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赤い稲妻くん。  作者: ぴーす
17/20

17話


「なんや昨晩、東京でえらい大きな空襲があったらしいなぁ」

「夜中に警報が出てましたものねえ」


女将と美空の母が、いつものように風呂場を掃除しながら会話に興じていた。肉体労働が応えるのか、女将は腰を叩くついでに切り出した話題は、今朝からラジオや新聞で大きく報道されている件についてだった。


「北飛行場からも迎え撃ったのでしょうか?お風呂で大きな音を聞きましたわ」

「浩平さんも大物やさかい、駆り出されてるかもなぁ」

「大物?大きいのですか??」


ケタケタ笑いながら女将が「そんなん久子さんに聞かな判らんわ」と突っ込みつつ、暗い話はなるべく避けようと話を逸らした美空の母の気遣いに乗り、女将は自分の知る一ノ瀬という軍人の戦歴を語りだす。


「北支とノモンハンで大暴れした猛者でっせ。今まで14機撃墜、地上撃破7機。」

「まあ、勇ましい」

「内地に帰還してからは陸軍航空の総本山に移って指導してはるみたいやけど、こないだグラマン撃ち落としたらしいし、まだまだ腕は錆びてへん思うで」


宴会の時に挨拶を交わした、あの幼顔のパイロットの上官を思い出す。キリっとしていていかにも陸軍軍人らしい出で立ちだった。その見た目に反して言葉は穏やかで、しっかり者の兄貴分といった雰囲気を感じさせたのが印象的だった。


「武人らしいお人でしたわ。久子どのも鼻が高いでしょうねえ」

「いうて、美空ちゃんのお相手さんも凄い人なんやろ?」


年をとっても異性の話となれば声に勢いが出る。他人の相手とは言え、女将はすっかり楽しそうに顔を向けてくる。


「グラマン60機相手に一人で暴れるなんて、さすが稲妻部隊やわ。前々からお付き合いしてたん?」

「いえ、偶然です。偶然、不時着した時に―――。」


美空の母から語られるのは、自分の知る範囲での出来事。ポツリポツリと語られたその内容に、女将は表情を暗くしたり明るくしたり。そして最後に、ニコリと笑みを浮かべた。初めて会う人のために命を懸けて戦いに挑む勇ましさ、悲しい思いを背負うと微笑んでくれる優しさ。世間話で聴くにはあまりに勿体ないその出会いに、女将の持つ乙女の心が沸き立った。


「...そんなん、ウチなら一発で惚れてまうわ」

「ふふ、私もですよ。横取りしようかしら」

「旦那さん怒りますえ」


女将の言葉に、美空の母はピクリと反応した。「...どうせ、あの世で他の女性と遊んでますわよ」と小さく返すと、女将は同情したように「お見合いっちゅうんは、当たり外れあるからなあ」と苦笑いした。


「...ウチは淡白な旦那やった。子供もできんまま、赤紙で持ってかれたわ」

「私は獣みたいな人でした。何回も泣きました」


恋愛結婚など、滅多に叶わない。親同士がトントンと進めて、本人の意思も関係なく嫁がされる。その先に待つ生活は、良い時もあれば悪い時もある。久子のように想い人と結ばれる方が珍しい。好きな人と結婚できるなんて、なんと羨ましいことか。2人は顔を見合わせて小さく笑った。


「で、美空ちゃんは上手くいってんの?」

「まだまだ、これからでしょうね」

「あら、顔も美人やし性格もサッパリしてて良い子やのに。早よせんと取られてまうで」

「全くですわ。私が手を出す前に早く決めていただきたいものです」

「母娘で取り合うんかい」

「女将どのは?」


「うーん、狙うなら浩平さんかなあ」と呟くや、背後から美空と久子が「こっち終わりましたー」と風呂場にやってきた。振り向くや、久子がニコニコと笑みながらも握り拳を作っている。


「私の夫、狙ってるんですか?」

「いや、あの幼い顔の子よりは、浩平さんみたいなカッコいい人の方が好みってだけ。そう、あくまで好みやさかい、ほんまに取るわけあらしまへん。そんなんアレですやん、久子さんが選ぶくらい良い人やねんから好みくらい合っても当然やろ?いやほんま冗談やから堪忍してくれまへん?」


「...そうですか」と拳を解くや、女将はホッと肩を撫でおろした。普段はしとやかな女性なだけに、こうも物騒な雰囲気を醸し出されると肝が冷える。


「久子どののような恋愛結婚を羨む見合組の、他愛のない雑談ですよ」

「そ、そんな...羨むだなんて」


久子が嬉し恥ずかしなそうにモジモジと照れる。扱いが上手いなと女将が感心するとともに、手の空いた2人に「こっちももう終わるし、ちょいと休憩しましょか」と背を伸ばす。4人がかりでテキパキと片付けていった。


寒い風が吹き荒ぶなかで、穏やかな時間が流れていく。大空襲を受けたと聞いても、その実感はない。戦争の影だけが日を追うごとに大きく膨らむなか、空を賑やかす北飛行場にいる飛行機達の頼もしさが安堵をもたらしてくれる。


「はあ、今日も元気に飛んでるわ」


縁側に腰を下ろした4人が見上げる先に、小さな機影が4つ。その少し遠くに、2つ。青空の中をゆっくりと進んでいる。女将に続いて、美空がニッと笑みを見せながら「がんばれー」と呟く。その答え合わせとばかりに、遠くにいた2機が形を変えて一気に4機に交わろうとした途端、ヒラヒラと2機ずつに分散して舞い始める。


「こうやって見ると、なんだか鳥が戯れてるみたいで楽しそうです」

「ほんまねえ...実戦でもあんな感じなんやろか」

「ううん、違うよ」


美空が呟いた。彼女の瞳が捉えた空戦、記憶の中にある空戦。頭上を舞う飛行機達の演舞を咆哮する銃砲火の音が無いだけで、まるで違う。耳に残るあの死の音、殺気を具現化した飛礫。あの音を撒き散らしてこそ戦争、あのパイロットがいた戦場だった。


「空戦、もっとすごいよ。煙も火も出るし、撃たれるとピカピカ光るんだ。機関銃の音もガガガーッ!って聞こえて...」

「美空ちゃん、見たことあるの?」


久子の問いに、美空は小さく頷いた。暗い気持ちを紛らわすように「稲妻くんがね、グラマンを目の前でやっつけたんだ」と胸を張った。彼女の「撃たれると」という言葉に、この虚勢の裏側を察した久子は「赤稲妻さん、とても強いのね」と笑顔を作る。


強い。たしかにその通りだと思った。しかし、どこか不安な感情が美空の心を悩ませる。

ふと脳裏を過ぎる背中の傷痕。容易くグラマンを蹂躙せしめた彼が傷を負うなんて、戦場はどれほどの激しさなのだろう。どこか不思議な気持ちになる。自分の内側に芽生えた小さな気持ちを、視界に広がる飛行機達に重ねてみた。すると、青空をかける機影が透けて見えた。見えているのに、幻覚じゃないのに、彼らが空に溶けていく。


「あんな近づいて、ぶつかるんやないの」

「まるで男慣れしないままお酒の勢いに頼った未通女みたいですわ」

「なによ」


母の嫌味ったらしい言葉が、美空を現実へ引き戻す。空を見上げれば、1機が別の機に追い立てられている。かなりの近距離で、飛行機1機分あるかないかというくらいに差が詰まっている。追われている側がグルグルと逃げ回るも、彼我の距離は一向に広がらない。


「あの追ってるの、稲妻くんっぽいなぁ」

「あら、わかるの?」


母の問いかけに「んー、ただの勘」と気楽に返してみる。すると、隣で座っていた久子が空を睨んで「夫は...いなさそうです...」と少し悔しそうに呟いた。


「久子さんに高射砲使わせたらめっちゃ当てそう」

「そんな...夫しか狙えません」

「あかんやん」


伸び伸びと茶を楽しんでいるうちに、空中もひと段落ついたのか6機が列をなしてクルリと円を描いた。まもなく先頭に立つ機が誘導するように後続を連れて美空達の視界から遠のいていく。


「さあ、次はウチらが動く番やで」と、女将の号令と共に仕事に戻る。美空達はパタパタと忙しなく動き回るうちに、刻の流れもクルリと半周していた。


陽が沈みかけた頃、一人がトタトタと駆け足で旅館の門をくぐる。


「いらっしゃいませ」


出迎えたのは久子だった。程よく疲れた身体を正し、淑やかな声で来客者へご挨拶する。すると、飛行服を身に纏った幼い顔が息を切らしながらこちらを見上げていた。


「あら」


視線の先にいたのは、夫の部下である『赤稲妻』だった。よほど急いできたのか、激しく息切れしている。体力を消耗した様子で、やや上体を屈ませた姿勢になり、ハアハアと乱暴な呼吸音が場に響く。彼はかすれ気味の声で久子へ用件を伝えに来た。


「一ノ瀬少佐どのより...ご夫人へ...お渡し物を...」


そう言って差し出してきたのは一通の封筒だった。軍事郵便用のハガキではない、白い封筒。検閲を避けるために人を遣わせるのは常套手段だが、ここまで慌ただしくやって来られると久子もさすがに動揺する。


「夫に...なにかあったのですか...?」

「いえ...「妻に読んでもらうのが楽しみだ」と仰っていたので...」


スー。ハー。と深く呼吸をして息を整えつつ、グッと背伸びをする。『赤稲妻』は「早く渡した方が、喜んでくれると思って」と言葉を続けた。純真というか短絡的というか、他人の善を急ごうとした幼顔な彼の姿が微笑ましく映る。


「わざわざありがとうございます。今日はお泊りに?」

「いえ、お返事を預かったら帰れと命ぜられております」


従兵のような扱い。猛者と呼ばれた『赤稲妻』が、従兵のごとく扱われていることに違和感を覚えると同時に、あの宴会でのやり取りを思い出す。


「...承知しました。少しお時間を頂けますでしょうか」

「はいっ。少佐どのからも「妻を急かせないように」と仰せつかっております!」

「それでは、お言葉に甘えさせていただきますね」


夫の言う水やり。おそらく封筒の中身も、その旨については書かれているだろう。久子は小さく微笑んでから、後ろを振り向いて「美空ちゃーん」と声をかける。やがて、「はーい」と愛想良い笑顔を振りまいて美空がやってきた。


「あっ」


視界の先に写る飛行服を纏ったパイロットに、美空は思わず声を漏らした。いろんな感情を抱く前に、「また会いたい」という気持ちだけを持ってその時をぼんやりと待っていた矢先の再開だった。


どう声をかけるか悩む。いらっしゃいませ、はさすがに他人行儀が過ぎるか。かといって、久しぶり、というのも―――。


「美空さん、先日はありがとうございましたっ」


先手を取ったのはパイロットの方だった。後手に回った美空は「う、うん。こちらこそ...」と余所余所しく視線を逸らす。眼前の種に水をやろうと、久子が支援する。


「赤稲妻さんが夫のお使いに来てくれたの。ちょっと待たせちゃうから、空き部屋でお相手をお願いできないかしら?」

「えっ」


戸惑いながらも、美空は無言で頷く。先行きが少し不安だ。久子は「それでは早速」と受け取った封筒を大事に抱えて背を向けた。そして美空とのすれ違いざまに「可愛がってあげなさいな」と背を押した。動揺ぎみに肩をビクリとさせながらも、ふう。と一呼吸おいて久子の背中越しから明るい声が聞こえてきた。


「じゃ、お部屋行こっか」

「はいっ、お邪魔します!」


姉弟みたいね、と笑う顔を隠しながら久子はその場を後にした。




通された部屋は前回とは違い、ややこじんまりとしたものだった。それでも個人が使う分には充分な広さだし、どこか生活感のある雰囲気がパイロットの心を落ち着かせる。部屋のあちこちに置かれた小物類、そして座卓には何かをしまっているであろう箱が2つ。まるで誰かがこの部屋を使っているような感じが、息苦しさを感じさせない。


「こないだはごめんね。お布団まで占領しちゃって」

「いえ、とても楽しかったですよ」


相変わらずニコニコと元気よく笑ってくれる。前回と違い、衣装も派手さはなく刺激を与えるような部分はない。平常な彼の姿は、美空にとっても好都合だった。妙にぎこちなくされてはこちらも都合が悪く、どうやら母から受け継いだであろう悪戯心が目を覚ましかねない。


「お昼過ぎに、飛行機がグルグル飛んでたの見たんだ。稲妻くんもいたでしょ」

「はい。よくわかりましたね」

「美空お姉さんの眼は優秀なのです」


エッヘンと胸を張る美空に、パイロットは表情を変えずに「美空さんのお目々は優秀ですっ」と繰り返す。なるほど、子供相手に話す感じでやれば上手くいくのかの知れない。美空は探りを入れるような気分で、会話を続けてみた。


「なんかね、後ろにピッタリついていく飛行機がいたの。先頭の飛行機がどれだけ動いても、ピッタリ後ろについて離れなかったんだよね。それ見た時に、なんとなく「稲妻くんぽいなぁ」って」

「おー...」


感心したのか口を小さく開けて視線をさらに寄せる。正解ですと、彼の表情でよく判る。彼の心が透けて見えるくらいに素直な反応振り。


「ということは、飛行訓練とかって普段からよく見えてるのでしょうか」

「んー、まあ昼間は遠くでも見えるかな。夜は見えないけど、昨晩なんか元気な音がよーく聞こえたし」


「...夜分遅くにごめんなさい」とシュンとする。裏などないと示すように、常に喜怒哀楽をすんなりと見せてくれる。この子、嘘とか吐けるのかしら。


「昨晩は、その。緊急でした」

「空襲警報出てたよ。今朝も東京が爆撃されたって。もしかしてその対応してたの?」

「...はい」


気まずそうな表情なのは、夜に騒ぎ立てたことへの申し訳なさなのか、それとも、敵機の侵入を許してしまったことに対してなのか。肩身を狭めつつも、丸みのある瞳をこちらに真っ直ぐと見つめる。美空は自然と身を乗り出せて、顔を寄せた。


「...戦ったの?」

「はい」

「怪我は?」

「えっと、ありません」

「ほんと?」

「...ちょっとだけ、被弾はしました。身体は無傷です」


昼間に抱いた不思議な気持ちが、初めて具現化した。

私は思い違いをしていた。

彼が戦って帰ってくる保証なんて、どこにもない。

あの湯煙の中で見た背中の傷といい、彼は無傷の覇者などではない。宴会の時は歴戦の猛者などと言われていたが、決して人間の域を超えない飛行兵なんだ。


美空の手が、そっと彼の頭を撫でた。


「お疲れさま」


戦った彼を労いたい。彼の無事を喜んでいるんだという想いを、彼に伝えたい。優しく撫でるその手つきに、飛行兵は少し恥ずかしそうにしつつも文句は言わなかった。


「...美空さんの手、あったかいですね」

「え、そう?」

「上官や先輩に褒めてもらえた時も、撫でられることがあります」


まあ気持ちはわからなくはない。戦地で部下、後輩から成果を聞かせられれば、誰だって褒めるだろう。それに加えてこの幼顔、頭ぐらい撫でるよね、と納得できた。そんな美空をジッと見つめる彼の顔がほんのり赤い。


「なんでだろ。美空さんはポカポカするんです」


前回と違って、刺激に反応するような感じではなく、なにかを我慢したようにぎこちなく笑う。トクンと鼓動が高鳴った。自然と手の動きが止まり、美空は自ずと手を彼の頬へ這わせた。すると、耐え切れなくなったのか「...子ども扱いはイヤです」と弱々しく文句を言う。美空は小さく微笑んで、「そんなつもりないよ」と返した。


「ポカポカするの、嫌い?」

「...好きです」

「なら、お姉さんでいっぱいポカポカしよ?」


親指で頬をプニプニと捏ねてみる。押せば沈み、左右に這わせればぷっくりとした感触が指先からより一層伝わってくる。パイロットは恥じらう表情そのままに抵抗せず美空に委ねる。美空の微笑みをジッと見つめたまま、少しずつ彼の眼が細く弛み始めた。


「可愛い顔しちゃって」

「...からかわないでください」

「男の人にこんな触るなんて、君が初めてなの。けっこードキドキしてるんだから」


自分の素直な心境を伝えると、パイロットは目をパチッと開いた。何か言いたそうに口が形を変えるも、声には出さない。子供なのか大人なのか、彼の言おうとした言葉は部屋に響くことなく胸中の中で霧散する。愛嬌ある表情に、美空の手は動きを止める。そっと触れたまま、彼の温もりを手で感じる。彼は自分の手を温かいと言ったが、この子のほっぺもまた暖かい。いま目の前にいるパイロットは幻覚なんかじゃない。手のひらから伝わるもの全てが、ちゃんと実在するんだと証明してくれる。


「まだ、お礼言ってなかったね」


美空の言葉に、パイロットは「...お礼?」と小さく首を傾げた。


「グラマンに襲われた日。貴方がやっつけてくれた」

「2月16日...、高城さんの...」

「あの時ね、私も狙われたの。怖くて動けなかった。もうだめだって思ったけど、赤い稲妻の飛行機が私を狙ったグラマンをやっつけた」


会いたい。その願いが叶ったら、次の気持ちがやってくる。

ならば今、目の前にいる彼が実在しているうちに伝えたい。友人の仇討ちのお礼は言ったが、自分を助けてくれたことへのお礼。

今こうして生きているのは、貴方が戦ってくれたから。

この気持ちを伝えないと、次に進めない。進みたくない。


「助けてくれて、ありがとう」


美空の言葉に、パイロットはそっと目を閉じた。やがて開いていくその瞳は、しっとりと潤んでいた。


「生きていて、良かった」


初めて見る表情だった。ひびの入ったガラスのような脆い笑顔。彼の胸中はどうなっているのか、美空にはわからなかった。ただ、彼は手放さないでと言わんばかりに頬を摺り寄せてくる。その無邪気な行動を、彼女は優しく受け入れた。


「意外と甘えんぼね」

「...あったかくて、好きです」


パイロットは否定しない。まるで彼の心に触れている気分だった。母が見れば、愛くるしいとさえ言うだろう。でも、見せるつもりはない。今パイロットが浮かべている表情は、私にだけ見せればいい。そんな独占欲すら覚えるほど、宝石のように見惚れてしまう笑みだった。


「稲妻くん、ギュッてしていい?」

「...。ダメ、です」

「ちょっとだけだから。ね?」

「...ダメ」

「ポカポカになれるよ?」

「...。」


辛抱たまらんと美空が身を乗り出す。すると「わっ」とパイロットが仰向けに倒れた。押し倒した美空を見上げるパイロットは、ただジッと彼女の瞳を見つめるだけで、何もしない。美空は彼の両足を跨ぎ、ゆっくりと身を寄せていった。


「美空、何してるの」


冷たい声音が、彼女の背筋を凍らせた。振り返ると、お茶を乗せた盆を抱えた母の姿。その冷ややかな声に相応する呆れ顔が、2人をジッと見ていた。


「あ」

「ほんと、はしたない子」


美空の喚き声から始まる母娘の賑やかな会話と共に、パイロットは解放された。上体をゆっくりと起こしながら、美空の手が触れていた頬にそっと手を重ねる。


死ぬまで戦う。

息の続く限り戦い続ける。散れば散ったで、それで良い。

そう決めた。

決めたはずなのに。


そんな彼の心境を溶かす「ありがとう」をくれた、『生』の喜びをくれた女性を見つめる瞳は、ほんの少し熱を帯びていた。







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