謎の青年
穂積に会ったその日の早朝ー
私は眠れず、一晩褥の上でゴロゴロしていた。あれから、お殿様に報告はしたが、結局穂積のことは報告しなかった。
せっかく偶然にも、会いたかった穂積に会えたのに、また手を離してしまった。
(穂積のばか)
私は、寝返りを打ち勢いよく起き上がる。今日は、体を休めろとお殿様におっしゃられたので、一日休みだ。かといって、一日ゴロゴロするのは私の中の信念が許さない。
穂積のことで頭がいっぱいなおもいを、消したくて私は城下町に降りようと思い、支度をし始めた。
ー城下町は、活気が溢れ賑やかだった。朝は、朝市という新鮮な魚や野菜が、ずらりと店に並んでいた。
どれも、空腹な私にとって美味しそうに目に映るものだから、ブラブラとあてもなく歩き続ける。
すると、一軒の店の看板に目を引かれることが書いてあった。
(本日は、安売りの定食が限定50名?)
私は、この看板に書いてある店の中へと入る。
「はーい。いらっしゃい。どこの席でも良いよー」
元気よく明るい女の、声が響き渡った。店の奥から、ふっくらとした女主人が顔を覗かせ、私に話し掛ける。
「はい。何を食べるんだい?」
「あ、あの限定定食を…」
「はーい。あんたで最後さ。良かったね」
女主人は、からからと笑い奥へ引っ込む。
店の中は町と同様、人でありふれ人の話し声で包まれていた。談笑する者、ただ黙々と食事をしている者、騒ぐ者…
私は、一通り店の中を見渡した後、お茶を啜った。その時…。
一人の青年が店の扉を開ける。ひょろりとしているが、背は高く体躯も無駄なところはなさそうだ。片方の目を前髪で隠しており、さらされているほうの瞳の色は、黄色がかかった薄茶色のはしばみ色だった。
その瞳の色を見るのは始めてで、私はしばし見とれる。その視線に気付き、青年はこちらを見て目が合う。
そして、こちらに向かって歩いてきて私の席の隣を指差す。
「ここいいかな?」
決して高くも低くもない男の、丁度聞き心地の良い声で話し掛けられる。
「はい」
「ありがとう」
私が頷くと、青年は人懐こい笑みを浮かべ椅子を引き座る。そして、何故か私の顔をじろじろと見る。
「?…あの、何か?」
私が訝しげに顔をしかめると、青年は人の良さそうな表情を浮かべた。
「君が、千早ちゃん?あ、俺は風雅っていうの。以後、お見知りおきを」
青年は流れるような仕草で、私の片手を持ち上げ、自身の口元に持っていき、私の手の甲に口付けを落とす。
「な、何をするのですか!」
私は、かあっと赤面しばっと手を振り払う。
「純粋だね。可愛い」
青年はにやりと笑い、机に肘をつき体を私の方へ寄せる。
「!……あの…」
「ん?」
「ち…かすぎませんか…」
「そう?俺にとってこの距離は当たり前だよ?」
どう考えてもこの距離は近すぎる。前を向いて腰掛けている私の横にすぐ、青年が腰掛け、顔は私の顔を覗き込んでいる。近くで見ると、男なのにきれいな肌で、美しい顔立ちが眼前にある。はしばみ色の瞳が、私の困惑している表情を映し、戸惑う。お互いの腕が引っ付き、食事をするこの場では相応しくない、距離感だ。
「あの…もう少し離れてください…」
「……くく…」
「!」
青年は何につぼったのか、いきなり笑い転げた。
困惑している私に、青年は横目で私を見て、口元を自身の手で覆っている。
「ごめん、ごめん。ちょっと困らせたくて。可愛いし、反応が面白かったからね」
と言いながら、まだ涙目の青年は笑っていた。私は、呆れ青年から目をそらす。
「はー。笑った笑った。ああ、ところで本題に入ろうかな。千早ちゃんは忍でしょ?」
「!…何故?」
私は、警戒する。いや、何故この男私の名を知っているのか。
「だって、俺も忍だからね。分かるんだよ、雰囲気で」
青年が、にこっと笑う。私は、益々不信感を募らせ、警戒心を強くする。
「そんなに身構えなくても大丈夫だよ。俺は女の子には優しいからね。どこぞの女泣かせさんとは違って」
「女泣かせ?」
私は、青年の理解できない言葉に首を傾げる。
「……無自覚か。まあ、いいや。あ、ご飯来たみたいだから俺はこれで失礼するね。千早ちゃん」
青年は、私の頭をポンっと撫でた後、店を出て行く。
「はいよ。お待ちどうさん。さっきのお兄さんは良かったのかい?」
「はい」
女主人が、ホカホカの出来立ての定食を私の眼前に置いた。
その美味しそうに匂う香りに、私の空腹が強くなり青年のことはもう頭から抜けていた。そして、そのまま定食に夢中になる。