千利休さん、与謝野晶子さんと同郷
今週もありがとうございました!
折角の桜が散り始めている大阪です
花見が未だの人も多いでしょうにねぇ
頑張れ桜!
来週もよろしくお願いいたします
私の生まれ故郷大阪府堺市は過去には環濠集落で、住人の自治都市として栄えた町です
今も堺市は大阪では2番目の政令指定都市になっています
我が家の稼業は堺の包丁鍛冶屋でした
庭に工場があった生家はかつての環濠集落の中に位置する熊野町と言う地名がついていました
現在は普通に熊野町と読みますが、この地にある小学校のみ熊野小学校という名前なのです
かつてこの辺りは湯屋が多かったらしく湯屋町と言っていたものが、熊野神社があることから熊野町に変わったとのこと
しかし、何故か小学校だけが「ゆやしょうがっこう」と言う名前で呼んでいるとのことです
この熊野町は堺の町のメインの駅である南海本線の堺駅と南海高野線の堺東駅を繋ぐ東西のメイン道路である大小路筋の北側に面しています
昔の堺はこの大小路筋の北側を北荘、南側を南荘と呼んでいたようで、我が家はいわゆる北荘にあったのですね
このことが私に人生で2番目のショックを与えることとなるとは数十年の間思いもしませんでした
大阪人ならば普通に、堺市は昔の地域名で言うと和泉・・・つまり泉州地方と認識されているはずです
現在はその北限は大和川となっていて、大和川を渡ると北側が摂津地方となります
東隣は大和川ではなくさらに北の淀川までが河内地方となります
大阪は摂津、河内、和泉の3つの地方で構成されています
さて、私は当然堺生まれなので泉州生まれだと思っていたのです
なんの疑いもありません、自動車も「なにわ」ナンバーができるまでは、一文字の「泉」(現在は和泉と二文字)ナンバーの車に乗っていました
バリバリの泉州プライドマンだったのです
ところが・・・大和川は昔北側の淀川に向いて流れていたのが、江戸時代に度重なる水害の影響から、現在の東西に付け替えられたのです
その影響で堺市の北限はその大和川までになったのですが、実はそれまではこの大小路筋が当時の和泉の北限で、大小路筋の北側は摂津だったのです
と言うことは・・・私は泉州生まれだとずっと信じていたのに、実は摂津生まれだったのか・・・ほんとショックでした
それがどうした?と思われるかも知れませんが、堺大好き人間としてはこれはショックですよ
ただ、当時の通っていた銭湯は大小路筋の南側にあるそれこそ大小路温泉と言う名前のお風呂屋さんでした
私は摂津にある家から国を越えて和泉にあるお風呂屋さんへ通っていたことになります(笑)
長い前置きでしたね(笑)
堺と言えば数ある有名人がおられますが、千利休さんもその一人です
そしてその千利休さんの住居跡・・・と言っても建物はありませんが・・・が堺の町に残っています
思ったより狭い(笑)
私の生家からも程なく近い、さかい利晶の杜(千利休茶の湯館、与謝野晶子記念館)のすぐ裏にあります
与謝野晶子さんも堺の有名な和菓子屋の娘さんです
私はこの方々と同郷なのです
それだけですけどね(笑)




