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赤い稲妻くん。  作者: ぴーす
3/20

3話


ひとまずパイロットをその場に座らせた。彼は自力で歩こうとするが、脚に力が入り切っていない様子。おまけに苦しそうだ。無事ではないかもしれないと判断した美空たち母娘は、ひとまず彼を介助せんと付き添う。


美空がパイロットの装具を外そうと顔を寄せた時、異臭を感じた。風で気付かなかったが、頭がくらくらするような臭いだ。

ゴーグルを外し、帽子を取り、次は...。


「...。」


マフラーを外そうと正面を向いた時、綺麗な茶色の瞳が彼女を見つめていた。

瞼をピクリとも動かさず、ボヤっとした様子で美空に焦点を当てている。

睫毛も長くて綺麗だな、などと思いながら首から鼻まで、まさに顔の下半分を覆っていたマフラーに手を添えた。


「なにこれ...固っ...!」

「ちょっと美空、あんまり乱暴にしてはいけませんよ」


これが曲者であった。なんと力いっぱい固結びしているではないか。捻じ込んだような結び目をぐりぐりと左右に広げ、強引に解く。すると、彼の素顔がハラリと露わになった。

飛行兵の容姿で気付かなかったが、少なくとも自分よりは年下だと思わせる幼顔。まだ丸みを残した顔つき、髭もなく、軍人と呼ぶには相応しくないあどけなさがある。


「あら、子供みたい」

「というか...子供じゃないの?」


暢気なことを言う母に口を挟んだ途端、パイロットは音を立てて深呼吸を始めた。スゥ。スゥ。と呼吸を何度も繰り返す。すると、段々と目つきがしっかりとしてきた。

やがて、美空と彼女の母へ視線をキョロキョロと往復させる。


「あれ、ここは...」


どうやら意識がはっきりしてきたようで、パチクリと瞼を動かしながら首を捩って辺りを見回し始めた。


「大丈夫、ですか」


美空が声をかけた。

ピクッと身体を反応させ、彼女の方を見やる。


「ご迷惑をおかけしました」


軍人らしくない、優しい声。おまけに無理やり作った苦笑いが、まさに子供だといわんばかりに幼い。


「お怪我はございませんか」

「燃料漏れで...少し酔っただけです」


スゥ、息を吸い込んで勇ましく立ち上がった。「っとと」と危なっかし気によろけており、二人の気を揉ませる。


「こら、まだ危ないでしょ」


と口走った途端、思わず両手で口を塞いだ。いかに子供っぽいとはいえ、彼は紛れもない軍人であり、祖国のために戦ってくれている。そんな人に「こら」だなんて、失礼な言葉を投げてしまった。


「も、申し訳ございません」

「いえ...その、ごめんなさい」


こちらの非礼を謝れば、こちらこそといわんばかりに眉をハの字にシュンとさせて弱々しく謝り返してきた。想像していた軍人らしさとはまさに正反対で、なんとも調子が狂う。

美空の母がコホン。と咳払いして仕切り直してくれた。そして続けざまに、あらためてパイロットへ言葉をかける。


「飛行兵どの。何かお手伝いできることはございますか?」

「この町に、憲兵の方はいらっしゃいますか」

「はい、数名ほど」


美空の母の返事に、少し思案を挟み「そのうちここに来ると思うので、大丈夫です」とにこやかに笑ってみせた。さらに、水面に突っ伏した機体を指さして、「アレを放置するわけにもいきません」と付け加えた。

気が付けば、物見の人々が遠巻きに3人を囲みはじめていた。この町でまず見ることのない我が国のパイロットゆえに、注目を集めている。


「差し支えなければ、事情を教えてくださいませんか」

「...敵機来襲の報せを受けたので、出撃しました」

「お一人で?」

「北飛行場からは5機が出動しました。目的地めがけてまっすぐ進んでいたのですが、遠くに見覚えのある機影が見えたので、ぼくだけこっちにやってきたわけです」


「目的地?」と、美空は首を傾げた。空襲を受けたのはこの町だというのに、彼が言うには本来は別の場所に向かっていたということだ。


「どこへ向かっていたんですか?」

「...千葉方面です。数百機が接近中とのことでしたので、他部隊と合流して迎撃に当たる予定でした」


数百機。あんなのが、数百機も日本に来ていたのか。

美空達にとっては思い浮かべるだけでもゾッとする話だった。数えることもできないほどの群れを成したグラマンが襲い来るなんて、今日の空襲もかなりショックだったが、それとは比にならない惨劇が待ち受けるに違いない。


「じゃあ、ここに来たグラマンは...」

「多分ですが、迷子になったんでしょう」


「麻衣ちゃんは...迷子に殺されたの?」


迷子。本来の目標に辿り着けなかった敵が、友達を殺した。冷静に考えれば、それが当然であることは理解できる。わざわざ日本の空までやってきて、麻衣を殺すためだけにこの町を襲うわけがない。グラマンが放った爆弾も機銃弾も、元々は別のものを破壊するために積まれていた兵器。それらが行く当てを失い、アメリカのパイロット達が手頃と判断したうえでこの町にばら撒いた。ただそれだけ。


そっか、これが戦争なんだ。どこの誰が死んだところで、日本人が傷つけば空襲として成立するんだ。それが麻衣じゃなくても、アメリカにはどうだっていい。アメリカ側も何もせず帰るより、日本にある何かを傷つけてしまえば成果になる。目的はあれど意思はない。そんな無機質な攻撃の果てに、この町を傷つけた。そして、麻衣は殺された。


悔しくてたまらない。

そんな理不尽な事で麻衣を殺されたことが悔しい。どうにもできなかった無力な自分が悔しい。麻衣が『殺されるべくして殺された』わけじゃなく、運悪く狙われ、運悪く機銃弾を受けただけだったと思考してしまう自分が許せない。たとえそれが真実だったとしても、理解したくない。


「...亡くなられた方の、氏名をお伺いしてもよろしいでしょうか」


視線を合わせた時、美空の眼に映った彼の表情は少年ではなかった。いや、幼顔なのは変わらないのだが、何かを削ぎ落したような風貌。怒っているわけでも、同情を滲ませるわけでもない。戦争をしている者の顔と呼ぶべきか、闘志に満ちた顔つきだ。


「...高城麻衣です。友達でした」

「タカシロ、マイさんですね。高城麻衣さん...」


麻衣の名を復唱しながら、瞼を閉じて何かを念じるかのように首を前へ傾げる。

パッと目を見開くと同時に、美空の手をギュッと握りしめた。


「帰ったら、またすぐ出撃します。貴方のご友人、高城麻衣さんと、この町で傷ついた人達の復仇戦です」


力強い声で、パイロットは誓った。その眼差しに何かが宿ったかのようで、美空は身震いすら覚えた。

返事にすら息詰まるほどの気迫にどう返事すればいいか困り果てていた時、土手の向こう側から小さなエンジン音が聞こえ始めた。


見る見るうちにエンジン音が大きくなる。見やれば、サイドカーが大急ぎでこちらへ走っていた。

やがて美空達のまえで停車すると、側車側から一人飛び出てきた。


「憲兵隊の近本中尉だ。貴様があの不時着機の航空兵だな、怪我はあるか」

「ありません。自分は陸軍飛行―――。」


パイロットはサッと立ち上がり、ピシッと綺麗な敬礼をした。それを見るや近本が「今はよい」と断りを入れつつ、付近を見渡し始める。すると、すぐに大きな声で視界に映った町民へ向けて怒号を発した。


「今すぐ解散しなさい!!」


それを聞くや否や、今まで3人を囲んでいた人たちが恐れおののくかのように散り散りになっていく。


「お二方、お世話になりました」


パイロットはぺこりと首を垂れてから、飛行帽をかぶり直し、マフラーとゴーグルを拾い上げる。

それを見るや、近本はしっかり軍人らしい低い声でパイロットに指示を送る。


「北飛行場へは連絡済みだ。回収要員がくるまで私が見張っておくから、貴様はコレで飛行場に戻りなさい」

「ありがとうございます」


促すようにサイドカーのエンジンが唸った。

パイロットはまたパッと敬礼し、今度は近本も手短な答礼で応えた。

ドッ、ドッ、と小気味良く鼓動するサイドカーの側車に飛び乗ると、「お願いします」という無邪気な少年の声とともに勢いよく発進していった。


呆然としたまま、彼が去っていくのを見続けていた。

彼女の母もまた、無言であった。

そんな2人を、憲兵の近本が気迫ある声が振り向かせる。


「奴から何か聞いたか」


憲兵らしい。

軍事に関わる情報が漏れたかどうかの確認、聴取だ。


「しばらくは朦朧としたまま何も。意識が戻ったあとは、この町に憲兵さんがいるか聞いておられました」

「それだけか」


美空の母が淡々と答えた。

憲兵と対面する時間は嫌いだが、美空は弱々しい声で一言告げた。


「帰ったら、復仇戦...と言ってました」


近本は「そうか」と肩を撫でるように一息吐く。

そして不時着した機体を見据えながら、2人に「あなた達も解散なさい」と低い声で促した。


言われるままに家路につき、幸運にも無傷のままだった我が家へ入った。

途端に力が抜けていき、自分が疲れていることに気付く。母も同じだったようで、はあ。と畳の上で座り込んでしまった。続けざまに、膝を追って乙の姿勢になって顔を突っ伏す。


「はしたないですよ」

「うん」


母の注意もどこか力ない。それ以上は何も咎めようとしない。

コチ。コチ。と時計の針が動いていた。


「美空、大丈夫?」


あらためて娘を気遣う母に、美空は「...わかんない」とだけ。


麻衣が死んだ。

学生の頃から仲が良く、勤め先も同じ。

毎日なにか話した。今日のお客さんカッコ良かったね。とか、私の好みじゃないとか。

一緒に出勤して、一緒に働いて、一緒に帰って、じゃあまた明日ね。

今日もそういう一日になるはずだった。


一緒に出勤しようと、いつもの道を普段通りに歩いてた。

そしたら、麻衣が空を指さして「美空ちゃん、飛行機が飛んでるよ」と。


朝日で見づらかったけど、飛んでいた。あれがアメリカ軍の飛行機だなんて思いもよらなかった。「飛行機なんて、珍しいなぁ」と思うばかりだった。


頭上を過ぎた時、日の丸が見えなかったことに気付いていたら。

黒煙が立ち上ってから「もしかして」だなんて、今思えば悠長すぎた。


悔やみ始めたらキリがない。

そして、どれだけ悔やんでも結果は変えられない。


「麻衣ちゃん、殺された...」


ポロポロと涙が零れ落ちる。あんな酷い殺され方で、あんまりだ。

母がおもむろに近寄って、美空の手をそっと重ねた。


「当たらなかっただけで、美空も撃たれたのよ」


母の言葉に背筋にゾクリと冷たい何かが走り抜けていく。

自分の手を優しくなでてくれる、か細い手を涙混じりに見つめる。


そういえば、逃げていた時は麻衣の手を繋いで走っていた。

グラマンの翼がパッと光った時まで、私は確かに麻衣の手を握っていた。

呆然と立ち尽くしたまま、左右に銃弾が突き刺さって...。


振り返った時、私は麻衣の手を握っていなかった。

私が解いたの?

麻衣、振り払ったの?


私が貴女の手を離さなかったら、結果は変わったのだろうか。


「もし、あの時...」


それ以上は言わせないとばかりに、母が彼女の手をギュッと握りしめた。


「美空と麻衣ちゃんを殺しにかかったグラマンを、貴女一人でどうにかできたの?空を飛んで撃ち落とせたとでも?」


惑いを正すかのような凛とした声が刺さり、自然と嗚咽し始める。

涙が枯れるまで、母の手から伝わる温もりに甘え続けた。母もまた、静かに受け入れた。


落ち着きを取り戻して顔を上げた時、畳の痕を頬にくっきりと残してはいたが瞳はしっかりと前を向いている。そんな美空をみた母は「せっかくの美人が台無しね」とからかってきた。


時計を見やると正午を回っていた。ずいぶんと長いこと泣きじゃくった。

仕切り直しとばかりに顔を洗い、サッパリと気分を洗い流す。次に職場で食べるつもりだった弁当をガツガツと頬張り、元気を取り戻す。


「ごちそうさま」と、元気よく手を合わせる娘を見て、母も「はい」と嬉しそうに微笑んだ。普段通りになった我が娘の姿を前に、元気を分けてもらった気分になれた。元気ついでに、ちょっとした悪戯心も芽生える。


「そういえば」と思い出すかのように一言天井を見上げ、美空を誘う。


「あの飛行兵どの、とても素敵だったわ」

「子供っぽくなかった?」

「老け顔より幼顔の方が可愛いじゃないですか。最後なんて二人で顔を寄せ合って、とても似合っていたもの」


美空が顔がボッと朱に染まる。


「おかーさんっ!!」


そうやって声を荒げるうちは、お婿さんなんて期待できないな。と考えてはクスクスと笑い、「はいはい」と娘をあしらう。


空気を入れ替えようと窓を開けた時、また母が「あの人、もう着いたかしら」と声を漏らす。窓から流れる冷たい風が肌を震わせるが、気つけにはちょうど良く思えた。美空も母と隣り合い、風を浴びる。


ついでとばかりに「お母さん、あの人のこと好きになった?」と仕返しにかかるが、母は外を眺めたまま「旬を過ぎた未亡人でも良いと仰るなら、うんと可愛がって差し上げますわ」と生々しい反撃を喰らってしまう。


さらに母は追撃をかけてきた。


「もし次にお会いできたら、お誘いしてみようかしら」

「えっ」


美空は絶句した。我が母ながら、上品で整った顔立ちだと日頃から思わせるくらいには美人だ。和洋問わずになんでも着こなせるし、今でもその気になれば新しい旦那をつくれるだろう。


「...あんな幼顔のお父さんはヤダ」

「あら、我儘な子だこと」


チラッとみやれば、楽しそうにニヤニヤした母の顔が映る。恋愛の話になるとすぐめちゃくちゃに弄ばれる。どう仕掛けても顔を赤くするのは美空で、母はニヤニヤ笑う。


拗ね気味に空を見上げた時。


「あっ」


美空達の瞳に、とつぜん白銀の翼が過ぎ去った。

今朝と違い、何機かがまとまって駆け抜けていく。


「あれって...」


次は母が声を漏らす。

後に続けと、また数機。また数機。エンジンの音を轟々と響かせて、何機もの戦闘機が通り過ぎる。


「...あの人だよね」

「復仇戦をします、と伝えに来てくれたのかしら」


爆音に交じり、地上から歓声が聞こえた。

「万歳!」、「ぶちのめしてきてくれ!」、「やっつけてください!!」、みな思い思いに叫び散らしている。


「お母さんも何か声掛けする?」

「まあ、大きな声なんてはしたないわ」


なんと勇ましい光景かと、見てるだけで気が強くなる。私達を傷つけたらどうなるか、あの飛行機達が思い知らせてくれる。

美空達を勇気づける日の丸飛行隊たちの最後に、1機がスゥ―と低空を過ぎ去った。

赤い線は見えずとも、あのパイロットだと美空達は確信した。


その瞬間、母は窓から顔を出して「頑張ってくださーい」と大きな声援を送った。さっきまで「はしたない」と言っていたくせに、調子の良い母だ。


負けじと身を乗り出し声援を送ろうとするも、言葉が思い浮かばない。


ええい、ままよ。


「いってらっしゃーい!!」


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