第十夜 蛤-はまぐり
台所から、なにやらしくしくと声がする。覗くと水桶に入れてあった蛤のうちで、一番大きいのが泣いていた。
あまりに哀れっぽい声で泣くので、堪らず声を掛けると、
世に蛤として生まれてから海千山千、あと幾年かで竜にも成れたものを、うっかり寝惚けているうちに捕まってしまった。このまま半端である身で食べられてお終いかと思うと、なんとも無念で仕様がない、といってまた泣く。
わたしはそれを聞きながら、海千山千はそもそも蛇の話だろうし、長く生きているにしてはなんだか間が抜けている蛤だと思ったが、流石に気の毒なので言うのは止めた。
代わりに、そう泣いたって此処らは海にも川にも遠すぎる、水道水ではそう長くも生きれまい、と宥めてみた。しかし蛤は、自分がうかうかしていた所為なのだから、捕まるのも食べられるのも全く仕方がないことだ。ただ不甲斐なくてどうにも堪らないのだ、と未だめそめそしている。
そのうち、周りで聴いていた蛤達までが次々と切なげなため息を吐きだしたので、なんだか自分が大悪党にでもなったような気がして、すっかり食う気が失せてしまった。
仕方ないので晩飯は諦めて、この大きな蛤といっしょに酒を呑むことにした。
といっても貝と酒を呑んだことなどないので、勝手がよくわからない。なんとか落ち着かせたところを水からあげて、殻のふちにちょっと日本酒を注いだ。
蛤は、酒が入るとたちまち上機嫌になって、何千何百という身の上話から今までに見聞きした種々まで、どんどん語って聞かせてくれた。
話があんまり不思議で面白くて、わたしもどんどん酒を注いで喋らせたので、二人とも数時間と経たずにすっかり出来上がってしまった。
蛤はどうやら泣き上戸だったようで、終いには、こんなに沢山酒を呑ませて、きっとお前はおれを酒蒸しにして食べてしまう目論見なのだ、酷い酷い、とわんわん泣いて、そのまま潰れて寝てしまった。
わたしも愉快な気分のまま、他の蛤達にもじゃんじゃん酒を呑ませて、そうしていつの間にか眠ってしまっていた。
次の日起きると、台所には桶に入った蛤が昨日のままで置いてあった。
他の蛤に紛れてしまったのか、あの大きな蛤は見つけられず、もうどんなに話しかけても返事をしなかった。
-了-




