それは誰にも答えられない
どうして私は生きてるの?
その質問には誰も答えられないわ。
もし、どうして私は「こんなに悲しい」の?
もし、どうして私は「楽しい」の?
もし、どうして私は「泣いてる」の?
そんな質問だったら、答えは簡単だわ。
むしろ、愚問ね。
だって、全てがこう答えられるもの。
そして、これ以外の答えは不適当だからよ。
__お前が、生きてるから…。
生きてるから、心は悲しいし、喜びを感じるの。
生きてるから、涙だって出るし、笑顔になるの。
ならば、何故生きているのか。
でも、その質問にはどんな答えも不適当ね。
よく用いられる綺麗事の台詞なら、
「幸せになるため」__だけれど、
では、その「幸せ」を掴むために、他人の幸せを侵すことは善か、悪か。
生きることの意味が「幸せ」になるためだと言うのなら、
侵した分、損なわれた他人の「幸せ」はどこにあるの。
生きることの意味が「幸せ」になるためだと言うのなら、
それを手に入れるが為に他人を傷つけたことは許されるの?
そんなはずはないじゃない。
__ここで矛盾が生じるわ。
そして…__。
人が生きるということは、数多ある選択肢から一つを選んでいるの。
ならば、選ばれなかった選択肢の先にある未来に予定されていた「幸せ」は、一体どこに行ったの。
ならば、選んだ選択肢の先にある未来は、
必ずしも「幸せ」に通じているのかと問われれば、
是とは答えられないでしょう。
世の中がそれ程までに単純だなんて、まさか思ってなどいないわよね?
__だから、ここでも矛盾が生じるわ。
生きることの意味が「幸せ」を掴むためだなんて笑わせるわ。
所詮、そんなものは命ある人間が考えついた綺麗事。
命に限りがある人間が合理化した、それは「甘え」に過ぎないのよ。
どうして私は生きてるの?
そんなことは、最大の愚問なのかもしれないわね。
だって、その本当の答えなど、死してからしか得られないのだから…__。
だからこそ、生きる意味を失ったと勘違いをして自ら命を絶とうとする愚か者は、死を選ぶのでしょうね。
生きる意味をなんて、初めから存在しないのに。
それを探すだなんて、それこそがおこがましい考えね。
死した者の理由など、「生」あるものには答えられないのよ…__。
でも、一番の愚か者は、この私。
綺麗事を受け入れられず、信じることができない…
そんな私はただのバカね…__。
そして、一番の愚か者だわ。
__ねぇ、教えてくれない?
どうして私は生きてるの?