act,0_Prologue
最期に覚えているのがトラックの眩しい光。そしてブレーキの煩くて大きい音。
自分が死んだという記憶は、それだけで十分だった。
教室を占める話し声が煩くて敵わない。耳に入る甲高い声と野太い声に思わず眉を顰めると、たまたま見ていたのか、隣の女子が話しかけてきた。名前は忘れたけど、茶髪で丸い目の凄く可愛い子だ。
「楓ちゃん、どうしたの?」
アルトの声は少し低い。具合が悪いのかと心配しているのかもしれない。
「なんでもないさ。――それより、今日何かあるのかい? 皆、いつもより騒がしいけど」
「え、知らないの? 今日転入生が来るんだって!」
ふむ、転入生。女子か男子か楽しみだね、とハイテンションな彼女は置いといて、しかし転入生か。確かに可愛い子だと嬉しいし、仲良くなりたいと思う。性格が悪くなければの話だが。美少女って大体性格が悪いって聞くからね。だがしかし男子はいらん。女子来ないかな。
チャイムがなると同時に開く教室のドア。入ってきたのは、淡い水色の長髪を後ろで一纏めした、優しそうな先生。水里青葉。細められている目は琥珀色。その温和な性格から男子に慕われ、その容姿から女子に慕われている。もはや信者かと思うほど熱狂的な人もいた。イジメのない健全なファンクラブもある。高い背がいいのだと、隣の子も言っている。
「おはようございます。皆さん知っていると思いますが、転入生を紹介します」
声を荒げ、急かすクラスメイト一同。
「――入りなさい」
先生がそう言うと、女子生徒が入ってきた。女子ということが分かり、盛り上がる男子一同。また同性だと分かり落胆する生徒もいれば、男子と共に喜ぶ女子生徒もいる。私もその中の一人で、表情には出さないけど喜んでいた。既に多くいるカッコいい男子がまた来ても、騒動になるだけだけど、女の子なら話したいと思うし。
だが、そんな騒がしい雰囲気は転入生が顔をあげると一斉に静かになった。
アプリコットの長髪を腰あたりまで伸ばし、前髪を黒いピンでとめている。零れ落ちそうなほどの大きくて丸い目は黒色。長い睫毛に二重で、可憐にも見えるが麗しくも見える。口角のあげられた小さくて可愛らしい口は、笑っていることを示していた。どこから見ても、凄い美少女。だけど、クラスメイトが静まったのは、それが理由ではない。
目が、笑っていなかった。
その子の表情は確かに笑おうとしているのに、黒色の目は少しも笑っておらず、しかし眉間に皺を寄せて睨んでいるため、どう反応すればいいのか分からない。ここは僕がフォローするところだろうか。いや、でも正直、僕もどう声をかけていいかも分からない。先生も、困ったように笑った。
転入生が口を開いた。
「初めまして、小田桐藍那です。転入したばかりで分からないこともあって迷惑かけるかもしれないけど、宜しくお願いします」
そのアルト声は、妙に耳に馴染んだ。
どうしてだろう、頭が痛い。
頭痛とはまた違って、何かが割り込んでくるような痛み。頭蓋骨を無理矢理拡げられて、中に何かを詰め込まれる、そんな感じだ。痛い、痛い痛い痛い。頭が割れる。やめて。やまてよ。いたい、痛いいたい痛い。
何かが、ずっと訴えてくる。声がした。思い出せ、と。
『ずっと好きだったんだ――』
『うわあ、またバットエンドだよ!』
『……私、実はね』
『アンタの、アンタの所為で、そうよ、アンタが悪いのよおおおお!』
『それでも俺も受け入れてくれるのか……?』
『危ないっ!』
『死ぬまで一緒にいようね』
『お願い、死なないで、お願いよ、死んだなんて言わないで!』
美声の告白。少女の軽い悲鳴。アルトの暗い声。甲高い耳障りな叫び。泣きそうになっている、または縋っているような少年の声。響く断末魔。ぶつかった体の温もり。幼馴染との約束。既に泣いている、女性の――母の、声。
聴覚ではなくどこかから第六感目のどこからか聞こえてくる声。思い出せ、抗え。僕は二度と、同じことを繰り返したくないのだと。
「椎名さん? ――椎名さん!」
先生が僕を呼んでいる。今倒れれば、転入生の初日が最悪になってしまうだろう。それでも、襲ってくる激痛に耐えられなかった。
意識が覚醒して、一番に目に入ったのは、自分の幼馴染だった。
火八馬紅貴。赤色のツンツン髪に、黄色のつり目。精悍なその顔立ちは、いつもは無愛想にしているくせに、今は涙目になって顔を歪めていた。そんな幼馴染に驚きながらも、居場所が教室ではなく自分の部屋であることに気付き、もっと驚く。
「あ、れ? 紅くん、なんで僕ここにいるんだっけ?」
「お前なあ、覚えてねえのか? 教室でぶっ倒れて強制的に早退させられたんだよ」
呆れて溜息を吐く姿も、彼ならなんだか様になっている。絵から飛び出て来たようなカッコいい彼が、どうしてこんな僕の幼馴染なのか聊か疑問があるのだが、それよりも、だ。
僕の家族は弟が一人と姉が一人、そして父母の両親だけなのだが、この時間皆は学校か仕事だ。姉も弟も同じ学校ではないし、それならば連れて帰ったのは、一人しかいない。学校が終わってない時間に僕の部屋にいる、彼のみ。
「紅くん」
「あ?」
「ありがとう」
言えば顔を赤くしてそっぽを向く。返事せずに部屋を出た。ずっと前、女の子の部屋に許可無く長居をするなと叱ったのを、ちゃんと実行しているようだ。すぐに許可を出してもよかったのだが、今は汗の臭いが凄いし、それに落ち着きたかった。
「嘘、だろう?」
ドアの向こうにいる紅くんに聞こえないように、小さく呟く。あの顔も、あの性格も、あの仕草も、あの名前も。全てが〝設定〟通り。身長は小さい方で、一匹狼と思えばツンデレで、しかし意外と女性に優しくて小さな気遣いができる。
〝ヒロイン〟の、クラスメイトだった。
「あははっ、あはははははは!」
力のない声で笑った。
あの後、転入生はどうなったのだろう。上手くクラスに馴染めただろうか。それとも、近寄りがたいと思われて距離を置かれただろうか。否、自分がクラスメイトに声をかける前から、嫌われているだろう。既に知り合いである草薙友弦の所為で、女子にのみ、嫌われる。
なんで知っているかって?
――――僕も嫌なんだけどね。
どうやら僕、乙女ゲームのヒロインである小田桐藍那の友人役だったらしい。