12:15 「檻の中の現実 -1-」
教室を出た僕は、桐渕が向かった先と反対方向の廊下を歩いていく。
意外にも廊下にいる生徒は多かった。みんな窓の外の風景を一心に眺めている。
新校舎西棟の廊下側の窓辺からは少し勾配が下がったところに住宅地が見える。昼間の住宅街、人影はそう多くはないが、全くいないということはない。いつもなら。
冬の薄い日差しも遮る曇り空の下、町並みは現実味のない人気のなさだった。誰一人、姿が見えない。車も走っていない。不自然に道の真ん中で停車した車が何台もある。そして、脱ぎ捨てられた衣類がところどころに落ちている。こつぜんと人間だけが消えてしまったかのような光景だった。
まるで映画を見ているような感覚に陥る。傍観してしまうのだ。自分がまさにおかれている状況であるという実感がわかない。夢の中にいるような気分。対岸の火事であってほしいという願望が捨てられない。
桐渕の鎖に関しては、まだ手に握っている。基本的に視界に入っていない人間の鎖は見えないのだが、例外として触れ続けている人間の鎖は、その人の姿が見えなくなっても残り続けるようである。ひとまず安心だ。この鎖だけは手放さないようにしよう。握りこんだ手をポケットに入れる。
とりあえず、持ち物の整理でもして落ち着こう。
と言っても、大したものは持ってきていない。これが事前に起こることがわかっているゲームだったのなら色々と大装備を持ちこんでいたのだろうが、そんなことしているわけがない。
持ち物は、携帯とカッターナイフ、あと財布、ハンカチ、ティッシュ。それだけだ。
携帯電話は結局、手放さないことにした。下手に壊しても隠すのが手間だし、何よりプレイヤーの死亡情報が入ってこなくなることが痛い。開始5分で起きた殺人事件、あのとき僕は死亡通知メールが来るのを待った。気になるプレイヤーの生死や、生存プレイヤーの数があとどれだけいるのか、その情報は行動の指針となるのだ。特に、不確かな情報が飛び交うことになると予測される戦場において、信頼性がおけるこの通知メールは重要になってくる。
なにより僕は大きな見落としをしてた。着信音設定などしなくても、電源を切ればそれで解決するのである。少しややこしく考えすぎていたようだ。普段から携帯の電源を切るという習慣がなかったので忘れていた。
カッターナイフは護身用の武器。と言いたいところだが、そんなわけない。僕の持ち物の中で、最も武器として扱えそうだったから持ってきただけだ。これを振り回して人間を殺せるだなんて思っていない。手に持つその凶器の重さのなんと頼りないことか。薄い刃は皮膚を貫通する前に折れてしまうだろう。
まず、僕がしなければならないこと。それは武器の入手だ。
他のプレイヤー同士も殺し合ってくれるだろうが、だからといって僕が手を休めていい理由にはならない。臨機応変に状況に対応するためにも備えは大切だ。
僕の能力は直接に敵にダメージを与える効果のあるものではないが、恐ろしい使い道がある。敵に悪意を持たせないので、敵はこちらに攻撃ができない。よって、こちらは一方的に攻撃を与えることが可能なのだ。目の前で攻撃しても反撃されることはないはずだ。
しかし、敵も棒立ちでこちらの攻撃を受け続けるという馬鹿ではない。当然、こちらの敵意に気付けば避けようとするだろうから、威力の低い攻撃を何発も当てて倒すような方法はとれない。それに、反撃はできないと言っても、それは「悪意がある攻撃」の場合だ。
殺されかけて死に物狂いの状況では精神状態も安定しない。とにかく命の危険が迫っているとなれば必死に抵抗しようとする。それは単なる防衛本能だ。こちらに対する悪意はない。その破れかぶれの“抵抗”が、結果的にこちらへの攻撃となる可能性もある。サスペンスドラマでよくあるじゃないか、殺すつもりはなかったけど襲われて抵抗しているうちについうっかり、とか。
しかも、相手がプレイヤーならばどんな効果の【武器】を持っているのかわからないのだ。その“抵抗”がどんな形で火を噴くのかもわからない。
やるなら、一撃必殺。殺傷力が極めて高い凶器がいい。できれば、小型で隠して持ち運べるもの。
だが、そんな危ないものが学校にあるわけない。考えられる妥当な線は、鈍器だ。硬くて重い物なら何でも鈍器になりえる。殺人鬼が徘徊している危険な状況なので、多少なら目立つ武器のようなものを持ち歩いていても言い訳が聞く。
または刃物。家庭科室などに行けば包丁が手に入るかもしれない。ただ、こういう品は入用になるだろうから、すでに誰かが持って行っている可能性がある。
あとは理科室の薬品などだろうか。毒殺。しかし、それは使い方がかなり限定されるし、確実に殺せるか不安が残る。
技術室で工具を手に入れるのもいいかもしれない。
僕が向かった先は旧校舎西棟。家庭科室や技術室などの特別教室は西棟に集中している。三階の渡り廊下を通り、旧校舎区に入る。渡り廊下の終わり、階段先の曲がり角。ふと目を向けると、そこには床一面に赤い液体がこぼれていた。
足が止まる。
思えば。簡単に考えすぎていたのだ。
教室で見てくれの悪いバリケードを作り、それに安心する生徒たち。好奇心から教室を飛び出し、廊下の窓にへばりついて外を眺める生徒たち。そういう奴らも、きっと傍観者なのだ。まるでわが身のことと思っていない。
生徒が殺されている。犯人は校舎内のどこかにいる。そういう噂はあった。知っていた。でも、ズレていた。テレビのニュースで流れる、他国とか日本の他県のどこかで起こった事件のことのように聞いていたのだ。
逃避している。たとえば、もっと現実味のある事件だったら、慌ただしかったのかもしれない。学校に凶器を持った不審者が侵入し、生徒を襲ったというのなら、きっと大騒ぎになる。我先にと、みんな逃げだそうとする。
でも、今起こっていることは、あまりに異常すぎたのだ。僕たちの理解を超えていた。超自然の力で校舎内という空間が外の世界から切り離された。あっけにとられるしかない。ちょっと待ってくれと、立ち止まって思考をやめてしまう。生徒が殺されたと言われても、なんだかミステリーなことが起こった、そんな言葉で片付けてしまいそうになる。
ゲームの存在を知っている僕でさえそうなのだ。プレイヤーでない一般人なら、なおのことわけがわからない。混乱する、呆けてしまう。
何が言いたいかと言えば、僕はここに来てようやく気付いたのだ。この狂った世界が、どうしようもなく生々しい現実だということに。




