3.宵闇の美女?は困惑中《ネスティ視点》
毅然とした態度で庭園から出ていくユーフィア王女の後をつけたのは、ほんの好奇心からだった。
なぜそんな行動に出たのか不思議でならないが、けして、王女のことが気にかかるからではない。
私はミアのために、王女の様子を窺っているだけだ。
僅かな懸念も残してはいけない。
ミアの為だ…。
念を押すかのような思考に戸惑う。
微かな矛盾に違和感があるからなのか?
『ネスティ様。わたし王女様に嫌われているんですか? 王女様、いつもわたしを睨んでくるんです。
それに…男を侍らせて何様のつもり? いい気にならないことですわ、って言われてしまって…。わたし、そんなつもりないのに。
ネスティ様! わたし…王女様が怖いです』
縋り付いてくるミアをなだめ、私自身、王女の行動に疑問を持っていたこともあり、真意を確かめる為に接触したが…。
どうにも腑に落ちない。
ミアとの出会いは、偶然だ。
魔力暴走事件で高魔力保持者として見いだされた彼女は、今年の初め、市井の学び舎からこの学園に転入してきた。平民ゆえ、学園になかなかなじめずよく一人で過ごしていたように見えた。
そんな彼女が、許可なき者立ち入り禁止区画に迷い込んでいたのだ。知らないとはいえ、あまりに無知な行動に咎めたのを覚えている。その時の彼女の言葉も…。
『申し訳ありません! でも、枯れかけた花をどうしてもほっとけなくて』
ミアは、庭園内で枯れかけた花を見捨てることができず、自らの魔力を注ぎこんでいたのだ。その優しさに私は一瞬で心を奪われていたのだと思う。
高貴な令嬢たちは、枯れかけた花になど見向きもしない。美しいものにしか心惹かれないのだ。それは、人にも当てはまるのではないか?
私を美しいと称する美姫たちは、私の上辺しか見ていない。誰も私の本質を見ようとしないのだ。
『ネスティ様はやさしいですね。こんな平民のわたしにも親切に接してくれて。
それに、ネスティ様の瞳、とてもきれいです。宵闇みたいですごく落ち着きます』
その言葉にどれほど救われたか、きっとミアは気づいていないだろう。
膨大な魔力を身に持つ彼女は、けして力に奢ることはなく、誰にでも優しく慈愛に満ち、まるで遥か太古の昔世界を救ったとされる聖女のようだと自分は思う。
彼女と過ごすひと時は安らぎに満ちていて、これほど心惹かれるとは思いもよらなかった。
あれから数か月、季節は直に実りの季節になる。
ミアの人柄にふれたものは一様に彼女のとりこになるようだ。いつの間にか、彼女の周りには取り巻きが出来ている。
他の男といるのは気に障るが、それも彼女の仁徳なのだろう。最後にミアを手に入れるのはこの私、ネスティ・ブレイクスだ。
そう、思っていたのだが…。
いつからだろう?
ミアと共にいると必ずと言っていいほど王女の姿を見るようになったのは。
気づくと王女は近くにいて、彼女を凝視していた。
いつも見かける王女は、淡い光に透けるような長い金糸の髪を綺麗に結い上げ、宝石のような碧の瞳を物言いたげに曇らせている。
そして、まるで周りに紛れるように身を隠し、気分を害する様子でもなく、ただ静かに見ているだけなのだ。ミアを…。
はじめは婚約者のアレフリードや兄君の殿下が彼女に執着を見せているのを不快に感じているのだと思っていたが…。
先ほどの話の様子からは違うようだ。
では、何のため?
ミアに害がないなら放置してかまわないのだが、そういう訳にもいかないだろう。
だが、王女と話して、気づいてしまったことがある。
王女は彼女を見ていたわけではなく、偶然にも彼女と我々の交流の場に居合わせただけだと。
あの様子だと、ミアと話したことすらなさそうだが…。
私の知る王女は、その思考が顔に出やすい。
本人は気位の高い王女のつもりでいるのだろうけど、その言葉に隠し事はあってもすぐにばれるのだ。 それは幼いころから何も変わらない。
初対面時に美少女と呼ばれたことで、反射的に冷ややかな目で王女を見てしまった。
その時の王女の恐れ戦く仕草が可笑しくて、未だに根に持つふりをしている私は、我ながら性格が悪いと思う。
未だに、会うたびに王女は動揺を隠せないでいるからな。
その姿はほほえましくもあるが、まあ、そのせいで王女からは距離を置かれる羽目にはなった。自業自得か…。
その王女が、ミアを貶めるようなことを言うのだろうか?
解らない……。
そもそも、なぜミアは王女に嫌われているなどと私に告げたのだ?
王女に辛辣な言葉を投げつけられたとも言っていた…。
どういう事だ?
ミアを信じるなら、私の知らないところで接しているのか?
しかし、王女がその様なことをするとは思えないが…。
王女の言葉の端はしや仕草からは、ミアを嫌っている様子が見当たらないのだ。
『…出来るのなら、人目のつかない場所でお話し下さいませ。偶然も重なりますと、こちらも不愉快ですから』
不機嫌そうに言葉を投げつけてきても、本心は別のところにありそうだ。懸命に隠そうとしてはいるが…。
『…そうですか。あの方が許可したのならば私にそれを非難する権利はありませんわ。どうぞご自由に』
兄君の行動にも、呆れを含みつつも彼女を責める言葉はなかった。
それに…。
『…彼は、まだ婚約者ではありませんわ。候補というだけです。正式に決まったわけでもありませんので、現段階で彼が誰と親しくしようと私には関係ありません』
本当に婚約を認めていないのであろう。あの言葉には珍しく嘘が隠れていなかった。
続いた言葉に苦笑を禁じ得なかったが……。
『…それに、彼女が接触、いえ、彼女に執着なさっておられる方はアレフリード様だけではございませんでしょう?』
皮肉交じりの言葉は王女にしては随分と棘が含まれていて、まるで私を責めているかのようにも聞こえてしまった。
少なからずそのことに喜びを見出した自分にも驚いたが…。
とっさに王女の真名を呼んでしまったのは、動揺していたからなのだろう。
王族には、真名がある。
過去の聖女や英雄の名を真名とするのだ。
王女は遥か太古の聖女シエラの名を、殿下はその聖女の隣で活躍した英雄の名フィランゼを名づけられている。
その名で呼ぶことが許されるのは、同じ王族か、呼ぶことを許されたものでしかありえない。
とっさに私が呼んでしまったのは、エスリード殿下が王女をそう愛しげに呼ぶのを間近で見てきたからだ。王女のいない殿下との会話では、よくその名を私も口にしていた。
殿下は苦笑しておられたが…。
もう王女をシエラと呼ぶことは出来ないのだろう。
拒絶されてしまったからな…。
それを残念と思う自分も、大概どうかしている。
雑念な思考を断ち切るように視線を上げると、前方のちょうど庭園の入り口辺りでじっと一点を見つめる王女が立ち止まっていた。すかさず、見つからないように、近くの大樹に身を隠す。
学園内にはところどころに大樹が植えられているのだ。もちろん、ここの庭園にもある。
先ほどミアとアレフリードを窺っていた王女が身を隠していたのもその一つ。日差しの強い蒼空の季節である今は、微かな木陰になり涼む生徒も多い。
王女は、まるで誰かと会話しているかのように佇んでいた。誰もいないのだが…。
――― 別に気にしているわけではありませんわ。彼らが、彼女に手玉に取られているのを不甲斐なくは思いますが ―――
突然響く声に眉をひそめる。
なぜ、王女の声が?
ここは声の届く距離ではない。
だが、聞こえた声はまるですぐそばで話しているかのようにはっきりと聞こえた。
王女を見ると、微かに狼狽しているようにも見えるがその表情までは伺えない…。
ただ、聞こえた声からは、王女が我々に落胆している様子がありありと浮かんでいるのが分かる。
呆れを含む言葉は、誰に向けられたものか。
我々か?
それともミアか?
それにしても、手玉に取るなどと心外だ! ミアがそのようなことをするわけがないだろう!
やはり、王女は彼女と接触しているのだろうか?
害をなそうとしているのか?
――― …わ、私にだって気になる殿方くらいおりますわ ―――
再び届いた声。
その言葉を聞いた瞬間、胸に小さな棘が刺さったかのような僅かな痛みが走る。
「シエラに気になる相手?」
極小さく呟いた言葉は、まるで自分に問いかけるかのように響く。
相手は誰だ?
あれほど厭っているアレフリードではあるまい。
では…誰だ?
ミアの取り巻きにいるのか?
だから王女は…?
思考の渦に巻き込まれながら私は一つの可能性に思い至った。
まさか、その相手がミアに好意を抱き王女が憤っているのか?
そう思えば、王女の行動にも納得がいく。
我々と共に居たところでは冷静でいられるが、好意を抱く相手と共にいるときは、怒りがわくという事だろう。
「相手を見つけだし、確認しなければならないな…」
ため息が出るのは仕方ないだろう。
王女が好意を持っている相手には、ミアを諦めてもらわなければならない。
ミアの為だ。相手も、否とは言わないだろう。
最悪、私の権力を行使すれば良い。不本意だが、ミアを守るためだ。
だが、誰だ?
アレフリードとの婚約を厭うのは、好きな相手がいるからなのか?
―――なぜこんなにも、王女の相手が気になるのだ?
「やあ、こんなところで誰を見ているのかな?」
突如かけられた声に振り向く。
「アレフリード?」
そこには、さっきまでミアと仲睦まじく話をしていたアレフリードがいた。
その青い瞳に鋭利な光を宿らせて。
「なぜここに?」
「ネスティがユーフィア様を追っていくのが見えたからね」
「…それだけで?」
「そうだよ…。で? 誰を見ていたのかな?」
おどけた口調の割に、視線は居殺しそうなほど冷え冷えとしている。
「シ…王女だ」
「ふぅ〜ん。
ねえ、ネスティ。さっき聞こえた声ってさあ、ユーフィア様だろう?」
「お前にも聞こえたのか?」
「もちろん」
「…そうか。
なぜ聞こえたのかは私にもわからない。だが、あの声は間違いなく王女だ」
「さすが、ネスティ。王女の声は聞き間違えないっていうのかい?」
「どういう意味だ?」
「内緒…」
飄々と言葉を返すアレフリードの真意が測れない。
なにを考えている?
アレフリードは視線を王女に向けた。
一瞬にしてとける剣呑な光。その顔には、穏やかな笑みが浮かんでいた。
王女を厭っていたのではないのか?
あれほどミアに執着していた彼からは想像ができない穏やかな笑みだ。
「ミアはどうした?」
「ミアは殿下と一緒にいるよ」
「殿下と…?」
「殿下も、いろいろ思うところがあるみたいでね。ミアと話をしている」
「殿下も彼女のことを大切に思っているからな…。気になるのだろう」
「そう思っている君は本当にミアが大切みたいだね〜。盲信するのもいいけど、本質を見誤らないようにね」
「どういう事だ?」
「言葉のとおり…」
なんだそれは――。
訳が分からない。
「一つ忠告するよ。
優しい言葉の陰に含まれた微かな毒に、君は気づくことができるかな」
「…誰のことを言っている?」
「え〜、誰だろう」
「アレフリード!」
「感情を高ぶらせるのは、薄々感じているからなのかな…。あんまり、気づいてほしくないところだけど」
「何を訳の分からないことを……」
「明確なことだよ。ミアを大切にしてねってことだからさ」
「言われなくても…」
「分かっているならいいよ。
俺は王女の婚約者だからね〜。
いくらミアを大切だと思っていても、王家の命令には逆らえないからね〜」
「王女は、候補だと言っていたぞ」
「…承知の上さ。それでも婚約者は俺だから…譲るつもりはないよ」
なぜそれを私に言う?
「ああ、もう一つ言っておく。
彼女を傷つけたら俺が許さないよ。―――その時は、我が剣を持ってお前を斬る」
最後に告げられた言葉はひどく冷酷さを纏っていた。
本気か…?
「アレフリード…」
「じゃあね」
次の瞬間にはすでにいつものアレフリードに戻っていて、手を振り温室に戻っていく彼の背中を、私はただ呆然と見つめるしかできなかった。
「…彼女って、王女か? ミアか? どちらだ?」
アレフリードはいったい何を考えている?
本当に訳が分からない…。
「面白いですね、彼」
「ルイフィス?」
どこから現れた?
アレフリードを見送っていた私の背中に、再びかけられる声。
振り向いたそこには、歩き去るアレフリードを面白そうに眺めていた学園一の魔術使いルイフィスがいた。
今日はいったい何なのだ?
王女に接触したことが、なぜこうも人を招く。
それもみなミアに執着している奴らばかりだ。
「彼は気づいているのですね」
「何を?」
「うん…やっぱり僕は王女様がいいですね。あの力、最高です!」
話がかみ合わない……。
いつの間にかルイフィスは王女を見ていた。
恍惚とした表情で王女を見つめるルイフィスに戸惑う。
それにしても、王女の力? あるのか? あの王女に?
「王女の力って…何を言っている?」
「気づかなかったのですか?」
「何のことだ?」
心底、心外と言わんばかりの言葉にイラつく。
「気づいていないならいいです。ちなみに、教えるつもりもありませんよ」
魔術特化の彼には何か感じるものでもあるのだろうか?
その漆黒の瞳は、王女から視線を逸らさない。
「おまえ、ミアに執着していなかったか?」
「ん? そんなことありませんよ。ミアの魔力には興味ありましたけど、所詮、―――だしね」
「何か言ったか?」
「別に?」
すたすたと歩きだすルイフィスを見送りながら、私は困惑を隠せないでいた。
なんなのだいったい?
突然現れて、二人とも疑問ばかりを残していく。
いったい何が言いたいのだ?
ミアに執着していたのではないのか、二人とも!
ミアを手に入れる手間が省けるのはいいが、腑に落ちない…。
私は、何か見落としているのか?
庭園入り口に視線を戻すと、王女が軽やかに歩き去っていくところだった。
やはり王女の行動は謎だ…。
◆ ◆ ◆
涼やかな風が流れていく実りの季節。
収穫祭を間近に控え、国中が浮足立っていた。
城下を見下ろす空に佇む小さき存在は、口の端に僅かにゆがんだ笑みを見せる。
『始まるよ』
その掌に浮かぶ小さな球体。
闇色に鈍く光るそれは、ゆっくりと周りの魔力を吸収し光を収める。
小さき存在は、大事にそれを抱えると誰ともなしにつぶやく。
『君はこれを抑えることが出来るかな? 愛しい―――』
小さき存在は、まるで空に溶けるようにその姿を消した。
ありがとうございました!