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20.心に灯る確かな証≪ネスティ視点≫

 ―――実りの季節3の月、1巡の2日。


「光の精霊王が流風の平原へ行けと言ってる」


 聖女の告げたその言葉が、討伐開始の引き金となった。




 私ことネスティ・ブレイクスは、エスリード殿下と共に、聖女の言葉に従い騎士団を率いて流風の平原へと向かうこととなった。

 流風の平原は、王都南部、徒歩で二刻の場所にある岩場と砂地、そして僅かな水場と草原が混同する広大な平地だ。近場には水霧の森もある。

 水霧の森で発生した魔物が平原に出没することもあるが、もともとは魔物が少ない地区とされあまり危険視されてはいなかった。

 今回も、事前に受けていた報告で、流風の平原は比較的魔物が少ないとのことで、討伐自体をさほど危惧してはいなかった。


 だが、その報告は現実とは違っていたのだ。


 平原到着後、その様相に私たちはしばし愕然と見遣ることになる。

 平原を埋め尽くさんと、まるで誘い込まれるかのように魔物が集まりつつあるのだ。

 なぜ急激に増えていたのか疑問に思う間もなく、私たちは討伐を開始した。


 馬上の騎士たちは、魔物を蹴散らしながら平原を駆け抜ける。その隙を縫う様に冒険者たちが走り抜け、近づく魔物を切り付けていった。

 魔物の血と人の血が次第に平原を色づかせていく。

 異様なその光景を、私は、殿下の護衛をしながら、後方から見つめていた。


 目を疑うほどの大量の魔物――

 これを…殲滅しなければいけないのか…?


「怖いかい…ネスティ?」


 そう問いかけるエスリード本人の声も硬い。


「怖くない…といえば嘘になるな。魔物との戦いなど、学園の実習以来だ。それに……」


「…これほどの魔物を、一度に相手にしたことは…ない、という事かい、ネスティ?」


 エスリードの問いかけに頷く。


 魔物との戦いは経験が無いわけではない。

 学園で、騎士科と総合学科に属する生徒は、実習という名の魔物討伐に強制的に参加させられるのだ。

 ただ、学園で行われる実習など、熟練した冒険者や騎士が同行するため、危険があるわけではない。


「私たちの力は、所詮、学生の範疇でしかない。これほどの魔物相手にはたしてどこまで通じるのか…」


「それでも、やり遂げなくてはいけない、そうだろう?」


 エスリードは、ちらりと前線で戦っている聖女に目を遣った。


 彼女は精霊の力を奮い次々と魔物を屠っていた。

 馬上の騎士たちが開いた道に、聖女を守る騎士に伴われ戦場に身を躍らせた彼女は、躊躇うことなく精霊の力を奮い始めた。

 その力で魔物は一気に倒れ伏していく。

 その戦いを見ていた騎士たちや――自ら聖女の盾になる騎士もいる――各地から派遣されてきた冒険者たちの間に気力が満ちていく。誰一人として魔物に怯むことなく立ち向かっていくのだ。

 聖女の存在は、明らかに皆に希望を与えていた。


 たが、その聖女――ミアに、少なからず違和感を覚える。

 今まで見知っていた彼女とは、別人のように見えるのだ。


 自らを守るように傷つき倒れる騎士たちを見る瞳に悲しむ色はない。

 出会った時の、穏やかな、心優しき少女の面影はどこにも見当たらない。


 今、私の目の前にいるのは、殺伐とした目で魔物を見据え、何かに取りつかれたかのように魔物をひたすら殺し続けている聖女がいるだけだ。


『私は聖女なんだから、殲滅しなければいけないの』


 討伐前に、自らを奮い立たせるかのようにそう呟いていたミアの言葉が思い出される。

 本心は怖いのだろう。そう言った彼女の手は震えていたのだから…。それでも、それを悟られまいと気丈に振る舞う彼女は、はたから見ていて痛々しい程だ。


 ミアは、強迫観念に囚われたかのように、がむしゃらに力を奮い戦い続けていた…。まるで、魔物を倒すことでしか自分を保つことが出来ないとでもいうように――


 その姿を見つめるエスリードの瞳が、微かに揺れていた。






 討伐初日。

 大量の魔物との戦いで、半数以上の負傷者を出した私たちは、撤退を余儀なくされた。

 ミアは「まだ、大丈夫よ…」とは言っていたが、その顔には疲労が色濃く出ていたのだ。

 逃げ帰るかのように平原から離れ、比較的魔物の少ない場所に結界を張り、交代で休息を取ることを殿下から言い渡された。


 重傷者は、近隣の村や町に待機している後方支援の部隊に託したりもしているが、おそらく明朝から再び始まる討伐では、今日の比ではないくらいの犠牲者が出る可能性すらあるのだ。


 幸運にも、聖女の存在のおかげで士気が下がることはない。それだけが救いだとは思う――




 ミアは早々に用意された天幕へと入り休んでいる。

 疲れたのだろう…。実際、良くやってくれているとは思う。戦い方はともかく、彼女の存在が皆に力を与えているのは事実なのだから…。


 ふと、ミアの眠る天幕に視線を移す。


『ネスティ様…あの…わたし…』


 天幕に入る直前、縋るような声音と潤む瞳でミアは言い淀んでいた。

 懇願するそれは、おそらく、このまま傍にいてほしいとの願いが込められていたのだろうが、私は、「お休み」とだけ告げて、ミアに背を向けた。


 分かってはいる。

 魔物を相手に、本当は怖いのだと…、誰かに縋りたいのだというのも理解している。

 だが、私は恐れているのだ…。

 再び、ミアに囚われるのではないかと…。

 その潤む瞳に、その儚げな姿に、再び囚われ逃れられなくなるのを――私は恐れているのだ。


 自分の不甲斐なさに情けなくなる…。


 殿下に言わせれば、強い思いがあれば囚われる事はないと言うが、求めても報われない想いを抱えた自分は、何を頼みの綱としたらいいのか分かりかねているのだ。


 確かな証があればいい…。

 報われない想いだとしても、彼女の傍に立てる確かな証があれば――


『貴方にその名で呼ぶのを許した覚えはありませんわ』


 在りし日の彼女の言葉が胸に突き刺さる。

 せめて、彼女の真名を呼ぶことを許されていたなら…、と思わずにはいられない。


 脳裏に浮かぶのは、怯えたように目を逸らす彼女の姿。

 怯えながらも、ちらちら私を窺い見るその姿が愛しくて、可愛くて、幾度となく彼女を怖がらせていた。そして、「シエラが婚約したよ」そう告げられた時の衝撃は、今でも胸を苛むのだ。


 告げればよかったのだろうか?

 想いを告げて、その心を乞いれば良かったのか?


 いや…それは出来ない。今更、出来る訳がない……。


 ミアにはあれほど積極的だった自分が、なぜ彼女相手では尻込みしてしまうのか…。

 

 怖い…から、なのか?


 おそらくはそうなのだろう。

 私は、彼女に拒絶されることが…怖いのだ。

 そして、その弱い心に付け込まれたら――


 不安を振り払うように首を横に振ると、私は殿下の待つ天幕へと向かった。






 明日からの討伐に関して、作戦を煮詰めるために、騎士団団長はじめ各隊長クラスや冒険者たちのリーダー格が殿下の天幕に集うことになっていた。

 予定されていた時刻より早めに天幕を訪れた私は、中にいる人物に驚愕する。


 殿下の天幕にいたのは、銀糸の髪と琥珀の瞳を持つ美丈夫――王国の影、ナガル殿だったのだ。


 おそらく、王女殿下に関しての報告なんだろうが、内密の会話を聞くわけにもいかず、私は天幕の外で彼が退出してくるのを待っていた。




「何か私に用件でも?」


 まるで闇に紛れるように去ろうとしていた彼の目の前に、私は立ちはだかった。


「シエラ…いや、ユーフィア様は、どうされている?」


 私の問いにナガル殿は目を細めた。


「なぜ貴殿が、王女殿下を気になさるのですか?」

 

 感情の読めないような秀麗な相貌に、一瞬怯む。

 なんと答えたものか返答に窮する私に、ナガル殿は僅かに表情を崩し言葉を続けた。


「王女殿下――フィアは、無事ですよ。我々が側におりますのでご安心を…」


「フィア…?」


 その名には覚えがあった。確か、街で呼ばれていた名前だったはず…。ミアの幼馴染とかいう青年も、シエラをそう呼んでいた。

 しかし、今のナガル殿の呼び方はあまりに親密すぎないか?


「ああ失礼。我々は、王女殿下の市井での冒険者仲間なのです。我らの間では、王女殿下はフィアと呼ばれ親しまれているのですよ」


 私の機微を感じたかのようにナガル殿は謝罪すると、驚愕の事実を告げた。


「冒険者? シエラは冒険者をしているのですか!?」


 聞き違いか? シエラが冒険者などあり得ない! 


 相当動揺していた私は、自分が王女殿下を真名で呼び捨てにしていた事など気づいてもいなかった。

 その変化を見逃すナガル殿ではなかった。

 彼は、口の端に笑みを浮かべると、更なる爆弾を投下してくれた。


「…ええ、今も水霧の森で我らと共に魔物の討伐をしていますよ」


 討伐!? シエラが? 馬鹿な!!


「なぜ止めない! 危険すぎるだろう! 殿下は知っているのか!?」


「この事は、すでに殿下は御存じです。それに冒険者として魔物を討伐することを望んだのはフィア自身。我らはその意思に従うまで――」


 声を荒げる私に、ナガル殿は怜悧な光を宿した瞳で私を一瞥した。


 シエラは、なぜ冒険者などやっているのだ?

 市井に紛れ街にいたことにも驚いたが、冒険者など危険すぎる! 王女が魔物を相手に戦うなど、あまりにも無謀だ! それにエスリードも、知っていたならなぜ教えてくれないのだ!

 

「あなた方はシエラが大切なのではないのか…? 魔物退治などさせて、危険な場所に身を置かせて…いったい、彼女に何をさせているのだ!」


 八つ当たりだと理解している。

 しかし、憤る心は止めようがない。


「大切、だからですよ。何より大切だからこそ、彼女の意思を尊重する。なにがあろうと王女殿下をお守りする覚悟が我々にはあります」


 怒りに任せた物言いで詰め寄る私に、ナガル殿は臆することなくそう断言した。


 我々? ナガル殿の他にも、影がついているのか? 

 それに―――


 私は、ナガル殿の目を見据えた。

 琥珀の瞳に映るは、覚悟を秘めた真摯な光。

 一片の揺らぎさえ見せないそれが覆るという事は、決してないのだろう。


 彼は、本気だ―――本気でシエラを守り抜くと誓っている。


 その覚悟が、妬ましいと思ってしまう。

 私には、決して出来ないことだ。


 傍で守ることを、私は…許されてはいない――


「私は……それでも私は…、彼女には安全な場所にいてほしいと…願ってしまう…」


 どこか自嘲にも似た口調で告げる私に、ナガル殿は極小さなため息を一つ吐いた。


「…ネスティ殿、ひとつお教えしましょうか」


「何を…?」


「フィアは――王女殿下は、貴殿の事を大層案じておられましたよ」


「……っ?」


 聞き…違いだろうか…?

 今、彼は何と言った?


「シエラが…私を…案じていた? まさか…そんなはずは…」


 ない、と続けようとした私に、ナガル殿は微かに頷いた。


 本当なのだろうか…?

 私は、彼女に敬遠されていたはずだ…。

 案じていたなどと…私は、嫌われていたのでは、なかった…のか?


「本当ですよ。殿下と貴殿が流風の平原にいると知らされた王女殿下は、身分を隠していた事すら忘れ、叫んでいたのです。貴殿の名を…」


「シエラが…?」


「ええ、心底、気にかけておられましたよ。兄君である殿下の事も、そしてネスティ殿、貴殿の事も…」


 呆然とナガル殿の言葉を噛みしめる私は、得も言われぬ温かい気持ちに満たされるのを感じていた。

 彼女が私を案じてくれている、それを思うだけで喜びが溢れてくるのだ。


「…本当に…シエラが…私を…?」


 確かめるかのように何度も問う私に、ナガル殿はその相貌に微かな笑みを浮かべた。

 それは、嘘の欠片もない温かな笑みだった。


 それが真実なら、今はそれでいい…。

 私を案じてくれている、その思いだけで十分だ。

 その思いが、確かな証となって、私の心をきっと守ってくれる。


 私は、嬉しさで笑みが浮かぶのを止められなかった。

 そんな私を見て、僅かに目を見張るナガル殿にも笑いが込み上げる。


「ナガル殿…。王女殿下を――シエラを頼みます」


 私は傍にいる事はかなわない。

 だが、君を守れるように…この思いをナガル殿に託そう。

 そして、この討伐が無事終わったなら―――


 彼女と話そう。

 怯えさせるのではなく、優しい笑みでもって彼女を見つめよう。

 私は、彼女の――シエラの満面の笑みが見たいのだから…。


「失礼」と軽く礼をし去っていくナガル殿の後ろ姿を、私は感謝の意を持って見送った。

 





 その後行われた作戦会議で、討伐は再び聖女を中心に行われることとなった。

 増え続けるであろう魔物には、聖女の力が必要不可欠だからだ。おそらくミアには、明日も無理を強いる事になるのだろう。


 すまない、とは思う。

 ミアが真の聖女ではない事を私は知っているのだから……。


 いくらシエラを守る為とはいえ、ミア一人に酷使させる訳にはいかない。

 明日からは、私と殿下も本格的に前線へと出る。

 魔物を殲滅しなければ、この国にも、大陸にも、そして私自身にも未来はない――


 私は、目を閉じ深く息を吸うと、ひとつの覚悟を決めた。


 この心はもうミアに囚われる事はない。

 ならば、聖女の傍に寄り添い、聖女を守る騎士として、魔物との戦いにこの身を投じよう。

 それが、唯一私に出来るつぐないであり、シエラを守る事に繋がるはずだと信じて…。


 私は、祈るように闇に浮かぶ月を見上げた。

 佇む私の頬を撫でるかのように風が通り過ぎていく。


 温かなその風に紛れて――微かな、歌が聞こえた気がした。






ありがとうございました!

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