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赤い稲妻くん。  作者: ぴーす
8/20

8話


新しい一式戦は快調そのものだった。

自分の操作に対して機敏に反応し、思うように動いてくれる。立派な赤い稲妻を見た時は、正直嬉しくてたまらなかった。

整備隊長が寝起きの顔で「10分、飛んでいいって言ってたぞ」と言った時は、心が一層踊った。機体にしがみついて無理矢理よじ登ると、眠そうな整備兵たちがエナーシャを回してくれた。

エンジンが始動して、しっかり時計を見てから離陸した。


気持ち良い。

操縦桿を思いっきり引いた時の感触と、身体にのしかかる負荷。

スロットルを全開にした時の勢い良い加速。


隼の名を持つ一式戦の持ち味は、広東の時と変わらない。いや、そればかりか力強さを増しているようにすら思えた。

きっかり10分で着陸した時、眠気顔から覚めた整備兵たちに加え、学生達も笑顔で迎えてくれた。


「いやはや、お見事」


整備隊長の言葉に、彼は嬉しそうに「ありがとうございますっ!」と早朝にもかからわず元気いっぱいにお礼の言葉を述べた。その後ろに控えていた一ノ瀬も、満足げな表情で「さすがは稲妻部隊の『赤稲妻』だ」と褒めた。


「敵機が来たら、昨日と同じやり方で行く」

「はい!」


機を降りた『赤稲妻』と一ノ瀬、それに駆けつけてきた学生達が表情を強張らせた。

いつでも来い。

また一撃かけてやる。


しかし、出撃はなかった。

午後を過ぎてしばらくたった頃、「警戒態勢解除」とマイクが響き渡り、ピストに詰め寄った学生達は思い思いに力を緩めた。一ノ瀬は指揮所に詰めっぱなしで、情報の収集と整理に追われていた。そして、『赤稲妻』の異名を持つ助教は一式戦に乗り込んだまま機体を弄っていた。操縦桿を触っているのか、時々グイグイと舵が動いている。


「助教どの、警戒態勢解除とのことです」


学生の一人が伝えに来た。風防を見上げて大きな声で話しかけると、「はーい!」と元気な声とともにヒョコッと顔を出してニコッと笑って見せた。やがて真っ赤な稲妻を走らせた銀色の一式戦から身を乗り出して降りようとしていたので、学生が背中を差し出して地上へ降りさせた。


「ありがとうございます」


足を付けた背中をパッパッと叩きながら、学生にお礼を言う。遅れて駆けつけに来た整備隊長と数名が機体と共に2人を囲み、整備隊長が「具合はどうかな」と助教へ声をかけてきた。


「キビキビ動いてすごくいい感じですっ。これ新品ですか?」

「ほぼ新品の三型さ。もともと四式戦の不調に備えて用意されたやつでね」


四式戦は学生や一ノ瀬が乗る最新の戦闘機であり、今や陸軍の主力戦闘機として各地を駆け回っていた。状態さえよければ、600キロ以上の速度で空を駆けるし、機動力も良好であった。ただし、あくまで「状態さえよければ」の話であり、発動機の整備など、こまめに面倒を見てやらねば全力を発揮できない繊細さが欠点だった。


「助教は、四式戦に乗ったことはあるのかい?」


整備隊長の質問に、助教は「はい!」と元気よく答えた。


「一年くらい前に所沢で機種転換を受けて、台湾とルソン島で使ってました!」


整備隊長のみならず、学生や他の整備兵も身を固めて彼を注視した。元気の良い子供っぽさが特徴とはいえ、彼は幾重もの激戦を耐え抜いた光輝ある『稲妻部隊』の出身者だ。自分たちの知らない最前線で空戦を繰り広げてきた猛者だと、一ノ瀬から聞き伝えられていた。


「なら四式戦に乗りゃいいのに」


当然の意見だった。一式戦闘機は今となっては旧型機、いくら問題があるとはいえ最新鋭機の四式戦闘機と比べれば基本的な性能で見劣りする。学生から見てもその比は明らかで、まず一式戦とは違い、強力な20ミリ機関砲を主翼に収めている。機首に13ミリ機銃を2挺積んだだけの一式戦は明らかに火力が違う。


「一式戦は薄くて細い、つまり狙いにくいんです」

「はあ」

「学生のみんなが四式戦に乗って、薄くて細い一式戦を相手し続けて上達すれば、ずんぐりした米軍機と戦う時に楽かなって思うんです」


普段から狙いをつけにくい飛行機を相手すれば、実戦の時に戦い易くなる。はたしてそう上手くいくものなのだろうかと、学生は首を傾げるしかなかった。ただ一理あるとするならば、一式戦闘機という飛行機は機動力と加速力は侮りがたい性能を持っている。特に学生達は、彼が一式戦を駆って敵軍の群れを掻き回す凄まじい戦いっぷりを見ていたので、文句のつけようがなかった。


「それに、せっかく立派な赤い稲妻を描いてもらったんです。前いた戦隊でも使わせてもらった大切な稲妻なので...」


機体に堂々と描かれた赤い稲妻を優しく撫でる助教の瞳は、どこか愛おし気で、しかし悲しい気持ちを孕んでいた。彼にとって、この赤い稲妻はどんな思いを込めているのだろう。ただ、その赤い稲妻は鋭く、良く目立っている。勇ましいほどに。


「一ノ瀬少佐が言ってたよ。『赤稲妻』を自慢するって」

「そうなんですか?」


助教は少し困ったように頬を描いていた。彼なりに照れくさいのだろうか、少しモジモジしながら「じゃめいっぱい頑張らないと」と笑みを浮かべた。

時間が過ぎたのか、いつの間にか他の学生達も集まってきた。赤い稲妻の前に、数十もの人だかりができあがるのにそう時間はかからなかった。みな、助教に興味があるのか、様々な質問を投げつけてきた。


「助教どの、その赤い稲妻はなんですか?」

「前にいた戦隊の標識です。ぼく用に大きく長くしてもらって、それをずっと使わせてもらってました」

「助教は隼に乗るのですか?」

「はいっ。これに乗っていろいろ教えますので、いっぱい学んでくださいね」

「助教はいつから戦地に?」

「3年くらい前、かな。ラバウルが初陣でした」


教え子たちにも丁寧な口調は変わらず、元気よく答えていた。昨晩も言っていたが、激戦として知られるラバウルを戦い抜いたというのが信じられなかった。ラバウル帰りとは想像もできない幼顔だと皆が思っていた。


「今まで何機落としたんですか?」


誰かが言った。3年近くも前線にいたのだから、戦歴も豊富。なれば、撃墜した敵機の数はどれほどのものなのだろう。誰もが興味を持つのは自然だった。機能の出撃だけでも相当の暴れっぷりだった。海面に落ちたのは一機だけだったが、何機もの敵機が火を噴くか、煙を吐き出していた。毎回あの様子なのならば、100機くらいは落としているのではないかと、学生達のみならず、整備隊長も興味ありげな表情で答えを待っていた。


助教は首を傾げた。


「10機は落としたと思います」

「10...?」


拍子抜けするほどの少ない数で、学生達は唖然とした。期待に沿わない回答に続いて、助教は淡々と言葉を続けた。


「米軍機って頑丈なんですよ。燃えても消火剤積んでるからスイスイ飛んで帰っちゃいます」


困り顔を浮かべて「だから落下傘か激突か、あとは爆発でもしないと撃墜とは言えません」と補足して、流れはそのまま座学へと移行を始めた。


「13ミリで落とすのは難しいと思ってください。皆さんが乗る四式戦の20ミリ機関砲なら、どこだろうと数発当てれば撃墜できます」


四式戦の火力を誇るべきか、米軍機の頑強さを畏怖すべきなのか、反応に困らされる教えだった。だとすれば、昨日の火や煙を吐いていた敵機は彼にとって撃墜に入らないのか。


「撃墜できなくても、傷付いた飛行機は飛べません。修理するか、廃棄です。とくに昨日のような艦載機は痛手を負います。100機帰ってきても20機が大破していたら全部海にポイ。20機損失になります」

「つまり次の出撃では空母から80機しか出せなくなる、と」

「はいっ。次の出撃でまた20機傷つけてやれば、その次はもっと減ります!それを何回も繰り返せばきっと...」


「おう、賑やかだな」


会話を止めたのは一ノ瀬だった。助教含め、その場にいた全員が敬礼をする。


「状況がある程度わかった。敵機動部隊は退却を開始したようだ。海軍が追撃に出る」


彼の言葉に学生達は狂喜した。敵機動部隊を撤退に追い込んだと騒ぎ始める。一ノ瀬もどこか安心したような表情だった。それに対し、助教はなにかソワソワして物言いたげなようだった。


「どうした、助教」

「あの、未帰還機の捜索を...」


彼に安堵の暇などないのだろうか、昨晩のウトウトした表情とはうって変わって、飛行機の傍にいると何かしたそうに動きたがる。一ノ瀬は「行けるか?」と問うと「はいっ」と元気いっぱいに返事をした。


「九十九里沿岸まで飛んで、なにか見つけたら電信で連絡をくれ」

「了解です!」


さっき降りたばかりの一式戦に飛び乗つくや、整備隊長が尻を押して彼を支えた。そこからは手際よく操縦席に収まり、「回してください!」と大きな声で叫ぶ。

学生達が急ぎ気味に離れるなか、整備兵がエナーシャを回して一式戦に命を吹き込む。すると、力強く鼓動を始めてプロペラが凄まじい勢いで回り始めた。


赤い稲妻を帯びた一式戦が動き始め、滑走路までヨロヨロと進んでいく。「行ってきます」とばかりに機上で敬礼してきたので、一ノ瀬が短い答礼で応えた。すると、一式戦はグッと勢いよく進み始め、フワリと空へ舞った。脚をしまいながらみるみる小さくなっていく『赤稲妻』の機体を尻目に、一ノ瀬は整備隊長へ命令を下した。


「すぐに車両を出せるようにしておいてくれ」

「へい」

「学生達は別名あるまでピストで待機。陽が沈むまでは気を抜かないように」

「はっ!」



赤い稲妻を纏った一式戦は低空をゆっくり飛び続けていた。遠くを見やれば、濛々と黒煙が立ち昇っているのが見える。今朝もどこかで空襲を受けたのだろうか、機上の『赤稲妻』は警戒しつつ、申し出た任務を遂行した。

高度を500メートルで、こまめに背面姿勢となっては辺りをキョロキョロと見回して捜索をする。


「あっ」


乱戦を目撃した九十九里沿岸部では、ところどころに飛行機の残骸が見えた。その地点を一つ一つ、電信で送信する。沿岸部一帯をウロウロと飛んで、一通りの作業を終えると、今度は来た道を蛇行するようにうねうねと丹念に飛んで引き返していく。

生い茂る木々や四角く造られた田畑を通り過ぎ、道路や川を見つけては地図で位置を確認する。少しズレてるな、もう少し進むか等、すべてその場で判断して丹念に探し続けていった。


あの町に差し掛かったのは、夕暮れ時であった。

遠目ではあるが、見覚えのある小川が視界に映った。自ずと操縦桿が町の方へ向いていたことに気付いて、すぐに修正をかける。

ふと、あの夜に見た女性の笑顔が脳裏に浮かんだ。名前はたしか、美空さんだったか。


「綺麗な人だったなぁ」


彼女を娘と呼んでいたあの女性も、凛としていて顔立ちは整っていた。よく似た母娘だったな、などと余計なことを思い出しながら、視線を付近の地上に変更した。


この辺りは墜落機なし。と確認するや、針路を変えて黙々と捜索を続けていった。




「ご苦労だった」


指揮所で待っていた一ノ瀬に対して、『赤稲妻』は残念そうな表情を浮かべた。


「戦って散ったのだ。悔いはないさ」


『赤稲妻』が見た墜落地点は他の部隊や市町村にも協力をあおって確認を済ませていた。その中に、この部隊の機が3機あった。すべてが戦死であり、残りの一人も戦死と判断されつつあった。歴戦の猛者であっても友軍の死には応えるものがあるのかと、一ノ瀬は彼を慰めんばかりに言葉をかけた。


「まだ君と俺がいる。しばらく俺達の指導で彼らを育て上げねばならんが、励んでくれるか?」

「はいっ」


力強い返事に、一ノ瀬は「よし」と頷いた。

結局、この戦いは2日で終わった。新聞やラジオで取り上げられ、大きな戦果と共に勝利を報じていた。学生達は嬉しそうだったが、一ノ瀬と『赤稲妻』だけは違った。簡略的に記されていた被害の実態は、助教や教官、前線部隊から教育を受けに来た甲種学生などが中心であり、質の低下という点では見過ごせないものがあった。


「こんな近海まで機動部隊がやってくるようになったか。急いで練成しないと、大変なことになりそうだ」


一ノ瀬はポツリと呟いた。今回のような襲撃が何度も受けるようでは、まともな教育すらままならない。教育部隊の長としての焦りと不安、ましてや教官級の隊員を4名も喪った現状からして、先行きは明るくはない。時勢は待ってくれない。『赤稲妻』という教本を活かす前に学生達が征くようであれば意味がない。


『赤稲妻』をチラッと見やった。この幼顔は何を思っているのか。しかし、ニコニコした表情はなく、どこか思いつめたような、重々しいものを感じさせる。


「助教、何か思うことがあるなら遠慮無く言いなさい。稲妻部隊と比べれば頼りないだろうが、俺なりに工夫する」

「いえ、そうではなく」


ニッと笑った。無邪気な明るい笑顔ではない。ラバウル、大陸戦線、そしてフィリピンを舞台に激戦を繰り広げてきた者ゆえか、攻撃的な表情を帯びていた。


「また来たら、やっつけて見せます!」

「頼もしいよ。そのやっつけ方というのを、ぜひ皆にも教えてやってくれないか」

「もちろんですっ!!」


2人の見据える先には、学生達が賑わっていた。

日本本土防空戦の幕は開けたばかり。

実戦を知る者だけが、眼光を鋭く研いでいた。

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