13:27 「図書室にて施術 -3-」
桐渕の言うとおり、図書準備室の扉は渥美の鍵を使って、一瞬で“解錠”することができた。準備室の中には何もなかった。散らかっていた物品はすべて消滅し、部屋の壁は変形して表面がガラスのように滑らかにされている。当然、上遠野の姿もない。
僕は渥美の能力を最弱と判断した。
その使い勝手の悪さを考えれば当然だ。
空間を閉鎖し、そして解放できる能力。聞こえ映えはいい。だが、実際は敵プレイヤーを前にして取れる有効な戦術が少ない。うまく敵の動きを予想し、または誘導し、部屋に閉じ込めるくらいのことしかできないのではないか。確かにそれで一時的に相手の動きを封じることはできるが、結局は倒さなくてはいけない相手、いつか外に出してやらなければならない。単独での戦闘能力があまりに低い能力。そう言わざるを得ない。
僕が渥美の立場なら、まずその制約を呪う。『指紋認証』だ。2分という、戦闘において致命的なロス。僕はこのデメリットを軽いと評価したが、そんなことはない。重すぎる枷。これさえなければ、これがなければ、どうなる。
僕は想像してしまった。
校舎中のあらゆる部屋という部屋の壁を無視し、縦横無尽に駆け回るスプリンター。敵の攻撃にさらされればすぐに近くの部屋に逃げ込み、施錠。隣の部屋の壁を解錠して、通過すればまた施錠。これを繰り返せば一切の攻撃を振り切って逃走が可能になる。また、突如として敵の背後の壁から出現し、ヒットアンドアウェイ。すれ違いざまに敵の腹部を切開、臓物をぶちまけさせて殺す。そして逃げる。えげつない。それができてしまう。
鍛え抜かれた脚力にものを言わせてカマイタチのように死をばらまき逃げ去る褐色の通り魔。ギャグだ。渥美の性格から考えれば、笑えないギャグ。ありえない。
だが、可能性は残る。まさに最悪の最悪。
どうしてそんな嘘の吐き方をした。能力を隠しておきたかったのなら、秘密ですとでも言っておけばよかっただろう。なぜ『指紋認証』なんて。どこからその発想が出た。なぜそんなデタラメを言った。お前はそんな性格じゃない。ここでお前がそんな嘘をつくということは、つまり。
騙した。
偽の情報をつかませ、自分の危険性を巧妙に隠した。制約としては申し分なく、さりとて疑いをもたれるほど極端ではない、絶妙な加減のデメリットを捏造した。
凶悪な本性を悟られないように。
桐渕は渥美がついた嘘は1つだけだと言ったが、そんなことはない。あいつは数え切れないほどの嘘をついていたことになる。デメリット捏造という1つの嘘の信憑性を高めるために、「渥美天音」という人間像の全てを嘘で塗り固めた。いや、塗り固めてきた。物心ついたそのときから今に至るまで。
あいつは世の中には善い人しかいないと言った。人間の本性は善だと。
嘘。
まったくお前は馬鹿だなあ、と思わせるような幼稚な理想論で僕たちを笑わせた。
嘘。
人体の腹部を解錠するとどうなるのか、自分の体をその実験に供しようとした。
ひどい嘘。
自分が致命傷を負って死ぬ間際だというのに上遠野の身を案じた。
嘘だ。
僕はどうしてこんな奴を信用していたんだ。その最たる理由は、僕の能力による。鎖から悪意を吸い取れなかった。つまり、渥美には悪意がなかった。
だが、彼女が嘘をついていたことは紛れもない事実だ。結果的にこう結論付けるしかない。
渥美は悪意なく嘘をつくことができる人間。
自分のすべてを嘘で固め、自分すら騙した嘘吐き。彼女にとっての「嘘」とは「真実」なのだ。相手が僕であろうと、それ以外の人間であろうと関係ない。彼女にとっては全ての人間に対して自分を偽ることが普通。それが嘘偽りない嘘吐き、「渥美天音」という人間。
思えば、完全な「白」というのが元からありえなかったのだ。悪意を感じなかったという事実を簡単に考えすぎていた。この状況で接触してくる人間に何の悪意も持っていないって、どんな人間なんだ。
鎖が真っ黒ならまだ話はわかる。極悪非道な人間ということで説明がつく。だが、一片の曇りもない白はおかしい。それはあまりにも人間味がない。いや、人として何かが欠落している。黒よりも白である方がおかしいんだ。
だが、全くありえない話ではないのかもしれない。一つ、思い当たることがある。僕は何かのテレビで見た知識を思い出した。
サイコパス。日本人にはあまり馴染みのない言葉だが、そう精神分類される人々が確かに存在する。表向きは一般人と何ら変わりなく、むしろ社交的な性格であったりする。だが、自分の欲求を満たすためならどんな手段もいとわない。殺人犯などの重犯罪者に多いとされる性格だが、彼らは単に残虐であったり、猟奇的であったりするわけではない。自分のためなら他人がどうなろうと、なんら“悪い”と思わないのである。だから平気で嘘をつき、人を傷つけることができる。
僕はそれが同じ人間であるとは、どうしても認めることができなかった。
「上遠野さんに対して“解錠”を行うことで起こった惨劇。あれは回避可能だったかもしれない。渥美さんがすぐに“施錠”を行って穴を閉じればいい。しかし、それをしなかった。そうまでして嘘を、牙を隠そうとした。強欲だね。欲をかきすぎて損をする、まさに彼女にふさわしい結末だ」
指紋認証中だといって鍵をかざしていたあの沈黙の2分間、渥美は何を考えていたのだろうか。
『しばらく待ってくださいね。今、本人認証してますから』
『よし、準備OK! “解錠”!』
よし、準備OK!
よし、準備OK!
よし、準備OK!
よひゃれびいえうぇ
僕は意識せず、渥美のそばから離れていた。その化物に近づきたくなかった。弱っているふりをして、突如、その牙をむき出しにして襲いかかってくるのではないかという妄想をぬぐえない。
だが、それは杞憂だった。僕の手の中から鎖が1本、消える。渥美天音は最後まで、“偽りの”自分を見せることなく死亡した。
「木末、寂寥に浸っているところ申し訳ないが、あまり悠長にしている暇はないようだ」
プレイヤー、上遠野るいと渥美天音の死亡。それはゲームの1つの区切りでしかない。すっかり安心して弛緩しきっていた僕は、剣呑な表情で包丁を構える桐渕を見て、ようやく状況の理解に至った。
「まずはおめでとうと言っておくっす、生徒会長。危険なプレイヤーが2人も脱落した。これは朗報っす」
「いや、まだ安心するのは早いな、三本矢七君。私の目の前に、もう1人残っている」
1人というのは語弊があるかもしれない。そこにはたくさんの敵がいた。図書室にまんべんなく散らばるように配置された三本の分身体。おそらく、あらかじめ棒を仕掛けていたのだ。
怠惰を司るプレイヤー、三本矢七が動きだした。




