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 この国の首都がバーグライトに遷都したのはごく最近の事だ。

 それまで地方都市に過ぎなかったこの町は今、いたる所で増改築が繰り返されている。

 ラウドは、そんな町で工事現場の日雇い労働者として生活していた。

「ほら、やるぞ」

「はい」

 年季が入った感のある作業員のおっさんと共に、地面に積まれた石レンガを持ち上げ、一輪車に積んでいく。

 石レンガはやたらと重い。体力のないラウドにはキツイ作業だ。

「……っく」

 足がよろめきそうになるが倒れるわけにはない。なんとか、一輪車に積み上げる。

「おい、大丈夫か?」

「大丈夫です」

 別のオッサンが空の一輪車を押してやって来て、石レンガを載せた一輪車を押して去っていく。

「ホラ、次だ」

「はい」

 そうやって一輪車に石レンガを積む作業を繰り返す。


 疲れ果てて、もう動けないと泣き言を口にしても許されるだろうか、と思い始めた頃に、休息を告げられた。

 ラウドは身体を引きずるような動きで休息所まで歩いて、ベンチに腰掛ける。

「ほら、飲めよ」

 オッサンがビンに入った飲料を差し出してくる。受け取ったラウドはそれを一口飲んで顔をしかめる。

「甘い……」

「それがいいんだよ。疲れてる時にはな」

 オッサンは笑いながら、ラウドの隣に腰を下ろし、自分の飲料をぐびぐびと飲む。

「しかし、おまえ……体力ないよなぁ」

「すみません」

「なに。謝る事はないさ。キツくてもサボらずやってるおまえは偉いぜ。ただ、なんつーかなぁ……」

「適材適所、って事ですか?」

 自分の体を改めてみるまでもなく、ラウドにもわかっていた。

 他の作業員達のような筋肉的な要素が足りない。

 力仕事に不可欠なのは力であって、それ以外の物を持っていたとしても何にもならない。

「まあそういう話だよ。悪いけど、向いてない。つか……おまえ今まで、どんな仕事についていたんだよ」

「どんなって……露店の販売員の手伝いとか、荷物の配達とかですよ」

「あん? いつから?」

「ここ一年ぐらいです。この町に来てからずっと」

「この町に来る前は何やってたんだ?」

「……ウライアで、大学行って勉強してたんですよ。天使災害がなければ、今頃は研究者か何か目指してたんでしょうけど」

 途端、オッサンは目の色を変えた。他の作業員達も聞き耳を立てるように黙り込む。

「おいおい。ウライアって前の首都じゃねーか。もしかして、おまえ、『あれ』が降って来た時、あそこにいたのか」

「ええ……」

 旧首都のウライアは一年前に壊滅した。空から巨大な石の柱が落下して大地に突き刺さったからだ。

 しかも、その後に表れた無数の模造天使アーティファクト・エンジェルが戦いを始めたせいで、ありとあらゆる物が破壊されてしまった。

 ラウドの通っていた学校など跡形もない。

 学生寮から持ち出せた物はほとんどなかったし、元々身寄りもいなくて奨学金頼みで学生生活を送っていたから、日雇い労働者になるしかなかったのだ。

 新首都に来れば何かいい事があるかと思ったが、何もない。ただ終わりのない労働があるだけだった。

「じゃ、見たのか? 柱?」

「見ましたよ。ただの黒い石でしたけど」

「だけど、すごいでかいんだろ?」

「それはまぁ。山ぐらいの高さはありましたけど……」

 天使にとって、あの柱が何の意味を持つのか。詳しい事はわかっていない。柱の周囲は、危険な天使がうろついているし、良くわからない物質で汚染されてしまっているから、下手に近づくと命が危ない。調査など不可能だ。

 案外、人間にとっては何の意味もなくて、有名な神殿の一部だから手放したくないとか、その程度の事だったりするのかも知れないが。

「まあ、学者先生達にわからない事を、おまえが知ってるわけないか」

 オッサンはははは、と笑った。

 ラウドも乾いた笑いを漏らす。

「なに。そんな落ち込むんじゃないよ。おまえは運がいい方だ。こうやって、生きてただけでも儲け物だろうが」

 オッサンは励ますように行ってくれる。

「そうですけどね……」

 死んだ人間よりは運がよかったというだけだ。人生を狂わされた事に変わりはない。

 この町に来る前までの人生が、何の役にも立たない場所に放り込まれて、脱出する手立てもない。

 脱出ができないというのは、単に生活の糧を得る手段が限られているというだけではない。この町はフェンスで囲まれていて、物理的に外に出れないのだ。中に入る時だって、やたらとしつこい検査をされる。

 人間に化けた天使を警戒しているとか聞くが、不便この上ない。

 完全な手詰まり。

「そういや、聞いたか? 昨日西区で天使が出たってな。おかげで一区画が廃墟になっちまったらしいぞ」

「怖いですねぇ」

「何、建物がぶっ壊されたって、仕事が増えるだけさ」

「……」

 そういう問題ではないと思うし、仕事が増えても予算まで増えるとは限らないのだが。


 日が暮れて仕事が終わり、日当が配られる。

 他の作業員達が酒場へと歩いていく中、ラウドは一人、自宅へと帰る。

 自宅と言っても、ボロアパートの一室だ。

 今日は寝る前にシャワーでも浴びようかと思った。

 この町には水道があるが、水の出はとても悪い。シャワーを浴びる時は、半日以上掛けてタンクに水を溜める必要がある。ラウドは今朝、家を出る前に蛇口を開けてきたのだ。

 ウライアの学生寮にいた頃は、シャワーどころか湯船を湯で満たして毎日風呂に入っていたのに。

 アパートの階段は狭くて急だ。明かりの様な物は一つもなく、足元すら危ない。ラウドの部屋は最上階の四階。階段が登りにくいせいで人気がないが、家賃は安いし空がよく見える部屋だ。

 ドアに鍵を差し込んでから、気付いた。

「あれ? 鍵が開いてる……?」

 出る時にかけ忘れたかと思いながら、ラウドは扉を開ける。

 部屋に入って、すぐに違和感を覚えた。入り口脇に積んである荷物が動いていた。誰かがぶつかって、ひっくり返して、慌てて元に戻したような感じ。

「泥棒?」

 盗まれて困るような物はない、と言いたい所だが、今は生活必需品すら揃えるのがやっとの状態なので、何か一つでも盗まれれば即座に困る。

 というか、泥棒は去った後なのだろうか? もしや、まだ中にいるのでは?

 耳を澄ますとバスルームから音が聞こえた。誰かがシャワーを使っているようだ。

「……?」

 ラウドは辺りを見回し、武器になりそうな物を探した。廊下の隅に箒が転がっていたのでそれを掴む。一年ぐらい使っていないから、もう捨てようかと思ったのだが、こんな形で役に立つとは思わなかった。

 ラウドは脱衣所に踏み込む。とはいえ、脱衣所は一メートル四方の広さしかなく廊下とを区切る物もカーテンだけだが。

 脱ぎ捨てられた服の様な物は見当たらない。

 強いて言うなら、見覚えのない汚れた布が丁寧に折りたたまれていたが、こういうのは服には分類されないだろう。

 なら服を着たままシャワーを浴びているのか、あるいは最初から裸だったのか。

「……」

 こちらに気付いたのか、バスルームから聞こえるシャワーの音が止まる。

 ラウドは箒を構えたまま扉を開けた。

「おい!」

「動かないで……」

 肌色の何かが見えたと思った直後、耳元で囁かれた。首筋に触れる冷たい物。

 刃物? ナイフ?

「あっ……」

 ラウドは身動きできずに、声を上げた。

 相手の方が一枚上手だったのだ。犯罪者なのだから、武器の一つや二つ、用意していてもおかしくない。シャワーを浴びているから油断しているなどと思ったのが間違いだった。

 まさか、武器を持ったままシャワーを浴びていたとは。

「わ、わ、わ、わかった……降参、降参するから」

 ラウドは言いながら、ゆっくりと後ろに下がる。直ぐに壁にぶつかった

「……物分りがいいですね」

 泥棒は淡々と言ってのける。声を聞いて気付いたが、その泥棒は少女だった。

「えっ?」

 ラウドは驚いてその少女を上から下まで眺める。

 小柄で華奢な少女だった。

 もちろん、シャワーを浴びていただけあって、一糸まとわぬ全裸だ。

 柔らかそうな肌が紅潮し、湯気を放っている。

 髪の毛は、飾りげのない短髪。凛々しい顔立ちもあいまって、服装次第では少年と間違えられるかもしれない。しかし、胸は大きいとは言えないまでも、ささやかな膨らみを主張していたし、股間にはついていなかった。

 そして肩幅に開かれた両足は、健康的な筋肉が滑らかな曲線を描いている。ちょっと手を伸ばして触りたくなってしまう。

 だが少女は、普通ならば男に見せたくないであろうそれらを、全く隠そうともしない。恥らうどころか、感情が欠落したような無表情だ。

 普通ではないのか。

 いや、他人の家に押し入ってシャワーを利用し、帰ってきた家主をナイフで脅す少女は、何一つ普通ではないと思うけど。

「あ、ええと。誰?」

 ラウドは名前を聞いた。本人的には冷静なつもりだが、判断がおかしい。

「マールです」

「そう」

 マールと名乗った少女は、しゃがんでナイフを床に置いた。

「すみませんが、バスタオルをお借りしてもいいでしょうか?」

「え? ああ。……そこに入ってるけど」

「ありがとうございます」

 少女は脱衣所の隅の箱からバスタオルを拾い上げると身体に巻きつける。

 それで、ようやくラウドも冷静さを取り戻した。

「いやいやいや! おかしいから! なんなんだよ、おまえは……」

「おかしくありません。それと……あの水、と言うかお湯は、あなたが、今日使う予定だったのでしょうか?」

「え? ああ、それは、そうだけど」

「まだ半分ぐらいは残っていると思います。よければどうぞ」

「あ、うん」

 ラウドがそれ以上何も言えないでいる中、マールは脱衣所の隅のボロ布(やっぱりそれが服だったようだ)を持って廊下に出て行ってしまう。

「……え?」

 部屋の隅に放置されたままのナイフを見て、ラウドは首を傾げる。

「あれ? なんかおかしくね?」

 結局、ラウドは深く考えない事にした。

 きっと、疲れていておかしな夢を見ただけだ。

 シャワーを終えて部屋に戻った時には、あんな少女はいなくなっているに決まっている。

 自分にそう言い聞かせた。


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