13:25 「図書室にて施術 -2-」
桐渕は渥美の手をつかむ。正確には手首。それを床に押し付けた。
渥美の手の上に包丁の刃を勢いよく振り落とす。刃が肉に食い込み、骨の半ばまで達する。その後、包丁のあごを床に着かせ、上から足で思い切り踏みつけて、ギロチンのように渥美の指を切り落とした。
意識が半濁した状態の渥美は、特に何か言う様子はない。
そして、扉に向けて渥美の鍵をかざした。
そこまできて、僕は思考を回し始めた。遅すぎる。僕が立ち止まり茫然としている間に、桐渕はなすべきことをやったのだ。僕は何もできなかった。
そうか、意識がなくなりかけている渥美に代わって鍵を使う。そういう方法があるのか。
いや、しかし。
その行動指針をあらかじめ想定し、もしくはあの場で瞬時に考えだして行動できたことは確かにすごい。人並外れている。
だが、問題はその鍵を桐渕が使えるかどうか、ということだ。そんなことはわからない。いや、使えない可能性の方が高い。まるっきり他人の超能力をどうして使えると判断したのか。
賭けに出たということだろうか。それとも桐渕には他人の能力を借りることができる能力があるのか。いや、それはないだろう。指紋まで奪う手際は見事だが、そこのところの詰めは……
いや、待て。前提がおかしくないか。
なんで渥美は鍵を使うときに指紋を読み取らせて本人認証する必要があるんだ。だって、自分の能力なのに自由に使えないなんておかしい。そりゃ制約はあるかもしれないが、それにしたって「本人認証」というのは変だ。鍵は渥美にしか使えないはずなのに、それをわざわざ認証する必要が皆無。
だとすると、本人認証する必要があるから、するのだ。つまり、他人にもあの鍵は使いうる。しかし、その場合は指紋が本人と合致しないため、結果的に使用ができない。
指紋さえそろえば、誰にでも鍵が使える。その可能性はある。
希望が生まれた。いけるかもしれない。
しかし、同時にある問題点に気づく。
「き、桐渕、時間が……」
「わかっている」
時間がない。
指紋認証にかかる時間化は2分か3分ほど。
2分。
なんて長いんだ。
今から始めて、はたして間に合うのか。
上遠野が準備室を破壊し尽くすまでにどれだけの時間を要する。2分ないし3分、持つのか。移動した方がよくないか。せめて準備室ではなく、図書室の方を“施錠”すれば。
いや、それだと準備室を“施錠”したことになるのか。上遠野のあの様子だと、そのうち壁なんかも溶かして被害をどんどん広げそうな気がする。そうなったら手の打ちようがない。確実に「準備室」を“施錠”しないと。
しかも仮に間に合ったとして、上遠野を封印することができたとして、その後はどうだ。その封印を維持し続けるためには、当然のことながら能力者である渥美には生きていてもらわなければならない。上遠野が死ぬ前に渥美が死んでしまったら、封印解除だ。そんなことになったらただの時間稼ぎで終わってしまう。
そして、ガチャリと硬質な音がした。
「……え?」
早く、ないか?
もう2分経ったのか?
「桐渕、さっきの音」
「……」
「“施錠”できたんじゃないか?」
「……」
「おい、桐渕! どうなんだ! できたのか、まだなのか、どっちだ!?」
桐渕は答えない。何か信じられないようなものを見たような表情で、じっと扉を見つめている。
何だ。何が起きた。なんで何も言わない。
扉の向こう、準備室の中からは絶え間なく騒音が轟々と鳴り響いていた。だんだんとそれが強くなる。何かが焦げる強烈な臭いがする。それらがエスカレートしていく。
それは突然のことだった。前触れなく、空気を入れすぎた風船がはじけるように。
爆発した。
一瞬、床が揺れたかのような錯覚に陥る。いや、本当に揺れたのかもしれない。すさまじい轟音が響きわたり、準備室のドアが一気にへこむ。準備室の中側に向かってへこんでいた。こちら側から見ると、凹面を描いた形になっている。
それで終わりだった。
僕の手の中から鎖が一本、消えた。上遠野の鎖。それはつまり、上遠野の死を意味し、彼女の封印とその後の処理に成功したことを知らせるサイン。
終わった。僕は死ななかった。生き残ったのだ。危機を脱した。どうしようもない安堵感に溺れる。頭のスイッチが切れ、腰が抜け、へたり込みそうになる。
結果から言えば、上遠野は自爆したようだ。溶解の最終段階といったところか。最後の最後で一気に力を使い果たし、能力者もろとも葬った。そして、その自爆が起こる前に部屋を“施錠”することができたのだ。よって自爆の被害は最小限に抑えられた。このへこんだドアがその状況を説明している。隔絶したセーフティゾーンに上遠野を封じ、爆発を食い止めることができたのだ。
「いやはや、幕引きはあっけないものだったな」
「そうだな……と、それはいいが、渥美さんはどうする。まだ息があるけど、もう長くは……」
「ああ、放っておくといい。もう用済みだからね」
僕は思わず振り向く。桐渕はニヤニヤと笑っていた。
こいつは、なんて言ったんだ。用済み。開いた口がふさがらない。
そんな言い方はないではないか。確かに渥美は底抜けの馬鹿だった。この考えなしのせいで話がこじれることもあった。
でもそれは渥美のまっすぐな信念がそうさせていたからだ。迷惑はしたが、憎めない。思えば渥美がいたから僕はこの図書室で、精神を変に取り乱すことなく、いつもの自分のペースを保っていられたように思う。異常の中でも自分の意思を曲げず、明るくふるまっていた渥美の存在が僕に安定を与えてくれたんだ。
それを用済み呼ばわり。
別に桐渕の言葉を撤回させようとは思わない。確かに僕たちは敵同士のプレイヤー、死んでくれたら万々歳の間柄だ。僕にだってそういう気持ちが全くないわけではない。渥美に対して弁護するような考え方をしたのも、彼女が死ぬ間際だからちょっとは思いやっておいてバチは当たるまいというくだらない情の表れかもしれない。
でも、わざわざそれを口に出す、言葉にする必要がどこにある。黙っておけばいいものを、そんなことを言ったところで百害あって一利なし。お前ほどの人間が、なぜそんなこともわからない。
「君がそんな顔をするのも無理はない。私も最後まで気づかなかったからね。大したものだよ。この私を騙し通すことができるとは。その女はある意味、上遠野さんよりも数段は危険な存在になり得たかもしれない」
は、なんだって。
騙し通した、何を。渥美は何か、嘘をついていたとでも言うのか。あいつの鎖にはずっと錆がなかった。嘘なんてついているはずがないのだが。
「渥美さんがついた嘘はたった1つだ。『鍵の使用に際して、本人認証として指紋の照合が必要』、これがウソ。指紋の照合なんて必要ない。この鍵は誰にでも使える。それもワンアクションでね。この嘘が、どれだけ悪意に満ちた危険な嘘なのか。いつも最悪を考慮する君にならわかるはずだ」




