」
ふと、グレンはそんなことを言う。
「1年や2年では頼りない若木だろうが、10年もすれば、それなりに頼もしい木になるだろう。そうすればお前の生命力もその木を頼りにすればいい」
エルヴィスは、きょとん、とした。
10年、20年。
それは、今のエルヴィスにとってはそれなりに長い時間で、そして、人間にとってはそれ以上に長い時間であるはずだ。
ずっと、先のことだ。だが、グレンはその、『ずっと先のこと』を話してくれている。他ならぬ、エルヴィスのために。
「……人間なのに、気が長いなあ」
「ふはははは!それは当然だ!10年20年先のことを考えて投資できるようでなくては、領主は務まらないからな!」
笑うグレンにつられて、エルヴィスもまた、笑う。
2人は雨の中を帰路に就きながら、強い雨音にかき消されないように大きな声で話す。『植えるなら何の木がいい!?』『うーん、実が生るやつだと人間も楽しいんじゃねえかなあ!』『実か!ならクヌギはどうだ!』『どんぐりじゃねえか!』とやりとりしながら、また笑う。
笑って、笑って、1人の人間と1人のエルフが、10年20年先のことを話している。それは、エルヴィスにとっては奇妙ながら楽しい感覚だった。
……まだ、エルヴィスには実感が湧かない。
10年20年先に、その時間の価値が、自分とグレンとで大きく異なっているであろうことについて。まだ。