格ゲーのヒロイン、身寄りないの一人は居がち
最近、格ゲーのプロゲーマーがゲーセン時代の逸話を語るのを動画サイトで見るのにハマったので初投稿です。
窓の外は真っ暗。
静寂に静まり返る外とは対照的に、食堂の中は暖かな光に照らされて人の活気を感じられた。
昔、シスターテレジアに連れられてここを訪れた時となんら変わらない。
賑わう名前も知らない人達、自分の前に並べられて湯気を放ちながら食欲を刺激する食事。
私は相変わらずそんな周囲の人と交わることなく、それでいて並ぶ食事の一部しか食べきることが出来ない。
こんなにもおいしそうなのに食べきることのできない自分の少食さが少し嫌になる。
それすらもあの時と同じで。
...ただ一つ変わっていることとしたら、私の目の前に座っている人がシスターではなく黒い短髪の男の子ということ。
ナナイマドカさん。
襲撃された書庫の中に居た少年。
そして私が今管理機関へと連行している参考人の一人である。
「...?なんすか、俺の顔になんか付いてます?」
「!...い、いやなんでもないです!!」
そして別の世界から来たと嘯いていて、番外魔書と結びついてしまった男の子だ。
番外魔書。
その異常な情報量で書庫に納める際もその他多くの魔書と結び付けなければ納めることが出来ず、それでいてなんらかの術式が掛かっているのかブラックボックスと化している所蔵数に計上することが出来ない魔書。
故に“番外”。
そんな魔書と結びついてしまった少年。
あんな場所に何故だか居て、それでいて別の世界から来たという男の子。
初め私は彼が迷い込んだ一般人だと思っていたが、それも怪しい話。
寧ろ、あの書庫を襲撃した少女のようになんらかの背景がある少年だと思うべきだ。
腹に何か据えていると、そう思うのが管理機関に所属する執行官としてあるべき姿だと思う。
「...ふふ、ほっぺたご飯粒付いてますよ。」
「...やっぱなんか付いてるんじゃないすか。」
よくよく見ると、頬に米粒を付けた彼。
そんな彼にそれを教えると、ジト目でこちらを見つめた。
揶揄われたと思ったのだろうか?
ただ気づかなかなっただけなんだけど....まぁ、そこは別に良い。
本来、私は彼の事を疑ってかからないといけない。
それが執行官としての在り方だ。
そもそも彼が言っているのは世迷い事、寧ろおかしくなってしまったと考えるのが妥当なのだから。
勿論、疑ってないわけではない。
ただ私は....彼の言うことを、別の世界から来たということを今のところは信じておいてあげることにした。
彼は、何も知らない。
まるで子供のように...なんなら子供でも知っているようなことを知らない。
赤子のように無垢。
壁のことも知らなければ、魔法陣を見れば目を丸くする。
そもそも生きていく上で管理機関を知らなかったのも驚きだ。
...自分の設定を守るために惚けているような感じはしない。
もし、本当に彼が別の世界に来たんだとしたら...それは。
彼は今、この世界で何の寄る辺もなく独りぼっちと言うことになる。
それでいて番外魔書と結びついている。
理由は不明だが、番外魔書は狙われていた。
次に狙われるのはこの子になるのかもしれない。
そもそもあの魔書は何も分かっていない以上、結びついた人間に影響がないとも考えにくい。
それでいて、彼の言うことが本当であれば彼は住む場所もなければ貯えもなくただ一人知らない場所に放り出されたと言うことになる。
....色んな意味でも、彼は参考人として連行して...可能であれば管理機関で保護しないと。
それが、管理機関として管理した魔書と結びついた以上は連行する....そんな彼に言った建前に隠した私の本音だった。
甘いのは理解している。
しかし、私には彼が悪人であるとは思えなかった。
一日二日の短い間であるが良い人であると私は思ってる。
傷ついた私を心配して警戒を露わにしても礼拝堂まで運んでくれたわけだし、そもそも彼が居たからこそ結果として襲撃犯に魔書を奪われずに済んでいる。
...なんにせよ、私には彼が言っていることが真実かどうかは分からない。
それが分かるのは管理機関について彼...ナナイマドカという人物について調べた時だろう。
要するに連行し終わった時である。
その時には彼への処遇も決まるはず。
本当に身元がなければ、魔書を保有しているわけだし管理機関での預かりにもなるはずだ。
そうなれば、彼がこの世界で野垂れ死ぬこともない。
...もし該当する人物が居たとしても、その時はその時だ。
その時点で私の為すべきことは終わり。
何か理由があったとしても、管理機関での預かりになる。
それならどう転んだとしても安心だ。
だったら、今は彼の言うことを信じよう。
じゃないと、きっとこの場で彼を信じなければ今彼を信じてくれる人は誰も居ない。
それはきっと...悲しいことだ。
ハザクラが居るのなら話は別だが....居ない人の話をした所でしょうがないもん。
そこら辺の事は、私の中ではもう結論が出ていた。
今は彼に寄り添う。
事実上、自分はこの世界で孤独であると嘯く彼の傍に居る。
それは教会の教えとして、シスターとしても私のすべきこと...私がしたいことだった。
それが正しい...きっとシスター・テレジアもそうする。
「....。」
ただ、今でも気がかりなのは彼の時折見せる態度だ。
どこか心ここにあらずな感じで考え込んでいる。
自分の居た世界の事を考えているのか、もしくは別の事か。
もしかすれば、知らない世界に対しての不安や警戒を抱いているのかもしれない。
「...ふぅ、ごちそうさまでした。めちゃうまかったっす。....マリーさんはそれで終わりっすか?」
「え!あ、...うん!私、あまり食べられなくて.....。」
「マジに少食なんすね.....なんか、ほとんど俺しか食ってないし...お金出してもらうの、申し訳ないっすね。」
彼は苦笑いしながら答える。
今身元を引き受けてるのは私だし、それに彼は通貨を持っていない。
彼の境遇から考えれば当たり前の話だ。
でも、それを彼は律儀に気にしてくれていた。
「そんなの気にしないでください。貴方の身元引受人としての役目を果たしているだけですし、それに...貴方は別の世界から来たんでしょ?だったらお金を持って居ないのは当然...違いますか?」
「い、いやまぁ...そうですけど。」
「ない物は出せないんですから、私が出します。それで良いんですっ!」
私はこれで良いと断言する。
きっとこうやって言い切らなければ彼はまだ気にしてしまうだろう。
「...うす、ありがとうございます!」
話はこれで終わりだと私は立ち上がる。
すると、彼も立ち上がると私に頭を下げた。
もしかすれば、彼はずっと居心地の悪さを感じているのかもしれない。
彼の言うことが本当であれば世界に、嘘であっても管理機関の執行官に連行されるなんて萎縮するに違いない。
それがどうであれ、実際のところは何も変わらない。
今の彼はお金も家もなくて持って居るのは番外魔書だけ。
そんなの、放っておけるわけがない。
「この後、ちょっと良いですか?連れていきたい場所があるんです。」
連れていきたい場所。
それは、もしかすると私が行きたかった場所なのかもしれない。
あの頃と同じ、横に誰かを伴った形で。
そういう意味では、彼に付き合ってもらう形になる。
「え...えぇっ!?あー、ま、まぁ構わないっすけど.....。」
彼は目を逸らしながらも、了承してくれた。
静寂に静まり返る夜。
私達は宿の近くに続く小高い丘への道を二人で歩いていた。
前を行く私の後ろを付いてくる彼。
懐かしい木立だ。
森林に変化なんかあるのか疑問だが....昔見た時と同じ。
前来た時は子供だったから視点の高さから見える景色は違うが、それでも懐かしさを感じずにはいられなかった。
そしてしばらく歩いていると、案外時間もかからずに目的地に着いた。
「ここです。...ここ、展望台なんです。」
「展望...台。」
ただ、草茂る丘。
でもそこに横になって上を見上げれば、まるで視界一面が星空と化したかのよう。
私は幼い頃にここに連れられて以来、この光景が忘れられない。
「あまり知られてないらしいんですけど、横になって上を見上げれば星々がくっきりと見えるような...そんな場所なんです。...シスター・テレジア、私の母と言っても良いような人に幼い頃に連れて来てもらったんですよ。」
「そうなんすか...。俺、展望台なんか初めて来たな。」
そう呟く彼を見ながらも、地面にゆっくりと腰を下ろす。
すると彼も暫くは立っていた物の、観念したかのように少し離れに座り込む。
どうやら見る気になったようだ。
これで星を見るのが嫌いとかそういう人だったらどうしよう...とか思ったんだけど。
もしかしたら、そんな人は居ないのかもしれない。
人は皆、遥か彼方に広がる物に...手の届かない物に惹かれてしまう生き物なのかも。
視界いっぱいに広がる星空。
あの頃とは同じようで、確実に違うであろう星空。
「...おわぁ、めっちゃ星々くっきりしてる....。昔の人は星座とか言い出すわけだ、これは....。」
彼がボソリと呟く。
どうやら、星空の眺めに感嘆しているようだ。
でも、私が伝えたいのはこの展望台の...シスター・テレジアとの思い出の場所の素晴らしさを誰かに知ってもらう為では...いやそれもないことはないけど、彼に伝えたいのはそういうことじゃない。
「私...親、居ないんです。それで色々あって教会に行き着いたんですけど....来たばかりは、私にはどこにも居場所がないって....疎外感を、感じていました。」
頭の中で、あの日の記憶をなぞる。
繋がりのあった人など居らず、自分はどこかこの世界で一人...宙ぶらりんになっているように感じていた。
けれど、そんな自分をちゃんと見てくれている人が居た。
あの時の事は...忘れられない。
「そんな時に、丁度キルベトに用があって連れて来られた時にここにシスター・テレジアと共に訪れたんです。そして、彼女は私に見せたい光景としてこの星空を見せてくれました。」
視界一杯に広がる星空。
今まで改めて星空を見上げたことのなかった私はその光景に魅了されていた。
「人は星を見て、心を奪われる。...されど、本当はいつだって星は私達の頭上に位置している。私達が夜にならなければ気づかないだけ。」
呆然と星を眺める私の頭を撫でたシスター。
私が初めて感じた明確な人の温もり。
「人も、きっとそれと同じ。居場所がない人間なんて居ない。...あとはそれに気づくだけ。...だから、余計なお世話かもしれないけど...、この世界にも貴方の居場所は必ずあります。」
微笑みかけると、彼の表情が曇る。
やっぱり...余計なお世話だったかな....?
「...なんつーか、結構スパルタなんすねその人。気づけなくて困ってる奴に、どこかに必ず居場所があるなんて言われても....気づけないから困ってるわけなんでしょ。」
その吐露が、呟きが。
彼の溢れ出した内側なんだと分かった。
やっぱり、私が思ってた通り...彼は放っては置けない。
「...そうでもないですよ。この言葉には続きがあって....それでも、一人で居場所を探すということは苦しい物。そして、この常世は必ず居場所を見つけ出せるとも限らない。だから....どうしても、一人で見つけられないなら誰かにも手伝ってもらえば良い。私は...貴方にとって、そんな誰かでありたいって。....今の私には教会があって、友人も居て為すべき職務もある。私は自分が居場所だと思える場所を見つけた。だからこそ....次は、私の番です。」
私は、星を見るのをやめる。
寝返りを打つと、横の少年へと視線を移す。
彼は目が合うと、目を見開く。
私は彼の目を見つめる...逸らすことなく、見つめる。
シスターが私にやったように...そうじゃないと、きっとこの言葉は軽くなってしまうから。
「貴方が、もし貴方が居場所を見つけられなくて困ったときは....、貴方の隣で一緒に探します。...出会って一日二日で信じられないかもしれないけど、本当です。」
「それを言いたいから、俺にこの光景を見せようと思ったんっすか?」
「そうです...いけませんか?」
私が尋ねると、彼は星を見ることもやめて寝返りを打って私に背を向ける。
彼の表情は、伺えない。
ただ、聞こえるのは彼の言葉だけだった。
「...貴方だけに言わせるのもアレなんで言いますけど、俺にも親は居ません。」
「っ...ぇ....?」
彼の言葉に息を呑んだ。
この世界での話か、もしくは前....。
後者の場合、私と共通項があるという話になる。
「勿論、俺が前居た世界の話です。災害とか事故じゃない。どうにも両親は俺が要らなかったか、必要じゃなかったか....施設の前に捨てた。後に世話してくれた人が必死扱いて探しても見つからないとか...蒸発しやがってて、合うことのできた親戚筋は優しいけど親の話をしたがらないし、陰で悪く言っているのも聞いたことがある。まぁ、この時点でどれほどの屑か伺いしれますよね?」
「そんな...そんなのって.....。」
彼は背を向けて、表情を窺うことが出来ない。
それでも....笑っていたり、楽しんでいるわけじゃないってことは分かる。
子供に、そんな事実が苦しくないハズがない。
それを思い出してるのなら猶更.....。
私は、彼の場合よりも幸運だ。
だって彼は中途半端に自分のルーツを分かってしまっている。
自らが不要だったから捨てられたという経緯が。
その上で、その両親にはもう会えない。
そんなのって...ないよ。
「...けれど、俺はもうそこにはなにも思いません。そりゃどれほど見下げ果てたクズかこの目で見て見たかったのは事実ですけど...俺は十分恵まれていた。施設では良くしてもらったし?施設から俺を引き取ってくれた人が居たわけだし、親戚筋ともうまくやれていた...と思う。それ以上に、俺にも友達が沢山居た。...それで充分でしょ?」
彼は私に背を向けるのをやめると、仰向けになる。
そしてゆっくりと起き上がった。
彼の横顔が見える。
その表情には...何も、なかった。
悲しんでもなければ、泣いても居ない。
されど喜色を湛えているわけでもなく、ただただ真顔。
もしかして...本当にどうでいいと貴方は思ってるの?
「...俺は、捨てられた人間です。自分の誕生日...生まれた日も人から言われた物がそうだと今でも信じてる。だけど、それでも俺の周りにも人が居て...そこそこ幸せに生きていたわけですから、きっと俺は居場所を見つけるのは別に苦手ってわけじゃないんですよ。だから大丈夫。...心遣いは嬉しいけど、そーいうの要らないです。」
拒絶の言葉を口にしたまま、彼は立ち上がる。
そして、私にまた視線を向ける。
その顔は笑っていた。
「ま、この話はここで終わりってことで。流石にちょっと眠たくなってきましたよ...部屋に戻りません?」
「え、えぇ...そう、ですね....。」
彼は私が立ち上がるのを見ると、そのまま歩き出す。
一瞬触れることの出来た彼の内側。
彼は...昔の私と似ている。
でも、完全に同じわけじゃない。
その笑顔を見るとどこか心が騒めいた。
枯れ果てたような...そんな印象を受けた。
拒絶...多分、私は彼の触れられたくないところに触れてしまったのだろう。
...でも、それならやっぱり私の考えていたことは間違いじゃなかった。
やっぱり、彼の傍には...誰かが居ないとダメだ。
私にはわかる。
もし、本当に彼が今まで語ったことをどうでもいいことだと思っているなら...それは、凄く悲しいことなんじゃないかって思うから。
大丈夫と言ってはいたが、言葉通りはいそうですかと認める程、私は人の情緒が分からないわけじゃない。
普通に考えれば、きっとその当時は辛かったはずだ。
初めから誰もが彼の傍に居たわけじゃないんだから。
それを幸せだったからと思うところがないなんて、嘘だから。
可能な限り、寄り添おう。
そうしたい。
行きとは対照的に、私は前を行く彼に付き従ってその背中を眺めている。
そんな道中で、私は改めて可能な限り彼の傍に居ることを決心した。
◇
「はぁ....なんであんなこと話しちゃったんだろう....。」
部屋のトイレの中。
洋式便器に座りながらも、頭を抱える。
思い起こすのはあのよく分からない天体観測。
...明らかに余計なことをしゃべり過ぎてしまった。
『なんじゃおまん、今更後悔しちょるのか?まぁ最後に突き放しただけ偉かったじゃろ。最初は雲行きが怪しかったからのぅ....遂に絆されおったかと冷や冷やしたぜよ。まぁ星空の下、あんな真っ直ぐに言葉を投げかけられるなど、流石の儂もあの...なんじゃ...ろまんちっく?じゃと思ったからのう。...ほれ、白状するなら今の内じゃ。今なら説教だけで済ませてやろう。』
「そんなんじゃないっすよ...はぁ、何楽しそうにしてるんすかアンタ。」
影からは慰めているのかどうかよくわからない言葉が投げかけられる。
ただ、何とはなしに残穢さんは楽しそうに俺を弄っているということだけは分かった。
こっちは気分沈んでんのに....好い気なものである。
『なにをはぶててるんぜよ。儂はこれでもおまんを褒めているじゃぞ?ちゃんと儂の要求に応える気があると分かったからのう。これでほいほい小娘を受け入れていたら、儂は頭を抱えていたものじゃ。』
...まぁ、アンタは俺の影から出てこれないからな。
いくら嫌がっても、俺がマリーさん側に与して管理機関へと甘んじて連行されれば抵抗する術を持たない。
そんな背景もあってかよくやったと言わんばかりの様子の残穢さん。
でも、俺としてはそこまで素直に喜べなかった。
確かに残穢さんのこともある。
けど、あの時それ以外の論理がなかったかと聞かれれば嘘になる。
彼女に真っ直ぐに見つめられた時、俺には分かった。
あの人は、とんでもないお人好しだ。
正直、怖くなるほどに。
俺とマリーさんは彼女が言っていたように出会って一日二日の仲である。
...けれど、それでも彼女は何故だか俺に寄り添うだのなんだと言っていたのだ。
そのシスター・テレジアとやらの教育なのだろうか...よくよく考えてみればそういう宗教にありがちな社会的弱者に対しての無償の奉仕とかの信念を真に受けたかのような発言だった。
自分を社会的弱者と呼称しないといけないの地味に悲しいな....。
ただ、俺は彼女を撒いて逃げるつもりの人間だ。
なんなら、彼女が嬉々として連れていこうとしてる管理機関には現状は経験側からも良い印象を持って居ない。
つまりは、いつかは裏切らないといけない立場。
それなのに、あんな目を向けられても困る。
その実、その目線に居づらさを感じて俺は彼女に背を向けた。
その心遣いをどうにも眩しい物に感じてしまった。
だから遠ざけたのだ。
裏切る予定の俺にとってその言葉は変に罪悪感を煽られるから。
せっかく思い出の場所とやらを俺に見せて言った言葉を、はいはいと流せるような図太さを俺が持ち合わせていなかっただけなのだ。
無駄な繊細さだ、後ろ盾もないようなこの異世界転移でそんなものが何の役に立つと言うんだろうか?
結局のところ、彼女の清廉潔白さに謎の負い目を感じてそこから逃げただけに他ならない。
この情動は、紛れもなく褒められるべきじゃないだろう。
でも、あんなお人好しされても正直困るし....なんか怖いし。
それに.....。
『にしたって、おまんがみなしごだったことをまさか小娘との会話で知るなどとは....儂よりもあちらに心を開いたのか?くくっ...妬けてしまうなぁ?』
「思ってもないこと言わないでくださいよ...そう言うんじゃないってわかるでしょ?...ただ、相手だけに言わせるのはなんとなくフェアじゃないって思っただけです。それだけです。...だから後悔してるんでしょ。はぁ....。」
俺は彼女の厚意から逃げてしまった。
それに、相手から自分の過去と少し似ている...それでいてパーソナルに関わるであろう情報をセルフ開示されたのだ。
こう....まるで目を逸らしたことの代償と言わんばかりに俺も自分の過去を口にしていた。
彼女だけに言わせて、自分は類似した過去を持って居るにも関わらず何食わぬ顔をしている。
それが出来なかった。
彼女にとってはあの展望台での思い出は大事な物だったのだろう。
その重さに、耐え兼ねた
甘さのつもりか?
いや、ただ中途半端なだけだな。
もしくは...彼女の口ぶりに自分が居場所を作れない、持って居ない人間だと思われたと感じて抵抗感を示したのか。
過去の事だって運が良かっただけで自分の力じゃないのに。
ただ一つ確定しているのは、人に言いたい事ではなかったのに...似たような境遇の少女に対して口を滑らせてしまったということだ。
そして、あの時....自分の過去を話した時に背後から視線を感じた。
何度か味わったことがある同情。
それを感じたのだ。
俺にとってはただの過去でしかなくて、気にしていない。
だからこそ他人に気にされると、本人である俺が気にも留めていないことを大きく取り上げられているような気分になってあまり良い気分にはならないというか...困るというか....。
だからこそ最後あんな言動になってしまったのかもしれない。
『まぁおまんが如何に後悔しようが終わった話ぜよ。それで?いつまでそうしとるつもりじゃ?このタイミングでここに居るということは小娘に聞こえないように儂に話したいことがあるのだとばかり思っておったが...よもや儂にもたれかかる為ではあるまいな?そうじゃな...それ相応な態度を取れば母様代わりに慰めてやろうか?これでもこの有様になる直前に母になったことはある。ほれ、母様に話してみよ...ぷっ、くふふふ...。』
「ジョークにしても笑えない、やめとけよアンタ。...それと、そういう自分自身のことをサラッと言うの辞めてくれないか?どんな反応すれば良いか分からなくなるでしょ。」
『...まぁ、確かに笑えんな。少々悪趣味だったかもしれん。どうにもおまんの反応が面白うて...すまんのう。ただ、儂としてはおまんの過去を知った返礼のつもりで話してただけぜよ。すぐにこうなったから稚児をこの手で抱いたのも一瞬、今や昔の話。...母親と名乗るのも烏滸がましい。ただの冗談ぜよ、頭に残す必要もない。』
正直、俺の過去を聞いてそのイジリ方出来るの良い性格してるなって思ったのとこの人経産婦だったのか...いやでも確か伴侶的な人が居た的な話もあったし不思議ではないのかなどと色んな思索が巡ったものだから一瞬反応が鈍った。
...でもマリーさんみたいに深刻な反応されるくらいならこんな感じで弄られた方がこちらとしても気が楽だった。
その反面で後半声がしぼんだのを考えると残穢さんにとって自分と母という言葉は結びつかず、思う所があるのだろう。
...俺の場合と違って彼女は気にしてるっぽいし、深堀りするような勇気は俺にはなかった。
ただ、...彼女の言葉にあった返礼という言葉が引っかかった。
彼女の主観からすれば、俺の過去を知ってしまったことへのけじめとして自分が気にしていた過去を冗談めかして話したのだろう。
けど、俺の場合は?
...違うだろ、そうじゃない。
先にあの人の過去を覗いたのは俺だ。
門の前、仏頂面でそこに座る残穢さん。
襲い掛かる人々に対して薙刀を一振りするだけで、そこにザクロを複数床にぶちまけて擂り潰したかのような惨状を作り出した彼女。
明らかに、彼女の中では比率の大きい過去の情景。
残穢さんはそれを知らない。
先に不埒を為したのは俺だ。
ならばこそ、返礼を本来受けとる立場ではない。
俺が聞きたいと思ったことを話す為にも、俺は理由は分からないが自分が彼女の過去を覗いてしまったことを言わなければならない。
それこそが返礼を為した彼女の...契約相手に対しての最低限の誠意のように思った。
「貴方は...どう、思いましたか?俺の過去を聞いて。」
そんなことを聞いたところでどうしようもない。
まるで、その瞬間から無意識に逃げようとしているよう。
そんな情けない俺とは対照的に、彼女は俺の質問に毅然とした態度で答えた。
『別に...そんなことを言えば儂だって大した生まれはしておらん。生まれなど...その人間がどこから来たか以外の意味を持たない。そこに重きを置いているのならまだしも、貴様は違うのであろう?ならば、特段注視すべきところではないじゃろ。歩みに誇りを置くのであれば、歩き出しなど些末なことぜよ。』
「そっか...いや、そうっすよね。」
その言葉にホッと胸を撫でおろす。
どうやら、そこら辺の考え方は一致しているようだ。
契約相手だからこそ、そこら辺は重要だろう。
だからこそ俺の心は今、決まった。
「...あの、残穢さん。」
『ん?なんじゃ。』
「すみません...俺、昨日貴方の過去らしき物を夢で覗き見てしまいました。....本当にすみません。」
影に向かって頭を下げて詫びる。
すると、暫しの沈黙。
『...随分と深刻そうに言うのぉ。どのような夢だったか...詳しく口にしてみるぜよ。』
それを破ったのは他でもない残穢さんだった。
「...って感じなんですけど。」
『そうか...つまらん物を見せてしまって悪いの。』
あれから数分。
俺は残穢さんに何もかもを白状していた。
眠った時に見た光景、門の前で仏頂面に座り込んでいる残穢さんや何やら襲い掛かる人々。
そしてそれを無尽...だったか?そんな技で一刀に臥したことも、何もかも。
そんな一通りを聞いた後にどのようなことを言われるのか。
もしかすれば過去を覗き見た俺に対して不快感を露わにするかもしれない。
そう思っていたが、実際には残穢さんは俺に詫びていた。
自身の過去をつまらない物と称して。
「...なんで、俺があんな光景を見たのか...心当たりとかありますか?俺は全くないです。」
『儂としても明確に言えるわけではないが、十中八九契約が原因じゃろう。影法師が過去の儂の経験や記憶の断片と言うたじゃろう?契約で繋がっているからこそおまんの足元に出すことが出来ている...つまりは、儂とおまんは今繋がっているのじゃ。だからこそ...記憶を用いる関係上、儂の記憶が不意に流れ込んだ。睡眠時の意識が沈んでいる時に起こっていることからそれが一番可能性が高い。』
なんとなく察してはいたが、契約が原因だったようだ。
しかし、確かに影法師のことを考えると筋が通っているな。
...ただ、その予想が正しい物としたら一つ困ることがある。
「え...じゃあ俺寝る度に貴方の記憶を見る...ってことっすか?」
結構な凄惨な光景だったんだが。
というか、他人のプライバシーな部分を過去とはいえ強制的に見せられるのはなんというか....凄い居た堪れない気分になってしまう。
毎晩他人の過去を否応なしに上映会させられるなんて、すげぇ嫌なんだけど....。
『...どうじゃろう。そこら辺は昨日がおまんが契約して初めての夜ぜよ。その日に夢を見たのであればそうであるとも考えられるし...儂がおまんが寝た後に儂も戯れ紛れに寝てしまって同じく意識が沈んだ状態になったことが原因だとも考えられるぜよ。今晩儂は眠らぬからその上でおまんが夢を見るのなら諦めても羅う他ない。』
「眠らない...って。そんなのめちゃきつそうじゃないですか。つーか、それで眠らなくても夢を見ないことが分かったからってそんないつまでも眠らないなんてこと無理じゃないすか?...俺と眠ってる時間ずらすとか?でもそれじゃ昼夜逆転になっちゃいますよ。」
俺も長期休暇の時に人間どのくらいまで起きられるか試そうとして結局二日ももたなかった覚えがある。
というか、夜に眠らなくても結局気づけば昼に寝てるので人間は極論眠らないなんてことはよっぽどじゃない限り出来ないのかもしれない。
それに徹夜すると普通にキツイ。
頭はボヤボヤするし、陽の光を浴びて目がシパシパする。
...まぁ俺の場合は他人の過去を夢見ても、なんとなく居た堪れない気分になるだけで実害はない。
それなら、残穢さんに身体的苦痛を強いるよりも俺が我慢した方が良いんじゃないか?
『いや、それに関しては問題ない。...今の儂は到底人と言えん、寧ろ魔書と言った方が正しいじゃろう。今や儂は食べずとも飢えることはなく、それと同様に睡眠も必要としない。強いて言えば睡眠も戯れ...気分転換と成り果てちょる。...まぁなんじゃ、人と共に居るのは久方ぶりじゃからな。おまんが寝ているのを見て、儂もかつて必要としていた睡眠をしてみたくなっただけぜよ。いつもであれば眠ることもない。』
「そうなんすか....。」
よくよく考えてみれば俺が物を食べてる時も残穢さんはご飯を食べることをしていない。
寧ろ俺の影の中から出れないのだから考えてみればそこら辺の生理現象はどうなってるのかと考えていた。
でも、魔書となったことで生理現象を持ちえないと考えれば納得である。
ただ夢の中では残穢さんは普通の人だった。
いや、強さとか境遇とかは普通じゃないだろうが人間としては普通っぽかった。
普通に自由に動けて、普通に疲れを感じていたし。
だとすれば、魔書の中に居るからこそ生理現象が起こらないのだろうか?
だとしたら、どういう経緯で魔書となったのか気になる物である。
『というわけでそこら辺はまぁ儂がいつものように眠らずに、おまんがその夢を見るかどうか経過を見るとするということで良いか?』
「残穢さんがそれで良いならそれで良いですけど...でも睡眠は気分転換になるんでしょ?それでも良いんすか?」
『くどいのぅ....今まで儂は長い時間この中で身動き一つ取れずに一人じゃった。だからこそ、話し相手が居るだけで儂にはそんなもの必要ない。』
溜息を吐きながら残穢さんは断言する。
そんな風に思う程長い時間自由に身動き取れずに一人だったのか....。
俺には想像もつかないレベルの話である。
『それで、取り敢えず方針は決まったところじゃが....これでこの話は終いか?』
そう尋ねてくる残穢。
確かに、俺がなんで残穢さんの過去を夢で見てしまったのか予測ではあるものの分かった。
ただ、俺としてはそれ以上に聞きたい事がある。
「いや、違います。...その、俺...貴方の過去を見た上で残穢さんに聞きたい事があるんです。」
真っ直ぐに影を見つめて、そう口にする。
残穢さんからの返事はない。
けれど、残穢さんは影の向こうで黙してこちらが質問を口にするのを待っているように思えた。
残穢さんはこちらが質問を口にするのを待っている。
あとは俺が喉を震わせて言葉にする勇気を出すだけ。
人の過去に深入りする覚悟。
そして、既にその覚悟は出来ていた。
「...貴方はあの場所で何をして...あの門は一体なんなんですか?」
あの光景を見て真っ先に抱いた疑問。
あの門は今日見たキルベトを隔てていた壁と酷似していた。
そして何よりも...残穢さんの口ぶりと態度。
あのような集団と幾度となく対峙したかのような口ぶり。
それでいて、うんざりと言った様子で彼らと向かい合っていた。
つまりは、あの門の向こうには彼らのような人達が残穢さんが居たとしても求めるに値する何かがある。
それになによりも.....。
「それに、じ・おりじんってなんですか?あの人たちはそれを求めていて...残穢さんがそれを守っていた。さっき見た壁と類似した門...過去であるとするのなら、きっと重要な事なんじゃないかって...直観ですけど思ってます。...教えてもらえませんか?」
残穢さんが言っていたじ・おりじん。
それを調べる場所と門の向こうを言っていた。
俺には皆目見当つかない。
でも、なんとなく格ゲーのストーリーモードなどをこなしてきたアケコンガチャガチャお兄さんとしての経験がきっと重要な用語なんじゃないかって思わせていた。
『...そうじゃな。確かにおまんに儂があの時何をしていたかなど語るには....じ・おりじんについて語る必要がある...か。とはいえ、あまり期待するなよ。儂かてアレに関して詳しい知識があるわけじゃない。..所詮儂は用心棒、番兵に過ぎないぜよ。』
「それでも...構いません。」
そう言うと、影の中からゆっくりと溜息を聞こえてきた。
影の表面は凪いでいる。
今の状況を表しているように感じた。
『...かなり昔の話じゃ。この世界では魔力が枯渇傾向を見せていた。その内、世界中で不足を起こす。それを懸念した人々は様々な手を探した。争いもあったものじゃ...醜悪でお互いの血潮をすすり合うような戦が起こった場所もあった。...そんな中、とある天才が見つけたんじゃ。』
「なにを..じ・おりじんをですか?」
どうやらこの世界はエネルギー危機に陥っていたらしい。
それで争いも起きたと。
でも、この世界に来てからそんな感じは今まであった人からは感じなかった。
だとすれば、そのじ・おりじんというものを見つけたから解決したのだろうか?
『違う...見つけられたのは人型の何か...。人々はそれを研究することで、遂に理外の領域...『裏側』、虚数域...という物に触れた....そこで見つけられたのはおりじんと呼ばれる“巨大な本”じゃ。』
人型の何かに巨大な本...。
どうにも口ぶりから察するに残穢さんは本当に細部まで詳しく知っているわけではないらしい。
それでも知っている範囲から俺に話そうとしてくれるのはありがたかった。
『おりじんは絶えず魔力を発していた。そしてそんな中、天才と呼ばれる物はその運命の下生きているのか知らんが、そこから『魔書』と呼ばれる物を抽出することに成功した。魔書は魔力を帯びており、それでいて何かしら特異な性質を見せていた。これを利用すれば、現在の状況が打破できることは目に見えている。...何もないところから新たに魔力を作り出したのと同義じゃからな。じゃからこそ、多くの学者が集まり研究都市という場所を作って研究に取り組んでいた。』
『しかし..儂も経緯は不明じゃが、なんとおりじんは森羅万象と言うにふさわしい物だったらしい。アイツが興奮した様子で語ってきた時のことは記憶に新しい。なんでも?虚数領域にあるおりじんから取り出せる魔書は大体がこの世界の物体や現象に類似した性質を持って居る場合が多く、実際の自然などの事象にも影響を及ぼす例もごく少数だが見られると。』
残穢さんは懐かしむような顔で語る。
アイツというのは、彼女の言っていた“儂の男”とやらだろうか。
戦えないと言っていたことを考えると、おりじんを研究していた人たちの内の一人なんだろう。
何だろう、話の雲行きがちょっと怪しくなってきた気がする。
森羅万象って.....絶対ヤバイやつじゃん。
『そこであやつらは逆算して考えた。類似の形をした枠に抽出した魔書を集めて納めれば疑似的なおりじん....おりじんの子機?にあたるものを製作して制御する。それによって自然などの事象などに干渉することで、現在を取り巻く様々な諸問題を解決することが出来る....大げさな言い方をすれば世界平和に繋がるのではないかとまで言った者もおったな。正直言って、儂には理解できんかったぜよ。』
「世界平和って....。」
なんていうか、凄い厄い感じの話の流れなんだけど....。
格ゲーの過去回想にありがちなやらかしの導入じゃん。
平和云々言い出したら碌なことにならんのよ。
人は過ちを繰り返す....。
...ははぁん、さてはマリーさんが言っていた瘴気とかってそれが原因だな。
『研究都市という物は加盟した国で共同で行われて追ったんじゃが、そんな力を欲する者はいつの世も出てくる。その研究成果などを狙って我が物にしようとした連中が居って、儂はおまんが見たあの門...唯一の入り口に座り込んでそれらの脅威から研究都市を守るのが役目だった。....正直、飽きもせず訪れる不届きを相手にするのはうんざりじゃったが、背後には好いた男と奴が信じ、心血を注ぐ物があったからの。....まぁ今となっては儂のした行いが正しいとは言えんのじゃが....。』
影の中で残穢さんが自嘲する。
話を聞いて感じたのはなんというか、多分残穢さんは知っている範囲内で分かりやすく自称異世界人でバックグラウンドを知らないであろう俺に伝えようとしてくれた。
ただ、それでもなんかややこしく感じた。
なんか人型の物からおりじん...っていうかこれ多分オリジンっていうのが正しいよな。
そのオリジンを見つけてそれが凄い物だったので、子機に当たるジ・オリジンとやらを作って自分達で制御しようとした。
そんで残穢さんはその研究を奪おうとする人たちからあの門の向こう...都市を守っていたってことか。
...過去であるとするのなら、もしかすれば境界都市とやらの原型は研究都市なのかもしれないな。
残穢さんへの質問の答えは分かった。
でも、この話を聞いて更に気になるのはその後である。
今、マリーさんと見た壁や話に聞いた瘴気など確実に当時の研究者の人達が考えていたようにはなっていないと思える。
つまりは、俺の予想だが...取り組みはヤバイ形で失敗したんじゃないか?
「それでその研究は成功した....わけではない、ですよね?だとしたら、なんか...マリーさんが言っていたような瘴気とかないでしょうし、あんな壁もあるわけがない。」
『勘が良いの、うぬは。そうじゃ、人類は平和を求めて手を伸ばし、寧ろ災厄を手繰り寄せてしまった。それはもう酷い...儂が言うのもなんじゃがこの世の地獄のような有様。当初目指したものとは真っ向を行く、取り返しのつかない失敗ぜよ。その災厄は黙示のけ....。』
残穢さんが俺に感心しながらも話を続ける。
しかし、その瞬間その話を断ち切るようにトイレのドアが叩かれた。
残穢さんの話に集中していたことや今が夜なのもあって、突然のノックに驚いてびくついてしまった。
「ナナイさ~ん、大丈夫ですかぁ...?」
扉の向こうから聞こえるのはマリーさんの声
ほわほわと間延びした声で俺に呼びかけながら続けて二回トイレのドアをノックする。
「だ、大丈夫でーす!ど、どうしたんすか....?」
「起きたらぁ...ナナイさんがトイレにずっと中に籠っているようでぇ....、微かに声が聞こえてたので慣れない環境に体調でも壊したのかなって思ったんですけどぉ...。そういうわけじゃ...ないんですよね....。」
「は、はい。そういうわけじゃないです。ちょっとまぁ...踏ん張っていただけで....。」
どうやらずっとトイレに籠っていたことからマリーさんに体調を心配されたらしい。
マリーさんが途中で起きて来るとは....タイミングが悪いというかなんというか。
にしても間延びした声だ。
寝起きなんだろうな。
「そう...ですか...。出来れば、私も使いたいので早く出て頂けるとぉ...ありがたいんですけどぉ....。」
「あ、はい!すぐに出ます!!」
どうやら彼女もトイレに行きたくなったのだろう。
であればここはもう話す場所には使えない。
排泄はとうの昔に終わっているので、出る用意自体は早く済んだ。
ただ...残穢さんとの話の続き、何か言いかけていたのだが....。
「えぇっと残穢さん、これは...どう.....。」
『...儂はおまんの質問には答えた。...考えてみれば流石に夜も遅い。寝なければ、おまんの夢を見るかどうかの検証も儘ならん。はよう寝ると良いぜよ。』
「ちょっ、なんか言おうとしてませんでしたか!?」
小声で影に話しかけると、残穢さんは寝るように促してくる。
いや、でもなんか言おうとしてたの凄い気になるし....。
「...?だから、出来れば早く出て欲しいって言ったんですけどぉ~...。」
「あ、そうじゃな...そうっすよねっっ!!出ます出ます!!今すぐに!迅速に!!」
いかん、思わず声を出しちゃったからマリーさんに言ったのだと思われちゃった。
取り敢えずバタバタと便座から立ち上がって、既に流していたが一応もう一度トイレの水を流す。
そして手を洗うと、扉を開いた。
目の前には、どこか寝ぐせが既に立っていて目元を眠そうに擦るマリーさんの姿。
どこかぽやぽやとしてて、時偶にうつらうつらと舟を漕いでいる。
...なんかバランス崩さないか心配になるくらいだった。
「うすっ、お待たせいたしました!」
「うん...ふわぁ...。ありがと....。」
眠さゆえか彼女の口から珍しく敬語が消える。
あくびをしながらも擦れ違うようにしてトイレの中へと入っていく。
扉が閉まる。
...あっ、そうだ。
「トイレの中で寝ないように気を付けてくださいね!!風邪、引きますよ。」
「...はぁ~い」
少し遅れて間延びした声が聞こえてくる。
まぁ、ないと思うけどトイレの中で寝たら風邪引いちゃうかもだからな。
すげぇ眠そうにしてたから一応声は掛けておこう。
暗い部屋の中を歩いていき、自分のベッドの前に立つ。
多分、トイレに行く際に歩きやすくする為に二つのベッドの間にある机の上のランプがうすぼんやりと点いていた。
そんな照明に照らされて朧気ながらもある影に、俺は声を掛ける。
「それで、その...残穢さん....。」
『今日の所は話は終わりじゃ。言いかけていたことも今言ってもどうしようもない...おまんのことを見定めてから言わねば、どう転がるとも分からぬこと。...少し口を滑らせたぜよ。今は忘れよ。』
「そんなぁ....」
めちゃ生殺しなんだけど...それなら聞こえない方が気にならない分よかった。
...けれど、まぁ当初の契約の時にも細かいことは俺の事を見定めてから話さないと自分にとって不利益が生じるかもしれないとか言っていたし、分かり切っていたことではある。
それは既に了承済みだ。
出来るだけ早く話して欲しいとその時には言ったが思い返せば残穢さんとは一日二日の仲。
寧ろ、過去の話や質問に答えてくれた時点で収穫はあった方だろう。
「...しょうがない、寝るか。」
確かに俺には検証しないといけないことがあって、寝ないとそれが出来ない。
...もし、夢でまた残穢さんの過去を見たらどういう物が見えるのか。
出来れば、小さい頃に好物の食べ物と初めて邂逅した場面...みたいな牧歌的な光景が良いなぁ。
それなら見ても、何とも言えない罪悪感は前見た奴の比じゃないくらい薄まるだろうし。
マリーさんが戻ってくるときに歩きにくいとアレだからランプは点けておこう。
正直...俺は電気が点いていても、毛布に包まれば眠れる性質だし。
...まぁ、そういう寝方した時は普通に寝るより疲れが取れない気がするのだが。
そう考えると、ランプを消さずに自分の布団の中に潜り込む。
そしてゆっくりと目を閉じて、呼吸を整えた。
すると、ゲルセマネに来るまでに色々見たのもあってかすぐに意識が遠のいていく。
そのまま無意識の沼へと沈んでいく意識。
マリーさんがトイレから出たのかドアが開く音が微かに聞こえた気がしたが、それすらも俺の意識を引き揚げるきっかけにすらならなかった。
本来居るはずのないところに現れた、その世界の常識を知らない不思議な少年。
よく考えてみるとこれ、空から女の子が降ってくるとかそういう系統の出会いなんだよね。
そりゃ性別逆でも拾った側は特別感抱いちゃうよね....。
それに常識を知らない主人公に色々教えて、しかも庇護欲のような物抱いているって実質これおねショタじゃん!
同年代でもおねショタ出来るってことじゃん!
正直これに気づいた時、一瞬自分のことを天才かと思ってしまいました。
ヒロイン視点ではどこか影のある不思議な少年に写るから勘違いして決心しちゃうヒロインと困惑する主人公。
問題は主人公が逃げようとするのをヒロインが見たらどうなるかなんだよなぁ...。
どうなるんやろなぁ....(すっとぼけ)