第6話 約束を、文章にするという暴挙
約束は、守るから価値がある。
だが、この領地ではそれ以前の問題があった。
——約束が、残らない。
「文章化する、とは」
エマが慎重に言葉を選んだ。
「具体的に、何を?」
執務室の机の上には、白紙の羊皮紙が置かれている。まだ一文字も書かれていない。
「税の使途」
「……それは、すでに公開しています」
「公開しているだけだ」
レオンは紙を指で叩いた。
「今は“見せている”だけ。だが、いつでもやめられる」
エマは理解した。
「……撤回できない形にする、と」
「ああ」
撤回できない約束。
それは政治において、自殺行為に近い。
「具体的には?」
「文書にする」
「法令ですか」
「違う。法令未満、慣例以上だ」
レオンは一度、言葉を切った。
「誓約書だ」
室内の空気が、一段冷えた。
「……誰が?」
ガルドが聞く。
「俺が」
「正気か?」
「正気だ」
レオンは淡々と続ける。
「税の使途を毎月公開する。例外は作らない。撤回はしない。——これを、俺個人の責任で誓う」
「それは……」
エマが言葉を失う。
「領主権限の自縛です」
「そうだ」
「次の領主が——」
「俺が在任中の話だ」
レオンは視線を落とさなかった。
「三年ある。その間、この領地が“信用で回る”かどうかを証明する」
失敗すれば、終わりだ。
誓約書の文面は、簡素だった。
飾り文句はない。
理想もない。
あるのは、項目と責任の所在だけだ。
・税の用途を毎月公開する
・臨時徴収は行わない
・既存契約は必ず履行する
・変更がある場合、事前に告知する
最後に、一文。
本誓約は、領主レオン・アルヴェルト個人の責任において履行される。
「……逃げ道がありません」
エマが言った。
「作っていない」
レオンは答えた。
それは覚悟でも、美談でもない。
制度に信用を移すための、単なる手段だ。
誓約書は、掲示板に貼り出された。
今度は、ざわめきが起きた。
「署名が……」
「領主の名前だ」
「撤回しないって……本気か?」
人が集まる。
議論が起きる。
疑念も、期待も混ざる。
その中で、ローゼンが現れた。
「……危険ですね」
商人は率直だった。
「あなた一人に、責任を集めすぎている」
「望んだ形だ」
「信用を、人ではなく制度にするのでは?」
「その前段階だ」
レオンは答える。
「まず、人が裏切らないと示す」
ローゼンはしばらく沈黙した。
「……市場は、あなたを試すでしょう」
「構わない」
試されなければ、信用は生まれない。
その夜。
エマが静かに言った。
「中央が、黙っていません」
「分かっている」
案の定、三日後。
王都から文書が届いた。
“領主の独断による財政公開は、王国の権威を損なう”
予想通りだった。
「どうします?」
エマが聞く。
レオンは、誓約書の写しを手に取った。
「返答は簡単だ」
文書の余白に、一文を書き加える。
“王国法に違反しない範囲で、領地の自治を行っている”
「喧嘩を売っています」
「事実を書いただけだ」
だが、それは戦線布告に近い。
翌週。
未納率の報告が上がった。
未納率:35% → 32%
数字が、はっきりと動いた。
「……三%」
エマが呟く。
「約束が、“固定された”」
レオンは答えた。
疑っていた人間が、
“裏切られない可能性”を初めて考えた。
それだけで、人は動く。
だが。
良い知らせと同時に、悪い知らせも届いた。
「隣領から、移住希望者が三名」
エマが言う。
「……早いな」
「条件を聞いてきています」
レオンは、少しだけ目を閉じた。
信用は、人を呼ぶ。
人は、問題を連れてくる。
「……答えは一つだ」
「はい?」
「受け入れ条件を、公開する」
特例は作らない。
それが、次の戦いになる。
レオンは、帳簿とは別の紙を取り出した。
新しい見出しを書く。
人口流入対応指針(草案)
第2章は、静かに——
だが確実に、次の段階へ進んでいた。
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