第9話 頼られるという、最悪の兆候
変化は、数字より先に空気に現れた。
掲示板の前に立つ人が増えた。
だが以前と違い、彼らはもう数字を読まない。
「領主様が、何とかしてくれるらしい」
「今回も、私財を出したんだろう」
「なら、大丈夫だ」
その言葉を聞いたとき、レオンは胸の奥に冷たいものを感じた。
——これは、違う。
信用が育つ過程で、
一番最初に切らなければならない芽だった。
未納率は下がり続けていた。
29% → 27%
数字だけ見れば、理想的だ。
「……順調ですね」
エマが報告する。
「順調すぎる」
レオンは即答した。
「何か問題が?」
「ある」
レオンは机に置かれた嘆願書の束を指差した。
道路補修の前倒し。
用水路の拡張。
家屋修繕の補助。
内容は、どれも“もっとも”だ。
「全部、“今すぐ”だ」
「信用されている証拠では?」
「違う」
レオンは嘆願書を一通、手に取った。
「責任を、俺に投げている」
午後、ミラが訪ねてきた。
表情は、どこか落ち着かない。
「……皆、言ってます」
「何を?」
「領主様なら、また何とかしてくれるって」
レオンは、視線を落とした。
それは、感謝ではない。
依存だ。
「弟の話は?」
レオンが聞く。
「……帰りたがってます」
「条件は?」
「……少し、緩くならないかって」
まただ。
正しさが、重くなる瞬間。
「ミラ」
レオンは静かに言った。
「今、この領地で一番危険なのは何だと思う」
「……中央ですか」
「違う」
レオンは嘆願書の山を見た。
「俺だ」
ミラが息を呑む。
「俺が何とかする、と思われた瞬間」
レオンは続ける。
「人は、自分で考えるのをやめる」
それは、この領地が最初に壊れた理由だった。
その夜。
レオンは、誓約書の前に新しい紙を置いた。
見出しを書く。
領主責任制限条項(草案)
エマが顔を上げる。
「……今度は、自分を縛る?」
「いや」
レオンは首を振った。
「住民を、縛る」
空気が張り詰める。
「公共事業は、申請制にする」
「今も、形式上は——」
「違う」
レオンは言葉を切った。
「負担を明示する」
・工事費の一部は住民負担
・意思決定は合議
・領主は最終承認のみ
「……反発します」
エマが断言する。
「する」
レオンも即答した。
「だが、必要だ」
信用は、
背負わせなければ、腐る。
翌日。
新しい告知が貼られた。
ざわめきは、怒号に近かった。
「なんで負担が増えるんだ」
「今まで、やってくれてたじゃないか」
「話が違う!」
ミラも、群衆の中にいた。
彼女は、何も言わなかった。
ただ、皆の顔を見ていた。
期待。
不満。
不安。
——そして、依存。
その夜、エマが報告する。
「未納率が、止まりました」
29% → 29%
「……下がらない」
「ええ」
それでいい。
むしろ、正常だ。
レオンは窓の外を見る。
掲示板の前に、人はいない。
だが、町の中では議論が始まっている。
酒場で、畑で、家の中で。
考えている。
それが、この回の成果だった。
「……嫌われますね」
エマが呟く。
「嫌われ役は、慣れている」
レオンは答えた。
だが内心では、分かっていた。
この選択は、
最も人を失いやすい。
次は——
誰かが、はっきりと反対に回る。
第9話は、
成功の裏側に潜む“最悪の兆候”を潰すための話だった。
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