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赤い稲妻くん。  作者: ぴーす
20/20

20話


月夜、輝夜、小夜を迎え、美空達の環境はいっそう賑やかになった。それを祝うかのように、今朝は空は音を立ててくれた。


「お。今日は飛んでるじゃん」


朝日がまだ昇りきらない頃、目覚ましにはやや煩過ぎるエンジン音が空に響き渡る。見慣れた白銀の機体が一機、悠々と飛んでいる。ここ最近は飛行訓練も見れずな日々だったせいか、こうして日本の飛行機が飛んでいるだけで気分が良くなる。


「久子さーん、疾風が飛んでるよー」

「あら、こないだの飛行機が帰ってきたのかしら」


箒を抱えて駆けつけに来た久子の表情がパッと明るくなり、上空を見つめる。愛する人が乗る機体と同じということもあり、美空以上に嬉しそうな顔つきで飛び去る姿を追っていた。もしあの機体に赤い稲妻が描かれていれば...と、ほんの少し残念に思う。


「おはよーございまぁす」

「もーめっちゃうるさいんですけど。あと寒い」


久子達とは対照的に、まさに「今起きました」と言わんばかりのだらしない恰好で月夜と小夜が仲良く手を繋いでやって来た。もう遠くへ行ってしまった四式戦には目も合わせず、眠気全開の表情で美空達に歩み寄る。


「月夜ちゃん、寝着が...」

「あらぁ...ごめんなさいねぇ」


前開きになった寝着を手で摘み、タプンと揺れる大きな胸を隠すように覆う。月夜は何の恥じらいも見せないまま、小夜に向かって「甘えっ子ねぇ」と繋いだ手を引き寄せる。はだけさせた本人であろう小夜は「乳離れできねー」とニヤニヤしながら、身体を預けるように頬を月夜の胸に当てて摺り寄せる。


「小夜ちゃん、月夜ちゃんにベッタリねー」

「いやマジで最高なんだって、柔いし甘いし。軍のオッサン達ですらバブバブ赤ちゃんよ」

「やっぱり...大きい方が良いのかしら」


自分の胸に手を置いて憂う久子に、月夜が「久子姉さん程の美人なら、誘い方ひとつですよぉ」と、のんびりした口調で返す。


「相手を癒してあげたい、っていう気持ちを沢山たくさん込めて、「おいで」って両手を広げてあげるんです♪あとのコトは全部「よしよし」って受け入れてあげれば、みんな可愛い赤ちゃんになっちゃいまぁす♪」


すると、久子が嬉しそうに「ふへへ」と照れ始めては自分の世界へ入り込んでしまった。空想の中の夫で練習に入っているのか、身をモジモジさせながら涎を垂らさんばかりにだらしない顔で悦に浸り始めて戻ってこない。


「おいで。かぁ」


美空も興味ありげに眉を寄せた。さて、あの子を相手にした場合はどうなるか。


「...子ども扱いはイヤです。で終わりかな?」

「お、美空ねえ様も興味ありげじゃん」


美空の呟きに応えて、小夜がニシシと小さく笑う。すると、ゆらりと月夜の下から離れて美空の方へ歩み寄り、耳元を貸せとばかりに手招きしてくる。なんぞやと耳元を寄せてみると、低くもどこか透き通るような愛嬌のある声がボソボソと伝わってきた。


「...って言えば、意地も消えるっしょ」

「それホントに効くの?」

「アタシが試したげよっか?美空ねえ様のお相手さんで」

「だ、だめだめ!ボコボコにするわよ!」

「ボコボコってなに」


呆れ気味な小夜に、美空もまた手元の箒を銃剣のように構えてみる。


「これで、突くとか?」

「いやアタシに聞くなって」


2人並んで首を傾げている様子が可笑しく映ったのか、月夜が小さく笑った。


朝から賑わえる活力は仕事にも良く反映され、幾許かの負担がなくなると同時に明るい声が倍増した。心なしか客も増え、女将もどことなく機嫌が良い。美空の母も「そういう系」の会話に乗れる相手が増えたおかげか、見かけの上品さがやや綻びたが楽しそうにしている。




「美空姐さーん、お風呂場のお掃除終わりましたぁ」


ふんわりと朗らかな月夜がヒョコヒョコと機嫌良くやってきた。母並みに豊満な胸を気ままに揺らしながら、慈愛に満ちた柔らかな瞳が美空を見つけるや、大輪の花のような笑みを咲かせて駆け寄ってくる。


「おつかれー。まかないご飯置いてるから食べちゃってー」

「わぁい、いただきまぁす♪」


あのパイロットとは少し違う、それでも愛嬌たっぷりのニコニコ顔が通り過ぎていく。新しく入った3人の中では一番のお姉さん。その立場通りに優しい顔付きで、どこか甘さを感じさせる綺麗な声が耳に心地よい。決して広くはない調理場の一角で、お椀に盛られた簡素な食事を楽しむ「んー♪」すら、美空の耳を楽しませる。


美空は眼前に横たわる魚に包丁を入れ、慣れた手つきで三枚におろしていく。上品な振舞いなど不要な女の戦場、幾度となく戦果を重ねてきた美空は刃物を武器に戦いを進める。その手つきに、月夜とは別の方向から視線を感じた。


「あら、輝夜ちゃん」


タン。と骨を断つ音と共に、美空は顔を上げた。そこには輝夜の姿。氷のように冷ややかで洗練された美人顔ながら、キリッとした瞳はキラキラと輝いている。


「どーしたの?」

「いえ、すみません。見惚れていました」


淡々とした口調で詫びを入れる輝夜だが、美空の無駄なき手捌きが気になってチラチラと視線を往来させている。口には出さないが料理に興味があるようで、輝夜という新人は無表情ながらも瞳はキラキラ輝いていた。心を奪ってしまったようだ。


「このお魚は、どうするのですか?」

「焼いて今日のお客様に食べてもらってー、余った身は味噌と一緒に練って保存しよっかな。料理、一緒にやってみる?」

「はいっ」


輝夜が笑みを見せた。淡くはあるが、年相応のはしゃいだ心が表情に滲み出ている。この3人の中でもっとも落ち着きがあり、凛とした大人っぽさを匂わせる輝夜。ちょっとした時の、こうした年相応の少女らしさが愛らしく感じてしまうのは彼女の性格なのか、それとも芸者の才技なのか。


「よしっ。じゃああのでっかい鍋にお水汲んできてー」

「わかりました」


新加入した3人が来る前は、回りはするがそれなりにくたびれる忙しさが付きまとっていた。女将と久子が言うには、自分達が来る前はもっと大変だったらしいが、想像する時間があるなら輝夜の料理興味に割く方がずっと良い。


「お腹ぺこ過ぎて倒れそう」

「あ、小夜ちゃん。お疲れさまー」


輝夜が鍋を抱えて勝手口から出ていったと同時に、小夜が疲労感いっぱいな様子でやって来た。普段から気だるそうというか、眠そうというか、なんとも無気力な目つき。それに反して身体は年相応の瑞々しさがあり、美空ですら羨むほどの若さが凝縮されている。


「ご飯できてるよー」

「うーい」


ジトッとした目つきでも、口元は笑顔。最初のうちは慣れなかったが、2人の姉貴分による熱心な紹介のおかげで、これでも喜んでいるんだと理解できるようになった。


「んじゃいただきまーす」

「わっ」


ムギュッと背後から抱き付かれるや、小さな細い指が這うように美空の胸へ纏わりつく。慣れた様子で襟を崩し、小夜の指先がスルリと滑り込んでいく。


「ちょ、小夜ちゃん!?」

「あー処女の味ー。つかサラシ邪魔すぎ」

「こら小夜ちゃん、美空姐さんはお仕事中よぉ?」


にへへ。と小さな笑い声を残して、小夜の手が引いていく。聞き分けが良いと褒める前に、手癖の悪さに困らされる。包丁を一度置き、美空がムスッとした表情で小夜の方を向く。すると、作りものの泣き顔を用意して子犬のように待ち受けていた。


「美空ねえ様ぁ...」

「うっ」


ガツンと一発吠えようとする気持ちも失せるほどのあざとい顔。16歳とはいえ、さすが赤坂の芸者だとむしろ関心すら感じる。


「もー...刃物使ってるんだから、危ないよ」

「ごめんなさーい」


人の心を誘引し弄ぶことができると言わんばかりにコロリと小悪魔のような笑みを見せる。幼いくせに、とんでもない才能の持ち主だと呆れるしかなかった。あのパイロットが子犬なら、小夜という少女は子猫。悪戯好きで、何かあると自前の愛らしさと美貌で事なきを得ようとする。


「でもさ、美空ねえ様。こういう時は「あんっ♡」くらいの反応しないと」

「なに」

「あれっしょ?好きなパイロットいるんでしょ?」


半目ながらニタニタと笑みを見せる小夜が憎たらしい。しかしそれ以上に、言葉に詰まってしまう自分が情けない。異性の扱いに長けているのか、小夜は得意げになって自分の襟を引っ張って着崩すと、小さくもしっかりと谷間を作る柔らかな胸元を見せつけてくる。サラシで締め固めた美空と異なり、剥き身のそれは身体の動きに呼応して自在に揺れ動く。


「コラ、はしたないでしょ」

「男のスケベ心は逆手に取っちまうのが手っ取り早いよ。サラシなんかで防ぐよりずっとマシ的な?」

「...あの子はそういう人じゃないし」

「どんな男だろうと好きの先には、こういうコトに行きつくようになってんの。んで、そういう欲を上手に扱うのがイイ女ってもんよ」


小夜が耳元で囁く。揶揄っているつもりの口調が、嫌に生々しく聞こえてしまうのは自分が興味を持っているからだろうか。美空は小夜の谷間に釘付けになり、彼女の言葉に耳を傾ける。


「視線は集めれるだけ集めとけばいいじゃん、何人かの男が他より距離を縮めようと必死こくけど。でも叶わない、叶えさせない。自分の目当てはたった一人なんだからさ」

「小夜ちゃんって結構ワルな子?」


「いいから。ほれ、美空ねえ様もしてみ」と猫なで声で囁く悪魔の言葉に、美空は息を呑んだ。自分より年下の女子が言う台詞じゃない。しかし、導かれるように美空の手は自分の服へ近づき、広がった衿から露出したサラシへ迫っていた。


「こぉら、小夜ちゃん。美空姐さんで遊びすぎちゃダメよぉ?」


月夜の言葉が、美空を一気に現実へ引き戻す。なにかボンヤリとした雰囲気から解き放たれ、釘付けになっていた目が左右に動いた。美空は乱れた服をグッと正し、「まかない、食べておいで」とあしらう。小夜はクスクスしながら言われた通りに去っていった。気のせいだろうか、何やら甘い匂いが残っている気がした。


「はぁ...稲妻くんに会わせたら大変なことになりそう」


自分でさえタジタジにできるほど免疫のない彼を心配せずにはいられない。こんな小悪魔じみた子にかかれば、ものの数分で虜にされかねない。小夜だけでなく、月夜も輝夜も男を釘付けにする美貌を持っている。心ひとつであの無垢なニコニコ顔を取られかねない。


「稲妻くん、って美空姐さんのお気に入りの子だったかしらぁ」

「なんで名前知らねーのか不思議すぎるんだけど」

「いやなんか、稲妻くんって呼ぶ様になっちゃったんだよね」


ニコニコと笑う顔がすぐに浮かぶ。言葉一つでコロコロと表情を変え、その都度に感情を素直に伝えてくれる彼。金平糖一つでウットリしたり、ちょっと触れ合うだけで真っ赤になったり。意外とムッツリさんなようだが、あのクリッとした瞳は濁り一つなく、いつだって自分の眼をジッと見てくれる。


「美空ねえ様の表情が甘酸っぱ過ぎてこっちまでキュンキュンするんだけど」

「どんな人なのかしらねぇ」





「っくし」


赤稲妻の間抜けたくしゃみが響いた。指揮所に詰め寄った通信隊員たちがチラッと音源を見やると、可笑し気な表情を作って仕事に戻っていく。ただ一人、明野から戻ったばかりの一ノ瀬だけが声を出して笑いながら、チリ紙を差し出す。チン、と鼻を鳴らして垂れたものを取り除くと、トタトタと紙くずを捨てに行く。


「風邪か?」

「いえ、元気ですっ」


首を傾げながら戻ってくる『赤稲妻』が、対面に置かれた椅子に座り込む。2人に挟まれた机に広げられた、本土を含めた極東を記す地図に視線を戻すものの、壊れた雰囲気はまだ戻っておらず、一ノ瀬も休憩がてら話題を変えてみた。


「なら、誰かが噂してるのだろうな」

「噂、ですか?」

「永瀬殿が君の事を話しているとか」


一ノ瀬の振りに、ピンと伸びた彼の背筋が前後に揺れ動いた。動揺すら隠せないのか、と内心で呆れつつ「どうなんでしょうね」とはぐらかしにかかる『赤稲妻』を追う。


「こないだはどうだった?上手くやれたか??」

「はいっ」

「童貞を捨てた感想は?」

「そ、そーいうヤッたじゃないです!!」


まあ思い通りの反応を返してくれて面白い事この上ない。いくら顔が幼いとはいえ、性根は20歳相応のものを抱いているはず。美空という女性といい、彼女の母といい、男なら欲を生む程に美人の類を相手に文字通りただ仲良くしているとは異性とのやり取りが上手なのか、それともただ無知なだけなのか。後者のような気がするが。


「芸者を抱いただなんだと騒いでいる学生達と比べれば、君の女性事情は清くて耳に良い」

「...そういうのはお嫁さんとするものだと思うんです」

「君は愛妻家になれるだろうな。俺も久子以外は眼中にない、一緒にいるだけで幸せを感じれる」

「素敵ですね。ぼくもそういう人と出会いたいなぁ」

「永瀬殿は違うのか?」


上官の問いに、『赤稲妻』の脳裏から美空の姿が浮かび上がった。揶揄われて、子ども扱いされて。最初は必死に抵抗していたのに、ちょっぴり甘えてみれば心地よくて心が潤った。向こうがどういう意図なのかは判らないが、少なくとも自分は癒された。

ポッと頬を赤らめてしどろもどろに「違うことは...ないですけど...」と小さな返事を返すと、一ノ瀬は満足そうに「そうか」と笑った。


「4月から環境が変わる。その間に仲を深めると良い」

「環境が変わる、ですか?」


チラッと外の様子を窺うように顔を横に向けた。飛行訓練に励むべき学生達は、溢れる士気をぶつけるようにしてシャベルやら木材を抱えて地面を抉りまわっていた。


陸軍航空の最高指導方針として、「空襲による戦力損失を極力回避するべし」とのことで、地上にズラリと並べられていた四式戦闘機「疾風」と予備の一式戦闘機「隼」は、徹底して隠蔽されることとなった。

一ノ瀬の指揮下、飛行機を隠匿するための掩体壕を強化・増設がここ何日もかけて続けられている。敵の爆弾、ロケット弾、機銃弾、あらゆる攻撃から身を守れるように半地下式の壕と土嚢、幾許かの木材やコンクリート材を組み合わせ、さらに緊急時に滞りなく発進できるように道も作り、また整備員たちの往来を考慮した通路も塹壕のように張り巡らせていく。

この大掛かりな作業には学生達のみならず、整備隊員といった地上勤務者もほとんどが参加していた。今手を空かせているほんの一部の人間だけが、緊急時の戦力として待機している。


「もうだいぶ変わってるように見えますが...」

「飛行機を守れても空中勤務者がやられては意味がない。俺達も分宿するんだ」


一ノ瀬の言いたいことが伝わらないのか、暢気に「なるほど、前の部隊もそんな事しましたっ」と返事する。しかし、そういう経験があったおかげか、徐々に思考がグルグルと動き始め、これから自分が送る生活が目に浮かび上がってきた。


ラバウルの生活は、下宿先から5キロほど移動して飛行場へ到着、そこから勤務という生活であった。もちろん最前線なので、飛行場自体は常に出撃体制にはあるのだが、一度の出撃で全員が飛び立つのは何かしら大掛かりな作戦の時に必要と判断された時だけ。普段は迎撃にあたる当直がピストに控え、それ以外は交代まで訓練やら書類仕事、または余暇に勤しむ。


今回は飛行場から離れた場所に下宿する。少佐どのは分宿と言っていたから、幾つかの建物に何名かずつ下宿させてもらって、決まった時間にピストに入って勤務するか、一定時間おきに交代するかして部隊を運用することになるんだろう。

それで分宿先はどこになるのかな。旅館かな、どこか民家で居候させてもらうのかな。

あれ、旅館?


「...もしかして、ぼくの下宿先って」

「なでしこ旅館に決まってるだろう。君の女を置いてるんだから」


心臓がドクンと鳴った。

美空さんがいるあの旅館が下宿先?

そんなことになれば、心休まる場所なんて無いに等しい。会うたび会うたび散々揶揄ってくる彼女が居座る旅館に身を置いて何もされない訳がないじゃないか。

変に挑発されて、撫でられて、近づけばなんだか良い匂いがするし、あの素敵な笑顔が毎度毎度―――。


「なんだ、君は意外とスケベな奴なんだな」

「~~~~~っ!?」

「顔を赤くするのは良い。だが帝国陸軍飛行兵たるもの、むやみに婦女子を傷つけてはダメだ。相手のことをしっかり考えて、幸福と責任を―――。」

「スケベじゃないですっ!!」


大口径砲のごとき怒声が指揮所をつんざく。すると、周りからクスクスと小さい笑い声が聞こえ始め、『赤稲妻』は全身に恥を浴びつつも子犬が威嚇するような態度でキャンキャンと吠え始めた。


「ぼく、そんなんじゃないですっ!ぼくは陸軍の名に恥じない立派な兵隊を目指して5年も頑張ってきたんですっ!女遊びだって全部断ってきたし、キレイな人に会ったからって軟派な行動をしたことは一回もありませんっ!!」

「つまり童貞だと」

「何かご不満でも!?」


ここまで来てようやく、『赤稲妻』がキレていることに気付いた一ノ瀬は砕けた表情で「そんなんじゃ大人になれんぞ」とケラケラ笑う。この騒がしい愛犬が最も気にする言葉を混ぜた発言に、『赤稲妻』は口を閉ざすものの、不満ありありと頬を膨らませて睨んでいる。


「同意なく自分の欲を満たすような行為がダメであって、異性を好きになることは禁じていない。童貞は潔白ではあるが、恋愛下手、もとい女性との付き合い方がちゃんとできない男の代名詞でもある」

「え?」

「君より長生きしている男として教えておこう。異性との向き合い方がしっかりできてこそ初めて大人になれる。友人として仲良くするに徹するとか、想いを恋に発展させてそこから愛を育むとか。もし恋愛をせず遊郭に興じる身になるとしても、支払う金銭以外に何も与えず、求めないとか。そういうことが自分で決められず、行動できないうちは子供だ」

「うっ」


胸を張ってきたはずのものが音を立てて砕け散ったような感覚に陥ると同時に、先程までの怒った表情はどこかへ行ってしまった。むしろ一変して、不安というか魂の抜けた呆然自失に近い様子になっている。自己反省でもしているのか、そうであればよっぽど何か思う所があったのだろう。


「君は面白い子だな。ニコニコ笑ったり、ギャーギャーわめいたり、人形のようにグッタリしたり。一緒にいて飽きが来ない」

「子供...子ども...こども...」


一ノ瀬の言葉に、『赤稲妻』は反応を示さない。抜け殻のように成り果てた幼顔の口から魂でも抜けているのか、間抜けに開いたままぐったりとしている。


「...ぼく、このままずっと子供なんでしょうか」

「永瀬殿と出会ったことで、君は大人になれる機会を得た。彼女が君にとってどういう人で、どう在りたいか。それを自分で決めて、しっかりと行動できるようになれば立派な大人だ」

「おとな...大人?」


ようやく『赤稲妻』の瞳が生き返った。動力を得たプロペラの如く、頭の中も回りだしたのだろうか、いつものようにピッとした姿勢に戻り、表情も声音も一変する。この切り替えの早さが彼の面白さの一つなんだろうなあ。と心の中で呟きつつ、ひとまず言葉を待つ。


「立派な大人、なりますっ!」

「良い威勢だ。どれ、分宿までに女性との接し方でも教えてやろうか?」

「ぜひ教えてくださいっ!」


さあいつもの『赤稲妻』が戻ってきた。この子犬のように懐いてくる性格といい、素直な表情でニコニコと見つめてくる様子といい、自分の言葉で学ぼうとしてくるのが何とも心地よい。この状態では、冗談も真に受けてしまうだろう。大人げなく思うが、楽しくてしょうがない。


「では、まず――――。」

「楽しそうにしてるとこ申し訳ねえんですが」


ふと聞こえた壮年の声が2人の顔を導く。2人の視線の先には、呆れ顔と同時に怒り気味な整備隊長の姿があった。


「仕事しろ」


再び顔を見合わせた2人だけの『戦力』は、恥ずかしそうに首を垂れた。

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