三年生 夏・婚約破棄
「ラプンツェル・ラーディッシュ!君との婚約はこの場で破棄させてもらう!」
ああ、恐れていたことが起こってしまいました。
その光景に破滅の香りを感じた私は、くらり、と倒れ――そうになるところで、不思議と足だけが踏ん張り、その場にとどまりました。
(ここで倒れるわけにはいかないでしょ!)
ああ、もう一人の私がどうやら、私が手放してしまった体の制御を助けてくれているよう。おかげで私は気絶することなく、断罪イベントの進行を見守ることになってしまっています。
「――カモミル様。それは本気でおっしゃっておりますの?」
感情を表に出さないようにしてらっしゃるのでしょう。低く、それでいて抑揚のない口調で、王子と相対するラプンツェル様が口を開きます。
仁王立ちして王子の前で微動だにしないラプンツェル様は、さながら闘神の化身のよう。不思議と体の輪郭に、揺らぎが見えるような気もします。
しかし、相対するカモミル王子は、そんな彼女におびえるそぶりもなく、毅然と話を――ああ、でも少し腰が引けてますわ。お隣のヤキトーリ様なんて足が震えております。
「当然だ。冗談でこのようなことは言わない」
「それを言い渡せる、理由をお持ちなのですか」
「理由!?それをお前が言うのか。自分の胸に聞いても理解できないのであれば、今ここで明らかにしてやろう」
王子とラプンツェル様の話は、どんどんと先に進みます。
お二人は、ホールの真ん中で相対しており、王子の傍にはノアさんがこれ見よがしにいらっしゃいました。そこに、王子を――というよりも、ノアさんの味方になるべくか、男子生徒たちが王子様側に。ラプンツェル様の方には、女生徒たちが集まってきます。
「チェリッシュ様、私たちも」
呆然とその光景を見ていると、私の手を取り、ペコンジ様とアリューレ様が移動を促してきます。
ど、どうしましょう。
(彼女たちについていったら、断罪側に巻き込まれるわ。もし、これが『シナリオ』通りであれば、私たちは破滅の未来しかない。
……あ、あそこ!)
もう一人の私も、どうすればいいか迷っているようです。しかし、ふと何かを見つけたように、私に指示してきます。
指を指すでもなく、「あそこ」では普通はわからないのですが、そこは私たちは一蓮托生。言われるまま、どこを指しているのか理解します。
「申し訳ありません。お父様に呼ばれておりますので」
「えっ」
私が視線でお父様の方を教えると、お二人は困惑の表情でその方向を向きます。視線の先は、ホールの二階。そこには確かに私のお父様が、こちらに手招きをしておりました。
お父様を免罪符に、お二人の手を離れてそそくさと逃げ出します。
卒業式の予行演習とは言え、本番さながらの装いです。保護者たる貴族の方々や、国王様ご夫妻もいらっしゃる最中、このような事態になるとは思いもよらなかったのでしょう。
道行く途中で目を配るも、大人の方々は、目を白黒させて見守っており、私一人が抜け出ていることなど気付いていないようでした。
「お父様」
「よく気づいてくれた。それにしても、これは一体」
お父様に倣って階下を見下ろすと、そこにはきっちりとホールを二分する大勢力の半円が二つできておりました。
周囲の保護者の方も、この光景に困惑しているようです。
「お父様の方では何か。殿下が、婚約破棄を狙っている、等」
「いや。こちらは何も。噂も何も聞かなかった。まさか、このタイミングでこんなことをしでかすとは……」
お父様の方には噂が上がっていない?ということは王城側でも寝耳に水と言うことでしょうか。
前もって情報を仕入れることができたのは、ガトー様が王子のグループに所属していたから?
そう、私が考えていると、お父様は私の方を見ずに、視線を生徒の集団に動かしています。
「……親の政敵関係も何もあったもんじゃないな。本当に、きっちり男女で別れている。それほどの魅力が、聖女にあるというのか」
「チェリッシュ、ここにいたのか。義父様、ご無沙汰しております」
そこに、ガトー様がやってきました。
「ガトー君。君はいいのか」
その言葉は、言外にあの集団の一味ではないのか、と説いております。ガトー様は、首を横に振り、お父様に質問をしました。
「そのお話の前に。御義父上は、ノアのことをどう見ますか」
「何?」
それは、かつて私が入学した時に、お父様にしたのと同じ質問でした。
「どう、って。銀の髪に虹の瞳、少し肌色が悪いが、不健康というほどじゃない――」
「そう。そこです」
ガトー様は、満足のいく答えが出た、と笑みを浮かべ、私とお父様が疑問に眉をひそめたところで、階下のホールで話の進展がありました。
「ラプンツェル!君は、これだけでの罪状を顧みて、まだ足掻くのか!?」
「それのどこが罪状ですか!その娘は、この国の貴族子息全てに色目を使う、淫売ですわ!」
「お前、言うに事欠いて!」
「待て待て、双方、待ちなさい!」
場が殺気立ちだしたころ、慌てて口を挟んでホールの真ん中に飛び出てきた者がおりました。青と白の生地に金の刺繍がされたローブを引きずるのは、この国の司祭であらせられる、ガシダラ司教様です。
誰であろう、ノアさんを聖女に認定した、その人でした。
「この場は私が取り仕切らせていただく!良いな!」
「アア、司教サマ」
「まずは、卒業生の……これは、女子全員か?」
よよよ、と泣きながら、ノアさんが司教様に近づいていきます。彼女にとって、元も権力のある拠り所には違いないでしょう。
一方、司教様は改めて向き直って――その女生徒たちの人数の圧力に思わず口ごもりまました。なにせ、彼女たちはいっせいに司教の方を向いているのですから、その目力たるや、想像したくもありません。
「き、君たちは教会の定めた聖女を虐め抜いた、と言われている。これは本当かね」
「"虐めた"などと人聞きの悪い。身の程をわきまえなさいとは言いましたわ」
「それがいじめだというのだ!可憐な彼女に、なんとひどい物言いか」
「それに人の婚約者に近づくなど、男爵の身の上では許されないことですわ。意地でも離れないものですから、力づくで距離を離してもらいました」
「暴力を振るうなど!」
「ちょっと男子黙りなさいよ」
「そっちこそ、自分がやってきたことを」
「ええい、黙らんかお前たち!」
女生徒たちの苦情に、男子生徒が噛みつきます。部隊の先陣を切る王子とラプンツェル様は口をつぐんでいますが、周りがヒートアップしているようです。
「つまり、お前たちは聖女が男子に色目を使った、ということで気に食わんのだな」
「随分、穿ったまとめ方をするんですのね。貴族のルールを守らなかったことに問題がある、と言っているのです」
司教様がこの場を収めようとすれば、それに物言いをつけるラプンツェル様。司教様の言い方では、さも女生徒が嫉妬に狂ったといわんばかりだったので、当然ですが。
そんなラプンツェル様に、気に入らないと言いたげに鼻からフン、と息を吐き、司教様はノアさんに話しかけます。
「ノアよ。彼女たちの話に言いたいことはあるかね」
「司教、それは」
「まぁまぁ、王子。まずは司教に任せましょう」
司教様がノアさんに話しかければ、王子がノアさんを庇おうとしてきました。しかし、それを羽交い絞めにして、王子の側近候補と名高いヴェラダン様が止めています。
一方のノアさんは、指で目をガシガシと叩きながら……ひょとして涙をぬぐっているのでしょうか?
「ウウ、私、皆ト仲良クナリタイダケダッタノニ……一言モ話シカケルナト」
「うむうむ。だが、彼女たちもう言うように貴族のルールがあって」
「デモ!友達ハ爵位ナド関係ナイハズデス!校門ニモ、学校ノ規約ニモ!学内デハ爵位ヲ捨テヨ、ト!
学内ニ居ル間ニ、爵位ヲ越エ、仲良クナルベク、努力ヲスルベキナノデハ!?」
ノアさんの訴えに、司教様は首を捻って考える素振を見せるのでした。
「ふむ。確かにそうじゃ」
「なっ、司教、正気ですか!?」
「学内ではそうあるべきと、かつての神託が告げておる。王立学園はそうあるべきであり、それが創立時の神の威光である」
「教会は、王国の貴族制度を崩壊させる気ですか!?」
「そうはいっておらん。それは、大人になってから身に着ける素養であり、学内に持ち込むものではない、と言っておるのじゃ」
なんと、司教様もノアさん寄りの考えのようです。これでは、女生徒側は一気に分が悪くなってしまいます。
学内は学内、社会は社会。言いたいことはわかりますが、それで学外に学内の風潮が持ち出されることは否めません。
「……なるほど。教会の目的は、これか」
その様子を見て、お父様が唸ります。
「はい。聖女を起点とした、王国の貴族制度の瓦解。聖女は、その先兵でしょう。
僕も、チェリッシュのおかげで正気に戻れましたが」
「正気?」
「はい。義父様もそうですが、彼女には洗脳と幻覚の能力があります。王子たちは、今もその毒牙に」
「なんと。私が洗脳?」
お父様は、ガトー様の言葉に驚いておりますが、それは私もです。まさか、そんなことが?
そして、私のおかげで正気に戻った、とはどういうことなんでしょうか。
「義父様。よく見てください。ノアの頭のサイズを」
「ん……あ、ああ」
「どのくらいのサイズですか」
「んむ……大きいな。大体騎士団歩兵の丸盾くらいか」
「体はどのくらいですか」
「んん……?お前……」
ガトー様の質問に、お父様が顔をしかめながら、私とガトー様で視線を行き来しています。
「必要なことなんです。ウェストはともかく、体のラインは」
お父様は、困ったように私を見ますが、私はお父様の目を見てしっかり頷きます。いくらなんでも、あの体と私を比べられても、どうにも思わない――というか、比べられる方がショックですわ。
「ぬ……どう、といってもな。頭と同じくらい……頭と同じくらい!?」
「きゃあ!お父様!?」
私はお父様の奇行に驚いて、その手を握って押さえます。なにせ、お父様はそう言って、驚いたように手すりから身を乗り出ししたのですから。
「な、なんだあの体は……!?」
「正気に戻られましたね」
お父様が愕然と呟く姿に、ガトー様が満足そうにうなずきます。
「メタエフェクト、と私は呼んでいます。
演劇などで、ミスキャスティング等により、どうにも描写通りに見えない姿を、登場人物はそれと認識しない演出法があります。
彼女は、まさにその通りに、私たちに事前情報の姿だと錯覚させているのです。
とはいえ見た目を改めて知覚するだけで、いともたやすく解けますが……人の思い込みは強い。
何かきっかけがなければ、見直すことなどない。それが、あの幻覚の強みです。
魔法ではない。何か得体のしれない――ひょっとしたら、それこそ神の奇跡によるものかもしれません。
それほどまでに、強力なのです。あの幻覚は」
「ぬ……うかつだったか。
しかし、それが判れば容易い。これが、君が言っていた"するに足る理由"か」
「はい。後はお願いします。
――チェリッシュ。君はこっちに」
「えっ……」
トントン拍子に話が進むので、私はどうしたものか、と手持無沙汰になっておりましたが、ふいにガトー様から呼ばれて驚きに声を出してしまいました。
後は任せる、って。お父様、一体?
「……そう、不安そうな顔をしなくても、大丈夫。外様だからできる事があるからね。
チェリッシュ。お父様は大丈夫だ。ガトー君と避難してなさい」
お父様に頭を撫でられ、そう言われました。そう、諭されてしまえば私にできる事はありません。
ガトー様の手を取り、さらに上――吹き抜けの三階まで登ります。
「チェリッシュさん!」
「お義母様、お義父様!」
そこには、ガトー様のお父様、お母様がいらっしゃいました。お義母様は、心配そうな表情で、私の手を握ってくださいました。
私が無事であることをアピールするために微笑みますと、お義母様は、ホッとしたように疲れた笑みを浮かべるのでした。
私がガトー様を見ると、ガトー様は階下を見下ろしながら呟くのでした。
「ここからならよく見える。これで、全て終わる」
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