12:08 「教室にて考察 -3-」
桐渕伴という女はぶっ飛んでいる。
艶のある黒の長髪、モデルさながらのスタイル……いや、こいつを賛美する言葉なんて考えたくもない。詳細は省く。とにかく容姿端麗、文武両道、人の上に人を作り、そのまた上に人を作った、そんな人間だ。
常に学年トップの成績を維持し続け、スポーツでも才能を遺憾なく発揮し、頼れる生徒会長として誰からも信頼される、絵にかいたような秀才だ。
分け隔てなく人と接し、相手の立場になって物を考え、正しきは正しきと誤りは誤りと、言葉を濁すことなく発言できる。にもかかわらず、煙たがられない。それを突き通すだけの風格を持っている。3年のこの時期になり、とっくに会長の座は後輩へと代替わりしたというのに、いまだに生徒会長と言えば桐渕伴であるという強烈なインパクトを残す趨勢を誇っている。
この女の一番恐ろしいところは“決断を誤らない”という点だ。ここぞというところで即断即決。有無を言わせず人を従わせる。そして最良の結果を出す。見通しのきかない繊細な問題、成功か失敗かどちらに転ぶか予想もできない分岐点、のるかそるかの大勝負という場面でしくじらない。その采配は天才的なセンスと言えるだろう。
そういった数々の伝説が彼女の揺るがぬ風評を作り出し、有能な指導者としての地位を確立している。神がかっているのだ。高校生とは思えない傑物ぶりである。
そして、僕はその幼馴染。バリバリと仕事をこなし男っ気のない彼女が唯一、他の生徒よりも少しだけ親密に接する男子生徒。それが僕。
うらやましいと思うか。
僕は全く嬉しくない。
はっきり言おう。この東原小枝が世界中で誰よりも最も大嫌いな人間が桐渕伴である。
みんなは口々に僕を果報者だと言う。桐渕伴の友達、しかも幼いころからの親しい間柄だなんて。決まって羨望のまなざしを向けられる。ふざけるな。
僕は自分より優れた人間が嫌いだ。その最上に位置する桐渕伴のことが嫌いでないわけがない。僕が彼女の幼馴染だと言うと、うらやましい、代わってくれと妬まれる。それができるのなら喜んでしよう。桐渕伴と幼馴染でいる権利なんて金を払ってでも手放したい。こんな女と親密だと思われているだなんて虫唾が走る。もし、断崖絶壁から落ちかける寸前の桐渕伴がいたとしよう。彼女はすんでのところで岩肌に手をかけて落下を食い止めている。僕はその岸の上を通りかかる。絶対に助けない。彼女が力尽きて奈落の底まで落ちるまで、悪口雑言を岸の上から投げかけてやる。それくらい嫌いだ。
さらには僕と桐渕伴が男女の仲なのではないかと、しきりに気にする人間がいるのだ。ありえない。そんなことは全世界の国々が人類平和のために手を取り合って全ての戦争を廃絶し国境をも超えた世界連合国を作るよりもありえない。桐渕伴と交際するなんて、責め苦以外のなんだというのだ。それをするくらいなら50を過ぎた熟女と付き合った方がマシ、相手がゲイでも涙をのんで了承しよう。ゴキブリを恋人だと言って、百匹くらい部屋の中で放し飼いして一緒に暮らしてもいい。
もし、彼女が本当に世の人間が言うような人格者で、純粋な好意から僕の友人でいてくれるというのなら、僕だってここまで蛇蝎のごとく嫌うことはなかっただろう。
だが、違う。
どいつもこいつも、この女の本質に気付いていない。ヘドロの底のにこごりのようなその目に。
桐渕は教室にいた生徒たちに椅子や机を使って扉をふさぎ、バリケードを作るように指示を出していた。校舎内に人殺しの不審者が徘徊しているかもしれないとなれば、真っ先に籠城して身を守ろうという考えくらいは浮かびそうなものだが、パニックになった人間はそういう当たり前の対処にも気付けない。桐渕が呼びかけることによって、初めて生徒たちは行動を開始した。
集団の規律が生まれ始めれば人間の精神は安定する。一度レールに乗せてやれば、車はそれに沿って走ることができるだろう。指示を終えた桐渕は教室を見まわし、そして僕の方を見て目を止めた。
ほら、来たぞ。
ゆっくりとこちらに歩いてくる。その表情はいつもの笑み。余裕と自信をたたえた、形だけなら美しい笑顔だ。
「やあ、木末。大変なことになったようだね」
僕はバリケード作りのために机を運んでいた手を止め、桐渕に笑顔で向き直る。。もちろんのこと、表面上はそうという話。本心は口もききたくないのだが、そうも言っていられない。人気のある生徒会長様に粗末な対応をすれば、それだけで槍玉に挙げられる恐れがあるのだ。なにより、そんな雑なコミュニケーションは僕の信条に反する。
「ああ、いったい何が起こっているのか。桐渕は何か知っているか?」
「いや、わからない。これから調べようと思っているよ」
一つ、嫌な想像をしてみる。桐渕伴がプレイヤーだったら、という仮定だ。それは嫌どころで済む話ではないかもしれない。最悪も最悪だ。ただでさえ化け物じみたスペックを持つこいつが、人外の力を手に入れてしまったら。本当の化け物が完成する。能力を使ってでも勝てる気がしないと思ってしまう。
そんな想像がしっくりくることに、なおのこと不安になる。
しかし、それは根拠ない感情だ。プレイヤーが学校関係者から選ばれるとしてその確率は600分の7である。たまたま僕は選ばれてしまったが、この数字のランダム性は覆し難い。桐渕も選ばれているという可能性は低いだろう。
そのはずだ。
しかし、万が一、ということもある。その最悪の可能性を考慮すべきだ。
僕は桐渕から伸びる鎖を探した。
案の定、汚い。
桐渕に対しては、僕の手帳でも好感度の欄が未記入だ。この女は何を考えているのかわからない節が多々あるので正確な判断ができなかった。だが、これではっきりした。鎖はところどころに、赤茶けた錆をつけている。僕をどういう風に思っているのか一目瞭然である。結局こいつは上辺だけの人間。人から愛される生徒会長など虚像でしかないということだ。
いい機会だ。少し、いじってやろう。せっかく超能力的な便利能力を手に入れたのだから、使わなければ損だ。この女に対しては、精神を操作することに微塵のためらいもない。仮に桐渕がプレイヤーだったとしても、これで僕に手出しはできなくなる。何もデメリットはない。
僕は不審にならないように注意して桐渕の鎖を手に取る。
そこから悪意を吸収する。桐渕の悪意が僕の中に染み込んでくる。
僕は彼女の悪意を引き受けた。その感情は僕の中で芽を出して、僕の感情となり桐渕に向けられる。
彼女が僕に向けていた悪意。それを知って、僕は愕然とした。
 




