王国歴9年:グレン・ブラックストーン
エルヴィスがブラックストーン城に滞在するようになって、1年が過ぎた。
1年といえば、エルフにとっては大した長さではない。未だ19歳のエルヴィスにとっては然程短い時間ではないのだが、それでも、1年間を人間と共に過ごす中で、ああ、やはり人間とは時間やその他諸々の感じ方が異なるのだろうな、ということに気づいていた。
……だが、それ以上に、人間との共通点の方が多いように感じた。
グレンはエルヴィス同様に好奇心に満ちて、未知への期待を胸に抱いている人間だった。彼と共に過ごすようになって、完全なる未知であった人間という生き物が身近で親しみやすいものであると理解することができた。
人間の文化は常に新鮮で刺激的だったが、同時に、人間側からするとエルヴィスやエルヴィスが話すエルフの里のことは新鮮で刺激的であったらしい。エルヴィスが目を輝かせて人間の世界のあれこれを質問する一方で、グレンはエルヴィスにエルフの世界のあれこれを質問して、エルヴィスと同じように目を輝かせていた。
だからエルヴィスは、グレンと話し、共に暮らす中で『俺、ここで生活することになってよかったなあ』としみじみ思うのである。
エルヴィスがブラックストーン城に滞在するようになったのは、至極簡単な理由である。
グレンが『ところでエルフの森と言われる森からここまでは相当な距離があるが、その間、宿はどうしていたんだ』と尋ねてきたので、『木の上とか茂みとかで寝てた』と返したところ、『野盗の餌食になりたいのか!?』と驚き呆れられ……そして、ブラックストーン城に滞在するように言われたのである。
勿論、そう長い時間、滞在させるつもりはなかっただろう。エルフという珍しく、それ故に厄介ごとを招きかねない生き物を、ずっと自分の手元に置いておくことの危険性は、グレンにもよく分かっていたはずだ。
……だが、1年という、人間にとってはそう短くない時間、エルヴィスがここに留まっているのには訳がある。
「おーい、グレン!やる気の無い奴ら、容赦なく叩き起こしていいか!?」
「ああ、そうしてくれ!」
今日も、エルヴィスはブラックストーン領の穀倉地帯……と言うにはあまりにも小規模な農作地へとやってきていた。
そこには、昨年よりずっと豊かになった土があり、そして、豆の芽がぴょこぴょこ、と出てきている。この豆は、エルヴィスが蒔いたものではない。エルヴィスが蒔いた豆は隣の畑で、既に本葉を数枚生やしている。この辺りの豆は、グレンが直々に蒔いたものなのだが……エルヴィスからしてみれば、少々、やる気のない豆達なのである。
エルヴィスは、よいしょ、と豆の芽達の前にしゃがみこんで、早速、話しかける。
「おい、お前ら。さっさと起きろ。やる気出さなきゃ、大した実りにならねえぞ!その時困るのはお前らだろ!ほらほら、頑張れ!」
すると、豆の芽達は少々億劫そうに、よいしょ、と伸びた。
……エルフは植物の友である。植物と心を通わせ、植物の面倒を見てやり、植物を育てるのは人間よりずっとずっと得意だ。植物は人間の言葉を聞くことはあまり無いが、エルフの言葉なら聞き入れてくれることが多い。
「よしよし、いい子だ。頑張って育てよ。じゃなきゃ、お前らを世話してくれる人間達が居なくなっちまうんだから。一緒に栄えような」
「……何度見ても納得がいかん」
エルヴィスが豆の芽を優しくつついてやっている横で、グレンはなんとも訝し気な顔をしてこれを見ていた。エルヴィスが植物に話しかけ、植物がそれに応える様を初めて見た時から変わらない反応である。
「ま、俺はエルフだからな。どうだ、すごいだろ」
「ああ。……本当に助かっている。ありがとう、エルヴィス」
……そう。
エルヴィスがずっとブラックストーン城に滞在している理由。それは、戦によって荒れたブラックストーン領の食糧事情の改善のため……畑の収穫率を上げるために、エルフの手を貸すためなのである。
ブラックストーン領は、グレンの父に与えられた所領である。
戦で荒れ果てる前から碌に人が住んでいない土地であり、半ば、開拓地同然の場所であった。
土地は貧しく、その上、戦で荒れて野盗が住み着いている。……こんな土地を下げ渡されたということは、ブラックストーン一家への嫌がらせに他ならない。
エルヴィスはその辺りの話を聞いても今一つピンとこなかったのだが、どうも、グレンの父は国王からの覚えがあまり良くない、らしい。
というのも、帝国がうち破られ、今の王国になる際に『少々頑張りすぎた』のだという。
人心を集めすぎたグレンの父は、国王から危険視され、王都から遠いこのブラックストーンの土地を治めることになったのだという。流石、国土の広い人間達はやることがエルフとは大分違うものである。
とにかく、そのようにして荒れ果てた土地を治めることになったグレンの父は、大層困っていた。更に、使える人員もそう多くは無く、それ故に嫡男であるグレンまでもが野盗狩りや畑仕事を手伝う羽目になっているのである。
……そこへやってきたエルヴィスが、『植物を励まして生育をよくすることができる』と分かるや否や、グレンもグレンの父も、エルヴィスに『是非この土地を救ってくれ!』と懇願してきたのである。
これをエルヴィスは、快諾した。……というのも、元々エルヴィスは、10年くらいは人間の国で過ごしてみるかな、と気軽に考えていたためである。エルヴィスが『じゃあ、10年くらい居てもいいか?』と尋ねたところ、これをグレン達は大いに喜び……今に至る。
人間達からしてみれば10年とは相当に長いはずなのだが、その間の滞在を歓迎してもらえるのだから、願ったり叶ったりである。随分上手くいったなあ、とエルヴィスはほくほくしていた。
「いつもすまないな」
「いいんだ。そもそも、こいつらだって畑で育てられてる以上、こいつらは人間と運命を共にする仲ってことだ。こいつらは人間を生かして、人間はこいつらを生かす。そういう盟約が畑にはあるんだから。俺はそれを思い出させてやってるだけだからな、大したことはしてない」
「そ、そういうものか……」
一通り、豆に声を掛けて起こしてやった後、グレンが持ってきた弁当を一緒に食べる。
それは、領主の息子の食事としては、あまりに質素であった。蒸かした芋と、ヤギ乳から作ったチーズ。そして、エルヴィスが用意した茶。それだけである。
エルフの里では木の実や果物、それに栽培した野菜や森の野草、そして仕留めた鳥や獣、泉に生息する魚などを食しているのだが、ブラックストーンではそのような食の豊かさは望めない。エルヴィスは『人間って大変だなあ』と思いつつ、『まあ、これはこれで悪くない』と芋をもそもそ食べ進めた。
「今年はもう少し豆が食べられるだろう。今から楽しみだ」
「あー、去年のは冬の備蓄に回すので精いっぱいだったもんなあ」
「昨年の越冬は今までで一番良かったがな。餓死の心配を全くしなくて済んだ越冬は昨年が初めてだった」
グレンは苦笑しながら、エルヴィスと同じように芋を食べ、チーズを齧り、茶を飲む。……今日の茶はグレンが気に入るように淹れてみたのだが、どうやら悪くなかったらしい。『雑草から作ったとは思えん!』と目を輝かせながら茶を飲むグレンを見て、エルヴィスは思わず笑顔になった。
……エルヴィスがここに居るのは、滞在を許されたからである。だが、それだけではない。
エルヴィスは、自分の助けを必要としている人間達と出会って、自ら、ここに居ることを決めたのだ。
助け、助けられ、学び、教えられ、笑い合って、共に生きる。
そんな1年を送ってきたエルヴィスは、もうすっかり、この土地と人間達を気に入っていた。
10年くらい居るつもりだったが、もしかしたら20年、30年とここに居ることになるかもなあ、と思う程度には、気に入っていたのである。
「さて。城に戻りがてら、罠の様子を見てこよう。獣か賊かが掛かっているかもしれない」
食事が終わり、少々の談笑を挟んだ後、グレンはそう言って立ち上がる。途端、エルヴィスは瞳を輝かせた。
「やった!俺、罠見るの好きだ!今度はどういうの、作ったんだ?」
……エルヴィスが見つけた、人間達の面白い文化の1つに、道具作りがある。
エルフも罠を使うことはあるが、人間達が作るものは、大分複雑な作りをしていた。
人間は『滑車』や『歯車』と呼ばれるものを用いて器用に道具を作ると聞いたことがあったが、実物を見てみると、本当に不思議で繊細な……魅力的な代物だったのである。一目見ても全く造りの分からないそれらを目の前にする度に、エルヴィスは『ああ、本当にここは人間の国なんだな』と実感するのだ。
「全く、罠が好きとは、変わった奴だな」
「まあ、エルフだからな。俺からしてみれば、あんたの方が変わってる」
エルフであれば、狩りをするのに弓と矢を使う。魔法で罠を作ることもあるが、罠を仕掛けるよりもその方が早く、確実だ。だが、人間はそうではない、ということなのだろう。確かに、こんなにも器用に道具を作り出せるなら、弓の腕も魔法も必要無い。
人間は、風変わりで面白い文化を持った生き物だ。エルヴィスは人間の道具を見る度に、それを確認する。
「今日はハズレだったな……くそ、より良い罠を生み出し、必ずや賊を捕らえてみせる!」
「いや、賊がもう、この辺りには居ないんじゃねえかなあ……」
結局、罠は全て空振りであった。獣を捕らえることができなかったのは少々残念だが、賊の類が居なかったことは、ある種、喜ばしいことである。
……エルヴィスは去年、何度か弓を持って賊狩りに参加したことがあった。食糧の貯蔵を奪ったり、人を殺したりする連中を狩るべく、夜通し畑を見守ったり、はたまた賊の根城を突き止めて押し掛けていったり。
そうした経験があるからこそ、『賊が罠に掛かっていない』ことがそう悪いことではない、と思える。
賊狩りは、決して、楽しいものではなかった。新鮮ではあったし、参加したことを後悔してもいないが……人間同士が争わねばならない現実を目の当たりにして、エルヴィスは胸の奥が締め付けられるような感覚になったものである。
だから、賊が罠に掛かっていないのは良いことだ。争わねば生きられない者が、少しずつ減っているということなのだろうから。
「まあ、そうなのだがな。次期領主としても、賊が居ない方が喜ばしいことだと、分かってはいるが」
「だろ?……でも、罠が動くところは見たいよなあー」
「ああ、その通りだ!……これは私の数少ない楽しみなのだ!賊よ、かかれ!罠にかかれ!」
普段は領地と領民のことばかり考えているように見えるグレンも、こういう時には妙に利己的になる。エルヴィスはそれが面白くて、グレンのこうした面を気に入っている。
罠を一通り確認して帰路に就けば、やがて、目の前に巨大な建造物が現れる。
「ああ……何度見てもでっけえなあ」
「もう1年経つのだから見慣れるだろう」
「まだ1年だぞ?見慣れないって」
エルヴィスはブラックストーン城を見上げて、ほう、とため息を吐く。何せ、このように巨大な建造物、エルフの里には存在しないのだ。1年経った今でこそ感嘆する程度で済んでいるが、初めてこの城を見た時にはとてつもなく驚かされた。
石材を積み上げて造られた城は、見事な出来である。戦の為に作られた要塞をそのまま城として下げ渡されたと聞いているが、その割に戦に使われることは無かったらしく、特に傷も無く、綺麗なものである。
「うん……やっぱりすげえなあ、人間って」
艶々とした石材の荘厳な美しさがエルヴィスの心に深く深く感銘を刻み込む。傾きかけた太陽の光に照らされるブラックストーン城は、ここが人間の国であることを知らしめているかのようだった。
「エルフの里にはこうした城は無いのだったか」
「うん。大抵は巨木をそのまま城にするとか、そういうのだから……一から全部、石だけを積み上げてここまででかい建物は造らねえなあ」
やってできないわけではないだろうが、エルフの里ではこのような建造物はそもそも必要ないのである。何せ、エルフは数が多くない。巨大な城など必要ないのだ。
「まあ、これほど楽しんでくれているのなら、この城も本望というものだろうな」
グレンは、エルヴィスがきょろきょろと物珍し気に視線を動かすのを楽し気に見ていた。エルヴィスが何かを不思議がれば、何を不思議がっているのかを見て、『エルフにはこれが珍しいのか!』と楽しむのが彼の常なのである。
そして……。
「……さて。今日も少しは時間が取れそうだな」
グレンは、ちらり、と柱時計を見てそう言うと、エルヴィスの方を見て、にやり、と笑う。
「今日もエルフの里の話を聞かせてくれ!」
グレンはエルヴィスからエルフの里の話を聞くのを楽しみにしていた。
彼はエルヴィスが人間の国を見る時と同じように、目を輝かせて、エルヴィスの話を聞く。エルヴィスにはそれが少々、面白い。
「1年話し続けてるんだぞ?そろそろ飽きないのか?」
「ああ。飽きることが無いな!……実に興味深い。エルフの里の文化も、エルフの魔法も、実にお伽話のようだ」
人間にとっての1年はそれなりに長いらしいのだが、グレンは1年でエルフに飽きなかった。
「俺にも魔法が使えたらよかったんだがな」
「うーん、こればっかりはなあ。魔力が無いとどうしようも無いから」
特に、グレンはエルフの魔法に興味を示していた。
エルヴィスは若くして、それなりに魔法を修めている。鳥を呼んで心を通わせたり、蜜蜂を使役したり。大規模なものになると、雨雲を引き寄せるようなことも、一応はできる。
既に何度か、実演して見せたこともある。鳥に頼んでエルフの里に手紙を出した時にその様子を見せたら、グレンは大層驚き、そしてそれ以来、エルヴィスが手紙を出す時には必ずそれを見にきて、鳥が懐っこくエルヴィスにすり寄る様子をわくわくと見守っているのである。
「……魔力、か。俺には無い、となると……どうしようもないな、それは」
グレンは残念そうにそう言って、ふう、とため息を吐く。
「俺にも魔法が使えたら、より父上の助けになれたのだろうが」
グレンは次期領主として、随分と頑張っていた。エルヴィスには未だ理解できないこともあるが……人間達のしがらみの中で、懸命に生きていることは、分かった。
「あんたは十分よくやってるよ。多分な」
「ははは。よく分かっていないエルフにそう言われると、妙に腹が立つが元気が出るなあ」
グレンはそう言いつつ、ちら、と時計を見る。そろそろ、部屋に戻る時間ということだろう。彼はこの後部屋に戻って、そこで仕事をしてから眠るらしい。いつも夜遅くまで大変そうだ。それでもこうして時間を作ってはエルヴィスの話を聞きに来るのだから、やはりこのグレン・ブラックストーンという人間は面白い。
「……人間って、本当に魔法、使えねえのかなあ」
こんなに面白い人間なのだから、魔法くらい使えたらいいのになあ、とエルヴィスは思う。
「……ふむ。そうだな」
そしてグレンは、エルヴィスの言葉にぱちり、と瞬きをした後、にっ、と笑ってみせるのだ。
「俺は諦めないぞ!いつか俺も、魔法を使ってやる!」
「おー。楽しみにしてる」
「ああ!お前が生きている間に成し遂げてやるからな!」
「うん、できればあんたが生きてる間にやってくれ」
エルヴィスは笑いながら、思う。
案外、この器用な人間のことだ。もしかしたら、いつか本当に、魔法を使い始めるようになるかもしれないなあ、と。
……そうなったらまた、楽しいだろうなあ、とも。