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13:08 「図書室にて談話 -11-」

 

 パタンと、桐渕は本を閉じて置いた。

 

 「よし、だいたいのことはわかったよ」

 

 気がかりなことは多いが、今はこう着状態なのだ。ここに集まったプレイヤーたちは一つの目的を達成するために沈黙していると言っていい。

 

 つまるところ、上遠野の能力は何であるか、ということだ。

 

 血なまぐさいことにならないということは、そういうことである。ひとまず平和的に事が進んでいるうちは自分から積極的に動くことはできない。敵同士がひしめきあっているこの場で何かすれば、どんな化学反応が起きるかわかったものではない。当然、警戒する。牙をむく、ここぞという瞬間を狙って身をひそめる。

 

 だからここではまだ状況は動かない。流れを見送り、上遠野の能力を暴く。話はそこからだ。

 

 「アルカへストとは錬金術に出てくる用語。訳すると、『万物融化液』という。それがどんな由来のものであるか、詳細は省いて必要なことだけ言うよ。これはその名の通り、あらゆる物質を溶かすことができる空想上の液体だ」

 

 アルカへストは精製可能であるか否か。近代化学を知る僕たちからすれば、常識的に考えて不可能だと即答できる問題である。かつての錬金術師たちも、最終的にその結論に至る。理由はややこしくも明快だ。なんでも溶かしてしまう液体であれば、それを作るための精製器具でさえ溶かし尽くしてしまうからである。

 

 「この情報をもとに仮説を立てた。上遠野さんはアルカへストを作り出す“釜”を持っている。万物を溶解する液体を収める釜だ。しかし、それは矛盾している。メールの記載にもあったように、それは生み出されることがなかった、と書いてある」

 

 「全然、話が見えてこないんだが」

 

 「そしてメールの最後の一文にこうあった、『未来永劫、過去永劫』。時間に関係する言葉だ。未来と過去のどの時間軸上にも存在しえず、今この時で止まっている。“時間が止まった釜”なら、溶かされることなく件の液体を収めることが可能ではないかと思わないかい?」

 

 頭の中で、カチリとピースがはまる。

 僕が防御膜だったと思っていたもの。触れた感触はなく、ぴたりと彼女の肌の直前で手が止まるような感覚。言われてみれば、あれは時間が止まったかのようだった。

 

 上遠野るいという人間の肉体そのものが“釜”なのか。もし時間停止の能力ではなかったとしても、上遠野の“釜”の壁はアルカへストを保存できるだけの強度があるということになる。

 

 しかしだ、それだと。

 

 「上遠野さんは体表付近に限り時間を止めることができる。その能力を解除した場合、まずいことになる。あるいは時間停止はそもそも解除することができない。まあ、上遠野さんは死にたいと言ったことだし、となると自分では死ねないことになるのだろうから、時間停止は自分の意思では解除できないのでは。と、言うのが私の考えだよ」

 

 時間が止まったとは、なんというSFだ。科学的にはありえない現象だ。時間が止まっているのなら上遠野の体も動かすことはできないのではないか。不可解なところはある。しかし、そんな異常な現象はすでに立て続けに起こっているのだ。否定できる材料もない。それはまさしく最悪の可能性だった。

 

 「えっ! それって、るいちゃん先輩は絶対死ねないってことじゃないですか! ということは自殺もできないわけだから、問題はすべて解決! 桐渕先輩との勝負はあたしの勝ちということですか!?」

 

 「君はそれでいいとしても、上遠野さんの問題は解決していないよ」

 

 それと同時に渥美を除くすべてのプレイヤーの問題も解決しない。それでは殺しようがないのだ。絶対に死なない能力。こんなことがあっていいのか。それではこのゲームの勝者は上遠野るい以外にありえなくなってしまう。

 

 「問題は、そんな最強と言える超能力を手に入れながら、どうして上遠野さんは死を望むのか、ということだよ。ゲームというのはプレイヤー同士の実力が拮抗するほど味が出るものだ。どちらか一方にしか勝算がないゲームなど、ゲームとして成立しない。渥美さんの能力と比べても、上遠野さんの能力は異常に有利だ。それ相応のハンデがつけられているのかもしれない」

 

 個人により実力に差があることはしかたないが、ゲームが破綻するほどの優遇があってはならない。大きな力には代償があるべきだ。桐渕はその代償が上遠野の負担となり、精神を病ませているのではないかと考えているようだ。そうでなければ、上遠野は一も二もなく勝利を目指して奮闘していることだろう。

 

 「桐渕先輩の頭脳で、どうにかそこのところを予想できませんかね?」

 

 「実はすでにいくつか考えている」

 

 「よっ! 名探偵!」

 

 「一言で言えば、上遠野さんの性格上の問題に集約されると思う。重度の潔癖症にして拒食症。おそらく、拒食症の原因は強迫性障害に伴う心理的ストレスに端を発するのではないだろうか」

 

 潔癖症は汚れることや病気にかかることを極度に心配してしまう精神失調だ。症状として、肥満になることを気にするあまり、行き過ぎた食事制限をしてしまうといった一例があると桐渕は言う。

 

 「上遠野さんの体は与えられた超能力によって、アルカへストを収める容器となっていると考えよう。想像してみてくれないかい、自分の体の中に正体不明の異物が侵入している状態を。健常者でも気が滅入る。であれば、上遠野さんにとっては耐えがたい苦痛だ」

 

 そうか、上遠野の立場になって考えていなかった。実際、僕はそういう精神失調にかかったことがないわけで、潔癖症の人間がどういうふうに物事を考えるのか理解していなかった。

 しかし、今ならわかる。上遠野から伝わる悪意を引き受けた僕には、彼女の苦しみが理解できた。汚染されることに対する強烈な嫌悪感、これを自分で手が出せない腹の中の仕込まれたと考えると。

 ぞっとする。嫌悪を通りこして、恐怖だ。

 

 「さらにもう一つ。ずっと気になっていたんだが、焦げ臭いにおいがすると思わないかい?」

 

 「え? くんくん……そう言われると、するような、しないような」

 

 している。上遠野の近くにいる僕は、彼女の方からそのにおいがしていることに前から気づいていた。

 

 「さっきは容器と表現したが、それだと上遠野さんの皮膚一枚向こうの体内はすべてアルカへストで埋め尽くされてしまい、生命の維持に必要な器官や組織のすべてがなくなっているかのように聞こえる。こう考える方が自然ではないだろうか。彼女の時間停止の層は、上皮全体を覆ってアルカへストから溶解されることを食い止めている。容器が壊れないように」

 

 生物の授業で習った。上皮組織とは体表だけでなく、胃や腸といった体内の消化器官の表面を覆う細胞層のことも指す。

 人体のうち、“釜”と表現するに最もしっくりくる器官は何かと聞かれれば、たいていの人ならあの場所を答える。

 

 胃。

 

 「しかし、そのコーティングは完全ではなかった。または、その保護膜すらアルカへストの溶解に耐えられなかった。そのため、上遠野さんの胃は少しずつ焼かれ、溶かされている。この胃という場所が実に皮肉的だよ。食物を胃酸によって分解する器官。つまり、ものを食べることを嫌う上遠野さんが、自分の肉を溶かして食べてしまっていることになる。これが暴食の釜というおぞましい“病気”の真相だよ。どうかな、上遠野さん。私の推理は当たっているかい?」

 

 真実ほど残酷な言葉はない。それを否定し、悲壮を合理化させることを許さない。

 加えて桐渕の言い回しは気味が悪いくらい鋭く尖っていた。ギラギラと光る残虐な返しがついた銛だ。上遠野自身、信じたくなかったであろう事実を容赦なく暴く。突きつける。突き刺す。

 

 上遠野は何も言わなかった。しかし、その反応を見れば桐渕の推測が真実であるかどうかなどすぐにわかる。

 

 肩を震わせ、嗚咽をこらえて、大粒の涙をこぼして泣いていた。

 


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