Smile (後編)
前編のチェスターとジル編に続き、アルフレッドとスカーレット編。
スカーレットの少女時代の話。
尚、作中でCoccoのRainingの歌詞を想起させる描写有り。(歌詞の引用はしておりません)
だけどLONELY みんなLONELY きっとLONELY
答えを求め彷徨いながら 愛し合うことができたなら
太陽に少しだけ近づける
悲しい…… 飛び越えたくて
顔を上げ 洗い流すSummer time
ずぶ濡れ びしょ濡れ Hard to stay away
(LONELY/吉井和哉より)
(1)
朝、学校の玄関にて、スカーレットは必要以上に緊張した面持ちで下駄箱を開く。
(……よし、今日は上靴はちゃんと入っている……)
破損もしていなければ、落書きもされていないし、靴の中に画鋲や動物の糞も入っていない。
よく確認をした後、ようやく靴を履き替える。これは、ここ数年、彼女の毎朝の日課だった。
スカーレットは、履き替えた靴を下駄箱には入れずに、持ってきた袋に入れて鞄と共に教室へ持って行く。
下駄箱なんかに入れた日には、何をされるか分かったもんじゃない。鍵を掛けられる個人のロッカーに入れるしかないのだ。
教室に入る。
スカーレットが一人の男子生徒の傍を横切ると「うわっ、きめぇ」と詰られ、彼と一緒につるんでいた他の生徒達も「おい、ブス!臭いし、汚ねぇぞ!」「てゆーか、赤毛が目障りだから学校来るな」「むしろ、死ねばいいのによ」と、口々に囃し立て、それを見ていた女子生徒達は、こそこそと一斉に嘲笑する。
スカーレットはそれらに一切反応を示さず、無言で眉一つ動かさない無表情のまま、自分の席に向かう。
机と椅子の上にも、今日は何も置かれていないし、落書きもない。引き出しの中はどうだろうか。恐る恐る中を開けると、ゴミも入っていないし教科書も無事のようだ。
(……これなら、休み時間に巻き起こる聞こえよがしな陰口に耐えさえすれば、とりあえず午前中は大丈夫かな……)
スカーレットは周囲に気付かれないよう、少しだけ、ほんの少しだけ、ホッと胸を撫で下ろす。と言っても、家に帰るまでは油断は大敵だが。
このように、スカーレットは学校にいる時、常にピリピリと神経を最大限に張りつめて過ごす。それだけでなく、喜怒哀楽全ての感情表現を押さえつけてお面のごとく無表情を作り、級友、特に男子生徒と視線すら合わせないよう、徹底していた。
ちょっとでも感情を出したり、目を合わせたりしようものなら、何を言われるか分かったもんじゃない。自分から、彼らに餌を撒くような真似だけは何としても避けたいのだ。
その後、午前の授業も昼休みも特に何もなく、今日は無事に平和な一日として過ごせるかもしれない、と思っていた。
その日最後の授業前の休み時間だった。
自分の席で本を読んでいたスカーレットの頭に目掛けて、紙飛行機が飛ばされてきた。
そのまま無視をしていれば良かったものの、何故かそれを拾い上げてしまった。よく見ると、折り目の隙間から文字が見える。
絶対に見てはいけないーー、頭の中でけたたましく警告音が鳴り響く。
しかし、いけないと思えば思う程、見たくなるのも人間の心理だ。
躊躇いがちな指先で、スカーレっ尾はゆっくりと紙飛行機の折り目を開いた。
『地獄に堕ちろ、気味の悪い目をした赤毛の悪魔!お前なんか死んでしまえ!!』
中身を読み、呆然とするスカーレットの顔色は見る見る内に真っ青に変わる。
一体、自分が彼らに何をしたというのか。
昔から、スカーレットの赤毛とそれぞれ色の違う両目は、級友達からのからかいの対象にはなっていた。
それに加えて、彼女は怒ったり恥ずかしがったりと感情的になると、すぐに顔が真っ赤になる。
最初は、そういう部分が面白いからと、ごく一部の男子生徒が軽くからかう程度だったがだんだんとエスカレートしていき、いつしか教室中の男子、及び女子から苛めを受けるようになり、かれこれ五年近く経つ。
もう限界だった。
スカーレットは紙飛行機をぐしゃりと握りつぶすと、引き出しの中から鋏を取り出し、静かに席を立つ。
鋏を握りしめながら、紙飛行機を飛ばしたであろう男子生徒の元まで歩み寄る。
数人の友人に囲まれたその生徒は、自分に向かって近づくスカーレットに気付くと「うわ、来たよ。こっち来んな、ブス」と笑ったが、彼女が鋏を持っていることを知ると、「何だよ、マジでこいつ頭いかれたんじゃねぇの。やばくね??」と、心なしか怯えたように身構える。
そしてスカーレットは、男子生徒の目の前で来たところで、お下げに束ねた自身の髪をいきなり鋏で切り落としたのだったーー
(2)
「スカーレット、何てことをしでかしてくれたんだ!!この恥知らずが!!」
父親に頬を思い切り張られ、はずみでスカーレットはバランスを崩し倒れかけるが、寸でのところで姉のヴァイオレットが腕を掴んでくれたので、どうにか態勢を保つ。
「お父さん!乱暴なことしないで!!」
ヴァイオレットはスカーレットを庇うが、「ヴァイオレットは黙っていろ!」と逆に叱責され、父の怒りを抑えることは出来なかった。
「学校でいきなり鋏で髪を切り落とすわ、自分の腕を傷つけるわ……正気の沙汰じゃない。頭がおかしいとしか思えん。赤毛が馬鹿だと言うのはやはり本当だったんだな……」
「赤毛が馬鹿だなんて、そんなのただの偏見じゃない!普段大人しいスカーレットがあんなことするなんて、きっと何か深い理由があってのことよ!そうでしょ??スカーレット」
バイオレットが理由を話すように促すも、スカーレットは俯いたままで頑なに口を開こうとしない。そんな彼女を心底失望したという目で父は一瞥する。
「……もういい。お前が救いようのない馬鹿だと言うことは嫌と言う程よくわかった。とりあず、学校を卒業するまでは面倒見てやるが、卒業したらこの家から出て行ってもらう。お前みたいな、見た目も頭も性格も悪い娘は、モートン家の恥にしかならない。我が家の娘はヴァイオレットだけで充分だ」
父がそう告げると、引き留めようとするヴァイオレットを振り切り、スカーレットは逃げるように自室に駆け込んだ。
部屋に入るとスカーレットは、中から鍵を掛ける。そして、机の引き出しからあるものを取り出す。
それは、髭剃り用の剃刀の替え刃だった。
スカーレットは、スカートの裾を捲り上げ、太股を露わにさせ、ベッドに腰掛けた。太股の内側には、無数の切り傷の跡が残っている。
剃刀を持つ右手を震わせながら、スカーレットはまだ傷がついていない箇所に刃を立てて力を加え、ゆっくりと横に引く。白い肌にうっすらと赤い血が滲み出す。
いつから始まったのか、スカーレットには、心が傷つく度に腕や太股を剃刀で傷つける癖があった。
傷を見ると何故だか分からないけれど、暗い気分が瞬間的に晴れて、楽になる。気がするのだ。
ふと、近くにある鏡台に自分の姿を映す。
耳辺りでざんばらに切られた(自分でやったことだが)真っ赤な髪に、死んだ魚のように何も映そうとしない、それぞれ色の違う瞳、幽霊のように青白い肌――。
「……何て醜くて気持ち悪いの……」
自嘲気味に呟くと、鏡の中の自分から目を逸らしたのだった。
(3)
「あんた、赤毛にしては珍しく、髪が柔らかいんだな」
フレッドがスカーレットを抱きしめながら、彼女の髪を優しい手つきで撫でる。
「……多分、生まれた時はブロンドだったからじゃないかしら」
スカーレットは赤ん坊の頃は、姉のヴァイオレットと同じくブロンドだった。しかし、成長するにしたがって、いつしか赤毛に変化していったのだ。
「……私は、この髪の色が大嫌いよ……。姉さんみたいなブロンドか、アルフレッドみたいなブルネットとか、とにかく普通の髪色が良かった」
「……普通ねぇ……」
フレッドは、スカーレットの髪を一掴みして、その毛先を弄りながら言った。
「俺はあんたの髪色好きだけどな。太陽の光に照らされた時の目が覚めるような鮮やかな赤色は、他の誰にもない、あんただけの美しさだと思う」
「…………」
「ついでに言うと、色の違う目の色も猫の目みたいで綺麗だと思ってる」
「………………」
「まぁ、性格的にも猫みたいなもんだし」
「誰が猫よっ!!」
スカーレットは、フレッドの腕の中から離れようともがく。
「今のだって、まるで背中の毛と爪を立てて威嚇する猫そのものだ」
フレッドは、顔を真っ赤にして怒るスカーレットを面白がってからかう。
「……何なら、引っ掻いてあげようか??」
「それは勘弁してくれないか」
「だって、私は猫なんでしょ??」
「……悪かったよ」
早々に降参するフレッドに、「今日は意外と引き際早いのね」とスカーレットは悪戯っぽく笑いかけた。
学校での「あの事件」以来、スカーレットへの苛めはピタリと収まった。代わりに学校を卒業後、故郷の街から追い出されるような形で、隣にある地方都市の大きなこの街で働きながら暮らすことになった。
しかし、スカーレットからしたら、封建的で差別的な田舎街でこれ以上暮らすことは耐え難かった。
スカーレットの生家は代々、街で一番大きな病院を経営していて、父は病院長、母は看護師長、姉のヴァイオレットは看護学校に通う学生と、優秀な家族の中に置いて一人だけ違う道を歩むことに一生劣等感を持って生きたくない、そう思っていたので、逆に今までの自分を変えるチャンスだと、そう捉えることにした。
おかげで今のスカーレットは、大好きだった音楽を通じて、良き友人や仲間に恵まれ、最愛の恋人であるフレッドにも巡り会えた。
最悪な出来事だって、長い目で見ればずっと先の幸せに繋がっているのかもしれない――
「何がそんなに可笑しいんだ??」怪訝な目で見るフレッドに構わず、スカーレットは一人幸せそうに笑うのだった。