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赤い稲妻くん。  作者: ぴーす
13/20

13話


「さ、どーぞ」


美空達に案内された部屋は、信じられないくらいに豪華な空間だった。

キレイな畳を敷き詰めた10畳間に、大きな座卓と立派な座椅子、その隣に置かれた大きな座布団。部屋の左右に壁伝いにある襖を見やれば、片側はしっかり閉じられて判らないものの、もう片側は半開きで、暗がりながら部屋に続きがあると教えてくる。一人で宿泊するには持て余す広さだ。


「こんな広い部屋に、泊めていただけるんですか?」

「当旅館でも2つしかない、自慢の部屋でございます」


美空の母が前に立ち、部屋を案内する。ここが居間。半開きの襖で仕切られたところが寝室らしい。パイロットはポカンとしたまま説明を聞いていると、明るい女性の声が隣からやってきた。


「反対側の襖が脱衣所になってて、その先の硝子戸を開ければ檜風呂があるよ。もちろんお湯は温泉!」

「温泉...」

「どうぞ、ごゆっくりお寛ぎくださいね」


接客らしく母娘二人並んでペコリと一礼。ああ、結局は一人になれるんだと安堵し、「ご案内、ありがとうございました。おやすみなさい」と返礼した。すると、美空はニタニタと、母は小さな笑みを浮かべてパイロットに一言告げた。


「おやすみなさいなんて、夜はまだこれからですわよ」


終わったと思ったら終わっていなかった、という感覚。宿題の用紙を埋めきった後に裏面に気付いた時、

一戦交えた後に伏撃を受けた時、程度の差はあれど、あの冷や水をぶっかけられたような気分がパイロットを襲う。


「お世話になりたくない事があるなら、今のうちにやっておきなさい」


気付けば、美空の唇が耳元で囁いていた。彼女なりの親切に「ひゃい」と間抜けた返事を返すと、美空はニヤニヤしたまま母と共に部屋を出ていった。


ポツンと残されたパイロットは、どうしようとばかりに部屋をウロウロする。できることなら二人の世話なく寝てしまいたい。さっきの宴会の時のように弄ばれ続ければ身が持たない。焦るように歩き回っていると、寝室が見えた。暗がりだが、ぼんやりと布団が敷かれているのがわかる。

大きくて真っ白な布団が一式。枕が2つ。


「えっ...だれか助けて...」


思わず零れた言葉すら、居間の中で消え失せていく。



「お酒だけでいいかな?」

「そうねえ。念のためカルピスもご用意しておきなさい」

「はーい」


住み込み用に用意してもらった部屋に戻るや、2人は着替え始めていた。母はそそくさと着替えていくものの、美空は悩ましそうに頬に手を当てていた。


「あら、どうしたの?」

「ん?んー...いろいろ考え中」


ほんのり頬が赤い。異性相手に思考を巡らす娘の姿がなんとも可愛らしい。茶化してみたい気持ちを押さえて、母はそっと背中越しに抱き寄せる。


「あなたのこと、優しい人って言ってくれたわよね」

「...うん」

「大丈夫。彼は乱暴なことなんてしませんよ」


母の言葉に、ふう。と一息ついた。「ありがと」と一言告げて、美空も着替え始める。するすると着物を脱いで露わになっていく無垢な素肌は、あくまで娘のもの。決して傷は付けさせたくない。


「思うままに、楽しんでらっしゃい」

「わ、わかった」


ポッと顔を赤らめつつ、美空は準備を進めた。




私達のお世話になりたくない事があるなら、今のうちにやっておきなさい。


美空の助言をもとに、パイロットはようやく行動を始めた。

駆け足気味に襖を開けて、いそいそと軍服を脱いでは綺麗に畳み、タオル一枚を握って硝子戸へ駆け込んだ。


「わあ...」


檜材が敷き詰められた空間に、思わず感嘆した。辺りをキョロキョロ見ながら、白く濁った湯に近づいてみる。ツン、と鼻を突く臭いはあるが、嫌悪はなかった。温泉っぽさがあるというか、それも含めて温泉と呼ぶべきか。

風呂桶を拾って、濁り湯を掬う。それを一気に頭から浴びた途端、皮膚に熱気が走った。心の洗濯と言っても良いほどに心地が良い。もう一度お湯を掬い、それを片手に檜製の風呂椅子にちょこんと腰かける。石鹸置きを見やれば、これまた檜製。そこに置かれた白い石鹸がなんとも美しく見える。


さっさと済ませようと駆け込んだものの、ここまで豪華な風呂となればゆっくり楽しみたくなる。石鹸をタオルで包み、ゴシゴシと擦って泡立てる。さっさと体を洗って湯を楽しんでみたい気持ちを堪えつつ、急ぎ気味に体中を泡立てていく。


「みーっけ」


突然、硝子戸が開いた。宴会の時に聞いたあの明るい声が耳に入るや、ほぐれつつあった心を一気に強張らせる。おそるおそる振り返ると、美空の顔がひょっこりとこちらを覗いていた。


「なんでいるんですか!?」

「こっちの準備終わったから来たのよ。てか随分ゆっくりしてるのね」

「これでも急いでるつもりです!」


泡塗れのまま大きな声で喚くパイロットがなんとも間抜けに見え、美空はカラカラと笑う。揶揄いたくなるのは母譲りか、顔つきもニンマリとなる。


「もしかして、お姉さんと一緒に入りたくてお風呂で待ってた?」

「ち、違いますっ!」

「ごめんねー。この旅館、湯女はやってないの」

「すぐ出ますから!居間でお待ちくださいっ!!」


彼の反応が予想通り過ぎて、いちいち面白い。慌て気味に桶に溜めた湯を頭から浴び、泡を洗い流す。

湯気で白んだ視界に、泡を纏っていない彼の身体が露わになる。背中越しとはいえ、顔に似合わず中々の体付き。筋骨隆々とまではいかないが、細身の体にしっかりと筋肉を詰め込んでいる。流石は軍人と美空は感心した。

雫が滴る勇ましい背中をよく見れば、いくつか痕がある。少し色褪せただけのような小さなものもあれば、しっかりと縫った形跡を残すものも。浮ついた心を落ち着かせて、よく見てみる。傷だらけではないか。


「背中、怪我してるの?」

「...もう治ってます」


美空がポツリと呟いた。

子供っぽい彼に似合わない傷だった。美空に、はしゃぐ心などない。生々しい傷をいくつも抱えて、痛々しい。


「お見苦しいものを見せてしまって、申し訳ございません」

「そ、そんなことないよ」


飛行兵の寿命は短いという噂の根源に触れた気がした。地上では、地面を掘った塹壕や、コンクリートで掩蔽壕を作るなどして敵弾から身を守る陣地は作るという。自分達も防空壕で構築物で空襲から身を守る。地上だからそういう備えができるわけだが、空中ではそんなものは用意できるはずがない。


「飛行機には、身を守るものとかないの?」

「背中と頭の後ろを守る防弾用の鉄板があります。そのおかげで、これくらいの傷で済みました」


鉄板なんて、気休めになるのか。美空は遠くにいる彼の背中めがけて手を伸ばしていた。触れてはいないものの、背中を撫でるように手を重ねる。肌の色よりも少し白みがかった痕に、まだ痛みは残っているのだろうか。

彼の背中が、やせ細った枯れ木のように見えた。幼い顔付きに、性格も子供っぽい。それなのに、こんな傷を負ってまで戦い続けてきた軍人なのだと再認識した。


「あの...もう洗い終わったので、出たいのですが」

「...え。あ、あぁ。ごめんね」


感傷に浸っていた美空の眼に、恥じらいつつもこちらを見やるパイロットの横顔が訴えかけてきた。睨むというよりは、菓子をねだる子供のような眼差しに近い。彼にとっては休養の夜なのだから、もてなす自分が明るく接してあげないと。


「お風呂入らないの?」

「美空さんを待たせてしまいます」

「じゃあ、一緒に入ってあげよっか?」


こうやって揶揄ってるうちは、彼から戦争を遠ざけてあげれる気がする。そんな美空の心を知らない彼は、真っ赤になって「もう上がりますのでっ!」と騒ぎ立てている。

美空が「はいはい」と硝子戸の向こう側へ消えていくと、パイロットはふう。と一息ついて立ち上がった。サッと歩み出るも、すぐに立ち止まる。横にある白い濁り湯をたっぷり溜めた檜風呂をジッと見て、ムズムズと悩み始める。


「10秒だけ...」


ちょっぴり欲を出した。

ザブンと勢いよく身体を放り出し、湯船に沈む。直後に全身をジンと熱が浸み込んできた。皮膚を通り、筋肉を伝い、骨まで感じるこの熱。想像以上の気持ち良さに、パイロットの表情がふにゃりと崩れた。


「いち、に、さーん...♪」


極楽の10秒を堪能し、風呂場を出た。

また入りたいな。

朝早起きして、今度は100まで浸かろっかな。


心を躍らせながら、脱衣所に置かれた浴衣を着込む。




「あら、お帰り」


紺色の浴衣を身に纏ったパイロットが居間に戻るや、座布団の上で正座した美空が笑顔を見せてくれた。

宴会での華やかな衣装とは異なり、淡くて薄い浴衣を一枚身に纏っただけの身軽そうな着付け。そのせいか、体の線も違って見えた。


「なあに、また見惚れちゃった?」

「えっと...その...」


モジモジしながらも座椅子に腰を下ろし、小さく頷く。ごまかすとか茶化すとかはできない不器用さというよりは、誰にでも嘘を吐かない正直さが目立つ。こういう人は珍しいし、そうあろうとしても簡単には成れない。美空は機嫌よく「さ、着付けに一杯どーぞ」と酌をする。


差し出されたぐい呑みには、白い飲み物がたっぷり入っている。清酒ではないと悟るや、パイロットは手に取って少し口に付けてみる。すると、慣れ親しんだ甘い味が舌にじわっと広がってきた。


「カルピスだ!」


お湯で割られ暖かくなった大好物を、彼はゴクゴクと飲み干す。プハッと飲み明かしたその表情は、なんとも幸せそうだった。美空は苦笑いを浮かべ、お代わりを注いでやる。


「一人で楽しむなんて失礼よー」


美空の言葉に、ふと空になったままのお猪口を見つけた。彼女の分だと気付くや、「ごめんなさい」と詫びながら別の徳利を持ち上げる。


「次はちゃんと乾杯してくれる?」

「はいっ」


トクトクと酒を注ぎ、互いに視線を合わせる。酒とジュースが入ったぐい呑みを手を寄せて、「乾杯」の声と共にコツンと鳴らした。


「はー、おいし...♪」

「美空さんはお酒好きなんですか?」

「普段は飲まないけど、けっこうイケる方だと思うよ?」

「いいなあ」


羨ましそうに彼女を見やる。さっきの宴会で大体予想はできていたが、彼は下戸のようだ。美空は見せびらかすようにぐい呑みを飲み干すと、彼はせっせと徳利を傾けてお代わりを用意する。


「稲妻くんてさ、なんて名前のヒコーキに乗ってるの?」


クイクイと酒を口に運びつつ、美空は会話を始めた。彼へ抱く興味は他にもあるが、まずは彼にとって話しやすい分野から突いていく。


「今は一式戦闘機というのに乗ってます。「隼」って名前、聞いたことはありますか?」

「あるある。「加藤隼戦闘機隊」のヒコーキでしょ」

「はいっ」


元気の良い声。もっとギクシャクするかと思ったが出だしは好調と、美空も好感触を得た。飛行機が好きなのか、ニコニコとしている。時々揶揄ってやろうと思う気持ちは、我ながらどこか母譲りな部分を感じる。


「じゃあ稲妻くんの部隊は隼を使うんだ?」

「いえ、本来は四式戦闘機「疾風」という飛行機を使います。ぼくも乗れますけど、今は一式戦を使わせてもらってるんです」

「なあに、二股かけてるのー?」

「ち、違いますっ!!」


この慌て顔がなかなか酒に合う。純真さを揶揄うのは少し悪い気もするが、それ以上に楽しい。美空は会話を重ねていき、空になったぐい呑みを差し出して「おかわりー」とねだる。すると、パイロットはササッと酒を注いでくれる。どっちが接待されてるのやら。


「そういえば、美空さんのお母様は?」

「宴会の片づけと、明日の仕込みやってると思うよ。私よりお母さんの方がよかった?」

「い、いえっ! そういう意味ではなくて...」


悪戯顔がパイロットを困らせる。ただ気遣ってくれているだけなのは重々承知の上で、酒の肴になってもらうべく彼を揶揄う。


「うちのお母さん、美人でしょ」

「そうですね、とてもキレイな方でした」

「おっぱい大きいし」

「ゲホゲホッ!?」


口に含んだカルピスが変なところに入ったのか、思い切り咽ている。女体の事となればすぐ調子を狂わせるあたり、女慣れはしていないと見た。手元の酒を一気に飲み干して、勢いそのままにけしかけてみる。


「なあに、おっぱい好き?」

「ぼくは赤ん坊じゃないです!!」

「じゃあ嫌い?」

「...えと」


答え辛そうに視線を泳がせるその表情が答えになっているとは言わず、意地悪く彼の言葉を待つ。生真面目なのか恥ずかしそうに「嫌い...ではないです」と声を絞り出し、真っ赤な顔で彼女を見つめる。


「じゃあおっぱい好きな稲妻くんに聞くけど」

「か、勘違いしないでくださいっ!そういう目で見てるわけでは...」

「はいはい」


宴会の時もそうだが、彼は自分の話し相手に対してずっと眼を見つめてくる。意識をさせれば視線を変えるが、基本を目と目を合わせて感情や表情を示してくれる。こういう下品な話を振っても、彼は視線を外にやるか、自分の眼のどちらかへむけて言葉を返す。異性の身体に興味がないわけではないのだろうが、『欲』を感じさせない。


「私のお胸は立派かな?」


宴会の時に美空の母が言っていたことが思い浮かぶ。サラシを取ればどうとか。美空の片手が、浴衣越しに自身の胸を持ち上げるように寄せて見せる。さすがに目移りしたか、彼は己を正すかのように目をギュッと瞑った。何度もコクコクと頷いて、刺激から逃れようとしている。


「ふふっ、おっぱいくらいでドキドキしちゃって。ほんと子どもね」

「...子供じゃないです。揶揄わないでください」

「赤ちゃんの作り方とか知ってる?」

「知ってますっ!!」


照れるし喚くし拗ねる。なんて表情豊かな子なんだろう。母のいう「可愛い」の意味が少し解る。正直すぎるがために、自分の感情も揺らぎやすいのだろう。性的な話をすれば性的に見てしまい、ちゃんと答えようとするために性的に考えてしまう。飛行機の話をすれば、飛行機のことだけを頭の中いっぱいにして話す。つまり子供だ。

言葉を交わすたびに、眼前のパイロットの事が解っていく気がした。それと同時に、自分の中にあった不安、彼が欲の捌け口として襲ってくる心配は消えていった。


揶揄ってばかりでは、彼のご機嫌も優れないだろうと飛行機の話も振る。ただし、戦地の話はなるべくさせないよう、美空は酔いつつも注意を払った。脳裏に残る彼の背中以外に、彼の傷は見たくない。すくなくとも今は、それに触れなくても良いはずだ。


「じゃあ隼と疾風って、どっちが強いの?」

「んー、たぶん疾風の方が優れてると思います。でも、隼が一番好きです」

「ふーん。じゃあさ」


パイロットは身構えた。彼女の表情が不敵な笑みとなっている。ゴクリと喉を鳴らして酒を流し込んだ美空が、ニンマリと顔を寄せてきた。


「隼と美空お姉さん、どっちが好き?」

「えっ、えっ?」


伏し目がちに美空から逃れつつ、ぐい呑みに酒を注いでやる。注がれた酒はすぐ飲み干し、ますます機嫌良さげになる彼女を前に「酔ってませんか?」と尋ねてみる。さっきと比べて勢いが凄まじいが、本人は「全然酔ってないよー?」と否定する。本当だろうか?


「は、隼は軽くて小回りが利きます...加速も良いので戦いやすいです」

「じゃあ私は?」

「キレイで、優しくて...ドキドキします」

「隼は3つ褒めて、私は2つ。か」


不満そうな顔で、ぐい呑みを座卓に置く。すでに酔っている自覚はあったが、それを制御するつもりもなく、グイッと彼を抱き寄せる。サラシを取った胸に彼を埋めた途端、彼の両手がバタバタと上下した。


「褒めるトコ、見つけた?」

「むぐ...いい匂いがします」

「他には?」

「...おっきくて柔らかい、です」

「ん、私の勝ち♪」


満足そうに笑う美空だが、彼を放す素振りは見せない。キュッと抱きしめられたまま、パイロットは上目に顔を覗きつつ「離して...」と訴えるも、彼女の赦しは出ない。


「お母さんの言う「可愛い」っての、なんかわかってきた」

「こ、子ども扱いしないでくださいっ」

「稲妻くん可愛いねー、いい子いい子♪」


流石に我慢できず、「ぼくは大人ですっ!」とパイロットは美空の腕を振りほどいて身を乗り出した。彼女は勢いそのままにストッと仰向けに倒れ、彼が覆いかぶさった。居間に漂う空気が変わり、2人だけの空間には今までにない生々しい雰囲気が漂い始める。

組み伏せられた美空は頬を朱に染めつつ、優しく微笑んだ。威嚇する彼とは正反対の、温かい笑みだった。


「...この状況、オトナだったらどうする?」


ペロッと舌なめずりして、彼を煽る。ゆっくりと身を捩らせれば、浴衣が皺を寄せて崩れ始めていく。美空は酔いに任せ、頭上の彼をジッと見守った。


「もう、飲み過ぎですよ」


真っ赤な顔、上擦った声音。彼が自分をどうしたいかなんて、その物欲しそうな表情を見れば誰だってわかる。それでも彼は、自分の思う「大人」を演じていた。

彼女を優しく抱き起すと、寝室の布団まで運んで美空に布団をかけてやる。


「今日はありがとうございました。ドキドキさせられっぱなしだったけど、楽しかったです」


ぐるりと頭を回す酔いに加え、温かくてふんわりと身体を包む布団が心地よく、身体が起き上がらない。


「...もう寝るの?」

「そうですね。おねんねしましょうか」

「...生意気」


隣でちょこんと座るパイロットが、ポンポンと布団越しに彼女を撫でてくる。「子守歌、唄いましょうか?」と小さく微笑むのは、彼なりの仕返しのつもりだろうか。


「...稲妻くん、良い事教えてあげよっか」


「なんですか?」と優しく尋ねてくる。布団の上に置かれた彼の手をチラッと見やると、美空の最後の反撃が彼を襲う。


「そこ、私のおっぱい」


暗がりの中で慌てる彼にニッと悪戯っぽく笑みを見せつつ、美空の意識はゆっくりとまどろみへ溶けていった。

スゥスゥと寝音を立てる彼女を尻目に、パイロットは苦笑いを浮かべつつも気分の良さ気に座椅子へ戻った。飲みかけのカルピスをグッと煽り、天井を見つめたままポツリと呟いた。


「こんな明るい人だったんだ」


自分の気持ちを確かめるように胸に手を当てる。たくさん揶揄われたが、不思議と嫌悪感はない。形容しがたい気持ちが心に根付いている。その正体はわからない。


それでも、美空さんが見せてくれた笑顔だけは何度でも見たい。自分が恥ずかしい思いをしてでも、笑ってくれるなら―――。


「お風呂、入ろ」


大切なものを抱くように胸に手を当てたまま、彼は再び襖の向こうへ消えていった。




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