5話
学生たちは、しばらくはみんなで盛り上がっていた。見学組が言う分には、『赤稲妻』と隊長機以外にも戦果が出せたらしく、学生たちはいっそう狂喜した。そんな彼らを尻目に、一ノ瀬も1機撃墜確実という報告に笑みを隠せない。我ながら良くやったものだと自分を褒めつつ、『赤稲妻』と2人で集計を始めた。
「我が隊の戦果は今朝のも含めて撃墜1(落下傘確認)、炎上3、海面激突1、命中大破1、命中中破5(黒煙)、命中小破5(白煙)といったところか。被害は未帰還4名、故障1機...と」
一ノ瀬は己の言葉と向き合い、心中で勘定をしてみた。
教員級4名が未帰還なのは間違いなく痛手だった。この時間になっても帰投できていないのであれば、予想できる結末は3つ。
まず一つ目に、他の飛行場への着陸していた場合だ。どこぞの部隊と合流して空戦し、そのまま部隊と共に帰投したとか、燃料不足や機体不調で最寄りの飛行場に着陸したのであれば問題はない。機体と各員の準備が整いしだい帰ってくる。
しかし、望み薄だと一ノ瀬は考えた。もしそうなっていれば連絡のひとつくらい届いているはず。音沙汰なしという現状を鑑みても期待できない。
二つ目は戦死。『赤稲妻』が九十九里上空で見たという乱戦に呑まれ、散華した。と想像は容易い。現状だと、これが一番現実的だろう。それでいて、最も外れてほしい結末だ。
最後に生存、要救助という事態。外地だとまずい状況だが、本土なら幾分かマシだ。なんせ陸に敵がいないので、誰かに会えれば救助につながる。重傷を負っている場合は話が変わってくるが...。
などと妄想していたら、小さな幼顔が心配そうに「あの」と声をかけてきた。
「ぼく、捜しに行ってきましょうか」
無茶な提案だった。陽は沈み始めているし、捜しても見つかるまい。気休めにもならない提案だが、彼なりに不安を取り消してあげたいと頑張っているのだと、その気持ちはじんわりと伝わってくる。
一ノ瀬はポンと彼の肩に手を置いて、「ありがとう」と優しい言葉を返した。
「では米軍の相手が済んだら、捜索を手伝ってもらおうかな」
「はいっ」
自信に満ちた笑みが、なんとも心強く写った。良い飛行兵を寄越してくれたものだと、心中で呟いた。
西日が沈み、整備兵たちが慌ただしそうに四式戦に纏わりつく。一ノ瀬の言う通り、まだ米軍の相手は済んでいない。彼らの慌ただしさは、緊急の証左だ。
隊長の号令で集められた学生達は、危機が去っていないことを知らされる。
「今回交戦した米軍機は空母艦載機だ。つまり敵の機動部隊が俺たちの相手となる。機動部隊であれば、複数の空母を有している可能性は非常に高い。やつらが本土の近海を遊弋している以上、いつ襲ってきてもおかしくはない。今でこそこの飛行場に敵機は来ておらんが、次も標的にされない保証はどこにもない」
一ノ瀬の言葉に、先程まで浮かれていた学生の表情が神妙なものへ変化していく。
「また戦ります!」
学生の誰かが勇ましく叫んだ。まず「気概は見事だ」と褒めたのち、一ノ瀬は彼を正す。
「だが、気概だけで空母は沈まんし、敵機も撃ち落とせない。今日の出撃はよくやったが、慢心や過信は許さん。隊形の組み方すら粗末なものだった。完全なる奇襲と成ったのは、助教の卓越した戦術眼あってのものだということを忘れるな」
学生の悔しげな表情を、一ノ瀬は見逃さなかった。彼らの気持ちを踏みにじりたいわけがない。彼らが痛感する悔しさは、自分のような「戦える人間」達が背負うべきであり、彼らのような雛鳥が背負うものではない。
彼らが背負うのは未来だ。陸軍飛行戦隊の明日を担う者達には、今こそ学習と成長に専念してもらわねばならない。
「貴様らは今日で多くを学んだはずだ。経験したこと、見たことすべてが糧となる出撃だった。今日のうちに各々で話し合い、共有してくれ。敵機が来たら今日のように俺と助教を追っかけて、戦い方を学べ。この戦いで学んだ分、お前たちは強くなる」
彼らがやるべきことは、悔恨に苛まれることではない。今日の経験で実力を高める、ただそれだけだと力強く訴えた。先程まで祭りのようにはしゃいでいた学生たちの眼差しが良い具合に鋭くなる。
もう一押し、念を押そう。言葉だけではなく、行動で。
「助教、初日から苦労をかけた。本当に申し訳ない」
学生たちの前で、一ノ瀬が頭を下げた。これには学生達も驚き、目をパチクリさせる。彼らの視線を浴びながら、一ノ瀬は『赤稲妻』の返事を待った。彼を活かせば学生から悔恨の念は消えると、一ノ瀬は信じて待っていた。
当の本人も面食らった様子だが、あの一言を引き出すはず。一ノ瀬が今日の出撃を認めたあの一言をみんなに聞かせてほしい。百戦錬磨の『赤稲妻』が言うからこそ、学生達も納得する。
「実戦に勝る訓練なし、です」
文句なしの返事。その一言だ。
面を上げれば、無垢な笑みを浮かべる『赤稲妻』に、心中でお礼を述べると同時に謝罪した。「こんな使い方までさせて申し訳ない」と。
その対価として、学生たちの眼差しに熱を感じた。
あとは解散させれば良い。自ずと熱心に今日の一撃離脱戦について意見交換を始めるだろう。今日の一晩をかけて熟成させれば、『赤稲妻』に対しても、より一層関心を寄せるだろう。
一ノ瀬なりに、即席ながら教育環境を立て直せたと実感した。
『赤稲妻』を範とし、雛鳥が育つ環境。明日の朝には、学生たちにとって『赤稲妻』が親鳥になる。
一ノ瀬が「本日は解散だ。しっかり休め」と彼らを解放した。敬礼と答礼を終えるや、思惑通りに学生達が言葉を交わし始めた。あとは明日が来るのを待つばかり――――。
「少佐どの」
突然の声掛けに、一ノ瀬はピクッと身を震わせた。顔を見やれば、『赤稲妻』の元気な顔がこちらを向いている。
「どうした、助教」
「明日が楽しみですね」
見透かされていたと悟るや、ニコニコと笑う彼に向って溜息を洩らした。正直に謝ろうと一ノ瀬は思った。なんというか、彼の笑顔には何か含みがあるような気がした。
「いや本当にすまない。教育のためなんだ」
「はいっ」
「...なにか強請るつもりか?」
こういう時は素直に聞く方が良い。というか手っ取り早い。
今日の勲功者は間違いなく彼だった。もし然るべき階級にいたなら、感状の一つくらい贈っていたほどに働いてくれた。
「今からちょっとの間、町に行きたいのであります」
なんだ、近所に実家でもあるのか。と、一ノ瀬は目を見開いた。
「親にでも会いたいのか?」
「いえ」
少しの間を置くように目を閉じ、ゆっくりと息を吸いながらこちらを見つめ直す。
愛嬌のある笑顔が消えた。幼い印象こそ残るが、なかなか立派な顔つきになっていた。
「不時着の時、手助けしてくれた方に個人的な約束事をしておりまして」
瞬間、出撃の時に航過した町を思い出した。
記憶が正しければ軍需とは関係のない小さな町、あそこで彼は不時着したはず。たしか上空を航過した時、くすぶったような黒煙が立ち昇っていたのを見た。
「あの町か」
「はい」
空襲を受けた町の人間と、空で戦う者の間で交わされる約束事。
何の約束をしたのかは知らないが、大方の検討はつく。
「車輌の運転はできるのか?」
「やったことはないですが、自信はあります!」
「...では運転手も付けておこう。なるべく早く済ませて帰ること。良いな?」
「はい!ありがとうございます!!」
まるで親子のやり取りかと思わせるようなやり取りののち、嬉しそうに駆け出して行った。どこへ行くのかと思い「車はここで待機させとくぞ」と声をかけてみた。すると、反転してトタトタと戻ってくる。
本当にどこへ行くつもりだったのか。と一ノ瀬は苦笑いを浮かべた。
間もなく、『赤稲妻』を乗せた車が飛行場を飛び出していった。
時は過ぎて、美空の自宅にある時計が午後8時を示した。
後追いで発令された警戒警報は結局解除されないまま、美空は母と共に家にいた。悲劇となった一日だったが、昼以降はなんとか元気を維持できていた。
母と一緒に家事をしたり、ラジオを聴きながら他愛のない会話をした。太陽が夕日になって沈もうという時に、また日本機が飛んできた。その時は防空頭巾を被って、玄関を飛び出し母と共に「おかえりなさーい」と大きな声とともに手を振った。
それ以降、会話の内容はずっとあのパイロットの事を話していた。
「ゼッタイ飛行学校の学生だって。顔が雛鳥って感じだったもん」
風呂上がりで湯立った身体に寝着だけ羽織り、ちゃぶ台に頭を置いてダラダラとする美空が母に訴える。
「いーえ、あの子は現役の飛行兵さんです」と、警戒警報を意識して、しっかりと腰丈の着物にモンペ姿で乾かし終えた髪を梳きながら鏡越しに見える娘へ対立する。
「少年飛行兵出身ならああいう可愛い飛行兵さんだって出てきますわ」
「お母さん、あの子のことずっと可愛いって言ってない?」
「だって可愛いじゃない。ほっぺは丸みがあって、目もぱっちりしててとっても綺麗。とくにニッコリ笑った顔がホント可愛らしかったわ」
ニコニコ微笑む母を見て、美空はどこまで本気で言ってるのか怪しむと同時に、彼の顔を思い出してみた。
先ず浮かんできたのは、マフラーを外した時。ぐったりして目を細めて、今思えば、弱った子犬のような感じ。それか、飛行兵の服を着て遊び疲れた子供にも見えなくはなかった。
何もない視界に描いた彼の顔に、人差し指でツンツンと頬を突いてみる。
次に浮かんできたのは、シュンとして謝ってきた時。あれは叱りつけられてしょんぼりする子供にしか見えなかった。もう一押し怒れば泣いていたかも。
「あら美空、ニヤけちゃってどうしたの?」
最後に、視線を合わせて仇討ちを約束をしてくれた時。
あの時だけは少年ではなかった。幼顔さを残していたくせに、力強い眼差しだった。あの時の気迫は今でも忘れられない。
「あれは...まあ、アリ。かな」
「なにがアリなのですか?」
突然、視界から母の顔がヒョコッと現れた。驚いた反動で、思わずちゃぶ台から頭が持ち上がる。
「もう、飛行兵さんを妄想してたのかしら。はしたない」
「お母さんだって随分はしたないコト言ってたじゃない」
頭を上げたついでに、ちょうど良い位置に母が正座していることに気が付いた。そのままグラリと身を崩してみると、狙い通りに母の太腿を枕にできた。おまけにフワリと良い匂いがして、美空は満足げに笑みを浮かべる。
「あー」
「もう、甘えっ子なんだから」
こうして優しく撫でてくれる母の手が大好きだった。視線が重なれば、「どうしたの?」と微笑んでくれる。私の大好きなお母さん。もう少し身体を寄せようとすり寄って、また母の顔を見る。今度は母の顔が胸で隠れて半分ほどしか見れない。
「ほら、そろそろ着替えなさい。まだ警戒警報中ですよ」
「もうちょっとだけ」
「ならせめてちゃんと着なさいな。寝着を着崩すのは、旦那様を誘う時だけになさい」
「旦那様なんていないもん」
自慢気に鼻を鳴らす美空を、母は情けないと嘆く。
「私なんて15で嫁いで16の時に貴女を産んで...貴女の年頃の時は――――。」
「はいはいお母さん美人だもんねえー」
「貴女もシャンとすれば美人なのに。そんなままだと、飛行兵さんにも引かれますよ」
美空は頬を膨らませ、「あの子は関係ない」と不機嫌そうにそっぽを向く。母は不敵な笑みを浮かべ、指先を娘の頬に当てた。
「アリなんでしょう?狙ってみなさいな」
「んっ、興味ない」
その時、玄関から「ごめんください」と声が響いた。
美空は慌てて飛び起きると同時に、母は娘の恰好も忘れて「はあい」と気返事してしまう。あっ、しまった。と気付き「少々お待ちください」と続け、美空は慌てて衣服を身に纏う。
「あのっ」
「すみません、いま開けますのでー」
ようやくモンペを穿き終えたところで、パタパタと母が玄関を開いた。
「申し訳ございません、娘が―――。」
2人の眼前に、あのパイロットが立っていた。
今朝見た格好と同じで飛行服を身に纏った姿で、走ったのか息が乱れている。
「あら、飛行兵どの。こんばんは」
「こんばんわ!」
あら元気な声、と母は感心しつつ「娘の美空も居りますよ。どうぞ上がってくださいな」と招く。しかし、パイロットは首をブンブンと横に振って「あのっ、早く帰るように言われてるんです」と急ぎ気味。
門限が迫った子供みたいな言葉に、母の後ろで美空が小さく震えていた。
「よく私達の家がわかりましたね」
「先に憲兵さんにお礼を伝えに行って、家がわからない事に気付いて困ってたら行き道と表札の名字を教えてくれました!」
言う事成す事、外出した子供が迷子になったのと大して変わらない。これにはさすがに耐えられず、美空はプッと噴き出す。母は「あらまあ」と、今すぐ頭を撫でたいとばかりに手を伸ばしたくなる気持ちを抑えていた。
「あの、今朝は本当にお世話になりました!それと、えっと...ご息女さま。との約束を果たしましたので、一言ご報告をしようと思って」
「...そうですか。美空、こちらへ」
母は一歩下がった。そして立ち位置を交代するようにして美空がパイロット前に姿を見せる。
相対してあらためてみるが、やはり彼への印象は変わらない。
「お昼にたくさんの日本の飛行機を見ました。最後に飛んで行った飛行機に、貴方が乗ってる気がしました」
「仰る通り、ぼくはしんがりでした」
記憶と事実が重なり、美空は小さく微笑んだ。
彼はスゥ、と息を吸い、ピシッと気を付けして美空に復仇戦の結果を告げた。
「敵グラマン群、約60機と交戦!炎上1、海面激突1、命中大破1、命中中破3。部隊戦果はそれ以上でした!」
幼顔だなんだと呼んでいたこのパイロットが、あの恐ろしかったグラマン相手に戦いに行って、こうして結果を報せに来てくれた。一所懸命に操縦して、文字通り命賭けで敵と戦って帰ってきたんだと思うと、彼の幼顔にも逞しさを感じた。
「あなたの奮戦は、天国の麻衣に必ず伝えます」
深々と頭を下げる美空に、パイロットは優し気な口調で言葉をかけた。
「皆さんの悲しい思いは、ぼく達が全部背負います」
顔を上げれば、ニッと笑ってみせてくれた。全部任せなさいといわんばかりで、とても暖かい。麻衣を喪った私の悲しみを背負って戦いに行ってくれたのだと思うと、彼にかけたい言葉が一気に噴き上がってくる。
そもそも貴方はグラマンに狙われていた私を助けてくれた。こうして生きているのも、ひとえに貴方のおかげなの。
麻衣が殺されて、本当に悲しかった。そんな私に、仇討ちを約束してくれた。あの時の貴方の力強い眼差しは、今でもはっきりと覚えてるよ。
麻衣の死を受け入れたばかりの私を励ますように、たくさんの日本機を連れて町を駆け抜けていってくれた。貴方には届かないってわかってたのに、「いってらっしゃい」って声をかけたの。
そして、こうして息を切らして家まで駆けつけてくれた。私に会いに来てくれたんだって思うと、嬉しい気持ちになれたよ。
全部言う前に彼は帰っちゃいそうだと思い、一言にまとめた。
「ありがとう」
初めて見た美空の優しい笑顔に、パイロットの鼓動が高まった。慌てて敬礼してくるが、美空には何に対しての敬礼かわからず、可笑しく思えて小さく笑った。
「娘のために頑張ってくださって、本当にありがとうございます。お怪我はありませんか?」
母の言葉に、元気よく「はいっ」と笑顔で返してくる。母の言っていた彼に対する感情が、少しだけわかった気がした。
「飛行兵どのがご無事でなによりです。どうか、ご自愛ください」
「はい、それでは」
ああ、もう行くのか。
彼の事を知りたいと思っていたのに、少し残念。
せめて何か一つ、彼の事を知って別れたい。そう思った美空は「あの」と、背を向けた彼に声をかけていた。
何を聞こう。何を教えてもらおう。
「あの、お、おいくつですか?」
子供だ学生だと扱っていたツケが回ってきたのか、どうでも良いことを聞いてしまった。
すると彼は肩を振り向かせて、また元気よく返事をした。
「今年で二十歳です。ではっ」
トタトタと走り去ると同時に玄関から出て彼の背を目で追った。すぐ暗がりに溶けていき、足音もドンドン小さくなっていく。
「お名前を聞きなさいな」
母が後ろから声をかけてきた。そうだ、名前を聞いておけば良かった。なんで年齢なんて聞いたのかと思いつつも、知りたいことではあったので複雑な表情を浮かべる。
「5つも下なのね。美空としては、アリなのかしら」
母の問いかけには答えなかったが、聞かずともわかりきったような表情だったのが美空には腹立たしかった。ヤケ気味に「もう寝る!!」と家の中へ引き返していき、母は「あらあら」と楽しそうについて行った。