表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
赤い稲妻くん。  作者: ぴーす
7/20

7話



学生の頃から仲が良かった麻衣との、最後のお別れの時を迎えた。

あの空襲で犠牲になった人達を弔うための盛大な葬式などはなかった。麻衣の両親が麻衣の遺体を火葬場まで

運び、火葬してもらって帰ってきただけという簡素な葬式だったとらしく、美空と母が招かれた時はすでに小さな木箱の姿になっていた。

母に続いてお線香をあげて手を合わせたが、こんな簡素な儀式で終わってしまうのかと、妙な気持ちになった。


「麻衣、美空ちゃんが会いに来てくれたよ」


木箱に語りかける麻衣の父の姿は、なんとも悲壮であった。麻衣の父は見知った人だった。シベリア帰りの退役軍人と聞いているが、そうとは思えない気さくなおじさんだった。そんな人が悲しげな表情を浮かべたまま「何か一言だけでも、お願いできないかな」と美空へ頼んでくる。美空は静かに頷くと、ものいわぬ木箱へ顔を寄せた。


「麻衣ちゃん」


美空の声音は、普段と変わらないものだった。まるでいつもと変わらない様子で、何事もなかったかのような明るい表情で話しかけ始めた。


「あの日ね、飛行兵さんと出会ったの。彼が麻衣ちゃんの仇討ちをしてくれたんだ」


それはまだ麻衣の両親も知らない、美空と彼女の母だけが知る物語のような出来事を、淡々と語りだした。


麻衣を殺したグラマンは、とある日本の戦闘機がやっつけてくれたこと。

しばらくして、その戦闘機がこの町に不時着したこと。

戦闘機に乗っていた飛行兵と出会ったこと。

私の友人が死んだと伝えたら、仇討ちを約束してくれたこと。

その日の夜、彼が家を探し出してまでその結果を報せに来てくれたこと。


「子供みたいな顔しててね、麻衣ちゃんも見たらビックリするんじゃない?」


小さな笑いを交えて、彼女はその日の出来事をスラスラと話し続けた。彼女を見守っていた麻衣の父は驚いた様子で聞き入っていた。そして彼女の母に至っては、「本当ですか?」と美空の母に向けて視線を送った。


「とても可愛らしい子でしたわよ」


小さく微笑む美空の母に、麻衣の両親はみるみる表情を変えていった。あの日、日本軍機が町に不時着したのは聞いていた。昼に日本の戦闘機隊が雄々しく町の空を駆け抜けていった時は、悲しみをぶつけるかの如く「仇をとってくれ!」と叫んだ。


「それじゃ、麻衣を殺した米軍機は...?」

「黒い煙を噴き上げて、炎上していました。墜落までは見てないけど、無事とは思えません」


ぶつけようのない怒りと憎しみを抱えていた心が幾分か楽になるような、まるで物語のような話だ。美空の返事に「そうか」と、父はどこか安堵したように呟いた。


「かつては軍人だった我が身ながら、浅ましくも敵兵が恨めしくて仕方なかった。戦争中なんだから、いつ戦禍を被ってもおかしくはないと理解していたつもりなのに、いざ向き合うとダメだったよ」


自分が情けないと言わんばかりの力抜けた言葉を、美空は「私も、あの日はたくさん泣きました」と照れくさそうな仕草で苦笑いした。


「でもね、おじさん。彼が言ってたの。私たちの悲しい思いは全部背負うって。彼らが米軍をコテンパンに叩き潰してくれるって、信じてるんだ」


後日、あの小さなパイロットを含めた日本軍による一大迎撃戦が関東で繰り広げられたことは、ラジオや新聞で大々的に報じられていた。迎撃戦は翌日まで続き、ある程度の被害こそ受けたものの陸海軍合わせて米軍機270機を撃墜、加えて100機近くに損害を与えたと知らされた。


「私ももう少し若ければ、復帰してコテンパンにしてやったのになあ」

「もう、あなたったら」


涙混じりに笑い合う麻衣の両親に、美空と母も笑顔を返す。

台湾での航空決戦を制しアメリカ海軍は痛手を負い、フィリピンではルソンという島で地上決戦を繰り広げている。一方的に勝ち続ける戦争などない。マリアナの失陥などの敗北もあったが、日本は米国という大きな敵を相手に激戦を続けている。


正念場なんだ。

ここで踏ん張らなければ。


美空達は、前線に立つ将兵たちを信じ、支えなければならない。それが銃後の務めだ。


「しかしこの町に日本の飛行機が来るとは。一体どこから来たのやら」

「県境の北飛行場ではないでしょうか。羽須美さんのお宅の次男様が、そこで勤務なさってるとか」


美空の母が答えるや、麻衣の父は「どうだろう」と首を傾げた。


「基地の居場所は機密扱いだったりすることもあるし、なにより噂では教育部隊が展開してると聞いたが」

「あら、そうなのですか」


新しい情報を耳にしたことで、美空と彼女の母は顔を見合わせてフワフワと想像を始めた。思い浮かべたのは、あの幼顔だった。


「じゃああの子、やっぱり飛行学校の学生じゃない?」


美空の言葉を「いいえ」と頑なに同意しない母。あの夜以降も彼を話題にした話は頻繁に繰り返されていたが、ところどころ意見が合わない。「どんな方なのですか?」と麻衣の母が興味あり気に加わろうとしてきた。


「もうホンットに可愛らしいのよ。目がくりくりしてて、元気いっぱいで」

「そ、そうなのですか」


熱の入った情報量の少ない返事に、麻衣の母はたじろいだ。


「いくつくらいだ?」

「えっと、二十歳と言ってました」


置いてけぼりを嫌ったのか、麻衣の父も話に入ってきた。この中で唯一、軍を知る者として腕を組くんで「ふむ」と勘案を絞り出す。


「15歳で少年飛行兵として入隊していれば、20歳でも―――。」

「えー」


四人は円を組むように囲い合って話を始めた。他愛のない話だが、気分が明るくなればと加わった麻衣の母の瞳に、ふと麻衣の姿が見えた気がした。


美空の隣でちょこんと座り、興味深そうに話を聞いてはクスクス笑っている。


「お母さん」


麻衣が楽しそうな顔でこちらを見ている。いよいよ耳まで狂ったか。麻衣の母は逸らすように夫へ視線を送った。すると彼もまた、こちらを見ていた。


キョロキョロと視線を移すが、美空ちゃんも彼女の母も、私を見ている。いけない、話を聞きそびれた。


「お母さんは、どんな人だと思う?」


麻衣が訊ねていた。まるで、最初から五人で飛行兵の話をしていたかのように。


「麻衣が一目惚れしちゃうような...、素敵な殿方...でしょうか...??」

「あら、それだと困りますわ。うちの美空が敗けてしまいます」

「ちょっとお母さんっ!」


不思議と会話が続いた。麻衣の姿が消えていることに気付いた時、夫が小さく呟いた。


「...おまえにも聞こえたか」


夫の瞳から涙が浮かんでいた。美空の隣にくいと顎をやり「あそこにいたんだ。とても楽しそうでな」と、声を震わせながら教えてきた。自分と同じものを見ていたのだ。

麻衣の父が目を覆って顔を下に向けた。小さな嗚咽が、美空達の視線を振り向かせた。。


「おじさん、どうしたの?」

「いや...見知らぬ男に麻衣を嫁にやるのは、な」

「...アナタが決めかねてしまううちに、美空ちゃんに取られちゃいますよ」


今度は麻衣の母が、涙を溢しながら笑顔を作った。


涙混じりの会話はずっと続き、気が付けば日が暮れようとしていた。


「つい長居してしまい、申し訳ございません」

「いえ、とても楽しかったです」


母同士が言葉を交わしている間、麻衣の父が美空にお礼を述べた。


「今日は本当にありがとう。久々に楽しい会話ができた」

「私も楽しかったです」


ふと、美空が麻衣の遺骨を納めた木箱に顔を向けた。


「またね、麻衣ちゃん」


もしかしたら、美空ちゃんもおそらく彼女の母も、気遣ってくれていたのかもしれない。

自分達が見た、ここに居るはずのない娘のことを。


「ごめんね」


いけない、また幻聴だ。


「もう会えないの」


麻衣の声が、とても残念そうに美空へ語りかけている。


「私、行かなくちゃ」

「...そっか」


美空の返事に、麻衣の父は驚いた。まるで麻衣の声を聞いていたかのような、悲しそうな返事。


「でも、また会えるよ。天国か、来世で」

「...うんっ」


彼女にも、見えていたのだろうか。落ち着いたはずの感情が、再び動き出す。


「またね、麻衣ちゃん」

「またね、美空ちゃん」


スッと美空が立ち上がり、「では、お邪魔しました」と頭を下げた。

麻衣の父は「気をつけて帰りなさい」と、優しい声で彼女を見送った。


帰っていく2人の背を眺めながら、麻衣の母はポツリと呟いた。


「...どんな御仁なのでしょうね」

「さあな。麻衣に見合う男だと信じたい」

「麻衣が連れてきたら、貴方はきっと怒鳴って殴りつけていたのでしょうね。私の父がしたように」


茶化すつもりが上手く返され、麻衣の父が苦笑いを浮かべた。「義父様の一発は、初陣で受けたパルチザンの銃弾より痛かった」と冗談めかしく笑う。


「...中に入ろう。寒くて古傷が疼く」

「それはパルチザンの?父の?」

「秘密だ」


小さくなっていく美空達に背を向けて、麻衣の両親は家へ戻っていった。



帰り道、美空が羨ましそうに呟いた。その目はどこか遊び心を抱かせており、ニヤついた口調とともに母に向かった。


「私もお父さんほしいなー」

「あら、じゃああの飛行兵どのを私に頂戴な」


すぐにあのパイロットの話に持ち込んで反撃する。それに対して「そんなに気に入ったの?」と娘は首を傾げた。すると、母が空を見上げながら「そうねえ...」と何かを思い浮かべながら呟く。


「まず顔が5000点...いえ9000点かしら。性格が10000点で―――。」

「それ何点満点?」


呆れ気味に言葉を返す美空を見やって、今度は母が「では、貴女は彼のどこが気に入らないのかしら?」と聞き返しにきた。


「いや、別に嫌いなところとかはないけど...」

「全部好き?」

「うーん、好きっていうか...」

「じゃあ嫌いなの?」

「そういう表か裏みたいな選ばせ方やめて」


ふと母の顔を見ると、楽しそうに微笑んでいた。こういうやり取りの時に見せる母の笑顔は大抵自分を揶揄って遊んでいる時だ、と美空は知っている。


「まあ優しい子、くらいの評価かな」

「そうやって悠長にしていると、本当に誰かに取られてしまいますわよ」


我が娘はどうして異性に関してこうも疎いのだろうと、母は嘆いた。どうやらまるまる言葉に出ていたらしく、「余計なお世話ですぅ」と美空が不貞腐れる。機嫌と共に上体も斜めに傾けて、ピトッと母に寄り添う。


夕日が染める母娘の姿は、どこか姉妹のようにもみえた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ