優しさに包まれて
今まで実家は、それなりに居心地のいいものだった。けれど……最近は居心地がすこぶる悪い。
天笠柚紀は数日前から毎日、父母、弟、妹に、実家にご飯を食べに来るように誘われていた。特に、妹の柑奈の攻勢は激しかった。一日にメールが50件、電話が3件という猛攻であった。
それゆえ、根負けした柚紀は、不本意ながらも天笠家に足を向けたのだった。
歓迎されて食卓を共にすると、彼らは気遣う様子を一切隠すこともなく、怒涛の如く喋り続けた。
「あんな男、結婚しなくて正解だ。お父さんは初めて会ったときから気に食わなかったんだ」
「そうだぜ、姉ちゃん。どうせアイツと結婚したって、すぐに離婚するのがオチだろ。浮気しそうな顔してたよ」
「柚紀、まだ大学生なんだし、出会いはこれからもあるわよ。それに、最近は結婚が遅い人なんて珍しくもないし、ね……」
父、弟、母。三者三様に紡がれた言葉。
優しさを受けるのはやぶさかではないけれども、その一方で、柚紀の心に着々とダメージを与えてくれたのもまた事実だ。
さらには――
「もお! お父さん! お兄ちゃん! お母さん! 結婚結婚ってデリカシーなさすぎ! あ、お姉ちゃん。綺羅星堂のフルーツケーキ食べる? 柑奈、お腹すいてないしいいよ?」
妹である柑奈の素晴らしき気遣い。これが特に、柚紀を傷つけた。
気を遣われ過ぎるのも苦痛なのだと、理解して欲しいものである。
ちなみに、綺羅星堂というのは、天笠家の近所にある有名な洋菓子店である。その店のフルーツケーキは柑奈の大好物だった。
彼女がそのフルーツケーキを手放すなど、よっぽどのことである。
「……あー、えっと。私、部屋に行ってるね」
「掃除ならしといたからな」
「アロマオイル焚いといたから、ゆっくり休んでね?」
ここぞとばかりに手を挙げ、それぞれに優しい言葉をかける弟の慎檎と妹の柑奈。
慎檎はどちらかと言えばぶっきらぼうで、基本的に気遣いなどしない。柑奈もまた、本来であればワガママな性格だ。それがこの変わり様……
柚紀は泣きそうになった。
「……ありがと、二人とも。それじゃ」
背中に哀愁が漂ってしまうのは仕方がないだろう。
はああぁあ。
柚紀は自室のベッドに倒れ込み、深い深いため息をついていた。
「鬱陶しいなぁ」
「ほーんと」
「……阿鬼都。鬼沙羅。この家では出てこないように言ってあったでしょ」
ベッドに突っ伏したままで柚紀が言った。
阿鬼都と鬼沙羅の宿る指輪は、鞄の奥の奥に忍ばせてある。
とはいえ、先日の実験で明かされたとおり、鬼子たちは指輪から五十メートル以上離れない限り、自由に動ける。元気いっぱいに騒ぎ立てる。
「えー。だって暇じゃん」
「柚紀で遊びたいー」
手足をばたつかせながら、双子の鬼が言った。その子供らしい所作は、見ようによっては可愛らしいと言えないこともない。
ただし、それは見る者に心の余裕がある場合に限る。そして、柚紀の心に余裕など――推して知るべし。
「鬼沙羅! 今『柚紀で』って言ったわね! 『柚紀で』って!」
ベッドからすっくと起き上がり、柚紀が怒り心頭で叫んだ。
鬼沙羅はそんな柚紀を真っ直ぐ見返し――
「うん。言った」
満面の笑みで歯切れよく応えた。
「言い切った! 言い切りやがったわ! この子!」
クスクス。
叫ぶ柚紀を眺めながら、双子は楽しそうに笑っている。
「そんなに怒っちゃやーよ」
「これも愛情表現のひとつだって」
「そんな歪んだ愛情、いらないし!」
力いっぱい叫んでから、柚紀は立ち上がる。そして、ドシドシと音をたてて歩き、扉へ向かった。
「どこいくの? 柚紀」
「トイレ!」
ドシドシドシドシッッ!
盛大な足音が遠ざかっていった。
ところ変わって居間。
「……柚紀のやつ、独りでなに騒いでるんだ?」
「……さあ?」
父母の心配そうな声。
『………………………………………………………………』
家族四人で顔を見合わせ、長く沈黙する。
そして、彼らの心は一つとなった。
大事な家族を心配する優しさで、満ち満ちた。
「……せ、せめてうちにいる間はゆっくりさせてあげよ! ね! お兄ちゃん!」
「……そ、そうだな!」
柑奈、慎檎ががっちりと手を繋ぎ、結託した。
気遣われる原因が自分にあることを柚紀が知るのは、まだしばらく先のことである。
ところ戻って、柚紀の部屋。
部屋の主はまだ帰っていない。
「ねぇ。お兄ちゃん」
「ん?」
「柚紀、元気になってよかったね」
「うん」
クスクス。
柚紀が彼らの気持ちを知るのもやはり、まだしばらく先のことである。