6話
一ノ瀬の予想よりも早く、『赤稲妻』を乗せた車が戻ってきた。
窓越しにヘッドライトが見えるや、スラスラと文字を書き連ねる手をいったん止めて彼を出迎えに行った。
車から出てきた『赤稲妻』に「おーい」と声をかけると、こちらに向かってトコトコと走ってくる。
「少佐どの、ただいま戻りました!」
「早かったな、用事は無事済んだか」
「はいっ!」
「よろしい」と、一ノ瀬は無意識に頭に手を置いてしまった。あまりに元気なものだから、つい子供のように扱ってしまった。さすがに機嫌を損ねるか?
「...?」
『赤稲妻』の反応はない。一ノ瀬の手を頭に乗せたまま、ジッと一ノ瀬を見ている。なかなか面白い絵面だと、小さく笑った。
「いやすまない。子供のように見えてな」
「...少佐どのも子供扱いするのですか」
「も」ということは、すでに誰かからそう扱われたのか。誰でも子ども扱いするとは思うが。と言うのはさすがに可哀想だなと思いつつ、「他に誰が?」と尋ねてみる。
「...前の戦隊全員からです。後追いで来た子達からも子供扱いされました」
『赤稲妻』が拗ね気味に答えた。「あと、今日の運転手さん」と付け加えられ、さすがに笑ってしまう。
「いやいや、少なくとも君は私より若いし、おまけに顔立ちが―――。」
「幼顔だから、ですよね...よく言われます」
彼なりに気になっているのか、ますます不満そうになる。顔立ち以外にも、そうやって頬を膨らませるような所作が幼いのだぞ、と教えてやったほうが良いのだろうか。
「女にはモテるぞ」と助けつつ、話題を切り替えてやろうと一ノ瀬は彼に「メシは喰ったか?」と尋ねる。すると首を横に振ったので、「食堂に行こうか」と彼を案内した。
建物に入り、言われるまま通路を進んで部屋を歩く。すると、向かう先にガヤガヤと賑わう声が聞こえ始めた。
「陽が沈んでからずっと話し合っているぞ」
一ノ瀬が部屋を開けると、学生達が数人ずつ囲いを作って熱心にあれこれ話している。ある者は声高に、ある者は身振り手振りしながら、今日の出撃について言葉を作っていた。
「隊長どの!助教どの!!」
誰かの一声で議論が止まり、一斉にこちらを向いた。慌ただしそうに立ち上がり、サッと敬礼。それをにこやかに答礼して返す。
「助教が飯を食う。少し邪魔させてもらうぞ」
一ノ瀬の言葉を聞くや、どうぞこちらへといわんばかりに皆が席を空けた。誰かが「食事持ってきます!」と駆けだす。
一ノ瀬たちは手近な席に腰かけ、対面に『赤稲妻』がちょこんと座った。学生達が二人の会話を聞こうとした途端、先程までの賑わいが消えた。
「空戦なんて久しぶりにやったよ」
一ノ瀬が封を切った。『赤稲妻』はキョロキョロと学生を見まわして、落ち着かない様子だった。しかし会話を紡いごうとすぐに彼に視線を戻す。
「ノモンハン以来でしたっけ」
「ああ。九五式を乗り回したよ。あの頃がずいぶん昔に思える」
まもなく食事が運ばれて、『赤稲妻』の前に置かれた。先程の不機嫌も今はどこへやら、「いただきます」と元気よく食事に飛びつく。
頬をいっぱいにしてもぐもぐと食べる彼の表情は、幸せそうだった。なかなか美味そうに食うもんだと感心する。さっき同じものを食べたが、自分はどんな表情で食ったか、思い出せない。
「内地のメシはおいしいか?」
「はいっ!」
元気いっぱいの返事につられて、一ノ瀬も微笑んだ。
ふと学生達の方を見た。食事を楽しむ助教を微笑ましそうに眺めているが、彼らの本意は別にある。今日の空戦に対する『赤稲妻』の座学を望んでいた。そして一ノ瀬も、彼にしか教えることのできない一点に焦点を当てて、聞き出しておきたいことがあった。
「今日の戦法、助教はどこで身に付けた?」
「えっと、ラバウルです」
学生達の表情が変わった。一言一句聞き逃すまいと、彼の言葉を待つ。
「敵が巡航で飛んでる時によく使いました。雲に隠れて、一撃かけて脇目も降らずにまっすぐ飛ぶんです」
「その一撃が難しかった。上手く当てようにも、機速が増しているから焦ってしまう」
「ぼくが初めて当てた時は、ぶつかりそうだ!ってくらいの時に撃った気がします。射撃は大体100メートルくらいで撃てと教わりましたけど、距離を測ってたら余計に焦るときもあるので、すっかり感覚で撃つようになっちゃいました」
ゴクゴクと茶の流し込み、「ごちそうさまでした!」と幸せそうな表情。今、『赤稲妻』なりの射撃のコツを聞き出されているという自覚はあるのだろうかと、一ノ瀬は少し心配した。
「俺の場合は、撃とうと思ったときに身体が一瞬止まったよ。その一瞬の間が幸運してか、上手く当たったのかもしれんな」
「一瞬待って撃つ、と言う人は戦隊にもいましたよ。その方の射撃はすごく上手なんです。なんでも、今だ。という時は、大体先走ってるから一瞬待って撃つんだとか。外したら、そもそもの判断が間違えてるんだ。って、おっしゃてました」
『赤稲妻』の言う戦隊とは、彼の前身である稲妻部隊のことだ。陸軍の精鋭部隊にも自分と同じ感覚で撃つ者がいること、そしてそれをコツとしていることを知れたのは、一ノ瀬自身にとって十分な収穫だった。しかし、学生達にとってはやや難題かもしれない。ぶつかりそうな距離感など、人によって異なるし、一瞬の間など抽象的すぎる。
「あ」
『赤稲妻』が、何かを思い出したようにつぶやいた。今までの話は射撃を命中させる絶好の機会を見極めるための話。結局のところ、戦闘技量を積み重ねて得られた各々の感覚ありきでは雛鳥も参考にしづらい。
「逆の人もいました。散らして撃つんです」
「散らす?」
これの逆とは?と、一ノ瀬は興味を持って反応した。
一度置いた箸を握り、縦向きに見せつけてくれた。「これを操縦桿とします」と、『赤稲妻』が付け加える。彼が握る橋へ周りも視線を集めた。
「撃ちながら、上下左右に操縦桿を軽く揺するんです。そうすれば弾は散弾銃のように散って飛んでいきます」
くいくいと箸を少し傾けて見せる。操縦桿を傾かせた分、機首は反応をする。つまり向きを変える。
撃ちながら機首を動かせば、一点めがけて飛ぶはずの弾丸は広範囲に飛んでいくというわけか。と、一ノ瀬は関心を寄せていく。
「とにかく命中一発、という時はこれも手です。ただ、弾の消費が多くなるので長時間戦うのには向きません」
良い事を思い出してくれたと、一ノ瀬は内心で喜んだ。
散弾銃は良い例えだった。小型の鳥を撃つ時は散弾銃で撃ち、吐き散らされる子弾で仕留める。「鳥撃ちと同じ考えか」と、自分の想像が学生達に伝わるように言葉で添えた。
一点を狙い絞らず、ばら撒いて当てる。空中射撃の訓練ではまず教えないやり方ゆえ、実戦向けのコツとしては新鮮に感じられる。
「試す価値は大いにあるな。四式戦には20ミリ機関砲が積んであるから、その一発を当てればデカい」
わざとらしいほどの笑顔を浮かべる一ノ瀬に、学生達もザワと賑わいだ。
さて、一ノ瀬が一番知りたかったことは聞き出せた。他に聞き出したいことは―――。悩みだしたとき、「あの」と外野から声が届いた。一ノ瀬が反応するよりも早く、彼らにとっての助教は「はいっ」と元気よく返事をした。
2人を取り巻く学生たちの中から、一人が進み出て2人の前へやってくる。やや緊張気味の面持ちで身を固くしている彼に対して、隊長が「言ってみなさい」と背中を押してやる。
「自分は今日、見学組でした!助教どのの空戦を見ていたのですが、敵機がこう...交差を繰り返す機動をしていました!あれには何か狙いがあるように思えるのですが、何かご存知であれば―――。」
言葉の仕舞いを待たずして、『赤稲妻』が箸を置いて席を立った。突然立ち上がった助教に驚く学生に対して、『赤稲妻』は嬉しそうに「よく注目してくれました」と学生を褒めた。そして周りにいる学生達に見えやすいよう、手を大きく動かし始める。
左右の手が弧を描いて交差し、また半円を描くように動いて、再び交差する。「こんな動きですよね」と確認する助教に、学生は「はい!」と元気よく頷いた。
「ぼくはこの機動を『糸織り戦法』って呼んでます。どちら一機に敵を追いかけさせて、もう一機が交差の時に襲ってくる。というものです」
一ノ瀬も熱心に耳を傾ける。敵の戦い方を覚えて損などない。むしろ覚えておくことで長生きできる、貴重な情報だ。空戦を見ていないから、これは有益な話が聞けそうだと、一ノ瀬も静か且つ、情熱的な眼差しで学びの姿勢を向けていた。
「アメリカ軍の戦闘機は最低でも2機一組で連携しながら飛行します。たとえばこうやって...単独で旋回する敵機を追う時なんかは注意しないといけません」
皆が『赤稲妻』の手の動きに視線を配っていた。右手が旋回するように大きく弧を描く。それを追いかけるように、左手が続いていく。
「こうやって追っかけるとき、追う側は狙いを定めるために意識は前方の敵機に集中してしまいます。照準を合わせようとすればするほど、前しか見えなくなっていきます。アメリカの飛行機はその隙を狙ってくるんです」
『赤稲妻』の説明に、一ノ瀬は唸った。
空戦で敵を追うとはすなわち、攻め側になる。攻め側の動き方は単純で、逃げる敵機を追いかけて真後ろの位置につく。仮に敵機が右に旋回すれば、追従するように右旋回する。つまり、動き方が読まれやすくなる。そこに一撃をかけられたら、ひとたまりもない。
「アメリカ軍の戦闘機が単独で戦うことはまずありません。目の前に1機いるなら、その相棒が必ず近くに潜んでいます。あえて狙わせて、僚機に襲わせる。それがアメリカ流の戦法です。敵の手に乗らず、そっぽを向いてどこかへ行って相手を困らせてやりましょう」
説明は以上ですと言わんばかりに『赤稲妻』は手を下ろして、質問を投げた学生をジッと見つめた。目前に立つ、自分よりも少し背の高い学生の頭に手を伸ばし、「よく見てましたね」と優しく撫でた。
学生は照れくさそうに「いえそんな」と、まっすぐこちらを見てくる助教から視線を逸らす。そんな二人を、どこか羨ましそうに周りが見ていた。
そんな雰囲気などお構いなしに、『赤稲妻』が大きなあくびをした。
「...すみません。失礼しました」と詫びつつ、どことなく目がトロンとしていた。満腹になって眠くなったのだろうか。少し惜しいが、無理をさせるのも良くない。
「風呂場と寝床を案内する。もう行こうか」
「はい」
彼の元気いっぱいな返事は、今日はもう期待できそうにないなと、一ノ瀬は苦笑いを浮かべた。学生達に見送られながら、2人は部屋を出た。
先に風呂場へ案内し、そのまま入らせた。待っている間、一ノ瀬は今日という日を振り返り、総括した。
教官4名が未帰還となった。これは自分の愚策が招いた結果で、猛省すべきだ。
『赤稲妻』が来た。これは幸運以外の何物でもない。上官の落とし物がなければ、彼はここに来なかった。別の者が来ていたら、もっと別の形で今日を終えていただろう。
学生達に実戦を経験させた。これが一番大きい。誰一人失わず、敵に実弾を撃って帰れたのは大きな成果となった。そしてその成果を糧に、学生達へ成長を促している。彼らが最も行き詰まるであろう射撃に関しては『赤稲妻』が補ってくれた。
最高は言えないが、悪くない一日となった。いや、先ず敵機動部隊との一戦が落ち着いてから評価すべきか。
「戻りました」
声の方を見やれば、湯気立った『赤稲妻』がいた。表情はサッパリしているが、声が丸い。もう休ませよう。続けて彼を寝床へ案内し、今日は彼と別れることにした。
「フィリピンでは四式戦に乗っていたと聞いていたが、明日からはどうする?」
「一式戦が良いです」
「わかった。明日は6時から警戒態勢に入る。よろしく頼む」
「はいっ」
ピッと敬礼してくる『赤稲妻』に、「では」と答礼を返した。
学生達は初々しい良い風を運んでくるが、彼のような元気のある風もまた良いものだ。と、自然と笑みを浮かべる自分をもう一息。と、頬を軽く叩く。
食堂を通ると、まだ学生達が喋っていた。『赤稲妻』は幼っぽいだけだが、彼らの大半は純正の子供だ。だからこそ、しっかり大人が見守るべきゆえ「そろそろ寝なさい。明日は6時から警戒態勢に入るぞ」と促しておく。
一ノ瀬は外に出て、キリキリと歩みを進める。行き先には、大きな戸が解放された建屋があった。
「整備隊長、状況はどうだ」
建屋の中で整備の者達に顔を出し、状況と以上の有無を聞く。彼らの前には、エンジンが取り外された状態の一式戦が羽を休めていた。胴体には、長い赤い稲妻が描かれたマークが派手に照らされていた。それに纏わりつく者たちの中から、一人が駆け足でこちらへやってきた。
「少佐どの、四式戦はいつでも出せますよ」
「あの一式戦はどうだ?」
「正直言えばもう限界です。あちこちに金属疲労がみられて、次に飛ばせばどこがダメになるやら」
整備隊長の言葉に、最前線の苦労を思わせた。『赤稲妻』と共にやってきた外地帰りの機体だからある程度は使いこまれているとは思っていたが、そこまでボロボロなら隊の機体を使わせた方が良い。
「では、これからも隊の機体を使わせよう。戦歴ある赤い稲妻の一式戦が飛ぶ姿を見れないのは、じつに残念だ」
「ですよねえ」
中年同士のノリで、互いが笑みを浮かべた。互いに思惑が一致していると悟るや、2人は声を上げて笑い合った。
「明日には間に合いそうか?」
「もう塗ってますよ。少佐どのにダメと言われたら洗う予定でした」
「こっちです」と懐中電灯を片手に、整備隊長に案内されるまま飛行場の滑走路を歩く。冷えた風が身に染みるが、暗闇の先に待っている物への期待が足を動かす。
「あの赤い稲妻を見ると元気になりますな」
「飛行兵にも会うといい。二十歳とは思えん子供っぽさに驚くぞ」
「そりゃ楽しみだ」
懐中電灯がパッと二人の先を照らした。そこには、1機の一式戦闘機「隼」が主をじっと待っていた。
稲妻のマークは、本来『稲妻部隊』の所属を示す部隊マークではあるが、規格よりも大きく、そして長くなったそれは、もはや歴戦の猛者である『赤稲妻』の個人を指し示す証だ。せっかく彼をもらったのだから、この塗装ももらおう。
「明日、飛びたそうにしていたら10分だけ飛ばせてやってくれ」
「了解です。戦地帰りなら朝も早いですかね」
「なら我々も早く寝よう。見過ごしては損だぞ」
2人は親し気に言葉を交わしつつ、その場を後にした。
整備隊長の予想通り、夜明け近くにエンジンが唸り始めた。
短い睡眠を済ませた一ノ瀬は、気だるい身体を無理矢理動かしながら支度をしていた。
遠くから聞こえるエンジン音に気付くや、窓を覗く。その先に広がる光景に、眠気が吹き飛んだ。
「...ずいぶんとまあ早起きなものだ」
赤い稲妻を与えられた一式戦が唸り声を轟かせ、悠々と羽ばたいた。
飛行場の上空でヒラヒラと待っては、キレのある機動を重ねて自由自在に飛び回る。
整備隊の者達が地上で沸き立っていた。まるで祭りのようにはしゃぐ様子が見える。
『赤稲妻』はどんな顔で飛んでいるのだろうか。降りてきたら、またあの子供っぽい笑顔を見せるのだろうか、などと思案しながら、一ノ瀬は外へ出た。