13:31 「図書室にて進退 -2-」
鳴るはずのない携帯の着信音。それが桐渕の方から聞こえる。メールの着信を知らせるその音は、数秒程度続いて消えた。
おそらく、プレイヤーの死亡情報を伝えるメールだろう。
僕はこれ以上ない焦りに胸を焼かれる思いだった。桐渕の方から聞こえた着信音、それもさることながら僕のポケットからも感じたのだ。携帯電話の振動、バイブレーションを。僕の携帯にも着信が入ったことがわかった。
思い出す。僕ははたして携帯の電源を切っていたのか。
切っていなかった。痛恨のミス。
桐渕から逃げるように教室を後にしたとき、携帯を壊すか着信音設定を変えるかで迷い、最終的に電源を切るという結論を出した。だが、忘れていた。考えることで満足して、行動しなかった。ど忘れ。
映画や演奏会を鑑賞するときに電源を切り忘れていたのとはわけが違う。この命がけのゲームの土壇場であるまじき痴態。なんという最悪の過失。
しかしだ。それでもマナーモードにしていた。振動音は微々たるもの。制服の上着のポケットの中で数秒、震えただけ。桐渕の携帯から着信音が流れたせいでその音もかき消されていた。普通の人間なら気づかないはず。
普通の人間なら。
桐渕の鎖から伝わる悪意が急増していく。パンクしそうなくらい疑われている。気づかれたのだ。いや、この女は最初から狙っていた。僕の携帯電話に着信が入るその瞬間を聞き逃すまいと耳をそばだてていたのか。僕に対して悪意は持てないのだから、そんなことはできないはずだが、そう思えてならない。やられた。
桐渕はいつもより一層いやらしい笑顔になったような気がした。自分のポケットから携帯を取り出す。
「これは上遠野さんの携帯。さっき、メールを見せてもらったときに預かっていたものだ。確認してみよう。……ふむ、どうやら死亡したプレイヤーの情報を知らせるメールのようだ。死亡者である上遠野さんの携帯であるのに、上遠野さんと渥美さんの死亡情報が載せられている。ゲームの開催者はいい加減な仕事をするものだね。しかし、これは便利だ。この携帯を持っていればプレイヤーの死亡情報が逐一把握できるのだからね」
ぐああ。
そ、そんなことがあっていいのか。桐渕は自分の手の内を明かさず、僕だけが自爆した。そういうことなのか。
「ところで、現在この学校のすべての電子ネットワークの利用は不可能になっている。唯一、それらしい情報のやり取りは、このプレイヤーが所持する携帯電話にゲーム主催者側から入ってくるメールだけだ。つまり、プレイヤー以外の人間の携帯電話に着信が入るということは今のところ考えられない」
いつにもまして饒舌、そして説明口調な気がする。まずい。生きた心地がしない。詰められる。この流れ、間違いなく……
「しかし、私の聞き間違いだとは思うのだが、木末。君の方から携帯電話の着信音が……」
絶対、僕の携帯電話を確認させろと言ってくる。その流れになる。まずいまずい。今、携帯を見せるわけにはいかない。かといって、何の理由もなく携帯の開示を拒否することもできない。それはもう、僕がプレイヤーだと認めることと同義だ。
追い詰められた。チェックの宣言が聞こえる。三本がやられる前に、僕がチェックメイト。しかも僕の間抜けな失敗のせいで。ありえない。そんなことあってはならない。考えるんだ。なんとしてでもこの窮地を脱しなければ、僕の命はない。バレたから開き直って桐渕に襲撃を仕掛けるなんて度胸、僕にはない。
最悪の事態を考慮しよう。いや、今がまさに最悪の事態なわけだが、さらなる最悪から逆算して危機回避の道を見つけるのだ。
「ま、待て! 桐渕、少し待ってくれ!」
携帯は見せられない。それは前提条件だ。メールを確認されれば言い逃れはできない。それこそが最悪の事態。チェックメイト。
だとすると、開示を拒否しなければならない。理由もなくそれをするのはもちろんダメ。何かしらの理由が必要。携帯を見せられない理由。
「僕の携帯を見せろ、と。そう言いたいわけだな?」
「ああ、その通りだ。私としても君を疑う要因となるしこりを残したくはない」
僕は携帯を持っていない。
僕の携帯は壊れているんだ。
僕の携帯は電源が切れている。
僕の携帯は電池が切れている。
僕の携帯は通話専用プランで契約しているためメール機能を利用できない。
僕の携帯はプライバシーにかかわる情報のためお見せできません。
全部ダメ。確認させろの一言で消し飛ぶような根拠にならない理由しか思いつかない。でも、何か言わなければ。黙っていては怪しまれる。
何かないか。いい言い訳が。
僕は周囲を見回す。そんなことをしてもいい考えが思いつくわけないとわかっていながらも、やってしまう。その挙動不審な行動が、むしろ怪しさ倍増。言い逃れしようと必死になっている人間の行動そのもの。
しかし、僕は見出したのだ。その行動がもたらした成果を。桐渕の追及から逃れられるばかりか、さらに大きな利益を生み出せる作戦を。
「桐渕、お前は僕のことを『いつも最悪を考慮する人間』だと評したな」
「そうだね。そう思うよ」
「では、僕は最悪を考慮しよう。お前が僕を疑う気持ちはわかる。が、その推測は誤りだ。最悪の事態は、その先にある」




