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13:51 「サークル棟にて潜伏 -2-」

 

 あのとき逃げていればよかった。桐渕のことなんか放っておいて、ここから離れるべきだった。なにが桐渕がいればなんとかなる、だ。全部、桐渕のせいだ。こいつが武器を調達するなんて言わなければ。サークル棟になんか来るんじゃなかった。

 

 後悔しても遅い。もう見てしまった。こうなったら現状を肯定するしかない。これはある意味、幸運だったのだ。いきなり何の前触れもなく殺されて、ここにいる死体たちの仲間入りをしなかっただけマシ。こうして敵の犯行現場を見るだけでも、そこには貴重な情報が多く残されている。その能力の傾向はわかる。分析するんだ、分析。

 

 しかし、そんなありったけの不安の抑制を木端微塵に砕いてしまう、死神の足音が聞こえた。

 

 比喩ではなく、足音がする。階段の方から、する。

 

 もしかしたら通りすがりの一般人かもしれないなんてお気楽な思考はとてもできなかった。僕と桐渕はいてもたってもいられず、すぐに近くの部屋に向かう。引き戸を開ける音のなんと大きなことか。金属製のスライドがついているので建てつけに文句はないが、それでも大きい。一気には開けられない。少しずつ慎重に、しかし大胆に戸を開き、そして中に入って閉める。

 

 この一連の数秒に満たない時間が、今の僕には数分にも数十分にも思えた。体の芯から冷えていく。真冬の気温のせいではない、血の気が引くとはまさにこのことだ。冗談のように手足が震えた。喉がカラカラに乾いた。汗が染みだした。

 

 しかし、この部屋に入ったから安全というわけではない。どこかに隠れるべきだ。

 幸いにして、ここは更衣室だった。両脇の壁に並ぶロッカーは、人間一人が入れるだけの大きさがある。隠れる場所がないわけではない。

 

 問題はロッカーの開閉だ。鍵がかけられるタイプではなく、バネで可動する止め具がつけられただけ。それが問題だ。ロッカーは金属製、ささいな接触でも甲高い音がする。ギッタンバッタンとロッカーの開閉音を響かせるなんて言語道断だ。つまり、うかつに開けられない。

 

 ただ、ロッカーはずいぶん前に設置されてから替えられていない、古いものだった。止め具が壊れて開きっぱなしになったものも数台ある。そこに入るしかない。

 

 桐渕と僕は入れそうなロッカーを探した。僕は近くにあったちょうどいいロッカーを静かに開ける。その中にはぐちゃぐちゃに丸まられたプリントと、埃をかぶった教科書と、いつのものかわからない分厚い週刊少年漫画雑誌が詰め込まれていた。

 

 ここは運動部共用の男子更衣室ではないのか。我が校の伝統ある由緒正しい運動部の部員にあるまじき痴態。それでも仲間と青春の汗を流し、切磋琢磨するスポーツマンか。いや、規律を重んじ誠心誠意勉学に取り組むべき学生の姿とは思えない。貴様ら恥を知れ。

 

 帰宅部の僕の心中には普段思ってもいない清く正しい罵詈雑言がふつふつとわき上がってきたが、今はそんなことに時間を割いている暇はない。他のロッカーを開ける。

 

 今度はゴミであふれかえっているということはなかった。しかし、悲劇。中に間仕切りがある。これは取り外すことができるのだが、間仕切りも金属製。動かせば、音がする。できない、ここには入れない。

 

 その次のロッカーもダメ。間仕切りがある。焦る。心臓がバクバクとうるさい。その鼓動に合わせるように、外から足音が聞こえた。こちらに来ている。部屋の中まで聞こえてくる位置にいる。

 

 (木末!)

 

 桐渕の小声が聞こえた。目を向けると、開かれたロッカー。中には何も入っていない、間仕切りもない。桐渕はこちらにこいとジェスチャーしている。

 

 僕は一目散にそこへ入った。上履きがロッカーの底に当たってガツガツと音を鳴らす。そのたびに僕の神経は針が刺さったようにジクジク疼く。僕が入った後、すぐに桐渕が入ってきた。

 

 ちょっと待て。なんでお前もここに。

 とは言えない。さすがの僕でもここでその言葉は口にできない。

 

 このロッカーは桐渕が見つけたものだ。いわば桐渕の手柄。桐渕を差し置いて僕だけ入れてくれとは言えない。そもそもにして僕たちのうちのどちらか1人でも敵に見つかれば、もう片方の存在もバレるのだ。時間がない今、2人で同じロッカーに入るしかない。

 

 だが、僕は。それでも僕は心情的に許容できなかった。

 ただでさえ1人入るだけでやっとという狭い空間に2人ぎゅうぎゅう詰め。しかもだ、ここが最大の問題であるわけだが、その相手が桐渕なわけである。

 

 これが他の女子だったのなら僕だって嬉しかった。思春期真っ盛りの高校生らしく、ちょっといけない気持ちになったかもしれない。

 よしんばそれが失礼ながら器量の悪い女子であったとしてもだ、別にどうとは思わない。この際、野郎でもいい。その方が気楽でいいかもしれない。

 

 でも、桐渕だけは勘弁してほしかった。僕が世界で最も嫌う怨敵と、こんなところに閉じ込められたくはなかった。

 

 桐渕は僕に対して尻を向けるようにして後ろ向きに入ってきた。押しつぶされる。細身の類の僕たちだが、更衣用ロッカーに2人というのは狭すぎた。さらさらと指通りのよさそうな髪が僕の顔に押し付けられる。なんだかシャンプーだか、トリートメントだか、なんとかもいすちゃーだか知らないが一般的には良いと呼ばれるのではないかと思われなくもないかなあと考えさせられる匂いがする。そして、ロッカーの戸が閉められた。光が閉ざされ、暗がりとなる。明りは通気用の隙間からわずかに入ってくる光だけだ。桐渕の上気した息遣いを耳元で聞かされる。

 

 僕は桐渕に見られていないことをいいことに、今世紀最大の引きつり顔をしていた。おそらく高所恐怖症のくせにジェットコースターに10回乗った客よりひどい顔をしている自信がある。僕の精神力はみるみるうちに削られ、すでにいろんな意味で噴火寸前だった。僕にとって桐渕にパーソナルスペースを超えられることは領海侵犯よりデリケートな問題だというのに、まさかの密着。もはや軍事的先制行為。

 

 ああ、僕は理解する。満員電車で痴漢を受ける女性というのはこんな気持ちなのだろう。そう考えると痴漢というのは度し難い犯罪だ。僕は痴漢犯罪者を憎み、そして電車に乗るときは両手で吊皮を握ることを誓った。

 

 しかし、この状況でまさか「この人、痴漢です!」と桐渕の手を取ってロッカーの外に連れ出すわけにはいかないことは、僕の湯だった脳みそでも判断できる。

 

 我慢しよう、うん。

 その結論を出すために多大なる労力を要した。

 


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