1・私は勝利した
何もかもが逆さまになった世界がありました。
天地が逆さまなので、バランスを崩すと空へ落ちてしまいます。
空では銀色のワニが待ち構えています。ワニは人間に噛まれるのが大好きです。
「お願いします。噛んでください。噛まれると幸せなんです。お願いします」
ワニを噛むなんて嫌だ、と人々は逃げ惑います。でも、一度空へ落ちてしまうとそう簡単には地上へ飛べません。他にすることもないので、仕方なくワニを噛んで遊びます。
ユイナはこの世界でサーカス団長をしています。まだ三歳ですが、もう二十年も働き続けています。
団長の仕事は観客を喜ばせることです。飴を投げたり、歌を歌ったり、可愛く微笑んだりするよりも、観客はもっと違うことが好きだとユイナは知っています。
ユイナはおぼつかない足取りで、ライオンが持った火の輪をくぐります。
一輪車をこぎながら、頭の上にサルを高く積み上げます。
ペンギンが投げた魚を、ユイナが鼻でキャッチして投げ返します。
そして最後は綱渡りです。地面のそばに張られた綱を、ユイナが一人で渡ります。綱はピアノ線のように細く、少しでも傾くと空へ向かって真っ逆さまです。
観客たちはこれが一番好きです。ユイナが片足でぐらぐらするのを見て、いつ落ちるだろう、いつワニたちのところへ行ってしまうのだろう、とささやき合うのが何より好きなのです。ユイナは観客を喜ばせることが好きでした。三歳だから、それしかできないと思っていました。
だけど、もうたくさんです。
「ワニさんたち、出ておいで!」
空が割れるようにきらめき、ワニが一匹、また一匹とジャンプをしました。ワニは銀色の背中から鋭い羽を広げ、あっという間に地面までやってきました。
「よく来たわね! ごちそうがあるよ!」
ユイナが叫ぶと、ワニたちは尻尾の歯を剥き出して観客に襲いかかります。ライオンにもサルにも、炊飯器にもモクレンの木にも、できたての冷やし中華にも襲いかかります。
噛みついて食べ尽くすことが自分たちの仕事だと、ワニたちはようやく思い出したようです。報告書に書ける事実を作らなければ、空に見放されてしまいます。
人々はあっという間にワニに食べられていきます。後には何も残りません。持っていたハンドバッグやおもちゃも、綺麗に食べ尽くされていきます。
「もうすぐ私も食べられちゃうわね」
ユイナは言いました。広場では少しばかりの人と野菜と血圧計と殺人鬼が逃げ惑い、あとはワニしかいません。
「でもいいわ。一度やってみたかったんだもの。ワニたちを近くで見たかったんだもの」
走り回るワニは、流星のようにあっちへきらきらこっちへきらきら輝き、サーカスの終わりにふさわしく見えました。
長すぎる三歳が終わる前に見られてよかった、とユイナは思いました。