14:27 「新校舎2階廊下にて殲滅 -7-」
力が抜ける。ぐにゃぐにゃになる。全身の骨がなくなったような気さえした。立っていられない。腰を抜かして、その場に崩れ落ちた。
やけにまぶしい炎の光。僕はそれを茫然と見つめていることしかできなかった。
『は? な、なんですの? どうしてそこで止まっているんですの!? はやく前に進みなさい!』
あとは丸焼きになってくれるのを待つだけと思い、高みの見物気分であったのだろう。向坂は動揺していた。火柱を前にして立ち止まっている僕と桐渕に悪態をつく。しかし、展開は彼女を裏切るように流れた。それまで威勢よく燃え盛っていた火柱が、あっという間に消滅したのだ。
「ええ!? そんな、こんな早く消えるなんて!」
もはやのんきに構えている余裕はない。向坂は拡声器を投げ捨て、慌ててポケットから取り出した紙切れに、ライターで火を灯す。隙だらけのその様子を、僕と桐渕は水を差さず眺めていた。
紙に火がつく。だが、黄金の炎にはならなかった。紙はくすぶった灰を出して静かに燃え尽きた。
「ど、どうなっていますの!? わたくしの能力が!」
向坂は何枚も紙を取り出して燃やし始めたが、何も起こらない。そのうちの何枚かが床に散らばった。それは写真のようだった。
「定規、助けなさい! 桐渕伴を殺して!」
後ろから足音が聞こえる。島井が近づいてきていた。
そして、桐渕の隣で立ち止まる。島井にさっきまでの葛藤に満ちた表情はない。冷静。少し落ち込んでいるようにも見える。だが、この状況を前にして特別な反応は見せない。
「会長、これでよろしかったでしょうか」
「おおむね結構。しかし、一つだけ聞きたいことがある」
まるで打ち合わせでもしていたかのような雰囲気。桐渕と島井は何のいさかいもなく会話を始めた。向坂はポカンとした表情でそれを見ている。
まだ僕には、わからないことが多すぎた。混乱している。頭が働かない。
しかし、わかったこともある。グルだったのだ。信じられないことに、この2人が。どこをどのようにしたらそうなる。どうして、その理由は。疑問は尽きないが、詰問する気力もない。
「ここにいる東原木末君に、君の能力が効いていないようだが」
「それが、俺もよくわからなくて……最初は殺すつもりだったんです。能力も使ってました。ですが、なんというか、途中から急に攻撃できなくなったというか。そんな気が起こらなくなったというか」
島井はしどろもどろになりながら話し始める。
余計なことを。感情を合理化してくれればよかったのに。急に攻撃する気が失せたとか、自分でもよくわからないうちに気が変わったとか、そういう言い方はない。それはいけない。明らかに不自然。僕が何かしたようにしか思えない。
「つまり、君はこう言いたいわけだ。初め、木末に対して能力による攻撃をしていた。しかし、途中から原因不明の意思の変更が起き、攻撃をやめた。ところが木末はそのまま前進。あれよあれよと炎のそばまで来て立ち止まった。そして今に至る、と」
「そ、その通りです。会長のご期待に添えない結果を出してしまい、申し訳ありません!」
島井は土下座した。平身低頭どころではない。額を床にこすりつけての土下座。どうなってるんだ。なんなんだ、こいつらの関係は。ただの生徒会の先輩後輩ではなかったのか。
「いや、謝る必要はないよ。よくやってくれた。君の役目は終わりだ」
桐渕の悪意の質が変わった。膨れ上がっていた「疑念」が消失していき、その埋め合わせをするように増大する「殺意」。
三本にプレイヤーだとバレたとき向けられた「殺意」は、これに比べればちっぽけなものだった。樋垣に向けられた「破壊衝動」もそうだ。どちらも恐ろしくはあったが、桐渕とは違った。これほど汚らしくはなかった。
「殺す」という意味の濃度が違う。まさにそのとき人を殺すという瞬間、一瞬のうちに殺意の感情が高ぶる。その状態なのだ。機会があれば殺そうとか、そういうレベルじゃない。行動を起こす直前というところ、これ以上ないというところまで来て、その状態で止まっている。続いている。おおよそ普通の人間の感性とは思えない。
「もったいなきお言葉です! それでは、すぐにお預かりしていたものをお返しいたします」
役目は終わり、そう言われた島井は満面の笑みだった。何の役目か知らないが、ともすれば、お前は用済みだと言われたようなものではないのか。しかし、島井は何も気にするそぶりは見せない。
島井は正座の姿勢で持っていた剣を構える。おかしなことに刃を自分の方に向けて。制服をまくりあげ、腹部を露出させて。
「定規!」
その様子は容易に続きを連想させた。向坂が声をあげて駆けだそうとするが、間に合わないことは目に見めていた。島井は躊躇を少しも見せず、あっさりと剣を自分の腹に突きたてた。
「ぐひゃああ、おぐあっ!」
いや、それは刺したというより、皮を切ったという方が正しい。さばいたのだ、自分の腹を。血が流れ出す。自分の体だというのに、遠慮がなかった。ばっさりと。
「ぎいいい! ぎいい!」
そして、自分のはらわたを引きずり出す。消化器の管が飛び出る。それは見えてはならないものだった。決して体外に出てきてはいけないものだった。水気のある柔らかいソレを、島井は自分の手で引っ張りだし、丹念に破り、握りつぶしていく。
思わず顔を手で覆った。見ていられない。この世界はどこまで狂う気だ。これは桐渕が指示したことなのか。何を考えてだ。どうしてこんな恐ろしいことができる。
島井は笑っていたのだ。苦痛を押し殺すような悲鳴をあげながら、滝のような汗をかきながらも、愉悦に浸った顔をしていた。楽しみながら、自分の臓腑を破壊している。それは自殺であるはずなのに、人殺しより醜悪なタブーを感じさせる光景だった。
「島井君。何もそこまですることはないんじゃないかい?」
「うぎっ、が、みつけ、ます、いいいま、みづ、ご、みつ、みつ」
「いや、ここはそんな言葉をかけるべきではなかった。訂正しよう。君の忠義に感謝する」
「ちが、い、ますっ、がいちょ、そうじゃ、な」
「ああ、そうか。そうだった。君のリクエストがあったね。私はこんなことを言うキャラではないのだが……君のたっての頼みだ。再び訂正しよう」
桐渕はこほんと一つ、咳払いをした後、表情を一変させた。おそらく協力者であり、割腹自殺により死のうとしている男に対して、底冷えするような目線を向ける。それは明確な、隠そうともしない侮蔑の視線だった。
「ドン引きだ、島井君。さっさと死んでくれ」
島井の体が不自然に盛り上がったかと思うと、首の根元から金属質の何かが生えた。
それは剣だ。いかなる術か、島井の体内に剣が生まれた。心肺その他の胸部の器官を破壊し、肋骨を内部から破壊して、鋭い剣の切っ先が産声を上げるように首の横から体外に突き出した。3メートルはあろうかという大剣だった。
人体のていをなさなくなった島井の体はすぐに倒れた。誰がどう見ても即死。彼の表情は、最後まで恍惚の笑みのまま。苦悶の色は微塵もなかった。




