12:24 「檻の中の現実 -4-」
「あがあああああっ! あああっ、あがっ!」
「……」
あれから何分経過したのか。3分くらいは経ったのではないだろうか。
戦闘は続いていた。戦いにおける数分がいかに長いか、体感する。
女生徒は負けたわけではない。いまだ無傷。鉄壁は崩れなかったのだ。なんという頑強さ。
それに対し、大男は両手を組んでハンマーのように女生徒へと振り下ろす。一切の容赦もない全力の殴打。それを執拗に何十回と繰り返していた。こいつに対して同情など持ち合わせていないが、その間抜けな姿はいささかの憐憫をそそる。
その戦闘の様子から気付いたこともあった。大男の全身にかかった返り血、実は彼自身の血でもあったようだ。返り血も混ざっているのだろうが、自らも負傷し、出血している。他の生徒を襲った際にやられたのだろうか。止血処置をしているわけでもなさそうなので、このまま放置していれば死ぬかもしれない。別に医療的知識があるわけではないので、確かなことは言えないが。可能性の一つとして考慮しておこう。
それだけの怪我を負いながらも一心不乱に女生徒を殴り続けていた大男だったが、ついに諦めた。女生徒が座り込んで亀のように丸まってしまったところ、それを降伏と捉えたのか、ようやく目標を破壊できないことに気づいたのか。それとも単に興が覚めたのか。あっさり攻撃を切り上げて雄たけびをあげながら、のそのそと廊下の奥へと去って行った。
そして取り残された、僕と、女生徒。
これから何をすべきか、考えられる選択は簡潔だ。次の三つ。
一つ、この場からそっと立ち去る。
魅力的な提案だが、思いとどまる。すぐに逃げ腰になるのは僕の悪い癖だ。これがたちの悪いイタズラなのであればともかく、生き残りをかけた真剣勝負、のらりくらりと嫌なことを避けていてはいつまでも戦いを有利に運べない。ときには危険を冒してでも情報を得るために行動する勇気が必要だ。
二つ、大男を追跡する。
即、却下。言わずもがな。
三つ、女生徒にコンタクトを試みる。
これが最も妥当であろう。最初の登場のしかたはともかく、攻撃的な性格ではないと見た。今なら鎖も掌握しているので、悪意を持たれることはない。一般人のふりをして近づけばいい。暴漢に襲われ、ダンゴムシのごとく丸まったまま動かない女の子がいれば、普通の人は声をかける。おかしなところはない。ただ、超能力バトルを繰り広げていたという点が普通ではないだけだ。そこに驚きつつも、おせっかい心からつい声をかけてしまった、そんなふうに見せかけるのだ。
動く気配のない女生徒をこれみよがしに観察する。その身長もろもろの身体的特徴から見て1年生だと思っていたのだが、上履きの色が今期3学年を表す緑色だ。同級生にこんな生徒がいた覚えはない。そりゃ僕だって自分の学年の生徒全員のプロフィールを詳細に把握しているわけではないので、知らない人もいるだろう。僕の趣味の人間関係記録は、僕の周辺の人物しか対象でない。少なくとも僕のクラスにいないことは確かだ。学校のクラスとか仲良しグループというのはある意味、異なる共同体を分ける境界のように働くものだ。つまり、僕の活動範囲外にいる人物ということである。
あと、これはどうでもいいことかもしれないが、なんだか香ばしいというか、焦げ臭いにおいがする。比喩ではなく、本当に彼女の方からそんな臭いがしている。
気になる点がないわけではないが、接触をはかるにためらうほどのことではない。さっそくチャレンジ。
「だ、大丈夫!? 怪我はない!?」
「……」
反応なし。鎖から伝わる悪意は「不審」。ただし、僕個人に特別向けているというよりも漠然としたあいまいなものとして周囲にばらまいている可能性はある。この狂ったゲームの内容を知り、どうしようもなく不安になり、疑心暗鬼になった。誰も信じられない、そんな感情だ。関係者なら誰でも持つであろう当然の感情である。悪意の量も微々たるもので、そこまで警戒されているわけではないと考えられる。
声をかける前とその後で、悪意の質、量ともに変化はなかった。つまり、無関心なのだ。それとも返事をする気力もないか、どちらかだろう。能力行使の副作用として体に負担がかかるとか、そういう可能性もある。そうでないにしても、あの迫力満点の巨漢から襲いかかられれば精神的ショックが少なからずあっておかしくない。
ここはソフトに、カウンセラーのような柔らかい対応で、まずはこちらに心を開いてもらう必要がある。僕は女生徒の背中に手を伸ばす。
「もうあのヤバい男は逃げて行ったよ。安心して、ぐっ!?」
唐突に、女生徒の僕に対する悪意が増した。それは本当に予期せぬ急激な感情の高まりで、思わず動揺が表に出てきそうになる。
流れてきた悪意の質と量が変わった。明確にわかるのは「拒絶」、「不快」。その2つが彼女の悪意ランキング上位を占めている。
これがどういうことを意味するのか。
僕の存在に今の今まで気が回らなかった、ということだろうか。戦いに必死になり、ようやくひと段落ついてクールダウンの真っ最中というとき、それまで気にする暇もなかったギャラリーが近づいてきたわけだ。びっくりして警戒を強めた、そういう感情の流れは不自然ではない。
しかし、違和感がある。
あまりにも強い悪意の急上昇だったのだ。僕の何かのアクションがスイッチとなったのか。と言っても、声をかけて背中に手を置く、くらいのことしかしていない。
触ったのがいけなかったのか。セクハラだと思われたのか。自意識過剰なのか。
とにかく、手を離す。僕の能力の副作用として、吸収した悪意は僕のものとなるので、相手が僕に対して不快だと思うのであれば同じように僕も相手に対して不快だと思う。好んで触りたいとも思わない。
するとどうだろう、悪意はみるみる減少していき、元の状態に戻った。いや、もともと抱いていた「不審」がわずかに薄くなり、さっきよりも関係が改善されたようにさえ見える。
“触る”ことがダメだったのだ。
しかし、僕とて何もスケベ心から手を触れたわけではない。辛そうにうずくまっているので背中に軽く手を添えただけである。この状況でこの接触を、そういう変な意味で捉えるような女はそうとうアレだ。
しかし、彼女はそのアレではないにしても変わり者ではあった。
彼女から伝わってきた悪意は異常だった。僕が男だからとか、知らない奴だからとか、そういう理由ではなく、ただ“汚い”と思われたのだ。
触られると汚い。汚れる。だから触るな。誰も触るな。
そういう感情を、僕は彼女に抱いた。翻ってそれは、彼女が僕に対してそういう感情を持っていたということだ。
騙そうと思って近づいた僕が言うのもなんだが、そうとう失礼な人間ではないだろうか。
 




