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 幸か不幸か、ラウドがバスルームから出てもマールはそこにいた。汚れた布のようなマントに身を包んで、脱衣所に立っていた。

 マントの隙間から差し出された手には、少し湿ったバスタオルが握られている。

「な、なにやってんの!」

 男だって、女に裸を見られて平然とはしていられない。

 ラウドが動揺しながらも聞くと、マールは首を傾げる。

「必要だと思ったので……ダメでしたか?」

 確かにバスタオルは一枚しかない。

「い、いや。ありがとう。でもちょっと、向こうに行っててもらえないか」

「すみません」

 マールは何が問題なのか判然としない様子で、脱衣所から出て行った。

 ラウドは受け取ったバスタオルで身体を拭き、服を着る。

 廊下に出ると、マールは所在なさげに突っ立っていた。

 ラウドは改めてマールの姿を上から下まで眺める。服とは呼べないマント。その下は下着すらつけていない裸。人として、その格好はどうなのか。

「……っていうか、君、それしか服ないの?」

「持ち込めた物は、これだけでしたので」

「寒くないの?」

「……少しだけ」

「ちょっと、こっち来て」

 ラウドは短い廊下を通って部屋に行く。部屋と言っても、五メートル四方の広さしかなく内装も何もない。部屋の隅のベッドがなかったら、物置だと思われてしまいそうな部屋。

 部屋の隅においてある荷物が入った木箱を開けた。

 箱の中には、昔は使っていた物が詰め込まれている。ウライアから持ち出せたわずかな思い出の品だ。

「こんなのしかないけど、いいか?」

 厚めのシャツを引っ張り出して、マールに渡す。学生時代にはこういうのを毎日着ていたが、こっちに来てからは一度も袖を通していない。

「……お借りします」

 マールはシャツを受け取ると、小さくお辞儀した。

「俺は向こうに行って……っ!」

 ラウドが言い終わる間もなく、マールは一秒でマントを脱ぎ捨てた。裸を見られることを何とも思っていないのか。

 ラウドは慌てて壁の方を向く。だが、未だに紅潮している肌の色は、目に焼きついてしまった。

 ごそごそと音がした後、マールが感想を言う。

「いいですね、これは。肌触りが」

「お、おう」

 ラウドはマールの方を向く。裾の長さのおかげで膝上の辺りまでギリギリ隠れているが、何かの拍子に捲れてしまいそうで気が気でない。

「っていうか、おまえ、下着とかないの?」

「持ち込めなかったので……」

「よく意味が分からないけど……。それで、これからどうする気なの?」

 ラウドの問いに、マールは視線を足元に落とす。

「私は、行くべき所に、行かなければならないので」

「帰る家か何かがあるって事?」

「……そう言う物は、ありません」

 当てもない放浪を続けているようだ。

「……いつまでもここにいるわけには行きません。この服、やっぱりお返しします」

「ちょっ、ちょっと待って!」

 マールが服を脱ごうとしたのでラウドは慌てた。これ以上、裸を見せられると、男としての本能を抑えられなくなりそうだった。行動は理性でコントロールできても、体のある部分の反応だけは止められない。

「いや、いいよ。それは着てて。むしろ絶対に脱がないでくれ」

「けど……」

 そこで、ぐーっ、と。マールの腹がなった。

 話を変えるにはちょうどいい。

「えっと、君、お腹すいてるの?」

 ラウドも、人に飯を奢れるほど裕福ではないが、この少女に比べればまだ余裕はある。

 マールは首を振る。

「心配要りません。直ぐ出て行きますから」

「いや。何か食べていけよ」

 ラウドが言うと、マールはうぅ、と自分の腹を見下ろす。

 やはり空腹には抗えないのか。

「それは……本当にいいのですか? お金、ありませんよ?」

 マールは無表情ながらも、少し心配そうにラウドの顔色を覗う。

 ラウドは頷く。

「その、俺の場合、女の子の裸なんて滅多に見れないからさ。見学代、ってわけでもないけど……恩返しって言うか……」

 ラウドが顔を赤くしながら言うと、マールは数秒の間をおいて言う。

「あなたの言う事は、よくわかりませんね」


 ラウドは食事を用意した。

 ジャガイモとソーセージを煮て、塩をかけただけの味気ない食事だ。

 大き目の木箱を部屋の真ん中に置いてテーブルの代わりに、小さな木箱を二つ置いて椅子の代わりに。

 ランプに火を灯すと、二人の影が壁に広がった。

 二人で向かい合って食べる。

「どう?」

「おいしいです」

 余程お腹がすいていたのか、マールは一生懸命になってジャガイモをほお張っている。せかせか動くその姿は、まるで小動物のようだ。

「かわいい……」

 ふと声に漏らしてしまうと、マールは目だけをラウドの方に向ける。

「何か?」

「いや、何も……」

 それからは特に会話もなく食事が続く。


 料理は少し多めに用意したつもりだったが、鍋はあっという間に空っぽになってしまった。

 食事を終えて食器を片付けても、マールは木箱から立ち上がろうとしなかった。

 ラウドは向かい側の木箱に座って、聞く。

「君はさ、もしかしてこの町の人じゃないの?」

「……」

 マールは無言だった。

「いや。俺の勘違いなら、いいんだけど」

 この町は、壁で囲まれている。浮浪児が一人で入ってこれるようなところではない。

「家族と一緒に入ってきたのに、不幸があって一人になっちゃったとか、それならまあ、わからなくはないんだ。でもさ、女の子が一人、行き場もないなんてちょっとおかしいよ。この町では」

 ラウドは当たり前の事を言っただけのつもりだったが、マールはラウドの目を睨むように見つめる。

「違います」

「え?」

「おかしいのは、この町の方でしょう? 人を閉じ込めて、逃がさない。人間を取り込みながら、どこまでも膨れ上がっていく」

 何か強い意思を持った言葉。余程この町の事が嫌いなのだろう。

「そうかもしれないけど……」

 ここは悪人の町と言うわけではない。例えば、工事現場で一緒に働いているオッサン達は別に悪人ではないと思う。

「いや、そういう話じゃないだろ。つまり君の事だよ?」

「……」

「さっきも、どこか行かなきゃいけない所があるみたいな事を言ってたけど、どこに行く気なのさ?」

 もし必要なら、案内ぐらいはしてもいいと思っていたのだが。

「……わかりません」

 マールは心細そうな声で言う。

「わからない?」

「ちゃんとした指示を受けているわけではないんです。私は……」

「指示?」

「……」

 もしかしたら、何か秘められた事情があるのかもしれない。

 だがマールは、この件について語る気はないようだった。

「言えないなら、仕方ないか」

 ラウドは情報を引き出すのを諦める。どうせ、大した事ではないだろうと思ったのだ。

「やめよう、そんな話は。俺だって、好きでこの町に住んでいるというほどでもないし、偉い人達が何を考えてるかなんて誰も知らないんだ」

「そうですね」

 マールはこくりと頷く。十秒ほどの沈黙を挟んで、戸惑ったように聞く。

「……あの、これからどうしますか?」

「する事なんか何もないよ」

 明日に備えて寝るだけだ。

 ラウドは部屋の隅のベッドを見る。余計な物が何一つないこの部屋には、もちろん、ベッドも一つしかない。

 一人が寝るのが精一杯の小さなベッドだ。マールも、それを見て頷く。

「私は床で眠らせてもらえれば十分ですから」

「いや。そういうわけにはいかないよ。ベッド使って言いよ。俺が床で寝るから」

 ラウドが言うとマールはふるふると首を振る。

「ここはあなたの部屋で、あなたが遠慮する理由はありません」

「そう言う訳には行かないよ、ほら」

 ラウドはマールの肩を掴むと、ベッドの方に押していく。

「この毛布、暖かいから。風邪引かないようにしろよ」

 マールは毛布を掴んだまま、黙って何か考え込んでいたが、やがて言う。

「……あなたが、嫌でなければ、一緒に寝るというのはどうでしょう」

「え? あー、うん。君がそれでいいなら」

 正直、ラウドもそれは最初に考えたし、真っ先に提案したかった。けれどドン引きされそうで自重していたのだ。

 渡りに船とはこの事か。いや違うか。


 マールが先にベッドに上がり、壁の方を向いて横たわった。ラウドは少し迷った後、マールと背中合わせにベッドに入る。

 背中から伝わってくる温もり。

 だが、前側は寒い。毛布の幅が足りないからだ。マールに抱きつくような形になればギリギリ入るかも、と思っているとマールが言う。

「毛布の幅が足りないんじゃないですか?」

「あ、ああ……。ちょっといいか?」

 ラウドは寝返りを打って、マールを後ろから抱きしめた。

 マールが驚いたように身体を硬くするが、拒絶はしてこない。

 ラウドがしばらくじっとしていると、マールは安心したように体の力を抜く。

「……暖かいですね」

「ベッドで寝て良かっただろ?」

「あなたと寝てよかったです」

「おい」

 変な事を言わないで欲しかった。

 心臓がひときわ波打つ。

 あえて考えないようにしていたが、マールは裸の上にシャツを羽織っているだけなのだ。足を折り曲げて寝ている今、おしりは丸出しと言ってもいい状態。そんな少女に後ろから抱きつくような体勢になって、股間をおしりに押し付けて、男としては冷静でいられない。


 と、ラウドの動揺に感づいたのか、マールが怒ったような声を出す。

「まさかとは思いますが、変な事を考えていないでしょうね」

「あ、あたりまえだろ。寝るだけだよ」

「それならいいです」

 ラウドは小さくため息をつく。

(変な事を考えたり、怖がらせたらダメだ。優しく、優しくしないと……)

 ただこの少女に幸せを与えたいと思ったからこんな事をしているのだ。決して悪意や下心があってやっている事ではないのだと、自分に言い聞かせる。


 その夜は、何か幸せな夢を見たような気がするが、翌朝には忘れてしまった。


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