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12:27 「檻の中の現実 -5-」

 

 僕はしばらく考えて結論を出す。

 潔癖症。それか男性恐怖症。

 感覚的な判断だが、前者のような気がする。彼女は重度の潔癖症なのだ。それ以外に妥当な答えを見つけられない。あるいは、能力に由来するものなのかもしれないが、それと断定する材料がない。

 

 であれば、不用意に近づいて不快感を引き起こす必要はない。そこで、適度に離れた位置から話しかけてみたのだが、反応がない。

 

 僕は話がうまい方だと思っている。それは話の引き出しがものすごく多いとか、面白い経験をたくさんしてきたとか、そういうことではない。むしろ、僕の話は至極普通で面白みがない。印象にさして残らない、他愛もない普通すぎる世間話が得意なのだ。

 それは自慢になるのかと疑問に思うかもしれないが、これが案外にして役に立つことが多い。相手に嫌な思いをさせる心配がない。場を湧かせることはないが、冷ますこともない。そういった話術というか、会話の空気を作ることが性に合っているのだ。社交が嫌いな僕が浮き立たずにいられるのだから、あながち的外れとは言えまい。

 

 気に食わない僕の幼馴染いわく、『木末は将来、いいセールスマンになる』だそうだ。あいつに言われると、どんな褒め言葉でも無性に腹が立ってくるから不思議である。

 

 閑話休題。

 そういうわけで、依然として彼女は丸まったまま動こうとしないのだ。悪意に変動はないので機嫌を損ねるようなことはしていないのだろうが、沈黙を続けている。

 

 「制服に血がついてるよ」

 

 唯一、この言葉には反応を示した。さっきの大男がしこたま殴打を繰り返したときに付着したものである。しかし、びくっと体を震わせてそれっきり。彼女が人から触られることも拒絶するような潔癖症なのだとすれば、他人の血をかぶって平気でいられるとは考えにくい。一刻も早く着替えたいのではないか。

 しかしだ。彼女はそれでも動こうとしなかった。おそらく着替えがないのだろうと思われる。学校に持ってくることが予想される替えの服なんて、体操服くらいのものだ。体育の授業がなければ持ってこないだろう。常時ロッカーに入れっぱなしにしているようなガサツな性格には見えない。他人から借りるという手段も取れない。

 

 それとも今の僕では及びもつかないような重大な理由により、うずくまっていなければならないのか。深読みのしすぎだろうか。

 とにかく話をして情報を引き出さなければ何の進展もないことは確かだ。普段の僕なら、ここまでかたくなな態度を取る相手にこれ以上踏み込むことはしないだろう。だが、今は緊急事態である。くだらない世間話マスターとしての腕の見せどころではないか。是が非でも話をしてやる。

 

 まず、相手は極度の緊張状態にあると思われる。それを解きほぐさなければ会話など、とてもできそうにない。

 

 それが問題だ。そもそも相手はこちらの言葉をシャットアウトするように心を閉ざした状態なわけである。そこに何を言っても無駄だ。何とかしてその心の壁を取り払わなければならない。これはもう、言葉で訴えかけるだけではいかんともしがたいのではないか。多少強引でもいい、僕に注意を向けさせることができればいいのだ。

 

 ひらめいた。言葉や身振り手振りがダメとなれば、残る手段は一つしかない。ふれあいだ。こちらが敵ではないとアピールし、相手の緊張をほぐす画期的方法。それは、無性の褒め。ひたすらに相手を認める行為。つまり、こういうことだ。

 

 僕は女生徒の頭に手を置いた。

 

 「よーしよしよしよしよしよし! よーしよしよしよしよし!」

 

 無心で撫でまくる。鎖から吸収する悪意が格段に増した。激しい嫌悪感が流れ込んでくる。それでも撫でる。髪がぼさぼさになるくらい撫でる。

 

 「よ、よーしよし……ぐっ、もう無理……」

 

 だが、ついに力尽きた。まるで汚物を手に塗りたくっているような気持ちになるのだ。どれだけこの女生徒が他人に触れられるのが嫌なのかはわかった。

 

 というか、何をやっているんだ、僕は。

 

 少し、思考が倒錯的になりすぎた。潔癖症の人間にこんな対応の仕方は逆効果だろう。いや、そうでなくとも見ず知らずの他人からいきなり頭を撫でまわされて安心する女性などいるはずがない。命がけのバトルロワイヤルというのっぴきならないこの状況下で、のんきにヨシヨシだのやる必要があるのか。断じて、ない。僕は馬鹿か。

 

 と、まあ、自己嫌悪に陥る面もあったわけだが、実は思わぬ収穫があった。彼女の頭に触れようとした手の感覚に異常があったのだ。正確には異常な感覚というより、感覚がないことが異常だった。つまり、触った感覚が全くしなかったのだ。体に触れる紙一重のところで手が止まり、薄い空気の膜の上を手が滑るように感じた。

 

 要するに、彼女に触れなかったのである。彼女の背に手を置いたときは、制服の生地を触る感覚があった。だが、頭には触れなかった。おそらく、彼女の生身には触れないようになっている。それが彼女の【武器】の力なのか。だとすれば、先ほどの大男の攻撃が全く効かなかったわけもわかる。一発も攻撃が彼女に届いていなかったのだ。紙一重で彼女の体を守る見えざる防御膜により、止められていたのである。

 

 そして、最も厄介なところは、この膜が攻撃を自動的に防御している可能性が高いということだ。うずくまっている体勢から、あまり警戒心を抱かれていなかった僕が急に頭を触ろうとした。これは予見が困難な行動だろう。それを防いだということは、彼女の意思で能力の発動をコントロールしているのではなく、自動的に敵の攻撃を防御する機能があるのではないか。それもただ触れるだけというささいな干渉すら許さないほどの精密さで。

 警戒して発動しっぱなしにしている可能性もある。あるいは元から常時発動しているということも考えられないではないが、それだと本当に無敵になってしまうので、たぶん違うと信じたい。

 

 とにかく、相手が拒絶する以上、取り付く島もないことは確かである。あの防御性能を見せつけられては、どれだけの武装をそろえようと戦いを挑もうとは思わない。言葉もジェスチャーも、そして接触さえ叶わないとなれば、もう彼女をこの場から動かす方法がない。ここは一端、撤退するのも手ではないか。僕の【武器】では太刀打ちできない相手だ。

 

 「ごめん、迷惑だったよね。僕は、もう行くから」

 

 そう言って立ち上がろうとした僕の腕を、彼女の小さな手がつかんできた。

 


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