第一夜 件-くだん
ここ半月ほど時期外れの雨が降り続いていた。弱くなったり強くなったりしながら、日がな一日降っている。じめじめと湿っぽく、煩わしいことこの上ない。
先日何某の家で、男の顔をした牛が産まれたそうだ。牛は自ら件と名乗り、なにやら不吉な予言をしてからそのまま死んでしまったという。今は野良仕事の老人から屋根の上の雀まで、村中が皆その噂でもちきりだ。
と、梨を持ってきた隣の奥さんが話していた。
入り相、久々に雨が止んだので裏の竹林を歩いていると、山の方から子牛が歩いてきた。どこぞの家から逃げたのだろうか、と思いながら見るとその牛は美しい女の顔をしている。
「やあ、」と女の顔をした牛は、なんとも透き通った声で言った。
「どうした、おまえは耳が聞こえないのか。やあ、」
わたしはその顔に見惚れながら、やっと声をだした。
「おまえは件というものか」
「そうだ。」
「この前生まれたというやつか」
「それとは違うが、おなじようなものだ。」
「予言をするのか」
「そうだ。」
件の目は凪いだ湖のように、静かに私を見上げていた。
「予言をしたら死んでしまうのか」
「そうだ。予言をしないといけないから、聞いてくれる者を探していたんだ。」
「でも予言をすると死ぬんだろう」
「そうだ。」
「嫌ではないのか」
「そういうものだ。」
わたしは、この美しい生き物が死んでしまうのがとても惜しい気がした。
「ちょっとここで待っていてくれ」
そう告げると、わたしは家へ走って荷車と茣蓙を取ってきた。
「お帰り、一体どうしたんだ。予言を聞いてくれないか。」
わたしは件を抱き上げると荷車に乗せて、茣蓙を被せて外から見えないようにした。
そして誰にも見られないよう気をつけながら、しかし急いでそれを牽いて家に帰った。件はどうやら驚きで声も出ないようだった。
そのまま納屋に入って戸を閉めると、件はようやく我に返って辺りを見回しながら、ここはおまえの家か、と言った。
「拐うような真似をしなくたって、わたしは来いと言えば付いていったのに。さあもういいだろう、予言を聞いてくれ。」
わたしは首を振った。
「予言をすれば死んでしまうんだろう」
「ああ。」
「では駄目だ。予言は聞かない」
「ならば誰か、他の人を連れてきてくれ。それが駄目ならわたしが行こう。」
「それも駄目だ」
「予言をしなければいけないんだ。」
「ではわたしが聞く、あとで必ずわたしが聞くから。今は駄目だ」
わたしはもどかしいような、哀しいような気持ちに駆られながら、「必ず、わたしが聞くから」ともう一度言った。件はすこし困った顔で、「そうか。」とだけ応えた。
わたしは件をそのまま納屋に閉じ込めた。
勝手に予言を言うといけないので、わたしはその日のうちに寺から御札を貰ってきて、それで件の口を塞いだ。
なにか食べさせねばいけないだろうと思い至って、おまえは一体何を食べるんだ、牛と同じものでいいのか、と訊くと、件は「わたしはものは食わない。」と言う。どうやら腹が空かないらしい。
水なら飲むというので桶に水を入れてやった。
件が二言目には「予言を、」と言い出すので、わたしがなにか訊ねるとき以外は御札を貼ったままにすることにした。
どこか苦しかったり、変だったりはしないか、と訊くと、件は首を振って少しだけ笑ったようだった。
相変わらず水しか飲まなかったが、件は弱る様子もなく、また子牛のまま大きくなる様子もなかった。
件を閉じ込めて半月がたった。
夕方から雨が一段と激しく降っていて、日が落ちてからは風も強くなっていた。
わたしは納屋に入るとすぐ、件の口を塞いでいる御札を取って「寒くないか」と訊いた。件は、寒くはない、と答えた。
また御札を貼りなおそうとすると、件は珍しく少し大きな声で、
「待て、お前と話さないといけないんだ。これで最後だから。」と言う。
最後というから気にかかって、わたしは件の話を聞くことにした。
「大雨で川が溢れて、家がたくさん流される。」
わたしは黙って、件の傍に座りこんだ。
「だが、私の姿絵を神棚に供えて、それからその絵を肌身離さず持っていれば、その者は助かるのだ。」
「お前が聞かないから、こんなに遅くなってしまった。わたしは予言をしなければいけなかったんだ。」
ゆるく頭を振りながら件が言った。
わたしは「そうか」とだけ答えて、件の脇腹をそっと撫でた。件の体は温かかった。
雨の音に混じって、遠くから地響きが聞こえていた。
-了-